六章:電脳の向こう側へ 1
静止する担任の声を無視して学校を飛び出すと、透莉は電脳ネットを介して響の搬送された病院を割り出した。
「――九角!?」
「……透莉?」
見慣れた深紅色のコートに身を包んだ、眼鏡をかけた痩身の青年――九角が、訝しげに眉を潜める。が、それは一瞬だけで、彼は「ああ……」と何処か納得したように一人頷いた。
「……七種の話を聞いて、お前が大人しくしているわけないな」
「知ってるの!?」
「それを聞いて来たんだからな」
表情を変えず、九角は淡々と答える。だが透莉のほうはそうもいかず、縋り付くように九角の肩を摑んだ。
「容態は!」
「完全な意識不明状態。原因は不明。回復の兆しはなく、現状では打つ手がないらしい。一応、知り合いが今確認しているところだ」
「そん……な……」
九角の返答に、透莉は愕然となって言葉を失う。
同時に胸の内に去来するのは、やっぱり、という確信めいたものだった。そして脳裏に過ぎるのは昨夜のこと。鋼鉄の都市で身体を貫かれた七種響(エコー)の姿。
幾つか想像していた事態の中、最悪の物だけは回避できたことに安堵を覚える。だが、それでも彼女の意識が目覚めないことに不安は拭いきることはできなかった。
今しがた、九角が回復の兆しはないと言い放ったばかりである。今はまだ大丈夫でも、今後どうなるかは判らない。
「どうすれば……」
「どうもするな。医者でもないお前に、できることなんてない」
何気なく零した言葉に、九角は端的に事実を指摘する。確かに、彼の言う通りだ。普通なら、何もできないと考えて当然の状況だ。
だけど、実際は違う。事実が異なることを、透莉は知っている。
(原因は
事実、透莉はこうして現実に戻ってきて、意識を取り戻している。意識がないのは、ノスタルギアから電脳空間に――ひいては
なら、ノスタルギアに今もいるのであろうエコーを救出し、電脳空間に引き戻すことが出来れば、後は電脳離脱するだけで問題は解決する――そのはずだ。
電脳による高速思考を終えた透莉は、すぐにでも行動しようと立ち上がる。そんな透莉の様子に、九角が微かに視線を鋭くしたが、今は知ったことじゃない。
踵を返してこの場を去ろうとした。
「――あら、誰? その坊や」
――のだが、声音と口調がこれでもかというくらいそぐわない声に、思わず視線を動かす。そこには九角よりも背の固い、口元で綺麗に整えられている髭を生やした、偉丈夫が立っていた。
「姫宮……早かったな」
「まあ、症状が一致するか確かめただけだからね。それくらいなら、そんな手間は取らないわよ」
偉丈夫――姫宮と呼ばれた人物を振り返って、九角が普通に会話をしている。
「彼女で十二人目よ。生命活動以外のすべてが完全に途絶していたわ」
「――
「十二人目? 響が? どういうこと?」
彼らの会話から漏れ聞こえてきた言葉を反芻すると、二人の視線が揃って透莉を捉える。そして一瞬だけ互いを見合って、九角が「こいつは問題ない」と一言告げてから言う。
「この巨漢は姫宮皆見。自称警察官だが、実際は防衛省の人間だ」
「……やっぱりバレてたのね」
口元を引き結び、渋面する姫宮に、九角は「セキュリティが甘いぞ。すぐに判った」と肩を竦めて見せる。
透莉は「弥栄透莉です。彼の幼馴染です」と短く自己紹介すると、九角に視線を向け手続きを促す。
九角は仕方がないといった様子でため息一つ零し、
「七種の症状は、既に前例がある。此処数か月のうち、電脳接続中に意識を失い、自意識が混濁しているものが多数発見された。そして、その中でまれに意識が戻らず昏睡したままの人間――完全意識不明者と呼ばれる人間がいる。七種は、その十二人目だ」
「そんなに……――って、十……二人?」
淡々と説明した九角の言葉に透莉は目を剥く。
電脳接続中に意識を失う――まるで二十一世紀初頭に流行った都市伝説のような症例が本当に存在することに驚いた最中、ふと、彼の口にした数字に覚えがあったからだ。
――奇しくも十二番目の贄はこれにてなった。故に、お前は不要――故に、去るがいい。二度と踏み入るな。そしてあと僅かしかない安寧に浸っていたまえ。
脳裏に過ぎる、仮面の男の科白。
何故だろうか。九角の口にした数字と、男の科白が脳裏に過ぎった瞬間、まるでそれは最初から決まっていたかのように透莉の頭の中ではっきりと合致した。
パズルのピースがはまるように。歯車と歯車がかみ合うように。
「――贄、か」
「何?」
透莉の口から洩れた物騒な言葉に、九角は露骨に眉を潜める。
「贄って言ってたんだ。『十二の贄はこれにてなった』。ずっと意識が戻っていないのは十二人って、今九角は言っただろう」
「だから、それがどうしたというんだ」
「ちょっと坊や。落ち着いて。何か知ってるのなら、もうちょっと判るように説明してくれないかしら?」
透莉の話の意味が理解できない九角たちは、険しい表情でそう問い返してくる。
それが歯痒い。
事の次第を自分だけが理解しているということが、此処まで苛立ちを覚えるとは思ってもみなかった。
「九角。前に話したろ? 電脳都市に接続したら、鋼鉄の都市に居たって!」
声を荒げると、突如九角の表情が変化した。彼は沈痛な面持ちで、ゆっくりと首を縦に振る。
「昨日、また行ったんだ。夢じゃない。そこで、響に――エコーに会った。その後、エネミー――クリッターみたいな怪物に襲われて、エコーは僕を庇った。おかげで僕は戻ってこれた。でも、彼女は――」
「ちょっと、ちょっと待ちなさい坊や!」
話に割って入ってきたのは、驚愕に顔を歪めた姫宮だった。
「じゃあなに? 坊やはそのノス……なんとかって場所で死んだりすると、現実で意識不明になるって言いたいの?」
姫宮は疑問の視線を透莉に向ける。疑惑と困惑の入り混じった眼差しに対し、透莉は力強く頷いて見せた。
「死んだわけじゃない。だけど、電脳都市とノスタルギアは何らかの接点がある。で、向こうから電脳都市に戻れないと、電脳離脱が出来なくなる――そして、響はまだ、おそらくノスタルギアに居る」
言い切って、透莉は二人の反応を窺う。
未だに透莉の話の内容を理解できていないのだろう。姫宮はその厳つい顔を呆けさせ、目をぱちくりさせている。
そして、その隣に立つ九角が、
「――だから意識が戻ることもない、か。なるほど」
合点がいったとでも言わんばかりに頷いて見せたことに、逆に透莉が目を白黒させた。
少し前――仕事で姿を暗ます以前にこの話をしたときは、寝ぼけている扱いしたのに。この反応の違いは一体……。
思わず目を丸くして九角を見てみると、彼はバツが悪そうに僅かに視線を逸らして言った。
「あの時と今では、状況も知っている情報も違う。今は、お前の話を――ノスタルギアの存在を信じるに値するだけの情報がある。そういうことだ」
「九角……」
「河岸を変えるぞ」幼馴染の頼もしい言葉に感極まる透莉に対し、当人はさしたる感慨もない様子で促すと、九角は隣で今も困惑している姫宮に視線を向けた。
「姫宮、車を――いや、ここから先はまた厄介ごとだ。関わり合いになりたくないならそう言え。ノーならこのまま無人有料車を拾う。イエスならすぐに車を持ってこい……どうする?」
そう言って、九角がにやりと口元に笑みを作る。
わざとらしい、挑発するようなその微笑を前に、姫宮が微かに頬を引き攣らせるのを、透莉ははっきりと目にした。
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