三章 青の末裔
(1)「まさか、パートナーにするつもりじゃないでしょう」
「ハンターさん! ハンターさん!」
朝、繰り返し扉を叩く強い音にイズキは飛び起きた。
運び込まれた簡素なベッドに横たわっていたラリーが体を起こす。二人の眼が合う。
「騒がしいなあ」
いかにも気だるげにラリーが言った。言いながら、懐に手を入れる。
「ティモシー以外に起こされるだなんて、願い下げなんだけどね」
ふあ、と欠伸を一つ。
手は懐から出さないままだ。小さなナイフが数本仕込まれていることを、イズキは知っている。
扉の前に経ったラリーが振り向く。イズキは頷いた。
ラリーが扉を開ける。半ばほど塗装の剥がれた真鍮を押し開く。
「はいはい、どちらさま?」
「助けてくれ!」
半端に開いた扉を押しのけるようにして、一人の男が転がり込んできた。
日本刀を佩いたイズキが近づく。
「どうしました」
言いながら、男を観察した。
年の頃は三十かそこらだろう。村人の中では上等な服を着ている。
見覚えがある、とそこまで思考が至ったところで、思い出した。村長であるザカライアがイズキを迎えたとき、後ろに控えていた男だ。
名前も名乗りあったはずだ。彼はたしか、
「ガス・カナール氏だね」
イズキが口にしようとした名前を、ラリーが先に引き取った。
手の中でくるりとナイフをもてあそびながあら、首を傾げる。
「朝は優雅にいこうよ、お兄さん。一体どうしたの」
「嫁が、嫁が――」
譫言のように繰り返す。
頭から水でもかけるか、とイズキが水差しに眼を向けたところで、ガスの言葉がぴたりと止まった。再度視線を向ければ、ゆるゆると口が開く。
「嫁が娘を食った」
「――!」
イズキとラリーは素早く視線をかわした。
ガスは飛び込んできたきり、力尽きたようにへたり込んでいる。男の首根っこを掴んで、ラリーがひょいと持ち上げた。
「へえ。あなたのお嫁さん、吸血鬼? ダメだよ、そういうのは調査隊に教えてくれなくちゃ」
「違う!」
ガスが強く言い切った。
「違う、違う、違う、はずだ……あいつは人間、ずっと人間だった」
「根拠は? 見た目だけじゃあ、人間と人型吸血鬼の違いなんて判らないでしょう」
ラリーが男の顔を覗き込む。
緩やかに男を支配しようとしているのだ。錯乱によって情報が引き出せないことを防ぐためだろう。
混血貴族種であるラリーの横暴を、イズキは見なかったことにした。他者を押さえつける方法には思うところがないでもなかったが、自分のパートナーでもない吸血鬼に言うことではない。
ひたり、とガスの動きが止まった。ラリーから眼をそらせないまま、口を開く。
「違う、違う……あいつは吸血鬼じゃない。そうだ、あいつは俺の年下の幼なじみだ。子どもの頃から一緒だった。吸血鬼なんて、化け物なわけが――」
「それ、僕の前で言っちゃう?」
くすりと笑って、ラリーは男を放り出した。
「これだから田舎者って嫌になっちゃうね。清く正しい吸血鬼を前に、化け物だなんて」
「どう見る?」
流れを見守っていたイズキが口を挟んだ。ラリーが顎に指をあてる。
「人間と吸血鬼じゃあ生きる時間が違う。子どもの頃から一緒だったなら、昔から吸血鬼だったって線は薄いかな。もしもわざわざ姿を変えているなら――」
「急に娘を食らう理由がないな」
「親子喧嘩したのかも」
いかにも適当な口調でそう言って、ラリーは足先でちょいちょいとガスをつついた。
「お嫁さんはどこ? お腹いっぱいになって、遊びに行っちゃったかな」
「……あ、ドロシア……ドロシアは、家に――」
ドロシアというのが、妻の名前なのだろう。
「それは重畳。案内して」
くい、とラリーが顎で示した。
「この数年で、ドロシア・カナール氏が吸血鬼になったって可能性もあるね」
ガスの後ろをついてカナール宅に向かいながら、ラリーが言った。
イズキが眉を上げる。現実的な可能性だが、些か納得がいかなかった。
「今日、急に暴走状態になったのか? 昨日の植物使いだって、いきなり暴れ出したんだぞ」
「そんなに片っ端から吸血鬼が暴走状態に陥ってたら、こんな小さな村はあっという間に全滅だね」
「あぁ、」
ひっそりと、イズキはずっと引っかかっていた懸念を口にした。
「何人もの吸血鬼が、バラバラに人間を食ってたって? このタイミングで暴走するなら、直前にはもっと片っ端から襲ってたはずだぜ。二週間に一人の死体じゃ計算が合わない。まるで――」
イズキはちらりと、舌で唇を湿らせる。舌に痛みが走って、月色の男の顔を脳裏から追い出した。
「まるで、最初っから暴走状態で転化させられたみたいじゃねえか」
「面白いことを考えるね、イズキ」
ラリーの声は素っ気なく、冷たい。心なしか興味深げではあったが。
ラリーはもともと、身内以外では人間にも吸血鬼にも関心の薄い性質だ。自分が唯一と定めたティモシーがハンターだから、パートナーを担っているに過ぎない。
突き放すような響きに文句を言いそうになって、イズキは寸前で堪えた。
「……やっぱり、キットに一回詳しく訊く べきか」
「イズキ?」
途端に声色が変わった。ラリーには、キットが吸血鬼であることを告げている。
「あいつは貴族種だぜ。何か情報を持っているかも知れねえだろ」
「自分を襲うような吸血鬼に何を訊くの? 貴族種じゃなければ要警戒対象だ」
「……!」
イズキは足を止めた。
昨夜に何があったのかは告げていなかった。なぜ、ラリーが知っているのか。
キットの言葉を思い出す。見られる趣味はない、と言っていた。
「お前、――見てたのか」
「いつの間にか仲良くなったみたいだけど、気をつけて。ハンターが勤まるほどの魔力を持つ人間の血は、吸血鬼には魅力的だ。うっかり騙されないようにね」
ちらり、と。
僅かな、ほんの僅かな赤色の滲む瞳で、ラリーは笑った。吸血鬼じみた笑みだった。
「まさか、パートナーにするつもりじゃないでしょう」
イズキはラリーから眼を逸らした。焦れた表情で振り返るガスの背中を追いかける。
ラリーの言葉には答えなかった。
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