1章 デゥンデゥン音を鳴らす車が大嫌い

第1節 いまどきヤンキーに絡まれるなんて

 赤楚辰巳あかそ たつみは手に持った用紙から顔を上げ、苦笑い気味に龍崎焔雄虎りょうざき ひゅどらに視線を送った。


「龍崎くん……なんだいこれ? もしかしてこれを生徒指導の先生に出したのかい?」


 龍崎と呼ばれた男子生徒は「ヘッ」と笑う。大方、赤楚にどんな顔をされるか予測していたからだ。

 龍崎と赤楚がいるのは私立東南高校のとある一室だ。ガラス天板のテーブルが部屋の中央に接地されており、それを挟むようにして革張りの黒いソファが2つ。龍崎と赤楚はお互いを真正面に見据える形となってソファに座っていた。


「はあ……そうですね。これを提出したら赤楚あかそさん……でしたっけ? てか、ココとに行くように言われまして」

「ははん、なるほどね。だから僕にお鉢が回ってきたってことか。確かにこんなこと書かれちゃ先生としてはたまったもんじゃない」

「いや、たまったもんじゃないって言われましても。つか、たまったもんじゃないのは僕のほうですって! 僕はクソヤンキーに絡まれただけなのになんでこんなに問題児みたいに扱われなきゃいかんのですか!」


 龍崎りょうざきはやや強めに言葉を発する。事実と虚実がごっちゃになっていることに怒りを覚えたのだ。

 赤楚は肩をすくませ、苦笑する。


「まあ、この話が本当なら龍崎くんは悪くないけどさ。でも君も悪いよ。反省文なんだからそれらしいこと書いておけばいいじゃないの。ここ私立高校だし体裁が大事なんだよ。体制が」


 赤楚は胸ポケットからボールペンサイズの黒い棒を取り出す。それを口に加え、豆粒のようなボタンを押し、スッと息を吸い込んでから、白濁色の煙を口から吐き出した。煙は宙に舞い上がり、空虚へと吸い込まれるようにして消えてゆく。

 龍崎は鼻をくすぐる煙の臭いに眉を顰めた。


「……あの、赤楚あかそさん。学校って禁煙なんじゃ……てか私立だから体裁が――――」

「これは煙草じゃないよ。ただの水蒸気を発生させる機械さ。ニコチンも何も入っていない。ま、これでも僕は学校の関係者だからね。色々と気を使っているのさ。ああでも、もう一度言うけどニコチンは入ってないよ」

「いや、でもなんか焦げ臭いっすよ。それ絶対電子たば――」

「ああ、これは香りを発生させることができるんだ。で、好きな香りを選ぶことができる。僕は焦げ臭い香りが好きな人間だからね。人の好みにケチを付けるのはよくないよ」

「……」


 と、そこで赤楚は龍崎をジッと見据える。

 龍崎はやや身を強張らせた。赤楚の眼の色が変わったように思えたからだ。いったいこれからどんな説教をくらうのだろうか。反省文とくれば説教。この言葉はほぼイコールの意味を持つと高校生であれば知っている。だからこそ龍崎は先手を打つ。


「で、赤楚さん。僕に説教ですか? 言っておきますけど絡まれ体質のせいで、中学の頃から先生に怒られてばっかりなんで生半可な説教じゃ意味ないですよ。もう説教くらいすぎて人間の心を無くしてるんですわー」


 すると赤楚は首の後ろへ手をあてがって「ははん」と笑った。


「別に説教するつもりなんてないさ。というより、僕は学校の関係者であっても君達を指導する立場にあるわけじゃない。ただのカウンセラーさ」

「は、はあ。まあ教師じゃないのは知っていましたけど……じゃあなんで僕はここに送り込まれたんですか? 言っておきますけど心の病気?……ってやつじゃないですよ」

「なんで送り込まれたって……そりゃこんな反省文を出したからだよ。ところで、心の病気を持つ人間の中には病気の自覚がない人間もいるんだよね。ま、これは身体的な病気の場合もそうだけど」

「ああ? なんだ赤楚さん? 遠回しに俺が病気って言いてぇんだろ!」


 龍崎りょうざきがそう叫ぶと、赤楚あかそはテーブルの上に反省文を放りだし、肩をすくめた。


「まあいいさ。自分の意志でココに来たんじゃないなら僕はなにもできない。ともかく生徒指導の先生には僕から言っておくよ。問題ありませんってね。ああ、でもね、龍崎くん。聞いた話だと君は成績も悪いし、部活にも所属してないらしいじゃないの。そんで不本意とは言え頻繁に問題を起す。これヤベーぜ。次はヘタすりゃ停学じゃすまないぜ」


 そんな赤楚の言葉を聞いた龍崎は、明後日の方向に顔を向けた。そのあたりのことぐらい自覚はしているのだ。だからこういうときは、差当りのない言葉を返すに限る。


「はあ、頑張ります。頑張ってどうにかします。頑張って努力します」

「いや、頑張ってもどうしようもないことは世の中あるでしょ。僕嫌いなんだよね、なんでも努力でどうにかなるって思ってる人間って」

「あ? 学校の教師ともあろうものがそんなこと言っちゃダメですよ? ああー俺がグレたら赤楚さんのせいですからね。これが教育の敗北というやつですかー、そーですか。夜の校舎に侵入して窓ガラス割ろっかなー」

「龍崎君……君はアレだね。なんかダメだ。あと僕は教師じゃない」


 赤楚は溜息まじりに口ら白い煙を吐き出した。


「……まあでも、龍崎君の絡まれ体質にいて僕は理解はできない。けど、認めてはあげるよ。なかなか君は構ってみたくなる顔をしているしね。人に道を訊かれやすい人とかと本質は一緒さ」

「……そうっすか。てか、それなら僕は金貯めて整形したほうがいいですね。親に貰った顔で人生が左右されたらたまらないですから」


 赤楚は「へえ」と言って何かを悟ったような顔をして、眼の色を変えた。


「でもさ、親から貰った体は大切にしなさいって言われでしょ」

「いや。でも僕思うんですけど、世の中にはビックリするぐらいのブサイクがいるわけで。ソイツは自分の顔がコンプレックスだとしたら、絶対性格が歪みますよ。そういう産まれながらの問題を持つ人間に対して『整形は悪です』って言うのはどうなのかと。まあ僕はそこまでブサイクじゃないですけど」

「……僕は人に対して『君の部屋には鏡はないのか?』なんて言わないけど、『毎日鏡を見ようようぜ』とは言いたいね。自覚が足りない。……まあ言いたいことはわかるけどさ」


 赤楚は痛々しいモノを見る眼で龍崎に視線を送った。

 だが赤楚の言葉を無視するように龍崎は口を開き、両手を少しばかり掲げる。


「でしょ? で常々思うんですけど。人生というのは遺伝と環境が全です。ブサイクに生まれるのは親がブサイクだから、俺が勉強ができないのは親がアンポンタンだったから、人生に失敗するのは社会と周囲の環境が悪かったから。トンビから鷹は産まれません。その逆もしかり。そういうことです。つまり今回の一件も俺は悪くない! それでは俺は帰ります! 先生ごきげよう!」


 龍崎は鞄を持って勢いよくソファから立ち上がった。

 すると赤楚は呆れ気味に肩をすくめ、水蒸気を発生させる機械をしまいつつ、ゆっくりと立ち上がる。


「なるほどね、君がここに送り込まれた理由がわかったよ。……まあいいさ。ともかくもう帰っていいよ。おつかれさん」


 そう言いつつ赤楚は部屋の出口まで歩いて行き、扉を開けて龍崎に退室を促した。

 龍崎は「ああどうも」と言って教室から出て、そのまま廊下を歩いて行こうとする。と、そこで。


「――ああ、そういえば龍崎くん」


 龍崎はその言葉に足を止めて振り返ると、赤楚は部屋の扉すぐ横の壁に、左腕を押し当てるようにして身体を預けていた。


「この学校に『自己援助同好会』ってのがあるんだけどさ、知っているかい?」


 龍崎は首を捻る。自己援助、そんな部活があっただろうか。


「はあ? なんでしたっけその部活」

「辛かった経験とか悩みを人と共有する部活動だね。特別連棟の一番東にある教室が部室になっているからさ、よかったら行ってみなよ。気晴らしにはなるかもしれないぜ」

「へー、そうですか。そりゃいい部活動ですね。行けたら行きますわ。行けたらっすけど」


 龍崎は「へっ」と鼻で笑った。悩みや苦しみを人に話したところで意味などない。そんなもので気持ちが楽になるものかと。

 すると赤楚は片側の口角だけを吊り上げて笑った。


「ああ、行ってみるといいさ。ちなみに部長はあの一ノ瀬いちのせさんだ。同じ学年だから聞いたことぐらいあるでしょ? てか学年問わず有名人かな。綺麗な子だよね」

一ノ瀬いちのせ……ああ、見た事ありますわ。つか、なんだろ。なんの悩みのなさそうな優等生がそんな部活にいるとか……あれっすね。腹立つな」


 龍崎は心の中で舌打ちをした。デキる人間ならではの、上から目線でご高説を垂れている一ノ瀬の姿を眼に浮かんだのだ。

 すると赤楚は苦笑い気味の表情を浮かべる。


「……龍崎くん。なんで君はそんなに捻くれているのか僕は気になってしかたない。あれかな? 心に闇でも抱えているのか?」

「はあ、別に僕は捻くれてないですよ? 普通の人間だと思いますけどね。てか、僕は心の闇ってほどかっこいいものじゃなくて……」


 と、龍崎はそこまで言ってから口を閉じる。なぜ自分は赤楚と会話を続けているのだろう。そんなことに気が付いたのだ。これ以上話を続けても、どうせ毒にも薬にもならないアドバイスじみた説教を受けるだけであるというのに。人間、他人の苦しみや悩みに対しては とてつもなく非情になれるのだ。そして人間というのは自分の悩みだけを聞いて欲しいのだ。だから適当な言葉を吐いた。だが別段、嘘じゃない。


「……僕のは……アレですね。産れつきっていうか、まあ選びようがなかったんだけです」

「へえ、そうかい」


 赤楚はそう言ってから顎を何度か触った。そして続けざまに。


「まあ、君の絡まれ体質もそうだけどさ。どうしようもない事で悩まないほうがいいと僕は思うよ。そもそも解決できない問題は悩みに入れちゃいけないのさ」

「……は、はあ。なに言ってるかよくわからないですけど、わかりました。なるほど。そうですね」

「そうさ。思い詰めすぎると、心の中に化物が湧くかもしれないぜ」

「……へえ」


 龍崎は小首を傾げ怪訝そうな顔をする。なんの例え話なのか、よくわからない。だが赤楚の顔はどこまでも真剣みを帯びているように思ってしまった。そしてその眼の奥の瞳は、なにか別のモノを見ているようで、龍崎には少しだけ怖かった。


「……てか化物って。なんすかそれ」


 すると赤楚は「ふふん」と鼻を鳴らす。


「化物は化物だよ。心に巣くう化物。怪物。人ならざるモノ。それが湧きだしてしまうと……色々と面倒だ」

 赤楚は開け放たれたままの扉から部屋の中に視線を送り、少し肩をすくめる。

「ま、いつでもココに来なよ。この学校の生徒は誰もここに来ないから時間はある。ああ、最後に一つ」


 と、赤楚はそこで目をニコリを笑みを浮かべた。


「今度、女の子が絡まれてたら助けてあげなよ」

「いや僕は自分の身が大切なので嫌です」

「いいや、助けたほうがいい。善悪はさて置き、故意に人に対してやった行いは還ってくることが多い。例えば女の子を見捨てた代わりに今度は龍崎くんが絡まれる、とかね」


「……ハハハ、そんなことあるわけないでしょ。まあそうっすね。助けられたら助けますわー」


 と、心にも思ってないことを龍崎は言ってから、その場を後にした。 

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