(6)「イズキ、あなたはわたしのものなんだから」

 青い蝶のように優美に、

 青い星のように一途に。


 テディは、どこまでも吸血鬼然とした吸血鬼だった。



 テディを喪ったとき、討伐の対象となっていたのは一人の吸血鬼だった。

 ただの吸血鬼ではない。

 純血貴族種。現状、吸血鬼の頂点に君臨する存在だ。

 そもそも、貴族種が討伐対象になることなどほとんどない。貴族種というのは人間の世界でも地位や権力を持っていて、おいそれと手を出せる存在ではないからだ。

 けれど、その貴族種は討伐対象になった。街を焼き、街の子どもたちを家畜にして一人ずつ食らっていく所業は、血族たちにも見過ごされなかったのだ。


 討伐対象になった吸血鬼は、テディの友人だった。


「お母さま同士が友人なのよ」

 もはやうち捨てられた、街のただ中で。

 敵性吸血鬼が待ち受ける時計塔への道を軽い足取りで辿りながら、テディは言った。

「おばさまが子どもを産んだのはうんと遅かったから、わたしのほうがずっとお姉さんだったわ」

 吸血鬼の年齢は、単純な見た目通りではない。幼い少女の姿をしたテディは、姿よりも遥かに生きている。

 順調に年を重ねていく個体もあるけれど、ある姿から一定の期間、全く姿を変えない個体もいるのだ。テディは典型的な後者だった。

「見た目はわたしを追い越してしまったけれど、泣くしかできない頃からの付き合いなのよ。だから、弟みたいなものね」

 少女の言葉を聞いていたイズキは足を止めた。

 夏場の風は乾いて、煉瓦敷きの道にいくらかの砂を運んでいた。ひとのいなくなった建造物は、あっという間に朽ちていく。

 前を行く少女は、イズキがついてきていないことにしばらくして気づいたらしい。振り返って、首を傾げる。

「お前、この任務あっさり受けてたけど」

 任務には複数のハンターとパートナーが赴いた。イズキに下った指令を、退ける選択肢もあった。

「良かったのかよ。断らなくて」

「ばかね」

 イズキの言葉を、テディは一蹴した。

「血に狂って無辜の命を奪っている吸血鬼を討伐することを、どうして躊躇うというの」

 テディの言葉には迷いがなく、テディの瞳には揺らぎがなかった。

 吹き抜ける風が、青い髪を攫っていく。鬱陶しげに髪を押さえて、少女は言う。

「吸血鬼は、人間に友好的な種族よ。他の魔物よりもずっと人間に溶け込んで、人間とともに歩む道を選んでいる」

 テディが語る声を聞きながら、イズキは無意識に腰元の魔器を撫でた。

 《黒百合》製の魔器は、日本刀の形をしている。自分が極東の血を引いているから、イズキは好んで日本刀を使うのだ。

「吸血鬼は人間との間に《盟約》を結んで、人間を単純な捕食対象として見ることを自分自身で制限した。《盟約》を破る吸血鬼は、ハンターだけではなく同胞からも排除対象になる」

 知っている、と思った。テディの説明は、ハンターの養成校で真っ先に習う事実だ。

「なぜか? 簡単よ。。個として人間を圧倒する吸血鬼は、群としての人間に勝てない。それに、技術力もね」

 くるり、とテディが回る。白に、青色のワンピースの裾がふわりと広がった。 

「今はまだ良いわ。全面戦争になったら、もしかしたら吸血鬼が勝つかもね。けれどこれから、もっと人間が増えたら――」

 考えるように、口元に指を添えて。

「人間の繁殖力と技術の前に、いずれは吸血鬼が劣勢に立たされるでしょう。そして吸血鬼は、滅ぼすではなく、ともに歩むを選んだ」

 混血貴族種であるテディにとっては、馴染み深い事実なのだろう。彼女の説明には淀みがなかった。

「吸血鬼は、人間という隣人を好ましく思っているわ。隣人を殺すことは罪よ」

 人間にはできない誇り高さで、テディは綴る。吸血鬼然として。

「友が罪を、犯したなら――」

 ふと、テディは言葉を止めた。

 もしかしたらその一瞬が、彼女が自分自身に許した甘えなのかも知れなかった。パートナー、混血貴族種ではなく、ただのテディとして。

 けれど続けた言葉には、もう迷いがなかった。


「断じることこそが、友の務めでしょう」



 テディの言葉には一つの誤りもなく、テディの信念には一つの間違いもなかった。

 イズキたちの役割は敵性吸血鬼の討伐だった。被害者の数は多く、もはや些かの猶予もありえない。

 ――そう、知っていたのに。


「おねえちゃん……?」

「――……!」

 敵性吸血鬼の呆然とした、いっそ無防備な声音に最後の一撃を躊躇ってしまったのは、

 誤魔化しようのない、イズキの弱さだった。


「あぁ、もう、本当に、」

 覚えているのはひどく優しい声音と、

「馬鹿な子ね、イズキ。――愛してるわ」


 イズキを濡らす、テディの血。




 最後の瞬間、イズキの記憶は定かではない。気づいたら《黒百合》の本部で、イズキを助けたのはティモシーだった。

 灰になるくらいならばと姿を変えたという、青い日本刀を携えて。

「テディ――」

 はた、と自分の声でイズキは自分を取り戻した。

 時間が一年前から今に飛んで、現実を認識する。血の臭いが鼻をつく。

 視界を下ろせば、見覚えのある男がうつぶせに倒れていた。

 ラリー。ティモシー・カークランドのパートナー。

 ぽっかりと、背の真ん中に穴があいている。

「……ラリー、」

 慌てて膝をついた。穴を押さえる。

 血が滲み出して、止まらない。否、もう止まりかけている。

 既に血流が止まっているのだ。気づいて、手が震えた。

「治療を」

 治療を、しなければ。

 回らない頭で、どうにかそれだけを思いついた。手のひらに魔力を集中させる。

 行き違いがあって殺されかけたとしても、彼はティモシーのパートナーだ。

 何度も助けて貰った。ティモシーの部下としても、テディの契約者としても。

 死なせるわけには、いかない。

 考えて、ラリーの背に手をあてる。瞬間、

 、と男の体が崩れた。

 髪から、指先から、あいた穴から。見る間に、瞬く間に、止める隙もなく。

 あっという間に、灰に変わっていく。体がほどけていく。

 吸血鬼は、この世界に生きた痕跡を残さない。

 無慈悲に。一つの例外もなく。

「ラリー、……ラリー!」

 震える声で名を呼んだ。

 肩を揺らす。強く揺さぶっても、男は気づかない。

 そのうちに肩の肉が崩れて、イズキは慌てて手を引いた。

「ラ、」

 何もできないイズキの前で、一つの命が潰えていく。次々、次々、ほどけていく。

 ついに最後の一片が灰に変わるまで、イズキは動けなかった。

 血まで灰に変わって、最後に残った鉄錆の匂いも風が攫っていく。

「うそだろ、」

 ラリーの、頭が置かれていたあたりの地面に触れる。灰が半端にざらりとした感触を返す。

 力が抜けた。

 人型に残った灰を食い入るように見つめるイズキの背に、かけられる声がある。

 聞き覚えがある、どころではない。何よりも馴染み深い。

 永遠にうしなったと思っていた、

 一年前までは、当たり前のように毎日聞いていた声だ。

「イズキ、怪我はない?」

 少女の声は軽やかで、淀みはない。

 迷いなく、躊躇いがない。友を殺すと断じた、あの日のように。

 イズキはのろのろと顔を上げた。二、三歩離れた場所に、知っている姿があった。

「テディ……」

 呆然と、名前を呼ぶ。声に答えて、テディが微笑んだ。

「久しぶりね、イズキ」

 二度、呼吸をした。

 粘つく唾液を飲み込んで、テディと視線を合わせる。今度こそ、幻影ではない青。

 視界を灼く青。

「生きて――」

 ふらり、と。

「イズキ!」

 ほとんど無意識に立ち上がってテディに近寄ろうとしたイズキを、第三者が遮った。

 腕を掴まれて、後ろに引き寄せられる。イズキの視界に、小さな背が入った。

「キット、違う」

 何が違うのかも判らないまま、イズキが言い募る。

 イズキの脳裏にあったのは、ラリーとキットの戦いだった。貴族種同士が戦えば、ただでは済まない。

「違う、テディは、……違う」

「イズキ?」

 怪訝げな声をあげるキットの、向こうで。

 親しげな笑みを浮かべて、テディはひらと手を振った。休日の予定でも決めるように、頷く。

「今日は、日が悪いわ」

「何の話」

「また会いましょう、イズキ。あんまりそこの吸血鬼と仲良くしたら、嫉妬しちゃうわよ」

 言いながら、一歩下がる。キットの鋭い声に怯む様子もない。

「テディ!」

「イズキ、だめ!」

 追いかけようとするイズキをキットが強引に止めた。

「……ふふ、」

 テディに手を伸ばそうとするイズキを、愛おしげに見返して。

 さも当たり前のように、テディは言った。吸血鬼然として。


「イズキ、あなたはわたしのものなんだから」


 声だけを残してかき消える。再びへたり込むイズキの横で、キットが鼻を鳴らした。

 歯を見せて、笑う。獣のように。


「上等だね」

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