第4節 おい浮舟。お前の家族コッチ見てんぞ

 叔父の家で食事を終えると、雑談もそこそこに、すぐにおいとました。

 龍崎は大曲おおまがり駅から地下鉄北南ほくなん線に乗り、新深津しんふかつ駅でバスに乗り換えるため、一旦地上に出る。すでに日は落ちており、駅の周りにあるビルの窓からは光が漏れ、周囲を歩く人間はスーツ姿の大人が多い。


 駅前の横断歩道からはカッコーカッコーと音が聞こえ、テッシュ配りの人間が道行く人々にティッシュを手渡し、路上ライブの演奏を聞く男女の姿がある。


 龍崎は駅の外壁に身体を預け、そんな光景を、なにをするわけもなくボーっと眺めている。

 頭に浮かぶのは葵のこと。『カワイガリ』の弱体化は進んでいる。それは葵の持つ悩みを聞き出したから。だが、彼女に湧いた『カワイガリ』を狩っても問題は解決しない。保留でもない。解消でもない。ただの引き延ばし。そして絶対的に葵の悩みはハッピーエンドを向かえない。過去に苦い記憶のみを残し、行きたかった高校に進学できなかったという棘を抱えたまま、大人になっていく。


 もしもの話。葵が龍崎家ではなく、例えば叔父の家に産れていたのであれば、『カワイガリ』が湧くことはあっただろうか。あの父親と母親の間に産れてしまったばかりに、葵に『カワイガリ』が湧いてしまったのではないか。


 もしもの話。葵が龍崎家ではなく、例えば浮舟の家に産れていたのであれば『カワイガリ』が湧くことはあっただろうか。浮舟のように悩みもなく、それこそ『スレイヤー』として人を助けるような――――。


「―――あ?」


 龍崎は目を細めた。何気なく眺めていた先。数十メートル離れたあたり。駅から直結しているシティホテルのロータリースペースに、見覚えがある人間がいたのだ。


 その人間は黒色を基調としたドレスを身に纏っていた。

 滑らかな光沢を放つ布地に、膝丈あたりまで伸びたフレアスカートからはすらっと伸びた脚が覗く。

 肩まで伸びた髪は美しい烏羽色をしており、首には煌びやかに光るアクセサリを巻かれている。


「……浮舟うきふねだよな、アレ」


 ロータリースペースにいる涼香は、制服姿の彼女よりも格段に年上に見え、気品を感じさせるものであった。そこには「犬被り」や「ポンコツ」という文字はなく、あるのは「ご令嬢」という文字だけである。


「……マジでお嬢様なのかよアイツ」


 龍崎は苦笑いを浮かべる。もしあの恰好のままポンコツぶりを発揮すれば、さぞかし面白い絵ズラであろうと。


 だが龍崎は、涼香に話しかけることはしない。なぜなら彼女の近くには、龍崎的な視点で見た場合、家族であろうというという人間がいたからだ。


(アレが母親か)


 一人は中肉中背の女性。涼香の真向かいに立っている女性の顔と雰囲気は、涼香に似ている。涼香をさらに大人にさせたような顔の美人。だが、その眼は娘とは対照的に、どこか丸みを帯びた眼をしている。


「あれが父親か」


 一人は背の高い細見の男性。どこか頼りなさげではあるが、品があり、笑顔がステキな男性である。


「あれは……誰だ?」


 そしてもう一人は背の高い男性。はつらつとした笑顔を浮かべ、時折、涼香に話かけているようであった。ただ涼香とも両親らしき2人にも似ていない。

 龍崎は「令嬢だし許婚とか?」と、適当に予測したあたりで思い出す。兄貴がいると、あの喫茶店で聞いていた。


 その3人は涼香と同じように、どこか余所行きのような服をしている。

 ――ドレスコード

 龍崎はアルバイトで得た知識をフル活用して、その答えを導き出す。たしかホテルパーティーで、参加者はああいう服を着ていたと思い出したのだ。 


 別段、着ている恰好で金持ちであるかなど、本当にそうであるかなどわからない。ただそれでも、なんとなしに、自分とは真逆にいる人間だろうと感じ取った。余裕があった。


 そんな恰好をした三人が時折笑みを浮かべながら会話をしているのだ。

 そして涼香もその輪の中に入っている。ように見えて、その輪から半歩、完全に身を引くという形ではないにせよ、わずかに身を引いているように龍崎には見えた。


「いや、まあでもさ。外見で人を判断するなって言うぐらいだし。それこそ金持ちなら運転手付きのハイ―――」


 と、そのとき。スッと浮舟一家のいるロータリースペースに一台の車がとまった。黒く、光沢のある、乗用車。ピカピカに磨き上げられた、高級車。

 車の運転席から男性が降りてきて、浮舟一家の元まで歩み寄りお辞儀をしていた。ハイヤーだった。もちろん運転手つきの。


 そんな光景を見た龍崎は半ば呆れたような顔する。


「……やべえヤツだな浮舟」


 と、そこで涼香一家がハイヤーに乗り込み始める。


 涼香の母親らしき女性がハイヤーに乗り込み、続いて父親らしき男性が乗り込む。そして兄貴らしき男性が涼香をハイヤーに乗るように促す。が、涼香は一向に乗り込もうとしない。笑みを浮かべ、兄貴らしき人間と話してをいる。

 兄貴らしき人間は、そんな涼香に対して、なにか説得でもするかのような顔をしている。


 龍崎はそんな光景に眼を細めた。なんとなくではあるが、涼香はハイヤーに乗り込むのを拒否しようとしているように思えたからだ。


 すると涼香はキョロキョロと周りを見渡し始める。右を見て左を見て、それから兄貴越しに前方を見て、そして斜め後方を見てピタリと顔の動きを止める。

 瞬間、龍崎の身体もピタリと止まった。涼香と眼があったからだ。


「……げ」


 龍崎の顔を見た涼香はニヤリと笑い、顔を兄貴らしき人間に戻し、身振り手振りを使って龍崎を指差したり、龍崎に顔を向けたりしたのちに、兄貴らしき人間に向けて片手をあげ、足早にその場から離れて行く。


 そんな涼香の光景を見て龍崎は首をひねる。なにをやっているのだろうかと。

 兄貴らしき人間は数歩ばかり涼香を追いかけ、声を掛けているようであったが、そのうちその場に立ち止まり、ジッと涼香を見つめるままになった。


 と、そこで龍崎は気が付く。涼香の進む方向は、どう見積もっても自分のいる位置であったからだ。そしてそこに、言いようのない不安を覚えたのだ。

(逃げよう。なんか怖い)

 龍崎はその場できびつを反し、人混みに向かって歩き出そうとした。だが。


「お~い、龍崎君! こっちこっち!」


 と、明るく弾む声が龍崎に掛けられた。

 龍崎は肩越しにチラリと後方を確認すると、小走り気味に涼香が近寄ってきていた、彼が想像していたよりもずっと距離を詰められている。


「あはは! 久しぶりだね! 元気してた~?」


 そう言って涼香は両手を伸ばし、龍崎の左腕をガッチリ掴むと、そのまま左腕に抱き着いてきた。


「ちょっ、なにしやがるテメェ!」


 涼香の突然の行動に驚き、龍崎は狼狽える。

 だが涼香は「はて?」という顔を造り、さらにガッチリと龍崎の左腕を握る。


「なにって昔からこうしてたじゃん! 忘れたの?涼香だよ! 中学以来だね!」


 と、涼香は大きめの声でそう言ってから、被っていた犬を脱ぎ、普段の涼香の顔に戻る。


「ヒュドラ君。このまま『実は両親も知らなかった、娘が中学時代に仲良くしていた男友達。それが龍崎焔雄虎』という設定を続けて頂戴。適当に話を合わせて頂戴」 


 涼香は声を潜め、龍崎にそう言った。

 だが龍崎は「は?」と顔を前に着き出す。


「いや……なに言ってんだ。浮舟。てか、絶対面倒なことに巻き込もうとしてるだろ。ざっけんな。俺は葵の件だけでお腹いっぱいな―――」

「えー?お腹が空いてる? あはは。食いしん坊だったもんね!じゃあ久しぶりに会ったからさちょっとお店でも入ろっか!」


 涼香は大きめの声でそう言ってから、龍崎の左腕に抱き着いた姿勢のまま、グイグイと歩き出した。


「いや、待て浮舟。テメエほんと―――痛い痛い!」


 龍崎も吊られるようにして歩き出した。否、歩き出す他なかった。龍崎は左手指に、関節技のようなものを喰らっていたためだ。

 そして涼香はニコニコと笑みを浮かべて犬をかぶり、顔だけ後ろへと向け、大きく左手を振っていた。

 龍崎は肩越しに後方に視線を向け、顔を引きつらせる。視線の先にあるロータリースペースに、涼香の兄貴らしき男性、そして涼香の両親らしき人間佇みがこちらを見ていたからである。

 涼香の父親らしき男性は小さく手を挙げ、母親らしき女性は呆れたような顔を浮かべ、そして兄貴らしき男性はジッと龍崎を見ていた。

 龍崎は背中に嫌な汗を掻きつつ、涼香の顔を見る。


「おい浮舟。お前の家族コッチ見てんぞ。大丈夫かあれ。オイ」

「ねぇねぇ龍崎君。私行ってみたいお店があってね!ちょっとだけ歩くけど行こっか!」

「おい、話聞いてる?浮舟さん?なあ、ポンコツ。おいポンコツ。俺の話を聞け!」


 だが涼香は、龍崎の声を無視するような形のまま一方的に喋り続ける。そして龍崎は涼香に引っ張られるようにして、新深津駅から離れる。

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