幕間



 ――ピピピピッ

 と、まるで目覚ましアラームのような電子音が脳裏で鳴る。微睡みに沈んでいた意識は、まるで水中から空気のある空間に顔を出すように浮き上がった。

 顔を出して呼吸をするように、意識がゆったりと覚醒し――支神九角グレンデルはゆっくりと電脳空間に降り立った。

 現実の肉体を置き去りにし、電脳の身体のみが活動する。一〇〇パーセントの電脳没入状態で、グレンデルは立体画面に表示された文字を見た。


[――対象フォルダの解析が完了しました]



「……ようやくか」


 グレンデルのトレードマークともいえる鬼面を外しながら小さくぼやき、九角は解析を終えたファイル『A』を開く。


「鬼が出るか蛇が出るか……はたまた厄災か。あるいは――」



 ――希望か。


 一瞬脳裏に浮かんだ単語に、九角は失笑した。


「……莫迦か」


 そんな洒落たものが入っていたら笑い話だ。

 ひたすらに隠蔽されていた情報だ。碌でもないものと考えるのが普通である。

 ファイルの中にあったのはテキストデータだった。他には何もなく、一見した限り、隠しファイルがある様子もないので、九角は即座にそのデータをタップし、立体画面に表示する。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ――『A』について――


――二〇七七年の冬のある日、観察対象『A』は誕生した。


《データの一部が破損しています》


 しかし、そもそもの始まりは、『A』の誕生より三年ほど前に遡る。

 電脳技術の発展に伴い、人間の意識を電脳空間に没入させ、《電脳義体》との精神リンクが確立されて間もない頃、私はあるコードを発見した。

 不特定少数、一部の《電脳義体》に組み込まれているそれは、パーソナルデータを基に《電脳義体》を構築する際に生じる、ランダムなコードの集まりによって偶発的に生じるものであることが判った。

 私はこれを《バルティ・コード》と名付けた。

 しかし、その存在の証明はできたものの、そのコードが保有者にどのような影響を及ぼすのかは、その時点では判明に至らなかった。

 幸い、私自身の《電脳義体》にもこのコードは存在していたので、私は私の《電脳義体》を用いてあらゆる角度からこのコードの解析を開始することにした。

 しかし昨今、電脳空間および試験型電脳都市に外部からの侵入が後を絶たないという報告が来ている。対抗手段を講じなければならない。まったき面倒な限りである――


   《データの一部が破損しています》


 ――コードの解析を進めていた私は、気づけば電脳空間とは異なる領域に立っていた。

 むき出しの鋼鉄で出来た建造物と、ところ彼処から噴き出る蒸気。そしておびただしい量の排煙によって空が覆われた、まるでサイエンスフィクションに登場する鋼鉄の都市である。

 燃料機関でもなく、電気機関でもない。異常発達した蒸気機関技術にあふれかえったその場所を目の当たりにした私は、当初こそ戸惑いを覚えたものの、私はすぐにこの都市の調査を開始し、同時にこの現象と《バルティ・コード》の相互関係について検証を始めた。

 当初こそ、この都市は電脳空間の一つではないのかと考えていたが、どうやらそうではないらしい。

 電脳ネットワークとの接続が立たれたあの領域は、間違いなく電脳空間とは全く異なる空間だと断言できる。

 故に、私は一つの仮説を打ち立てた。

 現実世界のような物理法則に縛られない電脳空間。この電脳空間に秘められた一種の可能性――別次元への干渉である。

 ネットワーク技術が世に登場した頃から、実しやかに囁かれていた都市伝説のような夢物語。

 荒唐無稽な机上の空論と言われるだろう。しかし現実として私は現実とはかけ離れた技術発達を遂げた世界に幾度となく迷い込んでいた。

だが、ネット上には既に似たような情報がごく僅かだが存在していた。


――曰く。

電脳都市に接続したら、見たこともない都市に立っていた――と。


   《データの一部が破損しています》


 ――率直に記そう。

 やはり《バルティ・コード》は鍵だった!

 あの鋼鉄の都市――都市の住人はノスタルギアと呼んでいた――に辿り着く方法。即ち別次元へと接続するための接続コードの役割を果たしているようだ。

そしてもう一つ。

 以前から考案していた電脳浸食プログラム――クリッターと名付けられたハッキングツールに対抗するために考案し、試験運用始めた解体術式。これが思わぬ効果をも発揮したのだ。

《バルティ・コード》の保有者が特定のコードが組み込まれた解体術式を使用すると、《バルティ・コード》と相互干渉現象を引き起こし、これによってノスタルギアへの意識接続が極小の確率で発生することが判った。

 暇潰しで作った解体術式のツールがこのような効果を齎すとは流石に想像もしなかったため、まったく世の中何が起きるか判ったものではない。

 最近は胎児のこともあって研究に勤しむ時間が減っていたため、この偶然にも等しい発見には感謝せねばなるまい――


   《データの一部が破損しています》

   《データの一部が破損しています》

   《データの一部が破損しています》


 ――……信じられないことが起きた。

 出産に伴う陣痛。痛みを軽減するために電脳接続をしていた。電脳没入中は肉体に生じる痛覚などが遮断されるため、そして陣痛による母体への負担を減らすため、近年用いられている手法である。その際暇を持て余していた私はノスタルギアへの接続を試みた。

 よりノスタルギアへの接続成功率を上げるため、接続を可能とする数値を調整したプログラム――実験の結果、成功率が六割に届くほどとなっていた物だ――を用いた。

 実験は成功した。そして――。


 ――私は、ノスタルギアで児を出産した。


 そう。『A』の誕生である。

 最初、何が起きたのか判らなかった。

ノスタルギアでの私の身体は、現実と同じくらいに大きくなったお腹を抱えていて、意識が飛ぶような痛みに襲われ、それにもどうにか耐えて――そして、気付けばその腕に『A』を抱えていたのだから。

 何が起きたのか。最初、私には理解が出来なかった。

 いや、理解をしたくなかったのかもしれない。研究者にあるまじき発想だが、それもやむないことではないだろうか。

 だが――本当に驚くべきことはこの後に起きただ。


 現実に帰還した私を待っていたのは、いつまでも経っても産声を上げない我が子の姿だったのだから――


   《データの一部が破損しています》


 ――私の娘は、生きてはいる。だが、生まれてから半年余り。一度して、あの子が目を開けることはなかった。

 意識が、ないのだ。

 まるで何処かに忘れてきたかのように、娘が産声を上げることもなく、目を開くことない。


 ――代わりに。


 ノスタルギアで生まれたあの『A』は、すこぶる元気に成長していた。

 その姿は、現実で生まれた娘と全く同じで。

 ――それ故に、私は一つの結論に至った。

 このノスタルギアで生まれた児と、現実で今も目を開けぬ娘は――


――同じであるのではないか、と。


   《データの一部が破損しています》

   《データの一部が破損しています》

   《データの一部が破損しています》


 二〇八七年六月三十日――娘が生まれてから早十年が過ぎた。

 ようやく、準備が整った。

 眠り続ける娘の身体に、意識を取り戻す算段が付いたのである。

 後は実行するだけだ。

 上手くいく保証はかなり低いだろう。例え成功したとしても、果たして『A』は現実の肉体を自分の身体と認識することが出来るのだろうか? 

 不安は尽きない。

 だが、それでも実行しないわけにはいかない。

 決行は明日――二〇八七年七月一日。


 すべては私の娘――アゼレアを取り戻すために。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「――……なんだ、これは?」


 九角は、暫しその場で愕然としていた。考えをまとめなければいけないのだが、それすらできないほどに、今自分の目で確かめた事実に言葉を失う。

 ファイルの大部分は、長い間放置されていたことにより破損していた。だが、幸か不幸か、九角が知りたかったことの一部は、確かにそこに記されていた。

――知らなくてもよかったであろうことも、共に。

思考停止しそうになる頭をどうにか働かせて、九角は今しがた目を通したテキストの内容を反芻する。

(……《バルティ・コード」》……そして、アゼレア――か)

 《バルティ・コード》を持つ《電脳義体》を用いることで、異なる次元に干渉する術となる――など、常識的に考えればまず有り得ないことだろう。

 だが、九角は見たのだ。この目で、師が語る鋼鉄の都市を。蒸気に埋もれた鋼の都を。

故に、完全に否定することもできない。

(なんにせよ……鍵はアゼレア・バルティか)

 『A』――アゼレア。

 師ベアトリーチェの娘、らしき存在。

 なるほど。確かに師の娘であるのならば、自分(グレンデル)の存在を知っていても不思議ではない。

 こうなってくると、師の妄言とも終えるノスタルギアの存在や、《バルティ・コード》を用いた別次元へ接触するという机上の空論に対しても、肯定材料のほうが多くなってくる。


「――あら、起きたの?」


 九角がノスタルギアに対して思考を巡らせていると、姫宮が覗き込むようにして声を掛けてきた。「顔が近い」と苦言と共に溜息を零す。

 そんな九角の様子を見て、姫宮は露骨に嫌そうな顔をした。


「……その様子だと、例の物は解析できたみたいね?」

「なんだ。中身が知りたいのか?」

「絶対嫌よ。どうせ碌でもないことが書かれていたんでしょ?」


 九角の言葉に、姫宮は一層眉間の皺を寄せてそう答える。だろうな、と思いながら、九角は意地悪く口の端を釣り上げた。


「まったくその通りだよ――なので、その碌でもない内容を、是非ともあんたに教えてやってもいいぞ」

「なにをどうしたら『なので』って文脈に繋がるのよ! 今私は嫌って言ったばかりじゃないの!」

「怒鳴るなよ。車内での迷惑行為はお断りって、アナウンスであっただろう?」

「……そのアナウンスが、もうじき到着って知らせてくれたのよ」

「なるほど。じゃあ降りる準備するか」


 疲弊した様子で溜息を零す姫宮をしり目に、九角はいけしゃあしゃあと言って見せる。と言っても、元々荷物らしい荷物はないので、着の身のままで下車すればいいわけだが。

 そうこうしているうちに、アナウンスが到着を知らせ――レイヤーレールが停車した。九角と姫宮は揃って降車口に向かう。

 そして、レイヤーレールを降りると同時、姫宮が動きを止めた。様子を見るからに、電脳越しに連絡が来たのだろうなぁと考える。

 勿論、待っている義理はない。むしろさっさとこの目立つオカマとは距離を取ろうと歩き始めた矢先。


「待ちなさいよ、グレンデル」


 姫宮に呼び止められた。

 それも、支神ではなく、グレンデルの名で。

 嫌な予感がした。できることなら聞こえないふりをしてこの場を去りたいのが本音である。しかし逃げ出すわけにもいかず、九角は小さく溜息を零しながら振り返った。

 振り返った九角に、姫宮は真面目な表情で告げる。


「昨日の夜、また意識不明者が出たわ。ついさっき意識不明者用の施設に収容された。名前は七種響――聞き覚えは?」

「あるね」


 肩を竦めて、九角は言った。


「私、今からその子の状態を確認に行くけど、貴方はどうする?」

「……行くさ。知らん相手じゃないわけだし」


 そう答えながら、調度いいとも思った。確認したいことがあったからだ。

 にしても――


「ホント、碌でもないことってのは続くものだな……」


 最早諦念にも似た気持ちでそんなことを思いながら、九角は「何してるのよ? 急ぐわよ」と急かす姫宮の後に続きつつ、こっそりともう一度だけ溜息を零した。



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