Bパート

 羽子は家に帰ると、自室のベットに横になった。

 先程まで会っていた、黒猫と猫たちのことについて思い浮かべる。

 母猫には嫌われてしまったが、子猫たちは掛け値なしにかわいらしかった。

 黒猫のことも気になる。恋愛感情とはちがうが、なんというか……気になる存在だ。

 羽子はその日だされた宿題にも手を付けず、母親になんといって相談を持ちかけるか考えた。父親は動物が好きではない。そして彼女の家の周りに設置されたペットボトルは父親が置いたものだ。まず彼女が相談を持ちかける相手は母親しかいない。

 しかし、こっそり相談を持ちかけた母親の対応は「あきらめなさい」という冷淡なものだった。

「間違ってもうちに連れてこようだなんて考えないでね」

 それだけ言うと、この会話は終わりとばかりに、食事の片付けをはじめる。

 羽子はその日、眠れぬ夜を過ごした。

 

 よく眠れなかったせいで、学校には少し早めに登校をした。

 眠い目をこするが、うかつに二度寝などすれば、確実に遅刻することになる。

 母親に見つからないように自室でこっそり猫たちを飼うことも考えたが、猫は鳴くのだ。見つからないわけがない。エサ代も小遣いだけでは足りないし、動物のお医者さんは人間よりもずっとお金がかかることも漫画の知識で知っていた。

 前途多難である。

 椅子の後ろ足に体重をかけ、バランスをとりながら考える。

「きっと、小学生の頃だったら後先を考えずにやっちゃったんだろうな」

 そして、両親をひたすら泣き落としにかかっただろう。しかし、羽子はすでに幼くない。かといって動物の命を独力で守れるほど大人でもない

 何もかもが中途半端だった。

「よっ、今日は早いじゃん」

 明るい声をかけてきたのは朝練を終えた陸上部の仲間であり同じクラスの友人だった。

「ん~、ちょっとね」

「どうしたのさ、めっきり部活に顔ださないと思ったら……男関係?」

 羽子その疑惑を慌てて否定する。

 そして「実はね……」と昨日みつけた、猫たちについて相談をはじめた。

 その話を聞いた友人はとても親身に話を聞いてくれた。

「私もみんなに飼える子がいないか聞いてみるよ」

「いいの?」

 部活をさぼり続けている羽子には、自分に都合のいいときだけ相手を頼るのは、とても気が引けた。しかし、自分が猫たちのためにできることはすでに手詰まりである。

 ならば、例え自分が白い目で見られたとしても、それくらいのことは甘受するべきだろう。

 昼休みになると、部活の仲間たち羽子のまわりに集まり話を聞いてくれた。

 相談相手も同じ女子高生である。具体的な引き取り手や、対応策などはでなかったものの、相談できただけでも気分は楽になった。

 友人のひとりが写真はないのかと尋ねるが、そこは撮れなかったと謝る。

 その日は、練習が休みだったので、みんなで見に行こうかと話が流れそうになったが、申し訳ないと思いつつそれは断った。

「まだ、母猫の気がたってて……」

 申し訳なさそうに言い訳するものの、それが理由の全てでもなかった。彼女たちがあの黒猫に会ったとしたら、どんな反応をするか少し気になったのだ。

 別に黒猫に恋しているというわけでもないが、自分の知り合いたちが、そういう流れに彼を巻き込まないとは限らない。そこに不安を感じたのだ。

「写真は近いうちにきっと撮ってくるから、もう少しだけ待って」

「いいよ。でも、その件が片付いたら、また部活に戻っておいでよ」

 そう言ってくれる。

「そうだよ、羽子がいないと、みんな練習ばっかりでサボりにくいんだ」

 その言葉は褒められているのか、微妙なところだったが、それでも誘ってもらえるのは嬉しかった。彼女らに勝手な溝を作っていた自分の狭量が恥ずかしくなった。

 彼女らは羽子が思っているよりも、ずっと良い友人だった。

 

 改札を抜け、駅の階段を下りるとまっすぐにコンビニへ向かう。そこで猫缶を買う。黒猫の持っていた缶詰とはちがう。値段も人間用の缶詰よりも割高だ。そういえば、黒猫の下げていた袋はディスカウント店のものだ。おそらくコンビニよりも安いのだろう。

 しかし、駅からスーパーにまわるのは遠い、今回はあきらめて余分なお金を払うことにした。

 商店街を抜け子猫たちのいる空き地を目指す。

 昨日よりも時間が少し遅いせいか、歩道は混んでいた。

 みると混んでいるのは歩道だけではなく、間に挟まれた車道も混雑していた。

 狭い二車線の道路に大型のバス同士がすれちがう。路上駐車を避けながら、歩道の通行を禁止された自転車がその隙間を縫っていく。その光景は事故が起こらないのが不思議なくらいだった。

 かといって歩道の方もかなりせまい。同方向に歩いている人だけならまだしも、逆方向を歩く人もいるのだ。さらには歩幅のちがうお年寄りもいる。そんな様子をみていると、歩道と車道の間にある花壇がとても邪魔な存在にみえた。花は確かに心休まるが、それで人の通行を妨げていては本末転倒だ。

 さらには、お年寄りの脇を歩道通行を禁止されたハズの自転車がすり抜けて走る。いまにも崩れそうなほどの荷物を荷台にのせたままに。

 人の増加に対応できていない町並みはとても気に障る。しかし、ここでも彼女にできることはないのだ。

(まずは手の届くところから……)

 羽子はビルとビルの隙間にこっそりと入っていく。

 そこに黒猫の姿を期待したが、残念ながらそこには空の缶詰が置いてあるだけだった。

「よかった。ちゃんと食べてくれたんだ」

 黒猫に会えなかったのは残念だが、エサのおかげか母猫が昨日よりも少し元気になったようにみえる。

 羽子は母猫と距離をつめないまま、持参した猫缶を開ける。

 パカンッという軽い金属をたてると、緊張したままの母猫を刺激しないようにゆっくりと近づいた。

 そして、近づくことが許されるギリギリと思われる所でそっと地面に缶詰を置く。代わりに空になった缶詰はコンビニの袋に入れて持ち帰る。

 エサの提供を終え羽子が距離をとっても、相変わらず母猫は警戒を解いてはくれなかった。

 羽子の帰宅時間にはまだ余裕がある。黒猫が現れるまで少し待ってみようかと考えたものの、それでは母猫がいつまでたっても缶詰に近づくことができない。

 羽子は黒猫との再会を諦め空き地をあとにした。

「じゃ、またね」

 と小さく手を振り微笑みかける。

 閉塞された空間から抜け出す。ちょうど人がいないタイミングだったので、誰にみられることもなかった。

「黒猫さんとは会えなかったか」

 せっかくの秘密を共有する仲になったのに、会えなかったのは残念だった。

 しかし、その日はわずかながらの満足感を得て帰宅することができた。

 

 その後、羽子は一週間ほど空き地へ通ったが、黒猫と出会うことはなかった。

 ひょっとしたら時間帯が合わなかったのか、それとも他に理由があるのか。

 ときどき、羽子の置いたものとは違う猫缶が置いてあったので、まったく来ていないということはなさそうだ。

 以前、彼が入ったネットカフェを覗いてみようかとも思ったが、つねにそこにいるとは思えない。もし空振りだったら、目的も果たせずにエサ代を減らしてしまうだけだ。そうなっては目も当てられない。

 やがて、子猫たちも自分で母猫の周りを歩き出し、ミーミーとかわいらしい泣き声をあげだす。

「やばっ、これは可愛すぎる」

 子猫たちの愛らしい様子をみて身悶える。

 母猫の羽子への警戒もこの一週間でだいぶ解けている。子猫に触れることはできないが、彼女が近寄っても以前のように威嚇されることはなくなっていた。

 そこで羽子はそっと携帯電話をとりだす。

 そして、静かにカメラを構えると、写真ではなく動画として、猫たちの様子を記録した。

 録画した動画を確認すると、かわいらしい猫たちがちゃんと撮れていた。

「われながら良く撮れた」

 そう呟くと、添付したメールを友人たちに配信した。

 タイトルはどうしようか。考えてもよいものは浮かばなかったので『里親募集中☆』とシンプルなものにしておいた。

 しばらくすると返事はきた。それも大量に。

 そのことに喜び、メールをひとつひとつ確認していく。しかし、彼女の表情はしだいに曇っていった。

 その内容は可愛い可愛いと連呼するばかりで、肝心の里親の件について触れるものがなかったのだ。

 なかには『親に相談したものの許可が下りなかった』と言い訳がついているものもあったがもらい手がいないことにはかわりがない。

 羽子はそのことを悲しく思ったが、自分が出来ないことを相手に無理強いすることはできなかった。

「やっぱり、私には何もできないのかな……」

 こんなとき、彼女をここに導いた黒猫はどうしているのだろう。帰宅者の多い商店街を歩きながらそんなことを考えていた。

 

 バス代はコスメではなく、猫缶へと変わる日々。

 いまだ、羽子のいる前ではエサを食べない母猫だが、最初のころより、ずっと警戒が薄らいでいるのは感じていた。子猫たちもよちよちながら歩きはじめている。

 その姿は愛らしさが増す反面で、里親は見つからないことで焦りが生まれる。頼りにしていた黒猫に会うこともできない。

(やっぱり、あたしが説得するしかない)

 狭量ではあっても、それでも自分の親だ。恥も外聞もなく泣き落とせばなんとかなるかもしれない。羽子はそこに一縷の望みを見いだす。

 しかし三匹の子猫はともかく母猫はどうするべきだろう。

 親と子を引き離したくはないが、さすがにこの母猫の面倒はどれだけ頼んでも許されない気がする。

 そもそも母猫も家猫になりたいと望んでいるかどうかもわからない。

 猫の気持ちはわからない。自分の願望を押し付けているだけだが、それでも殺されるよりはずっとマシなハズだ。

 今のところみつかってはいないが、いつだれに保健所に連絡されるかわからない。一刻もはやく保護するべきだ。とくに子猫たちの声は最初のころよりずっと大きくなっている。

 その晩、相談すべき両親の一方である父は、職場の飲み会で帰りが遅くなった。

 そこで母親に真剣に頼んだが、「お父さんが嫌うから……」と責任を不在の父親になすりつけ、ついに許可をおろさなかった。

 その晩、羽子は狭量の親を呪いながら枕を涙で濡らした。

 

 翌朝、羽子が目覚めると外は大雨だった。

「いったいいつから!?」

 羽子は真っ青になり、天気予報をチェックしなかった自分を悔やむ。

 猫たちは屋根もない場所にいるのだ。当然、天気のことは考慮するべきことだった。

 急いで荷物をまとめると、ビニール傘とタオルをカバンに家を飛び出す。外にでると冷たい空気が彼女の胸を締め付けた。

 通勤する人の多い朝に会いにいったことはなかったが、そんなことを気にしている場合ではない。

 家の戸を開けると突風が羽子の身体を叩く。それでも彼女はひるまず、手にした傘を開くと、足元を濡らすのもかまわず豪雨の中を駆けだした。

「お願い無事でいて」

 商店街までの道のりを走るが、その息はあっという間に切れ切れになってしまう。

「部活続けてたときは、もっと走れたのにっ」

 なまった身体を恨めしく思いながらも、それでも足を止めたりはしなかった。まだ、まばらな人と人の間を走りぬけ猫たちのもとへ向かう。

 

 羽子が空き地にたどり着くと、そこには黒い傘をさした人影が、腰をかがめダンボールの中を見つめていた。

「黒猫さん!」

 その名を呼び駆け寄る。

 黒猫の肩越しにダンボールを覗くと、そこには古びた毛布と子猫が一匹だけ残されていた。

 しかし、三色の毛皮を濡らした子猫は微動だにしない。

「残念ですが」

「そんなっ」

 動かぬ猫をみつめ、目から何かがこぼれた。

「お母さん猫は? 他の二匹はどこにいったの!?」

 慌てて見渡すが、他の猫たちはどこにもいない。

「雨をしのげる場所へ移動したのでしょう」

「それってどこ?」

 質問に答えないまま黒猫は聞き返す。

「それを聞いてどうなさるつもりですか?」

 その言葉に一瞬息が詰まる。だが、羽子は精一杯力を込めて言い返した。

「もちろん助ける。私があの子たちを飼うから」

 もう後悔は嫌だ。何が何でも両親を説得する。

 里親がみつかるまででもなんでもいい。このまま何もできないまま猫たちを見捨てるなんて絶対にできない。

「命を助けるということは大変なことですよ。貴方が想像している以上にずっと」

 自らをまっすぐに見つめる瞳に黒猫は告げる。

「だからって黙って見過ごすなんてできない」

 動かなくなった子猫を抱きしめ、羽子は宣言する。

「そうですか」

 黒野猫は傘をズラし、まだ雨の降る空を見上げた。

 そして、風向きでもはかるように人差し指を空に伸ばす。

 何もない空間にかるく指をまわすと、そこへ一瞬、光る糸のようなものが絡むのがみえた。

「まだ、縁は切れてませんね。でもおそらくは……」

 黒猫は意味不明なことを呟くと、表情変えぬまま羽子に説明する。

「私には人と人、もしくはそれ以外の繋がりを見ることができます。それを簡単に説明するならば『縁』というものです。運命を直接変えることはできませんが、それをたよりにわずかな干渉を行うことは不可能ではありません」

 その言葉の意味を羽子は上手く理解できなかった。それでも少しでも必死に頭を回し真剣なまなざしを向ける。

「あなたの努力は徒労に終わるかもしれません。それでも構わないのですか?」

「徒労なんかに終わらせない、絶対助ける」

 羽子の真面目な姿を見た黒猫は空に向けた指を降ろし、その光る糸――うっすらと茶と白黒の色がついた二本を羽子の指先に軽くまきつける。

 すると、糸はすっと空気に溶け込むように消えた。

「これで、わずかですが、あなたたちの縁は強まりました。運がよければ彼らを救うことができるかもしれません」

 そして「あちらです。急いだほうが良いでしょう」と言い、その場に立ち尽くしたまま駅の方角を指さした。

 羽子は黒猫についてきて、助けてほしいと頼みたかった。しかし、彼は猫たちの行く末を運命と割り切り見捨てたのだ。これ以上の助力はないだろうと割り切る。

 羽子は動かなくなった子猫は黒野猫にあずけると、示された方角へ必死に足を走らせた。


 すでに疲労のたまった足は急かしてももつれるばかりだ。されど羽子は部活で鍛えた根性で強引に走り続ける。しかし、それでも猫たちの姿はみつからなかった。

(どこ、どこなの!?)

 雨よけのある商店街は傘を必要としない。だが、こんな人通りの多いところに子猫を連れた母猫がいるとも思えない。

 一度足を止め、息を整えながらも雨宿りが出来る場所がないか考える。それでいて人があまりよりつかないような場所だ。

 そのとき、一瞬人差し指がひっぱられるような感触がした。

 指を確認するが、そこに巻き付いたものなどない。

 それでも彼女はそれを気のせいだとは疑わなかった。

(いる、絶対……この近くに)

 邪魔な呼吸を減らし街中で耳を澄ます。

 すると彼女の耳は雨音の中に微かに鳴く子猫の声を捕らえた。

「こっち、たしか……」

 二階建ての駐車場があったのを思い出し、その場へと足を走らせる。駐車場の片隅には茶色と白黒の子猫が小さく震えていた。

「よかった。生きてる」

 母猫がいないことを気にしながらも、この寒い中に二匹を放置することはできなかった。

 まず、二匹をタオルでくるみ、少しでも暖かくしようと胸に抱きかかえる。

 そして、ちょうど停留所に停まっていたバスをみつけ、即座に乗り込んだ。

 動物連れの羽子をみた運転手は何か言いたげだったが、何も言わずに見逃してくれた。

 会社のないこのあたりでは、駅へ向かう人は多くても、駅から町中へ向かう人は少ない。バスに誰も乗っていないことが幸いしたのだろう。

 このまま羽子は自宅へと戻ることを決めた。

 この時間ならば家には誰もいない。その後のことは後で考えよう。

 そんな計画を練っていると、不意に信号以外のところでバスが停まった。

 事故でもあったのだろうか。

 怪訝に思いながら窓から車外を覗くと、狭い道を車が交互に何かを避けながら走っている。そのため減速していたのだ。

 その『何か』を見て思わず声を漏らす。

 それは雨に濡れ、動かなくなった母猫の姿だった。

 その場所は最初の空き地と移動先の駐車場の中間地点。

 母猫は最後の一匹を迎えに行く途中に車にはねられたのだ。

 最後の一匹が見捨てられたわけではなかった。

「でも、でも…こんなのってあんまりだよ……」

 バスは止まらず、猫を避けて通る。いまバスを降りるわけにはいかない。

「私がもっと真剣にやってれば」

 彼女が努力したところで、すべてを救うことはできない。それでもその考えを傲慢だとは思わなかった。


 やがて、バスは自宅近くの停留所についた。

 子猫を抱え、玄関に入ると驚いたことにパジャマ姿の父親がいた。

 普段ならば、とっくに出社してる時間なのに。

「どうしたんだ、こんな時間に。学校はどうした」

 羽子は「自分こそ会社はどうしたんだ」と聞き返したかった。だが、あたりに漂う酒気から二日酔いであることは容易に想像ができた。

 父親が深酒の翌日に会社を休むことは珍しくない。そのことを失念していた彼女の失敗でもあった。

(こんな時に会うなんて……)

 タイミングの悪さを呪う。

「おい、それはなんだ!」

 父親は、娘の胸に抱えられた猫たちに気づくと手を伸ばす。

「俺の家に猫なんて入れるなんて、なんてことしやがる!」

 父親は乱暴な手つきで、嫌がる彼女から白と黒の子猫を無理矢理とりあげた。

 そして道路に面した窓をあける。

「やめて!」

「ふざけるな。俺の城に猫などおけるか」

 父親は娘を怒鳴りつけると、子猫を力一杯投げ捨てた。

 子猫は為す術もなくガードレールにたたきつけられる。

 子猫は口と鼻から血を流し、身体を痙攣させるとそのまま動かなくなった。

 羽子はその男のしたことが信じられなかった。

 どうして、この人はこんな酷いことができるのだろうと。

「そいつもよこせ!」

 最後の一匹を奪おうと男の手が伸びる。

 それを羽子は体当たりで守った。

 もともと二日酔いで足元のおぼつかなかった男は、大げさに倒れると、背後の階段に頭をぶつけ、そのまま動かなくなった。

 羽子は頭から血をながす男をそのままにし、その家から逃げ出した。

 そして走った。

 全力で。

 行く当てもないままに……。

 

 やがて、彼女の足は止まる。

 たどりついたのは、子猫を拾った駐車場だった。

 革靴で走ったせいで、足の裏がひどく痛む。おそらく豆ができ、つぶれているだろう。

 彼女にも子猫と同様に行き先がなかった。

 彼女の指先には茶色い糸が見えた気がした。

「まだつながってるね。一本だけだけど」

 彼女の胸元には茶色い毛皮の小さな温もりがひとつだけ残されている。

 残っているのはわずかな小銭だけ。

 雨に濡れた制服で学校に、それも子猫を連れたままいくことはできない。

 途方にくれた彼女の腹が「くぅ」と小さくなった。

 朝食を抜き、必死に走り回ったせいもあり、空腹が身体にこたえる。

 彼女は自らの無力さが無性に悲しかった。

「命を助けるのは大変なこと」

 そんな黒野猫の言葉がよみがえる。

 羽子は濡れた子猫を少しでも拭いてあげようと、ハンカチを探しポケットに手をいれた。

 そこから出てきたのは、駅でもらった広告付きのティッシュだった……。

 

〈了〉

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