(7)「てめーのモンには、絶対ならねーよ」

『辺境の村に複数の吸血鬼、ね』

 無骨な受話器の向こうから投げかけられるヒサメの声に、青年が答えを返す。

「ひとまず吸血鬼だと判ったやつは俺とラリーで狩ったけど、他にいないとは――」

『言い切れない?』

 頷いて、イズキはこめかみを揉んだ。数日の連戦が祟ったのか、体全体がひどく重い。

 アーシュリー庁舎に宛がわれた部屋でのことだった。同室に案内されたラリーは、外を見回っている。

『判った。ティモシーに調査隊を派遣するように依頼しておくよ』

「おう、よろしくな」

 風に遊ぶカーテンを引いて、イズキはちらりと外を見下ろした。

 月は随分と膨らんで、あと数日で満月になろうとしている。新月と満月には、魔物たちの動きは活発になる。

「次の満月が山だろうな」

『じゃあ次の満月から数日は様子を見て、しばらく被害が出ないようなら調査隊と交代の方向で提案しよう』

 調査隊はハンターが討伐する前後に現場に駐在する。数週間から数ヶ月のあいだ現場を確認して、吸血鬼の危険性を計るのだ。

「話が早くて助かるぜ」

『ラリーがいるとはいえ、くれぐれも気をつけて。小さな村で何体も吸血鬼が暴れるなんて、あんまり聞かない話だよ』

 友人、というよりは弟分に言い聞かせるような口調に、イズキは鼻を鳴らした。イズキの方が幾らか年下だからか、ヒサメは口うるさい兄のように接してくることがある。

「お前はしばらく内勤か?」

『急に君が外に出ちゃったから、講師役が僕に回ってきてね』

「俺に話を振っといてか、あのハゲ」

 ちっと舌打ちして、悪態を吐く。

 何か言われるか、と内心身構えたイズキと裏腹に、ヒサメからは何の注意も飛んでこなかった。暴言は聞き流すことにしたらしい。

『イズキ、問題なさそう?』

 何気なく、けれど慎重な声で問うてくる。

 いろいろな意味を含んでいるのだろうヒサメの質問について、イズキは数秒、考えを巡らせた。面倒臭くなって、がりがりと頭を掻く。

「あー、……別に。想定外は多いけどな」

『確かに、復帰戦には些か不穏だね。ラリーもいるし、まずいことにはならないだろうけれど』

「そのラリーも最初合流できなくて、どうしようかと思ったけどな」

 言いながら、欠伸を一つ。

 月は中天に差しかかっている。何が起きるか判らない以上、早めに休むべきだろう。

 見上げた月に、見知ったばかりの吸血鬼の眼が重なった。白銀の髪に、金の瞳。

 思い出せば、ふつりと腹の底から怒りが湧き上がる。

「嫌なことを思い出させやがる」

『イズキ、何かあったのかい?』

 問いかけを、イズキは黙殺した。吸血鬼に隙を見せ、あまつさえ命を救われたなど、ヒサメを相手に言うつもりはなかった。

「状況が変わったら連絡する」

『イズキ?』

 再度の呼びかけに答えないまま、イズキはやや強引に通話を終了した。開け放たれた窓を閉めようと手をかける。

「寝れないなら添い寝してあげようか?」

 ぴたり、とイズキは動きを止めた。

 後ろからかけられた声には聞き覚えがあった。伸びやかで、邪気がない。

 けれど決して子どもには持ち得ない、老獪さを秘めている。なぜ気づかなかったのだろう。

「……キット」

 振り返れば予想通り、小さな子どもがベッドに腰かけていた。

 ほんの一瞬前まで、確かにイズキは部屋に一人きりだったはずだ。扉が開閉する音もなく、どうやって入り込んだのか。

 愛用の日本刀はベッドの脇だ。徒手のまま、そっと腰を落とす。

「のこのこ斬られに来やがったのか」

「心外だな。斬られるようなことをした覚えはないよ」

「同意のない吸血行為は《盟約》違反だぜ、貴族種サマ」

「噛みついたわけじゃないもの。この程度じゃあ敵性吸血鬼とは見なされない」

 イズキは舌打ちした。

 屁理屈だが、事実でもあった。まして貴族種相手では、問題にもならないに違いない。

「……何しにきたんだ、クソガキ」

 ラリーはまだ戻らない。この狭い空間で魔器も手元になければ、イズキはキットに対抗しようがない。

 諦めて、イズキは無防備に少年の隣に腰かけた。何気ない仕草で日本刀を引き寄せようとして阻止され、二度目の舌打ちをする。

「びっくりするくらい、生意気な人間だなあ」

「そりゃ悪かったな。気にくわなきゃ絡むなよ」

「まさか、勿体ない」

 キットが白い歯を覗かせた。牙を見せたのではなく笑ったのだ、と判断するまでにしばらくかかった。

「すごく好みだ」

 気づいたときには、視界が回っていた。

 押し倒されたことに遅れて気づく。押しのけようとしても、なぜか小さな体を動かすことはできなかった。

 ひくり、と喉が鳴った。

「マジで無理だからなマジで無理だからなマジで無理だからな! 帰ってこいラリー早く! ハリー!」

 キットの眉が僅かに動いた。少年の顔は表情豊かに見えて、感情が判りづらい。

 どうやら怒らせたらしい、と気づいたのは、細い手が喉元にかかったからだ。貞操を通り越して命の危機だった。

 ぴたり、と顔を引き攣らせて動きを止めたイズキに何を考えたのか、キットが重々しく嘆息する。

「ベッドの上で他の男の名前を呼ぶなんてマナー違反だよ。今度いちから教えてあげる」

「今度、って」

「それを訊いちゃうんだ」

 聞き分けのない子どもを前にそうするように、キットが小さく笑った。

「あなたは僕のものなんだから、時間はたっぷりあるでしょう。今度、だよ」

 ゆっくりと、喉元をなで上げる。喉仏をことさら丁寧に撫でた指先が、焦らすように離れた。

 渇ききった喉で、イズキが口を開く。強ばった頬はそのまま、瞳には力が戻っている。

「俺の契約者は、テディだけだぜ」

「そこの刀だね」

 日本刀を示されて、イズキは僅かに身じろいだ。キットの指摘の通り、イズキの持つ魔器はテディだった。

 テディの作った、テディによって作られた刀。青い刃。

 テディ、そのもの。

「……俺の契約者は、テディ一人だ」

 掠れた情けない声で、それでもイズキは言った。

 キットが眼を細める。黒がちの、どこにでもある瞳。

 瞳の奥が、僅かに金めいている。

「良いね。凄く好み」

 優しい手つきで、キットがイズキの頭を抱え込んだ。そっと声を落とし込む。

 毒のように甘く。

「舌を出して、イズキ」

「……、!」

 ただの一言で、キットはあっさりとイズキの体の主導権を奪った。

 イズキの意志に関係なく、口が開く。ゆるゆると差し出された舌を指先でつまんで、キットは首を傾げた。

「そんなに怯えないで。見せながらするのは趣味じゃない」

「――、ぁ……?」

「忘れものを取りにきただけだよ」

 言って、キットはイズキの舌を銜え込んだ。

 舌と舌をすりあわせて、舐め上げる。ざらりとした感覚に、イズキの体が跳ねる。

「ん、んん!」

 飴でもそうするように繰り返し舐め取られて、イズキが顔を背けてもすぐに追いかけてくる。キットの支配下にある体は忠実に舌を出したままで、堪らず涙が滲んだ。

 唇と唇の間が、唾液でぬるりと滑る。感じるのが快か不快かも、もう判らない。

 ちゅ、と音を立ててイズキの舌からキットの口が離れて、

 次いで強く噛みつかれた拍子に、頭が真っ白になった。

「――ぁ、何、しやがっ……」

 言ったときには、体が自由になっていた。さんざん遊ばれた舌を口内で確認する。

 甘噛みではない。血が滲んでいる。

 印をつけられた、と察した。

「困ったときは、僕を呼んでね」

 違和感のある舌を無言で持て余す。顔を背けるイズキのこめかみに上機嫌で口づけて、キットは言った。

「君が呼べば気づくよ、僕のイズキ」

「なん――」

 イズキが顔を上げたときには、既にキットは部屋から消え失せていた。

 慌てて身を起こす。閉め忘れた窓から入り込む風に、カーテンが揺れている。

 自分の腕で強く唇を擦って、イズキは吐き捨てた。

「てめーのモンには、絶対ならねーよ」




 遠く、都市リズノワールで――。

 《黒百合》から宛がわれた寮の一室にて、ヒサメはパートナーに血を分け与えていた。足の間に跪く美しい女を見下ろす。

「ペギー」

 契約者の手首を恭しく押し頂いて、ヒサメの手首から流れ出る血に夢中になっているペギーに、ヒサメはそっと声をかけた。しばらく経ってからようやく気づいた様子の吸血鬼に、優しく笑いかける。

「ペギー。愛しいペギー。僕のペギー」

 ヒサメが手を引けば血が溢れて、ペギーが舌で血を追いかける。腕を伝う血を自分の指で掬い取ってペギーの口に押し込んでやりながら、ヒサメは言った。

「僕のわがままを聞いておくれでないか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る