(3)「可愛いテディは君のために死んだのに」

 ドロシアの細い首を狙って、青い日本刀が走る。朝日に浮かび上がった小さな埃を、刃が断ち切る。

 一瞬で勝敗は決する、――はずだった。

 びよっ、と明らかに人間にはできない動きでドロシアが飛び上がった。背後にとびすさって壁を蹴る。

「おいおい、」

 弾丸のように飛びかかってきた女の牙を、イズキは刃で受け止めた。腕が悲鳴を上げる。

 力負けするまま、イズキはドロシアの体を背後に受け流した。

「やべっ、ラリー!」

「はいはい」

 言われるよりも早く、ラリーはガスを避難させていた。首根っこを掴んで逆側の壁に放り投げる。

 ふらりと、ドロシアが立ち上がる。ドロシアの背後には窓がある。

 このまま室内で戦っては、イザベルの遺体を守り切れない。

 判断して、イズキは床を蹴った。

いや増せアンプラート

 インパクトの瞬間、指でドロシアを示す。

光あれシャンデーラ

「……ァッ、」

 急な光に眼を眩ませたドロシアの体ごと、イズキは外に飛び出した。窓が割れて、けたたましい音を立てる。

 二人で転がって、すぐに体勢を立て直す。日本刀を構える。

「……せめてよォ、」

 にやりと、悪辣な子どもめいた顔でイズキは笑った。


「死んだあとの体くらいは、守ってやんねーとな」


 日本刀を吸血鬼に突きつける。

「おら、来いよクソ吸血鬼」

 哀れむように、慈しむように。


「俺に倒される幸運をくれてやる」


 イズキ・ローウェルは言った。

「――ガァッ!」

 ハンターの視線の先で、ドロシアが牙を剥いた。明らかに発達した白い牙。

 自分の娘の命を貫いた、牙だ。

 ほとんど四つ足で、ドロシアがイズキに襲いかかる。日本刀で迎え撃つ。

 がっちりと、牙が刃を銜え込んだ。腕を振り上げる。

 指先から異常に伸びる黒い爪を見て、イズキは舌打ちした。

 魔器から片手を離す。日本刀が持って行かれるまま、あいた指をドロシアに向ける。

貫き通サブルー、」

 何事かを感じたのだろうか。吸血鬼の動きは早かった。

 イズキが唱え終わるよりも早く、刃を解放して飛びすさる。先ほども感じたが、速い。

「――ったく、厄介……」

 呟きながら、イズキはちらりと後方を確認した。ラリーは姿を見せない。

「ラリー、さっさと来やがれ!」

 呼びつけて、吸血鬼に向き直る。

 ドロシアは蹲って、ぶつぶつと何かを呟いている。獣めいて四つん這いで、ゆらゆらと体が揺れる。

 イズキは日本刀を握り直した。魔器を持ち上げる。

「お前さあ、判ってんの」

 刃を正眼に構える。

 たらり、と女の口から唾液が垂れる。半開きになった口から、牙がのぞく。

 瞳の奥に、理性はない。

 イズキの声かけに、ドロシアは答えなかった。四つ足の獣めいた動きで飛びかかる。

 人体の構造ではありえないほど自然に四肢が動く。狩猟動物に似て、ハンターに飛びかかる。

 黒く伸びた鋭い爪が振るわれて、イズキは彼女の腕を切り落とした。

「ガ、ァアアア……!」

 がら空きになった右腕側に踏み込んで、そのままドロシアの体を受け流す。振り向いて、無防備な背中に狙いを定める。

 ドロシアが首だけで振り向いて体勢を整えようとするが、イズキの方が早い。四つ足では振り返るのに僅かな時間がかかるのだ。

「お前は、娘を殺したんだぜ」

 そのまま背中を切りつけようとしたイズキの狙いはわずかにズレて、半端に振り向いたドロシアの肩口を傷つける。血が噴き出して、甲高い絶叫が響いた。

「……胸くそ悪いな、くそっ」

 一人、吐き捨てて。

「天国も地獄も信じちゃいねーが――」

 ほとんど乗り上げるような形で、イズキはドロシアの首に刃を添えた。


「あの世で娘に謝るんだな、ドロシア・カナール」


 刃を滑らせようとしたときだった。

 はたと、眼下の吸血鬼が瞬いた。数度、口を開閉させて、呟く。

「ぁ、」

 小さな、風に解けそうなほどに小さな言葉を受けて、

「……イザベル……?」

 イズキの動きが止まった。

「お前、」

 思わず呼びかけた、瞬間――。

 恐ろしく強い力で引き寄せられた。肩口に向けられた牙と自分の間に、日本刀を滑り込ませる。

 がきっ、と鈍い音が鳴った。

「く、っそが――」

 横目で確認したドロシアの眼は、真っ赤に染まっていた。今から正気を取り戻させるのはもう難しいだろう。

 ほんの一瞬だけ自我を取り戻したドロシアに魔器を持つ手を止めた、イズキの判断ミスだった。

 力をうまく入れられなかった右手が震えて、一度離れなければ仕切り直せない。歯を食いしばるイズキの視界に、青が翻る。

 少女かと期待して、幻視した。

 けれど青は青年の姿をしていて、イズキはほんの僅かだけ落胆した。余計な感情を振り払って、今だけの相棒を呼ぶ。

「手伝え、ラリー!」

 ラリーはすぐに反応して、こちらに水の魔術を差し向ける、――はずだった。

 男からの応えはない。ぶれる視界で、イズキはラリーに視線を向けた。

 ラリーはイズキを見下ろしていた。今にも吸血鬼に押し負けそうになっているイズキを見下ろして、だらりと腕を垂らしている。

「ラリー?」

 焦れた声を上げるイズキに、

 己の妹の契約者であるハンターに、

 今にも食われそうになっている青年を前に、

 ラリーは、――笑った、ようだった。

「可愛いテディは君のために死んだのに」

 男の声音はひどく静かで落ち着いて、そのことがイズキを戦慄させる。

「君はあっさりと、次のパートナーを見つけるんだね」

「ラリー、待て」

「愛しい兄弟、君さえいなければ、テディは死ななかっただろう。死ななかったはずのテディが死んで、代わりに君が生きている。気づいたよ」

 ふわり、と。

 顔色を失うイズキの前で、ラリーは場違いに優しく微笑んだ。


「僕はずっと、君を殺したくて仕方なかったのさ」


「ラリー!」

 悲鳴じみた声を上げた瞬間、イズキとドロシアの力の拮抗が崩れた。刃がイズキ自身に近づいて、刃ごしに鋭い牙が迫る。

 一刻の猶予もなかった。

 歯を食いしばるイズキの思考が止まる。真っ白になりかけた頭の中を、

 僅かな舌の傷みが引き戻した。

 ちくしょう、と呻く。口を開いたイズキは、


「――キット!」


 詠唱よりも先に、彼の名を呼んでいた。

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