第5節 だから飛ぶのよ。屋上から

 新深津駅しんふかつ周辺は北と南で街並みが大きく変わっている。北側は大きなビルが立ち並び、レストランなどが軒を連ねていたりと街並みが洗練されている。対して南側は庶民向けの飲食店が立ち並んでおり、雑多な街並みをしている。


 再開発される前の新深津駅周辺は飲み屋街であったために、土地の権利、土地の買い取り、立ち退き反対運動などの様々な要因が絡み合った結果として、このような地域を形成するに至る。


 龍崎は怖い人から逃げる過程で学んだことを思い出す。「テストに出るといいな」などと思っているのだ。


「なあ浮舟。どこに行くのか知らんが開放してくれねえかな。ほら、足の裏とか舐めるからよ」

「ダメね。今はダメ。こんど私の家で舐めさせてあげるわ。私の足にバターを塗ってあげるわ」

「おい、それじゃバター犬じゃねえか。お前本当はアホな上に変態なんだろ」


 涼香と龍崎が連れ立って歩いているのは新深津駅の北。龍崎にとってあまり縁のない場所であった。着飾ったマネキンが入るショーウィンドウ、明るい光が漏れ出すレストランの軒先、煌びやかに輝くシティホテルの玄関口。そんな街並みの中を龍崎と涼香は歩いている。


 龍崎は涼香に導かれる形でビルの角を折れ、一方通行の道を突き進んで行く。人通りは少なく、表に面した通りに比べ、どことなく雰囲気が暗い。


「なあ浮舟……これってどこに……」

「はい、ここよ。着いたわ」


 龍崎は涼香が指さした方向に顔を向けると、そこにはこじんまりとした建物があった。


 レンガ調の外壁にはツタが這い、黒色のガラス窓に、古ぼけた薄い緑色の扉。入口のすぐ横には『アウェイ』と書かれたネオンサイン看板。

 どこか時代から取り残されたような、この一帯の再開発から取り残されてしまった、むしろ望んで取り残されてやったという気概さえ感じる店構えだと、龍崎は思った。


(……ぜってやべえ店だって)

 すると涼香は入口に近づきチラリと龍崎を見る。


「このお店はね、『スレイヤー』の連中が集まる……まあ支所みたいな場所なのよ」

「は?『スレイヤー』連中?集まる?」

「いいから、ほら早く」


 涼香は龍崎の左手首をガッチリと掴み、店の扉を開けるとチリンとベルが鳴り、2人は一緒に店内へと脚を踏み入れた。

 と、そこで。


「ああ、涼香ちゃんか。よく来たね」


 バーカウンターに立つ髭面の男が涼香に話しかけた。


「こんばんは、青楚さん。ちょっと使わせてちょうだい。あと、適当に飲み物をお願いできるかしら」


 涼香は青楚あおそと呼ばれた男にそう言ってから、龍崎の左手を離す。


「ヒュドラ君、あそこの席に座っておいて頂戴」


 涼香は店内の奥を指す。指さした先にあるのは木製の丸机に、背もたれのない丸椅子。


「ちょっと青楚あおそさんと話すことあるから。先に座っておいて」

「あ?でもここでなにを―――」


 と、龍崎りょうざきはそこまで言ったが、涼香すずか青楚あおそと話し始めてしまったために口を閉じた。

 龍崎は指定された椅子を目指しつつ店内を見渡す。


『アウェイ』の内装なパブに近い。

 店に入ってすぐの場所にはバーカウンター席があり、酒瓶に店内の照明が反射して煌びやかに光り輝いている。店の中央付近にはテーブル席があり、ピザを口に運びつつ会話を楽しんでいる男女。奥の壁際にはレコードが並ぶ棚があり、店内にはジャズの音色が流れる。店の外観とは違い木材を基調にした内装は、柔らかい光が床や壁の木材を照らし、キラキラと輝いていた。


(……寝れるなコレ)

 龍崎が指定された椅子に座る。するとすぐに涼香が歩いて来て向かいの席に腰を下ろした。

 と、続けざまに青楚がグラスを乗せたトレーを持って、2人の座るテーブルまでやって来る。


「こちら、ソウルドリンクになります」


 青楚は、龍崎と涼香の前に白濁色の液体が入ったグラスを2つ置く。

 龍崎は眼の前に置かれたグラスを見ていたが、ふと視線を上げると、青楚に見られていることに気が付いた。

 龍崎は首を傾げる。眼の前にいる青楚という人間に、見覚えのようなものを感じだからだ。だが、思い出せはしない。そもそも髭面の知り合いは叔父しかいないのだ。

 すると青楚はニコリと笑みを浮かべ、そのまま去って行く。


「ところで、妹さんの件。どうなったのか詳しく聞きたいのだけれど」


 そんな言葉に龍崎は、チラリと涼香を見た。


「どうって‥‥‥一昨日電話で言った通りだ。悩みは聴けたし、『カワイガリ』は弱体化できている……はずだ」


 龍崎はグラスに手を伸ばし、口をつける。

 すると涼香もグラスに手を伸ばし、


「その言葉、直接聞けてよかったわ。偶然出会ったついでに聞いておきたかったのよ。ああ、それと……」


 涼香は言葉を区切り、ソウルドリンクを一口飲んだ。


「つまり妹さんは金銭的な理由から進学を断念していると」


 龍崎は、噴き出しはしなかった。だが、グラスで口元を隠したまま涼香に視線を向けることになった。露骨に視線を送った為に、涼香のその言葉を肯定してしまったと言ってもいい。

 龍崎は唇からグラスを離してテーブルへ置くと、涼香は笑みを浮かべた。


「さすがに分かるわよ。妹さん、かなり質問してきたもの。学費の話とか特待生の話とか」

「そうか‥‥‥まあ、そういうことだ」

「あと、これは言ってなかったと思うけれど『カワイガリ』を弱体化させるのは身近な人間のほうが効果が高のよ。だから黙っておいた」

「そうか」


 龍崎そう言いつつ右腕をテーブルの上に出し、身体をよじらせた。自分と葵の置かれている状況を、涼香は聴いてくるだろうかと思ったのだ。だが、それ言っても涼香は同情的になるか、無駄な励ましをしてくれるだけだろう。それが龍崎には煩わしかった。

 だがが涼香は「ところで」と再び口にした。


「で、提案なのだけれどヒュドラ君。『スレイヤー』に興味はないしら?もちろん私と組むことになるけれど」


 そんな涼香の言葉に龍崎は首を捻る。


「いや、前に断わっただろ。てかなんで葵の話からそれ―――」

「『カワイガリ』を狩ると報酬が貰えるから」


 涼香はハッキリとそう言い放った。ジッと龍崎を見据えて。


「『スレイヤー』は物凄く組織化されているの。裏には企業が付いていて……まあ、タニマチという言葉が近からずも遠からずということかしら」


 龍崎は眼を細め、涼香を見る。胡散臭すぎるのだ。


「いや怪しすぎるだろ」

「たしかに怪しい話には間違いないわね。そしてこの怪しい話の美味しくないところがあるとすれば‥‥‥」


 涼香はそこで言葉を区切り、龍崎を見た。


「精神的な負担が大きいということ。『スレイヤー』を続けると体に悪影響が出たりする」


 悪影響。それがなにを示すのか龍崎には理解が出来ず、眼だけで涼香に話の続きを促す。

 すると涼香は両手を組んで口を開く。


「わかっていると思うけれど『カワイガリ』は精神的な部分が具現化した存在。そして『スレイヤー』は闘いの中で、他人の精神的な部分に長く触れるから精神的に消耗することになるの」

「……は、はあ?」


 龍崎は話の内容が理解で出ずに生返事を返すと、浮舟は「これは受け売りだけれど」と呟いた。


「ヒュドラ君はカウンセラーという職業を知っているかしら」


 龍崎はコクリと頷いた。赤楚という男を知っているからだ。


「つまり、ね。そのカウンセラーってのはね、カウンセリングの過程で自身も心の病気になったりするらしいのよ。影響される、ってことかしら。まあ、言ってみれば『スレイヤー』もそれと同じと思ってくれていいわ」

「んー、よくわかわん。けど……」


 左手で頭の後ろを掻く龍崎。『スレイヤー』も『カワイガリ』も本来なら信じがたい存在。だが実在している。それを見ている。そのあたりが信じられないと言い切れない理由である。


「……もう信じるよ。こんなこと言い出したらキリがない。でもよ、なんで体に悪影響が出るんだ?」


 すると涼香は肩をすくめた。


「そのあたりのことは私も詳しくないわね。でも精神的なことが原因で身体に悪影響が出るのはよくある話でしょう?例えばうつ病とか。極端に言えば‥‥‥レモンを思い浮かべたら唾液が出るとか」


 そんな涼香の言葉に龍崎は苦笑いを浮かべた。

「いや、それはなんかそれは違くね?」


 すると涼香は「まあそうよね」と半笑いを浮かべたが、直ぐに笑みを消す。


「でも、『スレイヤー』はそういう存在なのよ。まあこればかりは『スレイヤー』にならないと実感できないでしょうけど」


 涼香はどこからか赤いテープを取り出し、それを机の上に置いた。


「つまり、『スレイヤー』になって『カワイガリ』を狩ればお金になる反面、『カワイガリ』討伐後は体調不良で苦しむことになるかもしれない」


 龍崎は赤いテープを見る。真っ赤な赤色のテープ。『スレイヤー』になるための道具。


「なるほどな……『スレイヤー』をやると苦しみハメになる―――」


 と、そこで龍崎はふと思い出す。たしか涼香もそれらしい症状を見せていたと。一ノ瀬の『カワイガリ』の一件と、土曜日の立ちくらみのようなもの。


「てか……あれか? 一ノ瀬を倒した後とか、土曜日のアレとか」。

「ご明察。あんな感じで疲れが出たりするわ。と、言っても私は軽いほうね。中にはその場から動けなくなってしまう『スレイヤー』もいたりするもの」


 涼香はそう言うと自慢げに笑った。


「で、コンビの話しに戻るのだけれど、『スレイヤー』は2人1組で行動する、というのがセオリーなのよ」


 龍崎はその言葉を聞いて思い出す。一度目の誘いも今の誘いも『コンビ』という言葉を使っていたと。


「……なるほど、二人組ね。まあ二人なら『カワイガリ』も倒しやすいか」

「ええ。それもあるけれど。……一番は精神的な負担が軽減されるのよ。コンビを組めば」


 涼香はそう言って龍崎をジッと見た。

 対する龍崎は首を傾ける。なんだそれはと。


「あ?そういうもんなの?」

「そういうものよ。先ほどカウンセラーの話をしたけれど、そのカウンセラーが病まないために他のカウンセラーに掛かることがあるの。それと同じと思ってくれていいわ」

「あーなんだ?もうオカルトみてぇだぞ……」


 龍崎はそう言って息を吐きだした。『スレイヤー』や『カワイガリ』が摩訶不思議ではあるが、精神性のことを出されると胡散臭いと思ってしまったのだ。

 と、そこで涼香は改めて龍崎をジッと見つめた。


「で、どう? 私とコンビを組んでお金を稼ぐか、それともこのまま降りるのか」


 龍崎はすっと口を閉じて赤いテープを見る。報酬が出るというのは大きい。なぜなら葵に『カワイガリ』が湧いてしまった理由を根本から解決できるチャンスでもある。『スレイヤー』として他人の『カワイガリ』を狩る。そして葵の学費を稼ぐ。


 だが同時にリスクも伴う。『カワイガリ』」の討伐後は、得体の知れない力により、原因不明の体調不良に悩まされることになる。得体が知れないからこそ、怖い。どの程度の苦しみなのかわからないからこそ怖い。だが知らないからこそ気楽に飛び込めるとも言える。


 だが、まず確認しておくべきことがあると龍崎は思い至った。


「……だいたいのことは分かった。で……その報酬ってどのくらいなんだ?」


 龍崎はやるもやらないも答えずに、そう言った。

 すると涼香は眼を左上に動かしす。


「そうね……まず『カワイガリ』には強さのランクがあって――――」


 と、そこで。くぐもった音が鳴った。なにかが小刻みに震えるようなそんな音。

 龍崎が音の方向に顔を向けると、その先にあったのは椅子に置かれた涼香の手提げ鞄である。


「でりゃいいぞ、浮舟」


 龍崎は身体の力を抜きソウルドリンクを一口飲んだ。

 だが涼香は電話を取ろうとせず、ただ黙っている。

 するとそのうち音が止む。涼香に電話を掛けた相手が呼び出しを止めたのだろう。

 と、涼香は気を取り直すためなのか、すっと息を吸ってから口を開いた瞬間、ぶーぶーっと音が鳴る。

 涼香は溜息をついて、手提げ鞄を恨めしそうに見た。


「ごめんなさい。少し失礼するわ」


 手提げの鞄から携帯電話を取り出し、涼香は店の外へ出て行く。

(……なんだったんだ?)

 龍崎はそんな事を思いつつ、小窓越しに見える涼香に目をやっていると、そこで視界にスッと人影が写った。


「―――お飲み物は如何ですか?」


 その声に龍崎が顔を向けると、そこには青楚が立っていた。


「ああ、いや。俺は―――」


 と言いかけて、龍崎は首を傾げる。やはり眼の前にいる青楚に見覚えがあったのだ。顔の輪郭、体格、そして声の質。喋り方、絵に書いたようなバーのマスターではあるが、どこかその顔は……と、そこで気が付く。


「――――あ、ああ?赤楚さん?」


 龍崎は疑りの眼を青楚に向けた。どこかで見た顔だと思えば、それはスクールカウンセラーの赤楚にそっくりであったのだ。否、そう思ってしまったが為に、もう眼の前の男が赤楚にしか見えない。


「……あれ、やっぱり気付いちゃったか龍崎君」


 そう言って赤楚は顔を緩め、ニタニタとした笑みを浮かべた。


「龍崎君なら気付かないと思っていたんだけど、なかなかどうして。変装というのは難しいものだね」

「……いや、え、なにしてんすかここで。え?」


 龍崎は半笑いを浮かべる。声を上げて驚くべきところだろうが、その驚きを赤楚という人間性が殺した。赤楚なら、なんとなくあり得るのではないかと。そう思ってしまったのだ。


「なにって……ここ僕の店なんだよね。まあ接客という奴かな」

「いや、じゃなくて。赤楚さん学校に雇われているんじゃ―――」

「ああ、龍崎君。僕はあの学校からお金は貰っているけど雇われの身ではないんだ。カウンセラーは副業。本業はこの店の店長さ」

「……」


 龍崎は赤楚の顔を見る。鼻の下に生やしている髭、のように見えて、よく見るとそれは付け髭であったのだ。だからこそ龍崎は赤楚を見たとき、すぐには分からなかったのだ。

 と、そこで赤楚が店の小窓に眼を向ける。


「ところで、浮舟ちゃんとはどういう関係なんだい?」

「どういうって……」


 龍崎は顔をこわばらせる。友達でもなければ彼女でもない。真実を言っても意味がない。だから言い淀む。

「ああ、なるほど。言い淀むってことは周りには言えない関係。そうだな……さしずめセフレってところかい?」

「違う。なんでそうなる」

「じゃあ浮舟ちゃんに飼われているとか」

「アンタ俺をどんなヤツだと思ってんだ!」


 そう龍崎が語勢を強めて言うと、赤楚は「へえ」と言って眼を細めた。


「じゃあ……『スレイヤー』関係か」


 龍崎は一瞬、呼吸を忘れた。眼の前にいる赤楚の口からその単語が出て来たからだ。

 赤楚はジッと龍崎を見つめていたが、そのうち目元を緩める。


「ああ、別に警戒する必要はないさ。ここは『スレイヤー』と協会をつなぐ支所みたいな場所だ。龍崎君が知っていることは、僕は全部知っている」


 龍崎は目前にいる赤楚に対し疑念の眼を向けていたが、そのうちに緩める。たしか浮舟はこの店に入る前に『スレイヤー』が集まる店、と言っていたのを思い出しのだ。であれば、この店の店長もそちら側の人間でも可笑しくはないと。


「……ああ、そうっすか。てかなに?赤楚さんも『スレイヤー』?」


 すると赤楚は「はは」と笑った。


「僕は『スレイヤー』と協会側を繋ぐ人間さ。そもそも僕の歳じゃ無理だよ」

「は、はあ」


 龍崎は赤楚の言っている意味がわからなかった。協会とはなにか、そもそも年齢とは。

 と、そこで赤楚は「ところで」と言って顔を横に向ける。

 龍崎もつられるようにしてその方向を見ると、店の軒下で電話をする涼香の姿が、窓越しに見えた。


「浮舟ちゃんから『スレイヤー』やらないかって誘われたかい?」

「は、はあ。まあ誘われましたけど……」


 龍崎が何気ない答えに、赤楚は眉を顰め興味深そうな顔をした。


「……へえ。珍しいね。ならコンビになってあげなよ。浮舟ちゃんと」


 赤楚はそう言って胸ポケットから煙草を取り出し、口に加えてからマッチで火を点け、白い煙を吐き出した。それからバーカウンターの外側に身体を預ける。

 龍崎はチラリと店内を見渡す。店長がそんな態度でいいのかと気になったのだ。だが店内に

 いるのは一組のカップルだけ。壁際のボックス席に座り睦言を囁き合っている。


「コンビねぇ……」

「そう。聞いているだろうけれど『スレイヤー』は2人で『カワイガリ』を狩るほうが負担が少ない。といか、本来はそうでもしないと『カワイガリ』には勝てないんだ」

「……は?」


 龍崎は首を傾げる。そんなことを涼香からは聞いてなどいない。

 赤楚の口に加えられたタバコが赤くひかり、煙が湧き立つ。


「一人で『カワイガリ』を相手にできる『スレイヤー』は数が限られているのさ。で、浮舟ちゃんその限られた中の一人。『無頼漢』レベルの『カワイガリ』まで倒せてしまう」

「……あ?『カワイガリ』のレベル?」


 龍崎は半笑いを浮かべ首を傾げた。そのあたりのことについては何も説明も受けていない。

 すると赤楚はニタニタとした笑みを顔に浮かべた。


「単純な強さのレベルだよ。浮舟ちゃん一人で倒せるのが『無頼漢』ってランクのカワイガリ。なんか獣みたいな奴さ。そしてその下が『中二病』というランク。眼が血走ってるのが多いね。で、一番下が『高二病』ってランク。まともに言語を話さない。で、一番強いのが『制服持ち』そして『武器持ち』が二番目に強い」


 赤楚はそこでタバコの煙を吐き出した。

 と、龍崎は赤楚の話を聞いて思い出す。恐らくオール黒ジャージ『高2病』そして一ノ瀬が『無頼漢』であろうと。


「へえ、そうなんすか。レベルねえ」

「……そうそう。このレベルってのは結構重要だよ。『武器持ち』は浮舟ちゃんでも倒せない……こともないだろうけど、倒せてしまうほどに力を出すとマズい」

「え? それってどういう……」」


 赤楚はそう言ってから窓の外にいる涼香をチラリと見た。


「ま、この辺りのことは浮舟ちゃんから聞きなよ。大事なことだし。でもそうだね、僕が言えるとしたら……」


 と、そこで言葉を区切り龍崎をジッと見た。


「『スレイヤー』と『カワイガリ』の違いはただ一つ。『バンカラ』を身に纏うための道具を持っているかどうかということ。浮舟ちゃんの場合は……赤テープだったかな」

「……はあ」


 龍崎は生返事を返す。赤楚がなにを言っているのか分からなかったのだ。

 すると赤楚は「ああ、でも」と言ってから口を開く。


「浮舟ちゃん。ここ最近、2連続で『カワイガリ』を狩ってるからけっこう消耗していると思うよ。そんな高頻度で『カワイガリ』に会うなんてまずないからね。いまは本調子じゃないかもしれない」

「へ、へぇ……そうなんですか‥‥‥」


 龍崎は少しばかりばつの顔になった。一戦目のオール黒ジャージはともかくとして、二戦目の一ノ瀬は自分が『カワイガリ』を暴走させてしまった。つまり涼香をヘタに疲弊させたのは自分なのであると。しかも数週間後には葵の『カワイガリ』を狩る事になる。

 と、そこで青楚が「あ」と声を上げ、ニヤニヤと笑みを浮かべた。


「そう言えば『バンカラ』のデザインってのは劣等感やトラウマが元になる場合が多くてね、浮舟ちゃんの『バンカラ』がスケバンなのは彼女が昔、一日だけグレ―――」

「―――あら、青楚さん。ヒュドラ君と仲が良いのね。お知り合いかしら?」


 と、冷たい声が響く。

 青楚と龍崎が声のした方向へ顔を向けると、そこに居たのは涼香。微笑んでいるが眼は笑っていない。


「あっ‥‥‥浮舟さん。シャッス。じゃ、僕はこれで」


 青楚はそうとだけ言うとすぐさま店の奥へと引っ込んだ。

(どっかで見た逃げ方だ)


「ヒュドラ君。青楚さんとなんを話しをしていたのかしら? 私、とても、興味があるわ」


 と言いながら涼香は席に腰を下ろした。


 龍崎は肩をすくめる。


「浮舟パイセン、マジ強え『スレイヤー』だから気ぃ付けろよって話だ。あと……」

 と、龍崎はそこで涼香の顔を見た。


「連戦で消耗してるんだってな。それに関しては……すまん」


 すると涼香は「別に」とだけ言ってソウルドリンクを飲んだ。


「私は『スレイヤー』だから。使命を果たした……というより仕事をしただけよ。大したことないわ」


 涼香は呟くようにそう言って、窓の外を見た。

 そんな涼香の顔に龍崎は、ふと疑問に思う。


「……なあ浮舟。なんでスレイヤーなんてやってんだ?こんな……よくわからんヤツを」


 龍崎は、なんとなしに、そんな疑問が湧いた。別段、本気で知りたいと思ったわけではないないが、なんとなく、そう言ってしまったのだ。

 すると涼香は眼を丸くして、ふっと笑う。


「最初に言っておくけれど別にお金のためではないの。私、お金には困ってないし、恵まれているもの」

「嫌味かよ‥‥‥」


 が、龍崎は別段怒ってはないわ。むしろ、ここまではっきりと金の話を、なんの遠慮もなく言える涼香の姿に驚いたのだ。そういうことをハッキリと言える涼香にある種の潔さを覚えたのだ。

 すると浮舟はそこで髪を撫でる。


「まあ『スレイヤー』をしている理由ってのはね。言ってしまえば……家庭の事情、かしら」

「……は、はあ? ……お前いいとこのお嬢様なんだろ? そんなヤツに家庭の事情なんて」

「あるわ。どこにでも。さっきの電話も家族がらみの件。どんな家にでも家庭の事情はある。 それはヒュドラ君も同じでしょう?」


 と、涼香は言い放った。否、言い切ったと言ってもいいかもしれない。それ以外の答えはないと言わんばかりに。

 だが龍崎は「へっ」と笑った。


「あー、そうだな。どこにでもあるわな。あーあれだ、デリケートな問題ってやつだろ。マジでウチも大変だぜ」


 龍崎はややぶっきらぼうに言った。言ってから小さく溜息を吐く。これではまるで「聞いて欲しい」と言っているようなものではないかと。言ったところで、話したところで、絶対的な理解は得られないと知っている。その逆もまた然り。特に家庭の事情など、誰かに話したとこで意味はないと知っているのだ。というよりも、人の痛みほや苦しみほど、分かり合えないものはないのだと。

 と、そこで涼香はジッと龍崎を見据えた。それからしばらくしてふっと笑みをこぼす。


「まあでも、こういう家庭の問題って、というより人の悩みや苦しみは……その人にしか分からないものなのよね。人の痛みほど分かり合えないものはない、ということよ」


 涼香の少し悲しげな声に、龍崎は息を飲む。同じことを考えている人間が目の前にいることに、驚いたのだ。

(‥‥‥似ている)

 しかし、だからと言って彼は「その気持ちはわかる」とは言えなかった。結局、人の苦しみも痛みも相対化など出来ないと龍崎は知っているのだ。

 だからこそ龍崎は別の言葉を口にする。


「…………まあ、そうだな。浮舟は恵まれてるんだろ。俺から見てもそう思うし、たぶん他のヤツから見てもそうだろうし。『なにを恵まれた人間が』って言われるだけだろうな」


 そして龍崎は涼香を見据えた。


「それに、浮舟家の事情なんて聴いたところで、俺は共感できないと思う。人の痛みなんて自分に当てはめて考えるとか無理だ。それでも、まあ強いていうなら………………」 


 龍崎はそこで少しばかり微笑んだ。


「……『大したことねーよ、浮舟』って自分で言うなら、腹は立たねえだろ」

 すると涼香はニコリと笑った。自信のある笑み。含みのある表情。

「ああ、私。アナタのそういうところ結構好きよ」

「……そうかい」


 龍崎は言った。言ってから、少しばかり恥ずかしくなった。

 と、そこで「やあ」と声が掛かり、龍崎と涼香は顔を向ける。その先に居たのは赤楚。


「浮舟ちゃん……はさて置き、龍崎君。君はそろそろ帰ったほうがいい」


 龍崎はそんな言葉に首を傾げる。


「あ?どういう意味で―――」

「いや僕は別に構わないんだけどさ。君、いま制服着ているでしょ。深津市の条例には引っ掛からない時間だけど、目立つぜ。それ。あと生徒指導室行になった直後だ。色々と気を付けたほうがいい」


 そう言われて龍崎は「あ」と声を出した。今のいままで忘れてはいたが、いま制服を着ている。そんな人間が夜にプラプラしているのを見てご丁寧に学校へ苦情を入れる輩も少なくない。そして一週間前に生徒指導室行になった身としては、そのあたりを気を付けておくべきだ。なによりも夜は怖い人が闊歩する時間帯でもある。絡まれ体質にとって、これほど危ない時間はない。

 それだけ伝えると赤楚はそのままカウンターへと戻って行く。

 龍崎は赤楚の背中を見送りながら「そうっすね」と言った。


「てか、もうそんな時間―――」


 と言いながら龍崎は腕時計を見て―――二十一時三十分ジャスト、と確認する。確認してから、なにか引っ掛かりを覚えた。なにか忘れているような、そんな気持ちに。

 すると涼香は「確かにそうね」と言って席を立つ。


「じゃあ帰りましょうかヒョドラ君。あまり帰りが遅いと妹さんも心配するわ」


 と、龍崎は涼香の言葉を聞いて思い出した。朝、葵にどんなメッセ―ジを送ったのかと。

『さすがに21時には帰る』

 その約束をすっぽかしているのだ。涼香の一件があり、すっかり忘れていたのだ。


「……やっべ。葵に連絡してねえ。二十一時までには絶対帰るって言ったのに!」


 龍崎は慌てふためき「おおおお」と声を出しながら、胸ポケットの中から携帯電話を取り出して操作する。連絡先の中から「葵」の文字を選択し、電話を掛ける。

 すると涼香は顔を龍崎に近付ける。


「たぶん怒られるわね。連絡もなしに、女の子と一種にいるだなんてバレたら。ああ、私、なんだかHな声でも出したい気分になってきたのでけれど。なにかしらの衝動は」

「絶対に喋るなよ。もし喋ったらお前を犯す」


 龍崎は耳に当てた携帯電話から聞こえてくるコール音に意識を集中する。1コール、2コール。3コール。が、出ない。一旦電話を切り、それからもう一度電話を掛ける‥‥‥が、それでも出ない。

 すると涼香は首を傾げる。


「寝ている可能性は?」

「あー……それなら俺が怒られるが明日になるからいいけど…‥‥ただ‥‥‥」


 龍崎は携帯電話の画面をジッと見つめる。

 そんな彼の様子を不信に思ったのだろう。涼香が怪訝そうな顔をした。


「ただ、なんなの?」

「いや、この時間なら葵のやつは勉強しているから、寝てないと思う。てか寝るにしても早い」

「なら、あと十分ぐらいしたらもう一度電話を掛けてみたらどうかしら?

「いや、俺の身をそんなに心配してくれんでも‥‥‥」


 すると涼香は眉間にシワを寄せた。


「ヒュドラ君ではなく、妹さんほうが心配よ。『カワイガリ』、忘れているの?」


 龍崎は思わず口を「あ」の形にする。涼香との会話のために忘れてしまったのである。

 すると涼香は半笑いを浮かべる。


「ヒュドラ君‥‥‥妹さんのことをなんだと思っているのかしら」

「ばっか、そりゃ大切な妹だ。舐めんなよ」


 龍崎はそれからたっぷりと10分間時間を取ってから電話を掛けた。異様に長く感じた10分間だった。

 1コール、2コール、3コール‥‥‥10コール。でない。葵は龍崎の電話に出なかった。ここでいよいよ背筋に冷たいモノが感じたのだ。


「浮舟‥‥‥コレ不味いのか?」

「さあ、どかしら。でも電話に出ないということは‥‥‥本当に寝てるのか。もしくは‥‥‥」

「いや、でもよ。グレる? だっけ? グレてるんなら感知できるんだろ?」

「まったくダメね。『スレイヤー』でもあまり距離が離れたら感知できないのよ」

「あ? そんなの聞いてねえぞ」


 龍崎は少しばかり苛立ちを込めて涼香を見た。なぜ、そんな大切なことを早く言わないのかと。

 と、涼香はパッとバーカウンターまで歩き、龍崎も吊られるようにして涼香について行く。


「青楚さん、緊急。ちょっと飛ぶから。アレ使ってもいいかしら」


 すると赤楚は「いいよ」とだけ言って笑みを浮かべる。


「まあ、夜だし見つかりはしないだろうし。というか『スレイヤー協会』負の遺産、時々役に立つね」


 赤楚はカウンター下からカードキーを取り出し、涼香はそれを受け取る。


「コッチに来てくれるかしらヒュドラ君。アナタを連れてきたのは私。ちゃんと責任はとるわ」

「は、あ?責任?いや、てか今すぐタクシーでも呼んだ――――」

「いいから、飛んだほうが早い」


 涼香は龍崎の言葉を無視してそのままバーカウンターの奥へと入っていく。

 龍崎も仕方なしに涼香の後を追ってバーカウンターの奥に進む。それから2人は地下に続く階段を下り、黒い壁の通路を進む。


「浮舟。これどこに行くんだよ」


 そう龍崎が問うと、涼香は肩越しに視線を送った。


「だから飛ぶのよ。屋上から」

「は?屋上?」


 2人は通路の行き止まりにある扉までやってくると、涼香がカードキーを機械に差し込み、扉を潜る。入ってすぐの場所にあるエレベーターに龍崎と涼香は乗り込んだ。   


 龍崎は色々と頭を巡らせ、いったい涼香が何をしようとしているのか考え、そして気が付いた。


「ああ、なるほど!ヘリコプターか!スゲーな『スレイヤー』って組織は!そんなに力があるのか!」


 龍崎は思い付いたのだ。屋上、飛ぶ、そして『スレイヤー』は企業から支援を受ける謎の組織。であれば、ヘリの一台や二台飛ばせるのだろうと。

 が、涼香は「はあ?」という顔している。


 エレベーターの階数表示はみるみるうちに数を上げ、扉が空き、非常階段のような場所に出てから、龍崎と涼香は重々しいドアを潜る。

 瞬間、風が龍崎の身体を吹き抜ける。視界に入るのは真っ黒な空、巨大な室外機、そしてブビル群の夜景。


「……ん?あれ?ヘリは?ヘリポートは?」


 龍崎は周囲を見渡してみたが、ヘリもなく、そしてヘリポートもない。


「なあ浮舟、とっととウチに……」

「その前にヒョドラ君」


 と、そこで涼香はくるりと反転した。そして彼女は真剣な面持ちを向ける。

「ヒュドラ君。あなた、妹さんのために命を懸けられるかしら?確認させて頂戴」

 龍崎はそう言われて、何も考えなかった。感じなかった。答えなど決まっている。

「当たり前だろ。葵のためなら俺はどうなってもいい。アイツは特別なんだよ」


 すると涼香は「わかった」とだけ言って頷いた。


「ではヒュドラ君。メリケンサック、返してもらえるかしら」


 と、そんな言葉に龍崎は眉をひそめたが、懐に右手を突っ込んだ。


「いや、いいけどよ。てかなんで今メリケンサックを……」

「だから、前に言ったでしょう。あのメリケンサックは『カワイガリ』の影響を受けなくなるモノ。あれさえ持っていなければ葵ちゃんとの戦闘を覚えておかなくて済む」


 そう言われ龍崎は思い出す。『カワイガリ』の周囲には結界のようなものが張られており、その中で起こったことは、『カワイガリ』が狩られるか、『カワイガリ』が湧いた人間がその場から移動することで、全てが元に戻ってしまう。それは記憶も同じ。つまりメリケンサックさえ持っていなければ、葵と浮舟の戦闘を忘れてしまうことができる。葵が血を流す姿を記憶に留める必要がない、ということになる。


「……わかった。返しておく」


 龍崎はそう言って制服の懐からメリケンサックを取り出し、それを涼香に返した。

 涼香はメリケンサックを受け取りスカートのポケットにしまう。

 と、涼香は龍崎の顔を見据える。


「では、ヒュドラ君。妹さんがグレていたら少し働いてもらうわ。『カワイガリ』を弱体化できるのは対話だけ。そうね、バトルマンガの主人公みたく、妹さんに話しかけ続けてちょうだい」

「わかってる。でも……話してわかる状態……なのか?」

「‥‥‥では言い換えてあげるわ。居ないよりもマシよ。それとも……」


 と、涼香は言葉を区切る。


「ここで待ってる?」


 そんな涼香の言葉に龍崎の「へっ」と笑みをこぼした。


「それはありえないな。あいつの兄貴は俺だけだ」

「‥‥‥では、行きましょうかヒュドラ君」

「ああ、いいぜ!」

 と、龍崎が自信満々に言った瞬間、涼香に右手を掴まれた。

「……何してんだ浮舟?」


 しかし涼香は、龍崎を引き連れるようにして屋上の淵までやってくる。そして涼香は左腕を龍崎の胴体に回してガッチリと固定した。


「‥‥‥お前、何してんの?」


 龍崎がそう問うと、涼香は右手の握りこぶしを見せる。そこは赤色のテープが巻かれていた。


「『バンカラ』を纏うと飛べるのよね。ときどき飛び石みたくビルを蹴ることにはなるけれど。あと目立つから夜しか使えないわ」


 瞬間、龍崎は嫌な予感に襲われた。なにが怖いのか彼にはわからない。だがそれでも厭な予感だけが沸き起こっているのだ。


「それでは行きましょうかヒュドラくん。深津市の夜景、なかなか綺麗よ」


 涼香は右拳を額の前に構えると、紫色をした焔が彼女の身体体を包む。

 と、そこで龍崎は理解した。涼香がなにをしようとしているのかを。


「いや!待て!待って!せめてタクシーとかにしよう!な!頼むから!」

「ダメね。間違いなくコチラの方法が早いわ」


 瞬間、龍崎の膝が笑い出した。地上を走る車は豆粒ほどの大きさ。

 夜の深津市。赤く点滅するビルの航空障害灯、家々の窓から洩れる光、街角の街灯、道を走る車のヘッドライト、それから夜景を作り出し、陰影の闇を作り出す。

 吹き抜ける風が涼香の髪をはためかせている。


「絶叫マシーンとでも思ってちょうだい。まあ、シートベルトはないけれど」


 そして涼香は飛び降りる。地面に背中を向けるようにして体を捻りながら、飛び降りる。


 そして龍崎も飛び降りる。涼香に引っ張られる形でビルの屋上から飛び降りる。


 涼香が腕を振った。するとたちまち、身体を包んでいた紫色の焔が四散し『バンカラ』を纏った彼女が現れる。


 涼香は龍崎を抱えながらビルの外壁を蹴り、空中へと駆け出した。建物と建物を、まるで飛び石でも渡るかのようにして空を駆ける。深夜の深津市を駆ける。


 龍崎は苦笑いと半笑いを浮かべ、深津市の街並みを見下ろしていた。

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