四章:交錯 3
「……は?」
思わず、間抜けな声を漏らして――そして、目の前の光景に絶句する。
眼下に広がるのは、二度と訪れることなきように願っていたはずの、鋼鉄の都市が見えた。大量の蒸気を吐き出す建物の間から覗く、高いクロームの建物が聳える光景に息を呑む。
驚きの光景だった。まるで天地が逆転したような光景だった。
空からの光が届かぬ故に、常に暗い雰囲気に覆われている都市、というのが、前に来た時のイメージだった。
だが、こうして見ると蒸気の間から覗く大小様々な建物から発せられる生活光源が無数に散りばめられており、まるで
ただただ遺伝子異常によって変貌した人類と、鋼鉄の怪物がうろつく都市ではなかった。その光景を見て、思わずこの
だが何より驚くのは、今まさに、現在進行形で自分がその都市に向かって落下している――ということである。
視界の先に、物凄い速度で近づく地上が見えてきた。
(――あ、これ死んだな)
近づく地面を前に、半ば現実逃避気味に胸中でそう納得し、トーリは目尻に涙を浮かべながら途方に暮れる。
――のも束の間。
グンッ――と、突如何かに引っ掛かったような衝撃が全身を襲った。いや、引っ掛かったような、ではなくて、実際に引っ掛かったのだ。
コートのベルトが、高層ビルディンクの間で無数に張られた、ワイヤーに似た何かに引っ掛かっていた。どうやらその衝撃で自分の落下速度が殺された――ということを、撓んだそのワイヤーを見ながら理解する。
そう。撓んでいる。引っ掛かったものの重みで、張られていたワイヤーが撓んでいる。当然、撓んだワイヤーは元の形に戻ろうとする――とうことはである。
一瞬先の未来を想像して、トーリは頬を引き攣らせその瞬間を待つ。
次の瞬間――撓んだワイヤーが元に戻ろうとする力によって、トーリの身体は再び空中に投げ出された。
綺麗な放物線を描き再び空を舞うトーリ。
最後の抵抗、とでも言う風に口から洩れる悲鳴は、まるで自分のものではないように思えた。
そして、再び地上が迫ってきた。落下地点に視線を向けると、そこにはプレハブ小屋を思わせるような小屋があった。最初の落下に比べればまだマシだが、やはり結構な高さからの落下である。直に地面に叩き付けられるより、
そう決断し、トーリは来るべき衝撃と痛みに備えて覚悟を決める。
予想を裏切らず、落下コースは小屋の真上だった。
(――南無三!)
そう胸中で叫び――同瞬、トーリの身体は小屋の屋根に激突した。小屋の屋根は人一人分の落下に耐え切れず、トーリの身体は屋根を突き破って小屋の中へと転がった。
大小様々な屋根の残骸を引き連れて、身体が固い地面に叩き付けられる。衝撃で肺の中の空気が全部吐き出され、地面に倒れこんだままその衝撃に耐えて――
「い……ってぇー!」
残骸の上に仰向けに倒れこんだまま、トーリはどうにかそれだけ口にした。と同時に、何か温かい――というか熱い液体が身体にかかるのを感じる。
なんだろうと思って顔を上げれば、シャワーからお湯が吐き出されているのが見えた。どうやら此処は浴室らしい。自分の身体を見れば、痛みに呻いている間に全身がずぶ濡れになっていた。
「うわ、マジか……」
思わずそう愚痴を零す。
すると、
「…………なっ……んで」
不意に、そんな声が背後から。
同時に、背筋が凍りつくような殺気が襲い掛かる。
聞き覚えのある声だった。
そしてできれば、このタイミングでは聞きたくない声だった。
そして、自分がどれほど危険な状況に陥っていることを瞬間的に悟る。振り返るなという危機本能の警鐘が鳴り響いている。
だけど、振り返らないわけにはいかなかった。恐る恐る、トーリは錆びついたブリキ人形のようなゆっくりとした動きで振り返る。気のせいだったらいいなぁという期待を込めるが、そんなわけがなかった。
そして、息を呑む。
最初に目に飛び込んできたのは、磁器のように白い肌だ。傷一つ、紙魚一つない肌。
小柄だが、女性らしい曲線を描く肢体。バスタオルによって前は隠されているが、それでもわかる程度の膨らみのある胸元。
濡れた肢体にまばゆい金髪が肌に貼り付き、艶やかさを醸し出している。前髪から滴る水滴が一層色っぽさを感じさせる。
そして、その濡れた髪の間から覗く翡翠の双眸はこぼれんばかりに見開かれていて、その顔は肌の白さを掻き消すほど真っ赤に染まっていて――
彼女の表情を見た瞬間、トーリもまた自分が陥っている状況を冷静に理解して固まってしまう。
そのまま、二人は互いを見やって硬直する。沈黙する。
おっかしいなぁ。お湯を頭から被っているはずなのに寒気がなくならないのはなんでだろう……?
なんて、トーリは現実逃避気味に胸中で嘯く。
そんなトーリの目の前で、相対する人物は肩を戦慄かせていた。
寒いわけではない。ましてや怯えているわけではない。怒りと羞恥に肩を震わせているのだ。
彼我の距離は一足一刀。踏み込めば手が届く距離。つまり、それが意味するところは――
「――この……不埒者!」
という怒号と共に振り上げられた手が、すべてを物語っているのは言うまでもなかった。
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