第8話 なんで
佐藤くんが消えたあの日から今日で1ヶ月が過ぎた。リビングからは1日、1日と彼のクロワッサンみたいなあったかい匂いが消えていく。そのたびに、さくらは寂しさを紛らわすためにクロワッサンを作っていた。
「お、いいにおい〜」
仕事終わりの篠原さんがネクタイを緩めながらリビングに入ってくる。
「食後のデザートはクロワッサンです! 」
「やったー」
笑顔で話しながらテーブルに座る。佐藤くんがいなくなってから、時々こうして篠原さんが夜ご飯を食べにきてくれるのだ。
今日のメニューはハンバーグとサラダと野菜スープだ。
「「いただきます! 」」
2人で手を合わせて食べはじめる。
「何回食べてもさくらちゃんの料理は美味しいねぇ〜」
「ありがとございます! 」
佐藤くんがいなくなってから篠原さんは5割増しで優しくなった。そんな気遣いもとても嬉しい。
「あ、ドレッシング取ってきますね」
「ありがと! 」
お礼の笑顔も完璧だ。佐藤くんもこれぐらい愛想が良かったらなぁ……。そんなことを考えていると右足の小指をカラーボックスにぶつけた。
「痛っ!! 」
思わずしゃがみこむと、今度はぶつかったカラーボックスの上に乗っかっていたものが降ってきた。
「ぎゃ!! 」
再び声を上げる。
「ちょ、さくらちゃん大丈夫!? 」
慌てて篠原さんが走ってくる。
「す、すみません、大丈夫です」
立ち上がろうとすると篠原さんの手が私の腕を掴んだ。
「ほら、ココ!血が出てる」
言われたところを見ると紙で切った様に血が出ていた。
「絆創膏どこにある? 」
「あ、ちょうど今きらしてて……」
「なら、俺の車に救急セットあるから持ってくるよ。ちょっと待ってて」
「これぐらい大丈夫です! 」
「いやいや、いつものお礼にこれぐらいはさせて! 」
そういうと篠原さんは外に走っていった。部屋が静寂に包まれて、一気に部屋が広くなったように感じた。やっぱり……1人は寂しい。
それを振り払うように片付けを始めると1冊の本が目に留まった。おそらく、私の腕を傷つけた張本人だろう。表紙には “時をかける少女” の文字があった。昔、アニメが好きでよく見てたなぁー。
ぺらぺら、ページをめくると1番最後に付箋が貼られていた。そして、そこには見慣れたくせ字でこう書かれていた。
[ さくらに貸す。]
その言葉を見て思い出した。まだ出会いたての頃、いつか佐藤くんの好きな本を貸して欲しいとお願いしたことがあったのだ。ちゃんと覚えてくれてたんだ……。じわりじわり嬉しさが広がる。
しかし、それと同時に溜め込んでいたどうしようもない思いがこみ上げた。
学校では「佐藤くんが退学した」という噂が流れた。出版社では契約を済ませ、佐藤くんの新作「アーティズムトライアングル」の売り上げは出版社に寄付すると宣言したらしい。私のいないところで佐藤くんはいつの間にか、でも、着実に “いなくなる準備” を進めていた。
なんで? なんで? なんで?
なんでいきなり退学するの?
なんで売り上げを自分に入れないの?
なんで私には
何も言ってくれないの……?
たくさんの疑問が頭をグルグル回り、涙が溢れてくる。そんな時に玄関からガチャ、という音が聞こえた。ドアが開いてパタパタという足音が近づいてくる。私は慌てて涙を拭って頰をペシッと叩いた。
「おかえりなさい」
「ただいま、何か、あった……? 」
私の顔を見て篠原さんは心配そうにこちらを見る。
「大丈夫です!コンタクトがずれちゃって……! 」
苦しまぎれの言い訳を述べると篠原さんは何かに勘付いたように私の前に立った。
「そっか。それは仕方ない」
そう言って頭をポンポンと撫でた。その温もりと優しさに、また視界がぼやける。
「わ、わ、違うんです!また、コンタクトがっ……ずれちゃって……」
慌てる私を見て篠原さんは微笑んでうなずく。
「うん、痛いよね。こういう時はいっぱい泣いた方がいいよ」
そして優しく優しく頭を撫でてくれた。さっきまで暗く冷たく感じたこの部屋が今ではすごく暖かい。
涙はとめどなく溢れて私の手をビショビショにした。篠原さんはハンカチを取り出して頬を拭いてくれる。
「まだ、高校生なんだよな……」
篠原さんがそう呟いた気がした。
◾︎ ◽︎ ◾︎ ◽︎
「すみません、落ち着きました」
ひとしきり泣いて篠原さんを見上げる。涙と一緒に、胸をグルグルしていたのものも全て流れてったようだ。
「良かった。じゃあ、ご飯食べよっか!」
篠原さんがニコッとはにかむ。
その時、玄関から再びガチャ、という音が聞こえた。
「「 え…… 」」
2人の声が重なる。廊下を歩く足音の後、2人の前に現れたのは
少し痩せた佐藤くんだった。
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