第4節 何が反抗期の相手してやるだ!

 龍崎は笑みを浮かべる。ただ眼だけは笑ってなどいない。


「……来いよ、葵。遅めの反抗期、相手してやるからよ」


 葵も笑みを浮かべた。ただ眼だけは笑っていない。


「もう遅いよ、お兄ちゃん」


 ジャリ、と龍崎の靴が鳴った。

 遠くクラクションの音がこだました。

 巨大な用水路にヘッドライトの光が差し込んだ。

 龍崎が葵との距離を詰める。一気に駆け出し、葵の元まで走り寄る。足を動かすたびに腹部に痛みが走るが、関係なかった。


 龍崎は右腕を振りかぶり葵に向かって―――そして視界が歪む。何が起こったのか理解できない。だが、アゴから伝わる衝撃、固いモノで殴られたような鈍痛を経て、自分の左顎に葵のフックがさく裂したことを知った。


「―――――――ぐっ!」


 声は、後から出た。

 龍崎には全く反応ができない。だが、それでも顔を正面に戻す。

 すると葵は左肩を引き、右手の手刀を、龍崎の左肩へと叩き下ろした。


「がっつぁ!」


 龍崎の口から空気が漏れた。

 自分で吐いたのではない、衝撃に耐えかね、肺から空気が押し出されたのだ。

 龍崎は鎖骨が軋み、膝を折ってしまいそうになったが、それでも彼は耐える。


 と、そこで龍崎が動く。地面に沈みそうになっている左半身を脚で押し上げ、そのまま左フックのようなモノを放つ。


 だが葵に身を引かれ、簡単にかわされる。


 龍崎は格闘技や喧嘩の経験などない。ましてや自分から人を殴ろうとするなど初めての経験であった。だからこそフックではなく、ただの突き上げでしかないのだ。


「そんなんじゃ当たらないって!」


 葵は上半身を後ろへと倒す。右手を地面について支えとし、左足で龍崎の右わき腹を蹴り上げた。


 龍崎の体はくの字に折れ、口から唾液が飛び散る。そのままに吹っ飛ばされ、地面の上を転がっていく。


 龍崎は素早く体勢を立て直し、顔を上げる。歯を食いしばり、拳に力を入れる。

 と、龍崎は目の前が薄暗くなったことに気が付き、はっと視線を上げる。

 そこにあったのは靴の裏。

 葵が飛び蹴りを食らわそうとしているために、龍崎の顔に影が出来たのだ。


「くっそ!」


 龍崎はとっさに身体を右方向へと投げ出した。

 直後、葵の蹴りがアスファルトに炸裂し、砂ぼこりが舞った。


 龍崎は転がった勢いそのままに体勢を立て直し、すぐさま葵目掛けて突っ込んだ。いま葵は飛び蹴りの着地で不安定な体勢になっている。チャンスだと、ふんだのだ。


 龍崎は右手の拳を葵に向かって放つ。

 だが、どこを狙っているのか彼自身はわかっていない。

 それでも龍崎は「当たる」と思った。思ってしまったが故に、勢いが緩む。


 ――――葵を殴るのか。

 だが、それが不味かったのだ。

 葵は龍崎の拳を左手で受け止めた。

 手の平と拳がぶつかり――――パン、という乾いた音が響く。


「くそっ!」


 龍崎は拳を引き戻そうとした。

 だが、その瞬間に葵が龍崎の拳をがっちりと掴み込む。細くあどけない、丸みのある5本の指先が拳に食い込む。

 龍崎の拳は、葵の握力によって次第に形が崩れ、手を開いたような形となってしまった。


「逃げないって言ったのに逃げてばっか。だから私が逃げられないようにしてあげる!」


 葵が右手を振りかぶった。

 小さな拳が、龍崎の左顎を的確に打ち抜く。一度、二度、三度。


「あはは!痛い?お兄ちゃん!痛いかな!」


 その攻撃のたびに龍崎の視界が揺れ、意識が持って行かれそうになる。自分の脳みそが揺さぶられているのが、ハッキリと理解できた。

 だが、葵の攻撃が止むことはない。

 掴んでいた龍崎の右手を放し、葵は素早く彼の懐に移動すると、ボディーに連撃を食らわせる。

 龍崎の体は何度となく揺れる。なにかが逆流してくるかのような感覚を覚えた。


「がああっ!こんの!」

「何が反抗期の相手してやるだ!」


 葵は右手を握り込んだ。猫の手のように丸く、脱力した手の形。指の間からにゅっと爪が覗く。

 瞬間、葵の身体から青白い光が湧き立ち、パチパチと音が鳴った。

 つまりそれは、涼香から身体の自由を奪ったように、なにかしらの追加効果を付与する攻撃。


「————————クソっ!」


 龍崎はとっさに腕を胸の前に構えようとした。

 が、遅い。

 葵の右拳が、龍崎へと放たれる。青白い閃光を放つ拳が、真っ直ぐに伸びていく。

 ――――ボコン、と音が鳴った。

 龍崎は鳩尾に、葵の右拳を喰らってしまったのだ。

 瞬間、龍崎は何かに反発するかのようにして、後方へと吹っ飛ばされた。

 ゴミの溜まる場所へと転がり、派手に撒き散らかしてから、龍崎の身体は止まった。


「ぐっ‥‥‥ああ……ああ!」


 龍崎は何とか立ち上がろうとするが、出来なかった。足に力が入らないのだ。だからゴミの山場にもたれかかるようにして座り込む。

(手加減してやがる)

 生身の人間と『カワイガリ』ではまず勝負にならない。それこそ龍崎は初撃で昏倒しても可笑しくはないのだ。鳩尾への攻撃すらも、葵は手加減しているのだろう。

 すると葵がケタケタと笑った。


「よく耐えたね、お兄ちゃん。でも兄妹喧嘩にしてはやり過ぎかな?」

「へっ‥‥‥そういや、葵と……あんまり喧嘩したことなかったな」

「馬鹿じゃないの?私が我慢してただけだよ」

「……そりゃ、ありがとよ」


 龍崎はチラリと視線を横に動かして、顔をしかめる。視線の先にいるのは涼香。彼女はいまだに地面に蹲っている。身体には青い白い電流のようなものが流れ、四肢か痙攣していた。

 ただ、右腕だけは動かせるようになったのか、彼女は折れた竹刀に手を伸ばしていた。


(時間‥‥‥足りねえのか)

 龍崎にしてみれば恐ろしく長い時間、闘っていたように思えた。だが、実際のところ30秒そこらであろうと思っていた。


(30秒そこらでこの痺れは……)

 龍崎は自分の身体を見る。青白い電流のようなものが走り、身体が痺れて、うまく動かないのである。

 葵の右拳を喰らってしまったために、涼香と同じように、身体の自由を奪われたのだ。


 そして、その攻撃を放った張本人である葵が、ゆっくりとした足取りで龍崎の下へと歩み寄っていく。

「お兄ちゃん‥‥‥終わりにしようか」

 そう言って葵は微笑みを浮かべた。

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