第6節 やっぱ俺、編集者になりたいからさっきの本買ってくるわ

 龍崎らが入った喫茶店はリバーシブル上階にある「テルモ・ポーリウム」という店であった。3人が案内された窓際の席は深津市の東側を一望でき、眼下には広がるのは龍崎にとっては見慣れぬ街並みである。


「へぇ。そうなんですか。高校生も中学生とあんまり変わらないですねー。もっと大人だと思ってたんですけど」

「そんなもだって。私だって中学生のときは高校生ってもっと大人だと思ってたけどねー」


 そう言った涼香はバームクーヘンとチーズケーキが合わさったようなスイーツ、バーチ―ケーキを食べ、葵はラズベリーがたっぷりトッピングされたイチゴタルトを食べている。

 対して龍崎はブラック珈琲を啜り、甘味を貪りながらお喋りをする彼女らを横目で眺めていた。繰り広げられる女子同士の会話。よく言えばガールズトーク、悪く言えば……と龍崎は色々な意味で胸やけを起こしそうになっていた。


 だが龍崎は、そんな気分に浸っている暇などない。葵の『カワイガリ』を弱体化させるために、アプローチをするべきなのだ。そして葵の悩みの種類は、受験関係。いま浮舟と涼香が繰り広げている会話は高校生活の話。であれば無理にでも持っていける。

 龍崎はコホン、とわざとらしく籍をした。


「あー……でもどうなんだ? 赤椿高校なら、俺の通ってる高校と色々と違うだろう」


 と言ってから龍崎は涼香をチラリと見る。

 すると涼香は、そんな龍崎の目配せに何かを察したのかもしれない。少し間を置いて口を開く。


「んー、普通の学校だよ。龍崎君の学校と変わんない。あ、でも元々女子高だから女の子は多いかなー。でもそれくらい?」

「へえ、元女子高ねぇ……でも浮舟の高校って施設とか凄いんだろ。俺の学校は……なんだ? 入学してまだ数週間だけけど、もう飽きたぞ。俺ももう少し考えて受験すりゃあよかったな」


 と龍崎は言ってから、チラリと葵を見る。

(ちょっと苦しいか)

 龍崎はそう思いつつも、そのまま再び口を開く。


「あ、あーあー。そういや葵、今年受験だけど。まあ、俺みたく失敗するなよ」


 すると葵は「あはは」と笑った。


「大丈夫だって、葵ちゃん勉強できるでしょ? 葵ちゃん、お兄ちゃんがすっごく自慢してたよ!『俺は勉強できなけど、葵は出来るんだよ』って」


 龍崎の喋り方を真似る涼香。その喋り方は実に似ている。当の本人が苦笑いを浮かべるぐらいに。

(……浮舟。お前、やればできるヤツじゃねえか)

 龍崎は瞼をしばたかせ、少しばかり感動しかけた。やれば、デキる子なのだと。

 すると葵は、その涼香の声真似にケタケタと笑いながら、


「勉強はできるほうだとは思いますけど……別に大したことじゃないですって。受験は……まあどうなるかわかりませんけどねー」


 と葵は少しばかり遠くを見た。

(ここだろう)

 龍崎はさらに畳みかけようとしたのだが、葵が先に口を開く。


「そういえば涼香さんって赤椿高校ですよね?」

「……あれ?葵ちゃんなんで知って…‥‥ああ、初めて会ったときか! もしかして制服だけでわかったの?」

「そりゃそうですよ。赤椿高校の制服って可愛いですからねー」

「んー? そうかな? 私は別にそうは思わないけど……よくわかんないなー」


 涼香は言って自分の服を見る。もちろん制服ではなく私服である。

 すると葵は、かぶりを振った。


「いやカワイイですって。ねえ、お兄ちゃん?」


 だが龍崎は、まさか自分に話が降られるとは思っていなかったのである。反応が遅れてしまう。


「あー……ああ、どうだろ?」


 すると葵は、煮え切らない意見とでも思ったのかもしない。短くため息を漏らす。


「ま、お兄ちゃんってそういうこと興味なさそうだもんね。あーでもいいな。私も着てみたい」


 と、葵は涼香を見る。

 すると涼香はそこで一瞬だけ目を細め、すぐにもとあった表情に戻す。


「ならさ! 赤椿高校を受験してみたら? 葵ちゃんもウチの高校行けるんじゃない?」

「えー。それは無理ですって。それに‥‥‥ちょっと赤椿高校は‥‥‥」


 と、そこで龍崎は葵の声のトーンが低くなるのを感じた。

 そしてそれは涼香も同じことを感じていたのであろう。彼女は手に持っていたパフェ用の長いスプーンを置いて、葵を見据える。


「……葵ちゃん。実力があるならそれは挑戦するべきだと私は思うよ。通ってる私が言うのもあれだけど、他の高校とは違った授業とかあるし、すごく刺激的だよ」

「まあそうなんですけどね‥‥‥できれば赤椿高校みたいな私立じゃなくて‥‥‥公立狙ってる‥‥‥みたいな」


 葵はだんだんと声を小さくする。

 と、そこで涼香は席に座り直して、やや身を乗り出した。


「‥‥‥葵ちゃん。私に力になれるかわからないけど。一応、去年まで受験生だったし、聞くだけなら問題ないよ。なにか‥‥‥悩んでるの?」


 涼香のその声は優しく、何かを諭すような声色であると龍崎は感じた。

 すると葵は涼香を見た。見てから、彼女は横目でチラリと龍崎を一瞥して、すぐさま涼香に視線を戻し、身体をよじる。

 と、そこで龍崎は涼香がじっと視線を送り続けていることに気が付く。ジッと見てくる。それが意味すること。


「……あ、やっぱ俺、編集者になりたいからさっきの本買ってくるわ」


 龍崎が席を立ち「よろしく」の意を込めて涼香を見ると、顎を素早く振って「はよ行け」と意を伝えてきた。

 龍崎は店の出口まで歩いていく途中、肩越しに葵を見ると、彼女は少しばかり明るい顔をしていた。

(上手くいった)

 と、龍崎はほくそ笑み、足取り軽く店を後にする。これで恐らく葵の『カワイガリ』は弱体化される。あとは涼香が『カワイガリ』を狩ってしまうだけであると。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る