第3節 遅めの反抗期、相手してやる

 2人を止めたのは用水路底に不法投棄されたゴミの山。燃えるゴミ、燃えないゴミ、粗大ごみ、金属片、それらをクッションとする形で、ゴミを巻き散らかしたのだ。


 巻き散らかされたゴミの中から空き缶が、コンカンと転がり、葵の足もとまで飛んで行った。

 葵は残心を崩し、空き缶を踏み潰した。


「‥‥浮舟先輩。もういいからさ、ほっといてくれないかな」


 葵は無表情のまま、地面に横たわっている龍崎と涼香に視線と送った。

 だが、葵のそんな言葉を聞く余裕など龍崎にはない。

 龍崎は仰向けの状態で首をだけを動かし、真横にいる涼香に視線を向けた。


「……浮舟」


 涼香は立ち上がろうとしていたが、脚に力が入らないのか、四つん這いの状態のままであった。身体には青白い稲妻のようなものが走っており、それが原因なのか、脚や腕が痙攣している。そして、右手に握っていた湾曲した竹刀は、裂けるようにして折れていた。


「――――――痛っ」


 涼香は腹部が痛むのか、左手を自分の腹部に向かって伸ばし……スッと表情が消える。涼香は左手を顔の前に持ってきた。手のひらにはベットリと血が付着している。

 涼香は、はっと顔を動かして自分の腹部を見てから、顔をゆがめる。


「――――ぐっ」


 涼香の腹部から血液が流れ出していた。えぐられていた。その部分にあったはずの肉がこそぎ落ちてしまっているのだ。

 葵の放った拳が、湾曲した竹刀ごと、涼香の腹部の肉をえぐり取った証だ。


「――――浮舟!」


 と、龍崎は立ち上がろうと方膝を立てる。が、そこで腹部に違和感を覚える。肌が張っているような、なにか腹に引っ掛かっているような。そんな感覚。

 龍崎は左手を使い、左腹部を触る。


「―――――」


 龍崎は喉から声にならない音を出す。自分の脇腹に、何か突起物のようなモノが付いていたからだ。そこにあるハズのないナニかが。

 龍崎は脇腹に目を向ける。ゆっくりと、ゆっくりと向ける。

 ――――――呼吸を忘れた。

 服がどす黒く染まり、そのシミが広がっていく中央には、黒々とした細い棒が突き刺さっていた。皮膚を突き破り、脂肪をかきわけるようにして突き刺さるソレ。

 龍崎はしばらく自分の脇腹を眺めてから、その正体はドライバーのような工具類であることを理解した。


「———————がっぁぁぁ」


 そのときになって龍崎は、脇腹に痛みを感じたのだ、まさしく刺されたような痛み。


 龍崎は崩れ落ちるようにして地面に腰を下ろした。座ったままの状態で動けないのだ。言葉を発しようとしたり、呼吸をしようとすると、鋭い痛みが龍崎を襲った。

 龍崎の呼吸は、浅く、長いものとなる。


「―――――ヒュドラくん」


 涼香は龍崎の異変に気が付いたのだろう。体を引きずりながら彼の元へと近づく。


「動かないでヒュドラくん、なんとか―――」


 涼香は口から言葉が失われた。得物は折れ、腹部に傷を負っている。その事実に彼女は言葉を失ったのだろう。


「浮舟‥‥‥アイツ‥‥‥葵は‥‥‥」


 龍崎は両ひざを付くような恰好のまま、言葉を振り絞るようにして、喋る。


「‥‥‥それは」


 涼香は傷口を抑えながら葵に視線を向けた。

 すると葵は涼香の視線に気が付いたのだろう。


「もう涼香さんは闘えないよね。で?どうするの?次は絶対にコロスけど」


 涼香は視線を龍崎に戻し、顔をしかめつつ口を開いた。


「……ヒュドラ君。聞いて……動けるなら、立って逃げて……」


 龍崎には涼香の言葉を聞くだけの余裕などなかった。ただただ、脇腹が痛い。激痛が走っているのだ。だが、それでも涼香がなにをしようとしているのかは、理解ができた。


「逃げられるなら、逃げるって‥‥‥でも無理だ。この体じゃ」


 龍崎は涼香の提案が現実的ではないと感じたのだ。少し動くだけでも激痛がはしる体では歩くこともままならない。それに用水路上へと続く梯子を上ることはさらに困難。

 すると涼香は龍崎を睨みつける。


「無理を言っているのは分かっているわ。でもそれしかないのよ。……私が闘っている間に、ヒュドラ君が逃げて……どうにかして青楚さんに連絡して。そうしたら、他の『スレイヤー』が来る」

「……でも浮舟」

「いいから。ヒョドラ君。こうなったのは私の責任。メリケンサックを渡すから、そうすれば記憶を持ったまま、逃げられる」


 そう言って涼香は、右手をスカートのポケットに伸ばそうとした。だが、手先がプルプルと痙攣しており、何度もスカートの布地を擦っているだけだ。


 龍崎はその涼香の行動に眼を細めた。涼香の手の先の震え。それは激痛のためもあるのだろうが、決してそれだけではないと龍崎は思っている。涼香の身体には、先ほどからパチパチと、電気でも走るかのようにして、青白い光が迸っているのだ。

 龍崎とて、それを安易に電気による痺れと捉える気はなかったが、だがそれでも涼香の身体の動きを見ているとそうとしか思えなかった。電気風呂にでも入ったときのようにして、身体の自由が極度に訊かないようにしか見えなかった。


「……浮舟。お前……、身体、動かねえだろ」


 涼香はその言葉に唇を噛んだ。


「動く。動くからヒュドラ君は―――」

「動くのか浮舟」


 龍崎は睨み付けるようにして涼香にそう言った。すると涼香はスカートに伸ばしていた右手を降ろす。

 沈黙。龍崎はそれを答えとした。


 龍崎は必死に、痛みに耐えながらも頭を動かす。涼香は傷を負い過ぎた。といより、葵の攻撃を喰らって痺れのような状態になってしまった。彼女が龍崎焔雄虎を逃がすために闘う、それはいい。だが、怪我を負い、身体の自由が利かない『スレイヤー』である浮舟涼香が、格上の『カワイガリ』が湧いた龍崎葵と、まともに戦えるのかという話。逃がすだけの時間を稼げるかという話。


 と、龍崎は涼香に顔を向ける。

 涼香の頬は紫色に変色しており、額には油汗が湧いていた。長いスカートの所々に血が滲んでおり、腹部からは血が流れている。腹部から出た血は地面に落ち、ポイ捨てや不法投棄されたゴミへと流れていた。

 それから龍崎は葵に顔を向け、苦々しく笑った。


「葵‥‥‥見逃してくれねぇか。もしくはちょっとだけ時間くれ」


 するとニタっと葵は笑みを浮かべる。


「見逃さない……でも、いいよ。ちょっとだけ時間あげる。まあ殺すけど」

「ありがとよ‥‥‥けど、俺がそんなに憎いのか」


 龍崎は言葉を吐く。そんな言葉に何の意味もないと知っていながら。それでも言葉を吐いたのだ。

 すると葵は龍崎を睨みつける。


「憎いね‥‥‥もう大嫌いだから」

「‥‥‥そうか」


 龍崎は頭を振り、考える。葵の『カワイガリ』を狩るには涼香の力が必要だ。だがその涼香がもう戦えない。となればこのまま葵にやられてしまい、結果として葵の『カワイガリ』を取り逃すことになる。そうなれば葵はそのあと、どうなるのか。


「浮舟‥‥‥取り逃がした『カワイガリ』は‥‥‥誰が狩る?」


 涼香は顔を歪ませながら口を開く。


「‥‥‥ほかの『スレイヤー』が狩ることになるわね。ただ‥‥‥」


 と涼香は言葉を区切ってから、龍崎の顔を見る。


「『武器持ち』を狩れる実力のある『スレイヤー』は少ない‥‥‥実力のある『スレイヤー』に発見されたらいいけど……下手をすれば……妹さんの『カワイガリ』は狩られないかもしれない。つまり‥‥‥」


 それが意味するところは、と龍崎は涼香との会話で知っている。


「葵の『カワイガリ』を狩らないと‥‥‥」

「……このあと散々暴れ回ってから……全てを忘れて、全てが元に戻って、妹さんも元の状態に戻る。そして『カワイガリ』を狩る機会が失われて……将来のどこかで……」


 涼香はその先の言葉を言わなかった。なにも言わず、ただ地面を見ていた。

 龍崎はジッと葵を見据える。なにも考えなかった。感じなかった。身体は勝手に動いていた。こうなれば、もうやるべきことなど決まっているのだ。

 龍崎は脚に力を入れる。だが、それだけの動作でも顔が歪む。少し力を入れようとするだけで、腹部に激痛を覚えるのだ。


 だが、それでも龍崎は脚に力を込める。

(立てる、立てる)

 龍崎は心の中で呟く。激痛が襲い、今にでも地面に崩れ落ちそうになる。だが、だからどうしたというのだ。歯を食いしばり脚に力を込める。両手を膝に当てがい、体を押し上げるようにして一気に立ち上がる。あらんかぎりの力を込めて。立ち上がるのだ。


「ヒュドラ君‥‥‥なに————————」

「……俺が合図したら。お前が逃げろ。逃げて、救援なりなんなり、他のスレイヤーを呼べ」


 涼香は顔を歪めた。


「だから、それをヒュドラくんにしてもらおうとしているのよ! 私が戦って―――」

「―――無理だろ。その身体じゃ。動けないだろ。俺が逃げ出した途端、俺は葵に捕まって終わりだ。お前……俺を守りながら闘った時点で、精一杯だったはずだ」


 涼香は唇を噛んだ。

 龍崎は痛みに耐え、言葉を紡ぎ出す。


「……その身体、なにが原因で痺れてるのか俺は知らん。でも、もしかしたら、俺が闘ってる間に……その痺れ、無くなるかもしれねえだろ」

「――――こんな、短時間で!それに……アナタが闘ったところで」


 浮舟が言葉に詰まった。

 そんな涼香の姿を見た龍崎は小さく息を吐き出す。龍崎には『スレイヤー』の経験などない。涼香が「こんな、短時間で」という言葉を使ったのは、『カワイガリ』には思いのほか、そういった特殊な攻撃を仕掛けてくるヤツがいて、その経験があるからこその言葉なのかもしれない。そんな短時間で回復するような代物ではないと。


 だが龍崎が逃げ出しても、立ち向かっても結局結果は同じ。すぐにやられる。だが、そんなこと龍崎には関係なかった。結果が同じでもなにもしないという選択だけは、龍崎はできなかった。


 龍崎は考えたのだ。

 第一に、葵を見捨てるということを放棄した。これは常識である。

 第二に、浮舟を囮にして逃げ出すという選択は破棄した。そもそも逃げたくても逃げられないのだと。

 そして第三に‥‥‥。

 と、そこで「まって」と涼香が声を荒げた。


「相手になると思っているの?! アナタが助けを呼ぶべき、逃げるべきなのよ!」


 龍崎は首を横に振った。


「うるせぇ‥‥‥そもそもこれは俺達、兄妹の問題なんだ。葵を助けるのに‥‥‥逃げるって選択はねぇんだよ」


 龍崎は脇腹を左手抑えながら、肩越しに涼香を見た。


「俺は闘う。それでもしも、俺が闘ってる間にその痺れが解けたら、浮舟。お前が逃げろ。ビルから落ちたときみたく飛んで逃げろ。それで、他の『スレイヤー』呼んでこい」


 すると涼香は小さく首を縦に振った。


「‥‥‥わかった」


 龍崎は顔を前に戻して葵を見た。

(————————何分持つか)

 まったく予想が付かなかった。

 が、龍崎はそう思いつつも脚をその場で踏み鳴らす。

 ただ、それだけでも腹部には激痛が走る。

 その痛みに耐え、右手と左手を何度も握り込む。襲い掛かる痛みを確かめるかのようにして。


 そして龍崎は腕を胸の前に構えた。

 ―――――ファイティングポーズ。

 産まれて始めて、この姿勢を取った。怖い人に向けられるばかりであった姿勢を、あれほど嫌っていた不良やヤンキーが見せつけてきたポーズを、自らの意思で取ったのだ。

 誰かを傷つける目的ではなく、目の前にいる妹と、後ろに倒れ込んでいる女のために。


「――――あれ、お兄ちゃんがやるの?逃げるんじゃなかったの?」


 すると葵は、龍崎に向かって嘲笑が混じった顔を向ける。

 龍崎は苦々しく笑った。痛みのために苦笑いすらぎこちない。


「うっせえよ‥‥‥こればっかりは、逃げるわけにはいかねぇんだよ。お前が‥‥‥妹だから逃げるわけにはいかねぇんだ。どうやっても逃げられねぇんだよ」


 龍崎の脇腹から血が溢れ出す。地面に落ち、赤色の斑点が描かれる。だが、脇腹の痛みなど関係ない。葵の『カワイガリ』を取り逃せば、『カワイガリ』に命を奪われる。だが、もしかすると、他の『スレイヤー』が葵の『カワイガリ』を狩ってくれるかもしれない。だが、そんな可能性を信じられるほど龍崎は楽観的にはなれない。なれるハズがない。


(こんな理不尽な話があってたまるか)

 葵の『カワイガリ』の元になっているもの。それは彼女がいま身に纏っている制服が全てを物語っている。能力があるのに、やる気もあるのに、それなのに翼を折られるとはどういうことか。こうなってしまったのは葵が悪いのか? 


(違う。葵に落ち度などない)

 こうなってしまったのは‥‥‥結局のところ龍崎兄妹がおかれている環境のせいで、境遇のせいでもあるのだ。『カワイガリ』が宿るまで葵を追い詰められたのは、誰のせいか。誰のせいで叔父の世話になることになり、能力の問題ではなく、産まれのためにあきらめるしかないのだ。子供は、生まれてくる親を選ぶことなど出来はしない。


 だが、葵への責任を果たすべき両親はもういない。もう少し歳が大きければ、自身の責任だったと諦めがついてしまうかもしれない。


 それでも、中学3年生の女の子に「環境のせいにするな」と言って「もっと大変なヤツがいるから」と言って、そんな言葉が龍崎には許せなかった。

 そして、そんなことの積み重ねが『カワイガリ』をいう化物が生み出してしまったのだとすれば。


 龍崎は笑みを浮かべる。ただ眼だけは笑ってなどいない。


「……来いよ、葵。遅めの反抗期、相手してやるからよ」


 葵も笑みを浮かべた。ただ眼だけは笑っていない。


「もう遅いよ、お兄ちゃん」


 ジャリ、と龍崎の靴が鳴った。

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