第2節 美人だからって助けて貰えると思うなよ!

 東南高校を後にした龍崎は、国道沿い裏にある住宅地の路地を歩く。周囲にあるのは民家か、団地か、コンビニぐらいであり、どこまでものっぺりとした街並が続く。


 部活に所属しているわけでも、友人と遊ぶわけでもない龍崎の放課後は、真っすぐ家に帰ることが日常となっている。もしくは時折アルバイトに精を出すぐらいである。


 龍崎は住宅地の路地を抜け、国道に掛かる歩道橋を渡りつつ、足元を走って行く車を眺める。片側2車線のこの道は、街の最西端でバイパスと結合してることもあり、大小さまざまな車が利用している。そのためこの地域周辺は車の走行音が絶え間なく発生し、排気ガスを撒き散らかす。


 そんな排気ガスがあふれる国道沿いに並ぶのはチェーン店舗。フランチャイズの飲食店、アウトドア用品店、ポエミーなラーメン屋、カー用品店、日用雑貨店。この一帯は全てが全国で見られる景色で完結しているのだ。


 龍崎は横断橋の中腹で立ち止まり、流れていく車をしばらく眺めていると、ドゥンドゥンと音を鳴らして走り去っていく車を眼にした。通称、ドゥンドゥンカー。彼はそんな車を見て舌打ちをする。大抵、怖い人が乗っている車だと知っているからだ。


「なんだろ‥‥‥グレてやろうか」


 龍崎は嫌らしい笑みを浮かべながら、心にも思っていないこと呟いた。なんとなく嫌なことがあると「グレてやろうかな」と口にするのだが、そんな度胸はない。

 と、そこで。


「別にグレてもいいことなんてないわ」


 透き通るような声がした。

 龍崎が視線をチラリと動かすと、背後をセーラー服姿の女子生徒が通り過ぎて行った。歩道橋の上を吹き抜ける風がその女子生徒の髪をなびかせる。

(―――赤椿あかつばき高校)

 龍崎は眼を細める。その女子生徒が身に着けている制服に見覚えがあったからだ。


 私立赤椿あかつばき高校。深津ふかつ市内、深津県内では名高い進学校として有名である。そこに通う生徒は恐ろしく勉強の出来る人間か、裕福な家庭に産れた子供の二択。事実、龍崎の通う東南高校とは天と地ほどの差があり、偏差値は20ほどの開きがある。またデザイン性の優れたそのセーラー服は一度見たら忘れられないほど印象的であるのだ。


 だが、だからと言って龍崎はなにをするわけでなく、その女子生徒はそのまま歩道橋を渡り切る。

(……なんだアイツ)

 龍崎はそんな事を思いながらも胸を撫でおろす。女形の怖い人にでも絡まれたのかと思ったのだ。だがそうでないと知った彼はその場を後にし、歩道橋を渡り切ってから、再び住宅地の路地へと突入していく。いつもの帰路である。


 が、そこで龍崎は視界の端にあるモノを捉える。

(止まってはダメだ)

 そう自分に言い利かせ、脚を前へと送り出し歩き続ける。今までの経験がそうさせたのだ。だが、それでも予防線を張る意味を兼ねて視界の端だけで「あるモノ」を見た。


 そこにいたのは民家の塀を背にして立つ1人の少女。そしてその少女を取り囲む2人の男。少女は鞄を胸に抱いて目を伏せ、2人の男はニタニタと笑みを浮かべている。


 2人の男――というよりも、その顔に幼さを残す少年たちを見た龍崎は、今までの経験を照らし合わせ、彼らが中学1年生あたりの年齢であろうと推測した。

 1人の少年は襟足だけが異様に長く、胸元をやたら開けた制服。通称、襟足異様。


 1人の少年は金髪の髪をトサカのように立たせている。通称、金髪トサカ。

 それから龍崎は、視線を横に動かして道の傍らを見た。そこあるのは二台の自転車。ハンドル部分が鬼の角のように上向きになっている、通称、鬼ハン。


(役満。ヤンキー中学生である)

 龍崎は確信し、再び視線を少女のほうへと戻す。俯き気味に地面を見る少女はブレザー制服に身を包み、肩まで伸ばした髪が特徴的で、その顔は‥‥‥と、そこであることに気が付く。ヤンキー中学生に絡まれている少女が来ている制服が、自分の通う東南高校の女子生徒の制服であったからだ。


 だが、なにより龍崎はヤンキー中学生に絡まれている女子生徒を知っていた。

 1年F組、一ノ瀬詩織いちのせ しおり

 龍崎の通う東南高校にはF進学コースと呼ばれているクラスがあり、一ノ瀬はそのクラスに所属している女子生徒である。一ノ瀬という人間は、学年の中で最も勉強ができる生徒であり、入学式において新入生代表として挨拶もこなしている。さらに言えば端整な顔立ちをした容姿端麗。一ノ瀬詩織いちのせ しおりの名前は他校の男子生徒の間にも轟いていると、龍崎は風の噂で知っていた。


 龍崎が高校に入学してから3週間ほどしか経過していないことを考えれば、よほどの綺麗処ということになる。そんな彼女がヤンキー中学生2人に囲まれ、視線に地面を落とし、ただただじっと黙っているのだ。


 ―――龍崎がここまでの状況を確認するのに要した時間はわずか2秒。そしてその2秒の間に即座に決断を下した。

(‥‥‥仕方ねえプランBだ)

 怖い人と対峙する場合、判断能力こそモノを言うと龍崎は知っている。

 龍崎は視線をまっすぐ前へと向けて、首をゆっくりと捻り、右手を制服のポケットに突っ込む。それから鋭い眼光を光らせながら、


「――――え? あ? 聞こえない? あれぇ電波が遠いぞぉ」


 と大きめ声で言いながら、龍崎りょうざき一ノ瀬いちのせとヤンキー中学生2人の横を素通りした。右手に握った携帯電話を耳に強めに押し当て、あたかも『電波が悪くて通話相手の声が聞き取れない高校生』を巧みに演じた。

(――――完璧だ)

 これは龍崎が長年の絡まれ生活で取得した、怖い人に気配を察知されにくくなる方法である。


 仮に怖い人に存在を気づかれたとしても、こちらとしては電話中であり、怖い人達に対して『そっちに意識なんて向けていませんよ』というアピールが出来るのである。もし仮に策を打たずに一ノ瀬とヤンキー中学生2人の横を通れば、間違いなくて絡まれるとこになると経験的に龍崎は知っている。

(あとは簡単。このまま素通りして、次の角を曲がれば問題ない)

 龍崎は、眼の前で女の子が怖い人に絡まれていた場合、助けない。そんなことよりも、自分の命の大切なのである。ところが。


「あの! 龍崎くん!」


 よく通る声に龍崎の足がピタリと止まる。そして彼は背中に2種類の視線を感じとった。1つは嘆願するような視線。1つは射殺さんばかりの視線。


「龍崎くんだよね?!」


 さらに大きめな声を聴いた龍崎は、壊れかけのゼンマイ人形のような挙動で、肩越しに後ろを振り向く。視線の先にあるのは、神社の狛犬のようにして並び立つヤンキー中学生2人。その奥で胸の前でカバン抱きしめている一ノ瀬。一ノ瀬は眼に涙を浮かべ、ヤンキー中学生2人は眉間にシワを寄せて睨みを利かせている。


「龍崎くん!やっと待ち合わせ場所に来てくれた!あ、もしかしてその電話、私に掛けようとしてたの?」


 一ノ瀬は不安げな表情を浮かべ、まぶたを何度もしばたたかせ、唇を動かし「た・す・け・て」という口の形を作った。

 そして龍崎にもそのことは理解できた。

 道端でヤンキー中学生に絡まれている一ノ 詩織いちのせ しおり

 龍崎の通う高校でトップクラスの頭脳と容姿を持つ一ノ瀬詩織。

 そんな女が龍崎という男を頼っている。女の子と男では様々な面に差が存在している。こればかりはどうしようもない事実である。だからこそレディーファーストとは、紳士の振る舞いとは、男の嗜みとして存在しているのだ。だからこそ男というのは、ときとして女のために闘わなければならない時があるのだ。だからこそ彼は、


「いや、人違いです。すんませんシャッス」 


 と頭を小さく下げ、視線を前に戻し『電波が悪くて通話相手の声が聞き取れない高校生』の演技に戻った。

(あのアマ! なんで一度も話したことがない俺の名前知ってんだ!)

 と龍崎は心の中で悪態を付き歩調を早める。

 が、一ノ瀬としてはまさか見捨てられるとは思ってなかったのであろう。


「ちょっと!龍崎くん。私と同じ高校に通っているでしょ!あなたは1年E組!知ってるんだから‼」


 一ノ瀬は、ヤンキー中学生の間をすり抜けるようにして駆け出した。

 ヤンキー中学生2人は一瞬反応が遅れる。が、すぐさま「どこ行くんならあ!」と叫んで一ノ瀬の後を追う。


 そして龍崎は一ノ瀬とヤンキー中学生2人が走ってくるのを確認した瞬間、脱兎のごとく駆け出した。予備動作なしで瞬く間にトップスピードに乗る、その様はまるで兎の如く。


「巻き込むんじゃねえ!」


 龍崎は曲がり角に差し掛かるたびに右へ左へと折れる。追跡者である一ノ瀬とヤンキー中学生2人をまこうとしているのだ。だが適当に走ってはいない。この深津市の地図は彼の頭の中に事細かにインプットされている。絡まれ体質のために身に着けた技能と言ってもいい。それを駆使して追手を巻く。


「美人だからって助けて貰えると思うなよ!」


 それから龍崎はしばらく走り続け、肩越しに後方を確認すると、そこに追跡者の影はなかった。

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