近衛兵ふたり


「お前が温厚で人畜無害だと信じている奴らを笑ってやりたい」


 面倒そうな口調で呟いたのは、狼の獣人ベスティであるエーレンフリートだった。実に面倒そうに、彼は足蹴にした襲撃者をもう一度蹴った。周囲を警戒していることを示すようにその獣耳が揺れている。その彼の視線の先で、ライナーは不思議そうに首を傾げて、そして、笑った。犬の獣人であるライナーだが、大型種の血が混じっているのか、狼のエーレンフリートより体格が良い。それに似合わぬ柔和な笑みを浮かべる姿から、彼を知る人々は《温和で誠実な人物》と思っている。

 間違いでは無い。ライナー・ハッシュバルトは確かにそういった性格をしている。近衛兵として皇帝アーダルベルトに仕えながら、子爵家の血を引いていながら、別段驕ったところも無く、誰にでも分け隔て無く優しい男である。それは確かに事実だが、それだけでは無いことを、エーレンフリートは知っている。

 否、それだけの男に、近衛兵の中でも古参として、皇帝の信頼厚いポジションがつとまるわけが無い、というべきか。


「失礼だな、エレン。俺は温厚で優しいつもりだが?」


 やんわりと咎めるような微笑みで告げてきたライナーに、エーレンフリートは舌打ちをした。どの口が言うか、と彼は思う。確かに普段のライナーはそうだろう。基本的に彼は温厚だし、優しい。そこはエーレンフリートも認めている。そんな彼に支えられ、助けられ、今日まで生き延びてきたのは本当なのだから。

 だがしかし、である。だがしかし、温厚で優しいだけの人間が、この状況を作り上げることは無いだろう、と思うのである。無理からぬことであった。


「……温厚で優しいヒトは、襲撃者を山積みにして足蹴にし、なおかつ楽しそうに笑ったりしねぇ」

「そうかな?これは仕事として必要な部分だと思うぞ」

「嘘付け。そっちがお前の本性だろうが」


 敵対者には容赦がないライナーの性質を、エーレンフリートはちゃんと知っている。何度も何度も死線を共にくぐり抜けてきた。誰より信頼する同僚である。基本的に主である皇帝アーダルベルト以外の存在はどうでも良いという認識で生きているエーレンフリートだが、ライナーはほぼ唯一と言って良いほどに個人として存在を認識している相手だ。主と自分以外で唯一ぐらいな辺り、エーレンフリートの世界は本当に狭い。視野狭窄を指摘されても仕方ないほどだ。

 二人の足下には、山積みにされた襲撃者達がいる。無論、この者達の目的は皇帝アーダルベルトである。とはいえ、近衛兵二人に全滅させられている辺り、それほど質は良くない、と彼らは思う。

 …なお、余談であるが、ライナー、エーレンフリートの両名は、凄腕揃いと謳われるガエリア帝国の近衛兵の中でも1、2を争う実力の持ち主と言える。その為、恐らくは、襲撃者達の質が低いのではなく、両者が強すぎる、という結論になるのだが、当人達は露とも思わない。

 虫の息の襲撃者達に向けて、ライナーは始終微笑みを浮かべている。エーレンフリートは最初から不機嫌丸出しだ。どちらの表情がこの場合正しいかと言えば、どう考えてもエーレンフリートである。……ライナーの微笑が、貼り付けたような、という形容をしたくなるものでさえ、なければ。


「どちらも俺なんだけどな」

「そーかよ」

「エレン、自分から話を振っておいて投げやりにしないで欲しいんだが」

「知るか。……別に俺は、お前の本性が歪んでようが何だろうが、陛下の邪魔にならないなら気にしない」

「……お前も本当に、ぶれないねぇ」


 きっぱりと言い切った同僚に、ライナーは困ったように笑った。その笑顔は本当に心の底から困っているようで、手のかかる弟を見るような優しさに満ちていた。ちらりとそれを一瞥して、エーレンフリートは面倒そうに足下の襲撃者を蹴った。

 そんなエーレンフリートを見ながら、ライナーはいつも通りの微笑を浮かべる。…別段、意図して人格を弄っているわけでは無い。温厚で優しいのも事実であるし、敵に対して容赦が無いのも事実なだけだ。ライナー・ハッシュバルトは腐っても貴族の出身である。裏と表を使い分け、本音と建て前を使い分け、狐狸の跋扈する貴族社会で生き抜くには、これぐらいの使い分けは普通なのだ。庶民の、それも孤児出身のエーレンフリートには解らない世界であるだけで。

 貴族ならば、この程度当たり前、とライナーは胸中で呟く。処世術の一つだ。本音をさらけ出す相手など、片手で足りて十分。状況によっては、肉親すら騙してなんぼである。そうして最後に生き残ることが正しいのであって、誇りや誠実さなどはそれに付随する装飾に過ぎない。……少なくともライナーはそう思っている。


「エレンは昔から素直すぎるのが玉に瑕かな」

「うるせぇ」

「少しは腹芸覚えないと、足下をすくわれるぞ」

「うるせーっての」


 けっと面倒そうに吐き捨てるエーレンフリートに、やれやれとライナーは肩を竦めた。口が悪いのと狼故の威圧で理解されにくいが、エーレンフリートは実に素直で正直で、直向きで一途な可愛い青年である。王宮に勤める人間としては異例なほどに、色々と裏事情が読めない。彼は常に、敬愛する皇帝陛下のお役に立つために、彼の人を護るために、近衛兵としての勤めしか考えない。ある意味素晴らしいほどに、近衛兵の鏡である。

 苦言めいたことを口にしながらも、ライナーはエーレンフリートはそれで良いのだろうな、と思っている。どこまでも真っ直ぐで、それこそ出会った頃の少年の頃のまま、ただ直向きに、一途に、主である皇帝アーダルベルトを思って生きている姿は、微笑ましくある。また、自分が失ってしまった素直さに対しての憧れのような感情もある。そういうエーレンフリートだからこそ、主も側に置いているのだろうと思うのだ。

 盲目的な感情は諸刃の剣だが、常に敵に囲まれているような状態であった皇帝アーダルベルトが、心安らげる存在として、《絶対に裏切らない存在》としてエーレンフリートを側に置いたのだろうということは、察するに容易い。ライナーも裏切るつもりは毛頭無いが、彼には生憎、エーレンフリートよりもしがらみが多い。裏事情を含めて色々察する能力は信頼されているだろうが、それ故に、《もしも》の可能性が捨てきれないのがライナーだ。


(……まぁ、何か起これば、それこそ《そっち》を切り捨てれば良いだけだが)


 相手が誰であろうと、自分の足を引っ張るのならば切り捨てれば良い。そんなことを、ライナーはいつもの微笑の向こう側で思う。彼にとっては当然の感情だった。痛みなど存在しない。主のために捧げると決めた命である。邪魔をする輩は、身内であろうが恩人であろうが、全て敵だ。

 そういった思考回路を持つライナーだからこそ、愚直なまでに皇帝に尽くすエーレンフリートの存在は癒やしでもあった。何があろうと、この相棒は裏切ることはあるまい、と。主を裏切るくらいならば、己の心臓を貫いて死ぬだろう。そういう潔さも気に入っているので、妙な奸計に巻き込まれずにいて欲しいと思うのだ。

 ……正直なところを言えば、ライナーはそういう意味ではエーレンフリートが心配で仕方が無い。基本的に裏を読むことなど出来ず、主一筋一直線の性質なので、自分の足下の落とし穴になど気づかないのだ。……まぁ、多少の罠程度ならば、持ち前の能力値の高さで無意識にくぐり抜けているのだが。それでもどうにもならない案件については、事前に主の許可を得た上でライナーが対処している。士官学校時代からの日課みたいなモノなので慣れているが、自分がいなくなったらこいつは大丈夫だろうか、という兄のような心が芽生えてしまうライナーなのである。


「ライナー」

「何だ?」

「何か物騒なことを考えてただろ」

「気のせいだろ」


 笑顔で白々しく否定する同僚に、エーレンフリートはジト目を向けた。主が絡まなければ、エーレンフリートがここまで普通に会話をするのは自分だけだと、ライナーは知っている。人見知りなのか、元来無口なのかと訝しんだこともあるが、何のことは無い《話題が見つからない》という単純な理由だけなのだ。ライナーとは士官学校時代に寝食を共にしていたので、普通に話せるらしい。

 勿体ない、とライナーは思う。エーレンフリートの見た目は決して悪くは無い。近衛兵としての実力も確かだ。出自が孤児というのは知れ渡っているが、それを差し引いても皇帝の信頼厚い近衛兵というのは有望株だろう。むしろ、家のしがらみが存在しないという利点が存在する。

 だというのに、浮いた噂一つ存在しない。仕事一筋すぎて、あと、頭の中身が主一筋過ぎて、女人が入り込む隙が無いのだ。当人も結婚など興味が無いときっぱりしている。ちょっと対応を考えたらすぐに引く手数多だろうに、とライナーは他人事のように思った。…なお、そんなライナー自身もまた、子爵家の次男ということもあって、引く手数多である。こちらは色々と考えた末に、面倒ごとになりそうだからと結婚を遠ざけているだけだ。女性にはちゃんと興味がある。


「そういえばエレン、最近食事時に機嫌が良いな」

「……ん?」

「いや、以前は食事なんて別にこだわりが無かったのに、最近嬉しそうに食堂に行くから」

「あぁ……。ミュー様が来られてから、陛下が食堂で出るようなメニューを食べておられることがあるからな」

「……解った。把握した」


 色々とぶれない相棒に、ライナーはため息をついた。つまるところ、エーレンフリートは、昼食として主が食べていたものと同じ料理を、夕食に食べられることにうきうきしているのだろう。以前は食事など、特にこだわりが無かったというのに。どこまで主が好きなんだと思いつつ、エーレンフリートだから、で近衛兵仲間が全員納得してくれそうだとライナーは思う。やはり相変わらず、色々とぶれない。




 なお、自分たちが近衛兵仲間に「凸凹コンビ(ただし他とは絶対組ませられない)」という認定をされていることを、彼らは今日もまだ、知らない。


 

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