6章 我らバンカラ

第1節 まるでそれは猫の爪

 龍崎りょうざき涼香すずかあおいを発見したのは、もう使われたくなった巨大な用水路底だった。


 国道と住宅地を横断するようにして走る巨大な用水路。不法投棄のゴミと、怖い人が深夜帯に集会所にしているという、問題が発生している場所。ちょうど龍崎と浮舟が出逢った場所でもあった。


 龍崎と涼香がいるのは巨大な用水路の上。落下防止の目的で設置されたであろうフェンスのたもとに身をかがめている。


「ヒュドラ君‥‥‥アナタの妹さんはドSなのかしら?」


 涼香は身をかがめて小声で喋った。今も『バンカラ』を身に纏っている。

 すると横にいる龍崎は小声で、


「兄貴の前でそういうこと聞くじゃねーよ‥‥‥たぶんドSだ」


 と言って遠くで繰り広げられている光景を窺う。

 周囲には街灯らしい街灯もなく、近くの国道を通る車のヘッドライトの光が、巨大な用水路に差し込む。だから龍崎と涼香のいる位置からでは、葵の姿を鮮明に捕らえることはできない。


 だが、葵がナニをしているのかは、なんとなくは分かる。怖い人達を存分にいたぶっているのだ。戦意を喪失して逃げ出した相手に先回りをして、蹴りを入れて元の場所に戻すという行動を延々と繰り返していた。だがその動きは人間離れしている。移動速度が早すぎた。


 と、龍崎の隣にいた涼香がふうと、息を洩らした。


「よかったわ。妹さん、一ノ瀬さんと同じ『無頼漢』だから私でも倒せ‥‥‥ああ、このへんの話しはまだしてなかったからしら」


 と涼香に聞かれた龍崎であったが、「赤楚……いや青楚さんから聞いたよ。」と言葉を返す。

 すると涼香は「では、手ハズ通りに」言って立ち上がり中腰で移動を開始した。


 涼香の提案。

 龍崎がまず不良グループと葵の間に割って入り、葵の注意を引く。

 そして涼香が頃合いを見て葵に奇襲をかけて一気に勝負に持ち込む。

 確実に葵の『カワイガリ』を狩るために、龍崎は囮役になるということだ。

 涼香いわく「相手が動かないなら一撃で仕留められる」と提案したことも関係している。

 そしてなにより対話だけが『カワイガリ』を弱体化させることができる。


 龍崎も行動を開始する。

 小走り気味に歩き、葵と地面に伸びている不良共の横あたりまでやってきた。フェンスは人一人が通れるスペースが切り取られており、用水路下まで続くステンレス製の梯子まで用意されていた。ボコボコにされている不良共が準備したものであろう。


 龍崎はフェンス越しに用水路底に眼を向けると、地面に伸びている不良共の表情まで捉えることができた。そして周囲を歩き回る葵の姿も。


 と、そこで龍崎は眉をひそめる。葵が制服を着ていたのだ。セーラー服タイプの制服を着ていたのだ。

(―――なんで赤椿あかつばき高校の制服着てんだ?)

 そこに龍崎は嫌な予感を覚えた。このことを一応、涼香に伝えた方がいいのではないかと。しかし、もう涼香の居場所はわからない。連絡もできない。もうこうなれば、やるしかないのである。


 龍崎は梯子に脚を掛け用水路の底へと降りていく。カランカランと梯子が鳴ったが、関係ない。むしろ囮であるのだから目立つ必要がある。そして案の定、


「……お兄ちゃん」


 と背中に声を掛けられた龍崎は、梯子の中腹から飛び降り、葵と不良の間に割って入る。顔を正面に向けると、葵は驚いたような顔をしていた。


「葵、こんなところでなにしてんだ」


 そう龍崎が言った瞬間、葵は首を傾げる。


「なにって‥‥…こいつ等ボコボコにしてんの。てか、そんな事よりお兄ちゃん。いま何時だと思ってるの?歩道でもされて警察のお世話になって困るのはお兄ちゃんだけじゃないんだよ?」


 そんな葵の言葉に龍崎は唇を噛んだ。葵は正常な状態でないと分かってしまったからだ。思考が異常であった。もはや、笑ってしまうほどに矛盾した行動をとっているのだ。この状況で警察の厄介になるのは、間違いなく葵なのだ。にも関わらず、帰りの遅かった兄貴に「警察のやっかいになったらどうするの」と聞いている。言いたいことはわかるが、これを異常な状態と言わずして、なんというのか。


「……帰りが遅くなったのは、すまん。謝る。でも葵、お前。いま自分がなにやってんのか分かってのか」

「なにって、だからこいつ等をボコボコにしてるんだよ。何度も聞かないで。てか、お兄ちゃんこそ分かってる?もし叔父さんの援助が無くなったらどうするの?そうなったら私」


 と言って葵は顔を歪めた。彼女の言いたいことは龍崎にも理解はできる。叔父が龍崎兄妹の面倒を見ることの条件には「親と同じようにならない」というものがある。つまり龍崎が叔父の意に反することをしてしまえば、援助を受けられなくなってしまう、そう葵は言いたいのだ。


 と、葵は小さく眉間にシワを寄せた。


「お兄ちゃんは自分の人生がどうなってもいいとか思ってるのかもしれないけど、私は嫌なの。ちゃんと普通の人生を送りたい。だからそいつらソイツらをボコボコにしなきゃいけない……ああ、違うな。ボコボコにするだけじゃダメだ。殺すんだ。ああいうヤツを殺せば、私みたいな人間って産まれなくて済む」

「葵、お前……」


 そう言ってから、龍崎は肩越しにチラリと後ろを見る。後方で伸びているのは4人の不良。金髪トサカ、襟足異様、オール黒ジャージ、肩ンクントップ。

(……またお前らか)

 龍崎はなにかの巡り合わせを感じてしまった。不覚にも怖い人たちに。と、同時に龍崎は眉を顰める。なぜか後ろで伸びている4人の身体にところどころ、ひっかき傷のようなものがあった。三本の細い長い傷が等間隔に並んでいた。血が流れ、浅くではあるが肉が裂かれている。それこそまるで、猫にでも引っかかれたような傷だった。いや、いまはそれどころではない。龍崎はパッと前に顔を戻す。


「なあ、葵。俺の話しを聞いて、家に……」

「いいからそういうの、ホント鬱陶しいなぁ!」


 葵は前傾姿勢をとった。即座に攻撃に以降するための姿勢だ。

 そんな葵に姿に龍崎の身体が震えた。だが、なにもしない。なにもできない。構えたところで、ファイティングポーズを取ったとこれで、無意味なのだ。『カワイガリ』は生身の人間の身体能力など軽く凌駕する。

 葵は顎だけで龍崎の後ろを指し示した。


「お兄ちゃんだって、そこに転がってる人種、嫌いでしょ?」

「……確かに嫌いだよ。ああいう不良とかヤンキーは死ねばいと思ってる」

「なら、ボコボコにして殺しちゃおうよ。どうせアイツらみたいなのが、私たちみたいなのを産むんだから」


 葵は犬歯を覗かせるような笑みを浮かべる。


「‥‥‥兄ちゃんだってわかってるでしょ? 私たちはあのクソ親の遺伝を受け継いでいる」

「‥‥‥そうだな」」

「でしょ?クソから産まれた人間はクソにしかなれない。私も、アイツらも、ヤンキーの子供はヤンキーなの。で、どんなに真面に生きようとしても後からボロが出る。私の場合はお金だよ、お金」

「……分かってる。だけど————」


 龍崎は言葉を失い、拳を強く握る。

 だけど、なんだとうのだ。だけど、どうだというのだ。ここで葵に何かを言ったところで、仮に『カワイガリ』を始末できたとして、そもそもの根本的な葵の悩みは何も解決しないのだ。

 だがそれでも龍崎は言ってやりたかった。葵という人間は、どういう人間なのかと。


「なあ葵。確かにお前は……俺も……あの親の……クソみたいな奴らの血が入ってる。どんなに否定しても、それだけは間違いにない。だけどな……葵、お前は違う。お前は……お前だけは、俺とも、あの親とも全然違う。それこそトンビが鷹を産むみたいに――――」


 と、そこで溜息が、龍崎の言葉を遮る。葵の軽蔑した眼を龍崎に向けられた。


「あのね、お兄ちゃん。仮にトンビから鷹が生れても、トンビが鷹の雛を育てられるわけいじゃん。結局、親の手に余る能力を持つ子供は、親に殺されるんだよ」


 その言葉に龍崎は何も言い返せなかった。ただただ唇を噛むしかなかった。

 そして葵を大きく溜息をつく。


「ま、お兄ちゃんに言っても仕方ないや。意味ないし」


 葵は右腕を脇に引き寄せて、構える。右手は軽く握り込まれていた。猫の手のように丸く、脱力した形をしている。右脚を半歩引き、左手は前に突き出されている。武術の型ではない。『カワイガリ』には人間以上の身体能力があるのだかから、人間が考案した武術の型など邪魔になるのかもしれない。


 葵の身体から青白い光が沸き起こり、パチパチと音を立て始める。髪の毛が静電気で浮かぶようにして立っている。


 龍崎は息を吐き出す。これで、やれることはやった。対話による『カワイガリ』の弱体化。ならば、葵に言い返せなかったとして、葵に言い負かされたとして、徐々にではあるが『カワイガリ』は弱体化しているということ。だから葵に言い負かされてしまった会話にも意味があるはずだ。

 と、そこで龍崎は葵を見据える。


「……葵。全部終わったら、俺がどうにかしてやる。お前が赤高に行けるように、なんとかしてやる」

「期待してないよ、お兄ちゃんには。それに私、誰かに期待するのはとっくの昔に止めてるから」


 葵の身体から湧き立つ青白い光がよりその輝きを増す。

 龍崎はそれでも葵を見据え、口を開いた。


「なら、期待したくなる兄ちゃんになってやる。俺はお前の兄貴だ。ちょっとは兄貴らしいこと……してやるさ」

「……あっそ」


 龍崎は葵を見る。葵の姿勢は大振りによる溜めの動作。最大限にパワーを発揮するための、溜めるという動作。より強力な一撃を放つための予備動作。つまり、隙ができていた。もし仕掛けるのであれば、不意打ちを掛けるのであれば、一気に勝負に持ち込むのであれば、ココしかない。


 だがその奇襲が、自分が葵からの攻撃を喰らうまでに終わるという保証はない。


もしかすると葵から攻撃を喰らったぐらいで、涼香が奇襲を仕掛けてくる可能性もある。だが、それでもかまわないのだ。葵の『カワイガリ』は涼香が狩ってくれる。なにより死んだとしても、『カワイガリ』の忘却によって。肉体も元に戻る。死の記憶は忘れる。だから、問題などない。全ては終わる。綺麗に終わる。


(でも、痛てぇのは怖いな)

 と龍崎は、なんとなしに、肩越しにチラリと後ろを見た。そこにいるのは地面に倒れる不良。そしてそんな不良の身体の傷が眼に入る。さきほども見た、あの傷。ひっかき傷―――なぜか今になってゾワリ、と嫌な予感を覚える。

 すっと視線を前にやる。と、そこで龍崎は目を細めた。

(……なんだあれ)


 龍崎が見たのは葵の手。彼女が突き出している左手の中に、何かが覗いている。それはまるで猛獣のような爪の形をしていた。人差し指と小指に通された輪っか。その2つの輪は金属の細い板状のようなもので繋がれている。そしてその板状の金属には爪が3つ付いていた。まるで、何かをひっかくような形状。そのまま拳に握り込めば、にゅっと指の間から覗きそうな爪。まるでそれは猫の爪。それは、武器。武器を持っている。武器を持った。カワイガリ。


 瞬間、龍崎は全身の血を引くの感じた。赤楚は言っていた。『カワイガリ』には武器を使うランクの『カワイガリ』がいると。『武器持ち』。だが奇襲を仕掛けようとしている涼香は、この事実を知らない。そして涼香が倒せるのは『無頼漢』まで。まずい。


「まて!浮舟!!葵は―――」


 と、龍崎が叫んだ瞬間。

 涼香が葵の背後に躍り出た。まるで空虚から現れたかの如く、一瞬にして、葵の背後を取ったのだ。湾曲した竹刀を両手で持ち、頭上に振り上げていた。


 涼香の持つ湾曲した竹刀が、葵の後頭部を目掛けて放た。右上から左下に振り下す、袈裟切りだ。もう半寸あまりで葵の後頭部を直撃する。ところが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る