第2節 邪魔だ!

 「まて!浮舟!!葵は―――」


 と、龍崎が叫んだ瞬間。

 涼香が葵の背後に躍り出た。まるで空虚から現れたかの如く、一瞬にして、葵の背後を取ったのだ。湾曲した竹刀を両手で持ち、頭上に振り上げていた。


 涼香の持つ湾曲した竹刀が、葵の後頭部を目掛けて放た。右上から左下に振り下す、袈裟切りだ。もう半寸あまりで葵の後頭部を直撃する。ところが。


 ――――パチパチ、と音が鳴った。

 葵に顔を前へと突き出した。

 湾曲した竹刀が、先ほどまで葵の頭があった場所を通過する。

 葵が胸を前へと突き出した。

 湾曲した竹刀が、先ほどまで葵の背があった場所を通過する。

 葵が腹を前へ突き出した。

 湾曲した竹刀が、先ほどまで葵の腰があった場所を通過する。


 葵が顔を前に突き出せば、つられるようにして胸も前に突き出される。胸を前に突き出せば、つられるようにして腹も前に突き出る。波打つかのような挙動。重心など無視した動き。


 背後から襲ってくる湾曲した竹刀を、葵は背中を反らすようにして躱したのだ。


「―――――ック!」


 湾曲した竹刀が空を斬り、涼香は顔を歪める。


「無理だって、浮舟先輩じゃあさ!」


 葵は背を反らした体勢のまま、右方向に向かって反転し、左脚を上げる。

 葵の左脚の爪先が、涼香の右脇腹を襲う。爪先は視認できないほどの速度を誇っていた。

 涼香の右脇腹に、鋭く尖った足先が食い込む。鈍い音が鳴った。


「――っぐ!」

「――まだまだ!」


 葵は右手と左手を握り込み、両方の拳を、涼香へと叩き込んでいく。否、叩き込むのではなく、ひっかく。拳でえぐるようにしてひっかく。


 引っ掛かれた涼香の服が裂かれ、身体のいたる場所から、血が飛び出す。飛び出した血は、地面に飛び、宙に飛び、葵と涼香の顔に飛ぶ。墨汁がついた筆をシュッと振ったときのような、血痕を残す。


 と、そこで涼香が動く。両腕を使って、打ち込まれた葵の右腕を、がっしりと掴んだ。葵の腕に抱き着くような形でもあった。


「でやぁぁ!」


 涼香はそのまま、右腕ごと葵をブン回した。組み伏せるつもりなのだろう。

 しかし葵は、組み伏せられることもなく、ぶん回される方向に先回りするようにして移動する。

 その為に、涼香と葵は、その場で半回転した。丁度、龍崎の眼の前に涼香の背が来る。


「だから、無駄だってば!」


 と、葵が動く。固定されていた右腕を引き抜き、脇まで引き戻し、すぐさま右拳を放った。

 右拳を、顔を右に反らし、左頬ギリギリで避ける涼香。飛んだ汗が、葵の右拳に当たり、はじける。


「甘い!」


 右足靴底を、涼香の腹に向け、押し込むようにして蹴りを放つ葵。


「クッッ!」


 湾曲した竹刀を、葵の靴底に当て、相殺しようとする涼香。


 葵の靴底と湾曲した竹刀がぶつかり、2人の身体は、後方へ向かって弾かれた。

 葵はバックステップするようにして止まり、涼香は地面に投げ出されゴロゴロと転がってから止まった。


「浮舟!」


 龍崎は涼香の元へと駆け寄り手を貸す。


「おい。大丈夫か!」


 龍崎は涼香の身体に眼をやり、顔を歪める。身体のいたるところに三本線の傷があり、たらたらと溢れ出した血が、服をドス黒く染めていた。そして苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。

 すると涼香は龍崎の手を借りて、よろよろと立ち上がる。しかし、膝から崩れ落ち、方膝を突いた。


「浮舟。お前……」


 涼香は首を何度か振っていた。まるで、そうでもしなければ、意識が持っていかれそうになるかのように。


「ヒュドラくん……アナタの妹さん……あれは、本当に……不味いわ……だってあれ」

「……わかってる。すまん、俺が気が付いたときには、もう……」

「違う……私が……もっとちゃんと確認をしていれば」

「……いや、これは」


 そう言って龍崎は葵の手元に視線を向ける。両手に握られているのは、武器。猛獣のような爪。爪の出し入れができる猫のような、隠し武器。


 そんな暗器のようなものを、用水路上の地点から、見定めろというほうが難しい。しかもこの辺りには街灯が少なく、葵がなにをしているかは分かっても、葵がなにを持っているのかまではわからなかったのだ。だからこれは、涼香を責めることもできはしない。というよりも、そんなことをしている暇などないのである。

 龍崎は唾を飲み込む。確認しておく必要がある。


「それより浮舟‥‥‥お前、勝てるのか?」


 すると涼香は龍崎から眼を反らした。


「…………わからない」


 と、言いながらも涼香は、湾曲した竹刀を杖としてヨロヨロと立ち上がった。

 だが龍崎は、そんな涼香の姿を見て首を振る。

(――――無理だ)

 涼香の眼には生気が宿っていなかった。脚もふらふらとしておぼつかない。今の会話だけでも精一杯なのではないだろうか。龍崎にはそう思えて仕方がなかったのだ。


「―――へえ、浮舟先輩。まだやるんだ」


 葵が嫌な笑みを浮かべつつ、そう言った。

 涼香は重たそうに唇を開く。


「……やれるとか、やれないとか、そういう問題ではないのよ」

 涼香の語勢は弱い。なんとか言葉を紡ぎ出しているようであった。

 だが龍崎はそんな涼香を見て思った。もうこれは、一旦退いたほうが良いと。


「浮舟……一旦、退こう。いまの状態で闘うなんて―――――」

「お兄ちゃん」


 ゾクリ、と龍崎は寒気を感じて、葵に顔を前に向ける。

 葵は龍崎と眼が合うと、ニヤリと笑みを浮かべる。


「逃がすわけないじゃん。二人には、ここで死んでもらうから!!」


 龍崎の視界から、葵が消える。元居た場所には青色の閃光だけが残った。


「―――――クッ!」


 涼香が声を詰まらせた。それは目の前に葵の姿があったからであろう。瞬間移動でもするかのようにして、電撃が流れるような速さで、涼香の目の前に躍り出たのだ。


「邪魔だ!」


 葵は右手で手刀を作り、涼香の左肩に叩き込んだ。


「――ぐっ!」


涼香は顔を歪める。だが同時に、湾曲した竹刀を、葵の右脇腹に向かって振り上げた。

 湾曲した竹刀を、左手を突き出し、右脇腹の前で受け止める葵。

 そして葵は、左側に涼香を押し流し、駆け出した。


「―――くっそ!俺か!」


 龍崎は、葵の視線がどう見積もっても自分に向かっていることに気が付く。


「タァァァァァ!」


 葵は右脚を上げ、足先が、龍崎の左脇腹を襲い掛かる。

 だが、涼香が動いた。

 涼香は右に向かって反転し、右腕を最大まで伸ばし、湾曲した竹刀を振り下した。

 湾曲した竹刀の先端が、葵の右脚に、真上から叩き落される。

 葵の右脚の軌道が逸れ、爪先が地面に向かって、落ちる。


「まだやるんだ! 浮舟先輩!」


 葵は体勢を立て直し、手刀を龍崎へ放つ。

 涼香は竹刀で迎撃に入り、手刀を弾く。

 手刀を放つ。

 竹刀で弾く。

 足刀を放つ。

 竹刀でいなす。

 手刀を。

 竹刀で止める。

 葵は常に龍崎に対して攻撃を繰り出し、その度に涼香が迎撃する。

 2人は龍崎を中心として、円を描くかのうよう移動を繰り返し、攻防を続ける。攻撃と迎撃。攻めと守り。竹刀と骨肉。


「―――くそっ!」


 龍崎は悪態をつく。だが、なにもできない。出来ることは涼香の邪魔にならないようにして身を小さくしていることだけ。


 しかし、涼香と葵の攻防も終わりを迎える。

 2人攻防を繰り返し、龍崎の周りを一周しかけたあたりで、葵が動いた。

 龍崎に向けでなく、涼香に向かって右脚を振り上げる葵。

 むろん、それに涼香は反応した。湾曲した竹刀を真横に振るう。

 葵の右脚蹴りと、涼香の湾曲した竹刀がぶつかり合うことになる――――はずだった。


 と、そこで葵はニヤリ、と笑みを浮かべた。


 葵は、右脚を素早く引き戻し、勢いよく前転して、涼香の真横をすり抜ける。

 涼香の湾曲した竹刀が、葵の靴の踵を、チッとかすった。

 葵は体勢を立て直し、龍崎の目の前に這い出る。


「――――クッ!」


 龍崎は眼前に迫る葵を見て、両腕を頭の横に構えようとした。否、反射的に、そうしなければならないと感じたのだ。

 だが、葵の挙動は恐ろしく速い。

 龍崎のガード整うよりも先に、葵の右腕からなる手刀が、龍崎の左側頭部を捉えよとしていた。

 とそこで、涼香は驚異的な反応速度を見せる。

 涼香は右腕を腹に引き寄せた、左に向かって上体を捻る。


「とっどけぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 涼香は腰に引き付けていた右腕を突き出し、湾曲した竹刀の先端を、葵の背中に向かって放った。速く、より疾く。葵の攻撃が龍崎に届くよりも速く、涼香は竹刀の切っ先を葵に打ち込むつもりなのだろう。

 ―――しかし。


「ま、誰か守りながらとか。負けるよねフツーは」


 葵の右腕の手刀が、龍崎の側頭部を、外れた。

 龍崎の髪が数本ちぎれ切れ飛び、葵の手刀が、ぶんと空を斬る。

 葵は勢いよく左に反転し、右手で、涼香の放った竹刀をガッチリと掴む。


「――――――なっ」


 涼香は眼を見開く。

 葵がやったのは龍崎を攻撃すると見せかけた、涼香を捉えるための罠だった。

 葵は湾曲した竹刀ごと涼香をひっぱり、左肘を前に着き出す。

 涼香の身体は、葵の左肘に向かって飛びこむ形となり、腹に左肘を喰らう。


「―――っぐ!」


 涼香は顔を歪め、喘ぐ。

 葵は右手に掴んでいた竹刀を離し、左手で涼香の右腕を掴み直した。


「ほんと邪魔だ!」


 葵が叫び、右手を振り上げた。

 肩部。

 胸部。

 腹部。腹部。腹部。

 最後に葵は、ほぼ同時に、肉打つ音が重なって聞こえるほどの速さで、腹部に三度手刀を叩き込んだ。


「――――――こん、のっ……」


 涼香はクラりと両脚から崩れかける。

 葵は振り回すようにして、涼香の身体を龍崎の正面に持ってくる。葵がいて、涼香がいて、その後ろに龍崎がいることになる。


 と、そのとき。パチパチ。

 葵の身体から青白い光が放出された。右手を腰に引き寄せ、腰を低く落とす。

 さきほど龍崎に打ち込もうとしていた挙動と全く同じ。溜めの動作から放たれる、最大級の力の開放。そして右手はガッチリと握り込まれている。指の隙間から、にゅっと爪が覗いるのだ。


「がぁあああああ!」


 葵の右拳を放たれる。真っすぐに、的確に。

 涼香はとっさに竹刀を腹の前へ構える。

 だが葵の右拳は、竹刀の上から、涼香の腹部に打ち込まれた。

 ―――メシメシと音が鳴り、葵の右拳が竹刀に食い込む。


「ッッッッぐ!」


 涼香の身体が後方に跳んだ。そして後ろにいた龍崎を巻き込む。

 龍崎と涼香は絡み合うようにして地面を転がり、それから数十メートル滑ってから、派手な音を巻き散らかして、止まった。

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