(5)「これはこれで、素敵な展開だわ。世界は今日も最高ね、愛しいイズキ」

 吸血鬼は、家系によって相性の良い魔術がある。貴族種は特に顕著だ。

 眼前を渦巻く水を眺めて、キットは一つ頷いた。

「なるほど、あなたは水か」


 対するラリーは、相手を上から下まで観察した。キットもまた、同じようにラリーを見返している。

 テディと同じような年ごろに、特徴のない髪と、瞳。顔立ちは整って、子どもには合わない冷たさを持っている。

「キット、ね」

 イズキが呼ぶのを、何度も聞いた。

 呼ばれた子どもは、少しだけ首を傾けた。敵意のない声で。

「あなたに名前を呼ぶことを許した覚えはないのだけれど――」

 言いながら、足でくるりと地をなぞる。

「僕の心が狭いように思われるのも嫌だから、多少の非礼は見逃そう。感謝することだよ、ラリー」

 親しげとも言える声で、キットは言った。

 お下がりみたいな粗末な服で、使い込まれた布靴で。優しい為政者のように。

「――なるほど、吸血鬼だね」

 感情に合わせて、ざわりと水が揺らめく。

「それも、貴族種だろう。姿を変える魔術だなんて、そうそう使えるものじゃない」

 ラリーと同じ、混血貴族種。あるいはそれ以上の、純血貴族種。

 純血貴族種は、世界でももう数えるほどしか残っていないが――。

 彼らの一部はひとと関わることを嫌って、隠遁生活を送っている。正しく、辺鄙な村で子どもの姿をして過ごしているキットのように。

「まあ、良いや。人間のフリして生活してる、物好きな吸血鬼さん」

 懐に常時仕込んでいるナイフをキットに向けて、ラリーは言った。


「僕はローレンス。ローレンス・ラズリート。幸いの星を加護に頂く、青の女神の末裔さ」


 瞬間、

 キットの周りの地面から、水が噴き出した。水は円を描いて、子どもを閉じ込めようとする。

 ふと、少年は瞬いた。

「――しまったなあ、」

 呟いて、イズキにちらりと視線を向ける。

 巻き込まれることを恐れてだろう、イズキは離れた場所に退避していた。今から血を求めることはできない。

「あんまり節約状態で戦ったこと、ないんだけど」

 子どもの姿では大きな力は振るえないが、代わりに基本的に血を求めなくなる。イズキへの反応は例外だ。

 あまりに長いあいだろくに血を飲んでいなかったキットは、常時欠乏状態で魔力が少ない。姿を変えるためには、血の力が要る。

「今さらか」

 呟いて、彼は足下の地面に術陣の最後の一角を描いた。

 白い炎が、キットの後方から立ち上がった。

 同時に、周囲を渦巻いていた水が牙を剥く。鋭い槍となって襲いかかる。

 迎え撃とうとして、眉を寄せた。

「だめだ、押し負ける」

 判断は早かった。

 檻のように囲っていた水の一角に狙いを定めて力を集中させ、僅かに開いた隙間をすり抜ける。寸前までキットのいた空間を複数の水が貫いたのは、直後のことだった。

 水と炎がぶつかり合って、水蒸気が周囲に広がる。視界の悪さを利用してラリーから離れる。

「イズキ、」

 キットは感覚だけでイズキを探った。イズキとの距離は、遠い。

 彼は自分を守る魔術を使っているようだった。貴族種の前では気休め程度だが、ないよりはマシだろう。

 ふと、青年が手元に何かを持っているのに気づく。

 彼が握り込んでいるあれは、――ネックレスだ。恐らく、ドロシアが使っていたもの。

 他は諦めて、一番小さな形見だけでも家族に残そうと考えたのか。

「まったく、」

 苦笑とも、微笑ともつかない半端な表情が、子どもの顔に浮かぶ。

「そういうところだよ、イズキ」

 会ったばかりの誰かのために、我武者羅になれる姿が。名前も知らない誰かの命が失われたことを、自失するほど嘆く姿が。


 ――血の味だけでは、きっとこれほど惹かれなかっただろう。


 ぬらり、と。

 ひどく湿った声が、イズキの名を呼んだ。ラリーだ。

 キットはラリーを振り返った。ラリーは中途半端な、泣くか笑うかのような表情で、イズキを見つめている。

 だらりと下がった腕の先、

 何かを堪えるように、拳が強く握られる。

「君は正しく、テディの系譜だったよ。テディの息子であり、弟であり、弟子であり、」

 ふらり、とラリーが踏み出した。


「何より君は間違いなく、テディの契約者だった」


 ラリーはすでにキットを見ていない。ただイズキを食い入るように見つめて、変わらずに半端な表情を浮かべている。

 愛するような、

 慈しむような、

 そしてそれと同じくらいに、――憎むような。

 キットはラリーの感情を計りかねた。僅かな逡巡が、致命的な隙だった。

 青い吸血鬼の姿がかき消える。

「イズキ、逃げて!」

 言いざま、キットは地を蹴った。ラリーとイズキの直線上に割り込む。

「いとけき熱よ、」

 炎を喚ぶ。風を呼ぶように、友を呼ぶように。

 数メートル先の地面が爆ぜる。ラリーが足をついたのだ。

 瞬間、盾にした炎ごと横合いから蹴り飛ばされた。構えていたはずが、何の踏ん張りも聞かなかった。

「戦うには不便だね、子どもの体は」

 嘲弄の言葉とともに、ラリーがキットのいた場所を通り越す。

「義務はなく、使命はない。戒律はなく、規定はない」

 あっさりと退かされはしたが、ダメージは大きくない。吹き飛ばされるまま、キットは呟く。

「ただ願いと祈りをもって、」

 ラリーが、地に足をつく。あと一歩でイズキに届く。

 子どもめいた声が、熱を紡ぐ。



 青い吸血鬼の体が炎に包まれた。

「ははっ、」

 ラリーは、――足を、止めなかった。

 苦痛がないわけではなかっただろう。白い炎が、放っておけば己を食らいつくすことに気づいていないわけではなかっただろう。

 ラリーは、ただイズキを殺すことを優先した。

「ラリー、」

 それこそものを知らない子どものような、頼りないイズキの声。

「……!」

 キットは着地した瞬間、爆発的に地を蹴った。座り込むイズキと、炎をまとってイズキに迫るラリー。

 間に合わない。知りつつ、キットはイズキに手を伸ばす。

「イズキ!」

 ――この手を、


「ごきげんよう、お兄様」


 透明な槍が、ラリーの胸を無慈悲に貫いた。

 空気が、止まった。ひくりとイズキが喉を鳴らして、わずかに音だけが伝って、消える。

 ラリーとイズキの間に、一人の少女が降り立った。

 髪は、青い。子ども姿のキットと同じような年ごろに、洒落たドレス姿。

「お久しぶり、わたしのイズキ。あなたは変わらずに素敵だし、わたしはもっと素敵ね。最高の日だわ」

 イズキを振り返って、少女は言う。きっとさぞ笑んでいるだろう、と思わせる声音だった。

「テ、……ディ……?」

 理解ができない、というような、例えるならぽっかりとした声音で、ラリーが呟く。キットは男の言葉を、しっかりと聞き取った。

 テディ。それはラリーの妹であり、イズキのパートナーの名前だ。

「お兄様が死んでしまうことは悲しいけれど――」

 僅かに憂いを帯びて、少女は首を傾げる。踊るようにくるりと回って、

 テディは微笑んだ。


「これはこれで、素敵な展開だわ。世界は今日も最高ね、愛しいイズキ」

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