エピローグ

その重みは、そこまで重くはなかった

 龍崎りょうざきが目を覚ましたのはベッドの上であった。ゆっくりと起き上がろうとするが、身体がやたらと重い。どことなく、倦怠感に襲われる。それでも周囲を見渡すと、そこは自室であることに気が付く。


「‥‥‥なんで寝てんだ俺」


 龍崎は枕元に置いてあった携帯電話を手に取り電源を入れた。

 が、龍崎は画面を見た瞬間、ガバっと飛び起きた。


『4月23日 火曜日 AM13:23』


「寝過ごしすぎた!」


 龍崎は頭を抱える。本日は祝日でもなく休日でもない。そんな日に高校生たるものが、こんな時間までベッドで寝るなど、遅刻以外のなにものでもないのだと。

 が、しかし。


「ま、どうせ遅れるんだし。ゆっくりしてから行くか」


 龍崎は肩の力を抜きベッドから降りかけた。

 が、そこで。

 龍崎は枕元にあるメリケンサックを見つける。見つけた瞬間、息を飲んだ。


あおい!」


 龍崎はベッドから飛び降りた。一刻も早く葵に会わねばならないと。


「―――忙しい人ね。コロコロ表情が変わって」


 と澄んだ声がした。

 龍崎が顔を向けると、椅子に座っている涼香すずかの姿があった。先ほどまで文庫本でも読んでいたのであろう、栞を本に挟み机の上に置いた。


「浮舟!‥‥‥葵は。葵はどうなった!?」


 龍崎は椅子に座っている涼香に詰め寄る。転びそうになったが関係なかった。

 そんな龍崎の姿を見た涼香は苦笑いを浮かべる。


「妹さん、今は学校に行っているわ」

「いや、じゃなくて!葵の『カワイガリ』は‥‥‥」

「……アナタが倒した」


 龍崎は息を止めた。数秒止めてから、大きき息を吐きだした。


「‥‥‥そうか」

 龍崎はそう言ってから、涼香の元から離れ、よろよろと後退してベッドに座り込んだ。だがすぐに顔を上げる


「あ、いや待て。あの『カワイガリ』はどうした? 潰したのか?」

「アナタが倒れた後で私が『カワイガリ』を潰しておいたわ。で、ヒュドラくんを担いここまで戻ってきたのよ」

「はあ‥‥‥そうか。それは、すまんな」

「ええ、本当に感謝して欲しいところだわ。妹さんもその場に倒れたから一旦家に運んで、それからアナタを運ぼうかと思ったのだけれど……まあ眠たかったから仮眠を取って、それからアナタを家まで運んだわ」

「へー……おい、待て。可笑しいだろ。なんで仮眠を挟んでだ。その間俺はどうなってたんだ!」

「……冗談よ」


 涼香は言ってから視線を龍崎から反らした。

(冗談……だよな?)

 龍崎はそこでようやく笑みを浮かべることができた。半笑いではあったが。


「まあいい。とにかく、葵になにもないならそれでいい」


 龍崎は大きく吐いた。葵の『カワイガリ』を狩れたのであれば、もう問題はない。彼女が将来のどこかで『カワイガリ』の影響で死んでしまう可能性は消えた。だからもう、何も心配することはない。


 できれば龍崎は、葵を直接見て色々と確かめたかったが、学校に行っているのであればそれも不可能な話である。

(浮舟の言葉を信じるしか‥‥‥)

 龍崎は首を傾げ、涼香を見る。


「つか、なんで葵が学校に行ったこと知ってるんだ? てかなんで俺の部屋にいんの?」

 すると涼香は「んー」と顎に手を当てた。


「朝方この家に来て『ヒュドラくん体調悪いらしいから私が看病するね!』と妹さんに言って家に上げてもらったのよ」


 涼香は犬被りを合間に挟むようにして説明してくれた。

 龍崎はそんな涼香を横目にして「そうか」と呟く。

 と、そこで涼香が龍崎をチラリと見た。


「そういえばヒュドラ君。アナタ、ご両親がいらっしゃらないのね」

「……なんで知ってんの?」


 龍崎はなぜか苦笑いを浮かべる。色々と話すタイミングはあったかもしれないが、そんなことは一言も言っていないだろうと。

 すると涼香は龍崎から眼を反らす。


「ああ、妹さんから聞いたのよ。朝この家に来たときに『私の家、両親がいないんで気にせず使ってくださいね!』って言われたのよ。まあ、それもあるけれど、妹さんとアナタをこの家に運んだときに、気づくわよね。真夜中なのに誰もいないし。ああ、そういう家なのかしらってね」


 龍崎は頭の後ろを掻く。あまり言う気もなかったし、言う必要もなかったし、進んで言いたいわけでもなかったからだ。

(……葵。あいつオープンだな)

 龍崎は妹に対する評価を改定した。


「まあ、そうだな。いない。理由は……色々だ。別に面白くもない話だし。話したくもねえ」

「へえ、まあアナタが喋りたくないならいいわ。家庭の事情は色々あるものね」


 龍崎は涼香と眼が合った。合ってしまったから目を逸らした。

 すると涼香はゆっくりと口を開ける。


「でも、だからと言って『大変ね』とか『辛かったわね』なんて言うつもりもないわ。私にはわからないことでしょうし。……そうね、だから代わりに言うなら……大したことねえぞ、ヒュドラ君、てところかしら」


 龍崎は、その言葉を聞いて少しだけ笑った。いつだか涼香に対してそんな言葉だ。

 が、そんな家族の話題が出たからこそ龍崎は思い出してしまった。そんな家庭の事情からなる問題を。


(‥‥‥葵の悩、根本的には解決してねぇんだよな)

 葵の『カワイガリ』の原因は赤椿高校に行けないと。

 だが『カワイガリ』を狩ったところで、根本的な解決などしてはいない。結局は葵の問題は解決されないのだ。

 と、そこで。


「ああ、ところでヒュドラ君。流れとは言え『スレイヤー』になってしまったわだけれど、そのあたりのことはどう考えているのかしら?」


 涼香は小首を傾げた。

 そして龍崎は「……あ」と声を出し、思い出す。


「‥‥‥『スレイヤー』……なっちまった」


 流れとは言え、なし崩しとは言え、龍崎は『バンカラ』を身にまとい、『カワイガリ』を狩ったのだ。

 浮舟は小さく頷き、龍崎の枕元にあったメリケンサックを手に取った。それを手の中かで転がす。


「私がここに来た本当の理由はそれね。私は契約書もなしにアナタを『スレイヤー』にさせてしまったわ。で、そのあたりヒュドラくんはどう思っているのかしら?」


 そんな涼香の言葉に龍崎は首を傾げた。


「どうって……あ? なんだ契約書?」

「『スレイヤー』というものは『バンカラ』を身にまとったら最後、引退まで続ける義務が発生するわ。だから本当は『スレイヤー』になる前に契約書と書いてもらうのが普通なの」

「契約書って‥‥‥つか、そのメリケンサックで『バンカラ』を纏えるなら別の誰かに渡せばいいだろ」

「無理ね。アナタが『スレイヤー』の力を失うその日まで‥‥‥まぁ大方18歳ぐらいまでは、別の誰かにこのメリケンサックを渡しても意味はないわ。なにも起こらないのよ。このメリケンサックで『バンカラ』を纏えるのはアナタだけ」

「‥‥‥だから契約書」

「そう。そもそも……まあ私が言うのはおかしいけれど、契約書なしで『スレイヤー』になる人間なんて、まずいないわ。というより完全タブーね」


 と、涼香はこめかみに手を当て、小さく溜息を漏らした。

 龍崎は腕を組み、考える。ここで一番怖いのはタブーという言葉。


「浮舟。そのタブーだけど。なんかペナルティーとかあんの?」


 すると涼香は小首を傾げた。


「どうかしら。まだスレイヤー協会には連絡をしていないし‥‥‥どんな処分が下ることやら。あ、アナタも呼ばれるわ、きっと」

「へえ。なんかちゃんとした組織……‥‥‥は?俺も?」


 龍崎と口を半開きにした。協会とやらの組織に属していないにも関わらず、いったい何を処分するのか。


「だってアナタはもう『スレイヤー』なのだから。協会側はありとあらゆる手を使って退路を断ってくるはずよ。怖いのよあの組織」


 涼香は言って苦笑いを浮かべ、視線を左上に動かした。

 龍崎にはそんな涼香の苦笑いがひどく怖かった。いまなにかを思い出しているのだろうと。


「……スレイヤーの協会。てか、なんなのお前ら? そんな秘密結社みたな話が―――」

「みたい、ではなく秘密結社。大昔から形を変えて脈々と続いている……似非ヒーロー組織」


 龍崎は頭を抱える。ようやく葵の件が片付いたと思えば、その結果として得体のしれない組織から、得体の知れない圧力をかけられようとしているのだ。

 と、そこで「ところで」と声がして、龍崎が顔を上げると、涼香が鞄の中を弄っていた。


「……コレがあればヒュドラくん。『スレイヤー』をやる気になるかと思うんだけど」

 涼香は鞄から茶封筒を取り出し、龍崎に突き出した。


「なにこれ?」


 龍崎は涼香をチラリと見てから、茶封筒を受け取り中を見る。


「‥‥‥なんだこの金」


 龍崎の手にした茶封筒の中には、何十枚と万札があった。

(いっぱいある)

 龍崎は涼香に視線を向ける。コレは、なんですか?という意味を込めて。

 すると涼香は軽く咳払いをする。


「昨日話したでしょ?『カワイガリ』を狩ったら報酬がでる、って。で、それは一ノ瀬さんのときの報酬。ま、2で割ってあるけれど」

「はあ‥‥‥こんなに報酬あんのか。俺の一ヵ月のバイト代……と比べ物にならんぞ」


 龍崎は苦笑いを浮かべた。こんな大金を眼にしたことなど初めてであったからだ。

 と、涼香が龍崎を見据える。


「で?どうかしら? 私と組んで『スレイヤーズ』をやるか、それとも協会から色々と追い込まれて『スレイヤー』になるか。どのみちやる事は同じだけども‥‥‥まあ心持ちは違うわね」


 涼香は掌を龍崎に差し出した。その上に乗っかるのはメリケンサック。

 龍崎はそのメリケンサックを眺め、そして涼香を眺める。スレイヤー協会が非常に怖い存在であると理解した。怖いことには敏感である。だが大本を辿ってきれば、怖い人達から逃げた結果として、裏社会に生きるような怖い人と関わりを持ってしまったのである。


(やっぱオレ絡まれやすいわ)

 龍崎はそんなことを考えながら小さく溜息を漏らした。そして少しだけ考える。

『スレイヤー』をやるメリットはある。というよりも『スレイヤー』として活動すれば、葵の問題は全て解決してしまうのだ。つまりは、金の問題。金以外で解決などできない問題。


 だから葵の抱える、それこそ『カワイガリ』の原因になってしまった問題や悩みを、本当に解決するためには、金が必要なのだ。

 そしてなにより、怖い人達が怖い。それもある

 龍崎はそこまで考えてから、右手をゆっくりと伸ばす。


「まぁ、こっちを選ぶわな」


 龍崎は『バンカラ』を身に纏い『スレイヤー』になるための道具を、自ら選び取ることを決意した。

(選ぶ‥‥‥でもねえか)


 龍崎は思い直す。選ぶもなにも、こんな事態になったのは、葵の一件を経て『スレイヤー』になってしまったのは、自分達の境遇のせいでもあるのだと。それは選べないものであっただろうと。そして、それを十分に理解したあたりで、自分が何かを諦め、何かを失ってしまったような感覚に陥った。それが、なにであるかはわからない。


 そうして龍崎は、メリケンサックを、涼香の手から受け取った。その重みは、そこまで重くはなかった。

 すると涼香が笑みを浮かべた。


「ああ、ところでヒュドラ君……」


 と、涼香は言葉を区切る。


「パンケーキを作ってもいいかしら。お腹が空いているのよ」


 涼香はそう言ってニコリと笑った。

 そんな涼香の顔を見て龍崎は半笑いになる。


「……まあいいけどよ。ウチ、マーガリンしかねーぞ」


 そして龍崎は涼香に視線を向けた。


「それしか選べないからな」


 マーガリンしかないのだと。



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我らバンカラ @Yamaki_Tsukumo

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