第7節 それが『スレイヤー』だもの

 龍崎が「テルモ・ポーリウム」に戻ってきたのは、それから20分ほどたってからだった。

 喫茶店を出た後で龍崎は、宣言通りに本屋へと向かい、編集者に興味はなかったが暇つぶしのために『女にモテる10の行動』という雑誌に目を通してみると、一項目に『顔』と書いてあったため、すぐさま読むのを止めた。そして結局、漫画を物色してから喫茶店へと戻って来たのだ。


 だが、その場に、葵の姿がなかった。いるのは、涼香ただ一人。彼女が紅茶を飲んでいるだけだった。

 テーブルの上には半分ほど残ったイチゴタルト。そしてバーチーケーキが乗った皿が、テーブルの端に置かれている。

 龍崎は涼香の正面の席に腰を下ろす。


「……葵は?」


 すると涼香は龍崎を見てから、軽く息を漏らした。


「先に帰ると言ってお店を出てしまったわ」

「は、はあ? 帰る?」


 龍崎は首を傾げた。が、そこで彼は涼香の表情に、影のようなモノを彼は感じ取った。なにか、あったのだと。


「―――妹さん、赤椿高校狙っている」


 唐突に涼香が突然に言い放った。

 瞬間、「は?」と声を出す龍崎。


「赤椿高校って‥‥‥浮舟と同じの?」

「そうね‥‥‥しかも推薦ですって。赤椿高校の推薦を受けられる人間ってそうそう居ないのに。たぶん私よりも勉強ができるんじゃないかしら」


 と言って涼香は窓の外を眺めた。

(……マジかい)

 赤椿高校は県下トップクラスの学力を誇る進学校ではないが、独自のカリキュラムが組まれていたり、留学も授業に含まれていたりと先進的な高校でもある。


「はぁ‥‥‥葵がね。てか、それが葵の悩みってことで‥‥‥ん?」


 と、そこで龍崎は考えて眉をひそめた。

(いったい、どこに悩む要素があるのだろうか)

 推薦を貰えるほどの学力もあり、実力もある。なのに、なぜ赤椿高校への進学を渋るのか。

 と、そこで涼香は龍崎に顔を向ける。


「そうよ、ヒュドラ君‥‥‥妹さんはなに悩んでいるのか分からないわ。実力もあって、自分の力が発揮できる場所もあるのに、赤椿高校へ進学を渋っている」

「それは‥‥‥なんだ? 分からんな?」

「なにか思い当たることない? 例えば……そうね。考え方を変えて……進学がしたくてもできない理由とか」


 そう言われて龍崎は顎に手を当てた。なにが問題なのか。

 葵は赤椿高校の推薦を貰えるらしい。これは殆ど確定。いつぞや葵は「推薦貰えそう」と言っていた。その推薦こそが赤椿高校であったのだ。正直、赤椿高校の推薦がどれほどすごいことなのかわからないが、それでも推薦を貰える時点で、学力は申し分ないということになるだろう。つまり学力が問題ではない。

 にも関わらず進学を拒む理由、赤椿高校が自宅から遠いから? そこまで遠くない。制服が嫌いだから? むしろ赤椿高校の制服は可愛いと言っている。赤椿高校がなんとなく嫌い。赤椿高校に通う涼香を羨望の眼差しで見ていた。つまり赤椿高校には本当は通いたい。でも通えない。それはなぜか。通いたくても通えない、そんな選択をしなくてはならない理由……。

(……ああ、そうか)

 と、そこで龍崎は気が付く。葵が何を思っているのか、なんとなしに想像が出来てしまったのだ。とうより、簡単すぎた。もっと早くに気が付くべきだったのだ。

 だが、もしそうであったとしても、龍崎には手の施しようがない。しかし、それが葵の悩みであるならば『カワイガリ』を弱体化させるためにも、その話を葵としなければいけない。たとえそれが気の進む話ではなかったとしても。葵の抱える悩みを解決できなかったとしても。


「―――――悪い、今日は帰る。なにか分かったら連絡する」


 龍崎は席を立ち上がり通路に出る。するとそこで涼香に声を掛けられた。


「あら、なにか心あたりがあるのなら、私に話してくれてもいいのだけれど」


 涼香はジッと龍崎を見つめる。


「……いや、浮舟。すまんがこれは……兄妹の問題……というかウチの問題なんだ」


 そう龍崎が言うと涼香はスッと視線を逸らした。


「……そう、家族の問題なのね。だったら私にはどうしようもないわ。でもヒュドラ君、一つだけ覚えておいて」


 とそこで言葉を区切る涼香。


「家族だからってわかり合えないこともある。それは両親でも兄妹でも。絶対に相容れない部分はある」


 そう言い切った涼香の眼は、酷く濁っているように龍崎は思ってしまった。だが彼には涼香の言葉を受け入れない。兄妹で分かり合えないなど、そんなはずはないと。


「……浮舟。それは違う。言ったろ。兄妹仲はいいほうなんだって。だから―――」

「妹さんも、兄であるヒュドラ君に対して、そう思っているならいいわね」

「……なにが言いたいんだ浮舟」


 龍崎は思わず浮舟を睨み付ける。

 すると浮舟は小さく溜息をしてから龍崎を見据えた。


「……私にも兄がいるけれど。そうね。私は兄に対して自分をさらけ出したことはないわ。本音を喋ったことも」


 龍崎はそう言われて目を細める。


「……そうかよ。でもそれは浮舟兄妹の話だろう。だけど、お前らと俺らは、違う。そもそも俺と葵は……」


 と、そこまで言って龍崎は言葉を飲み込んだ。浮舟に言っても意味はないと。だから代わりの言葉を探すのだ。


「……浮舟にはわからねぇよ。俺達と同じ境遇じゃなけりゃな」


 そう言って龍崎は伝票を持ってきびつを反し、足早に歩き出した。


「――――ヒュドラ君」


 と、名前を呼ばれ脚を止める龍崎。だが振り返らない。


「確かに私にはわからないわ。私はアナタではないもの。それでも……」


 とそこで言葉を区切る涼香。


「呼ばれたら飛んでいくわ。それが『スレイヤー』だもの」


 その言葉を聞いてから龍崎は再び脚を動かし、その場から去って行った。

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