「召喚術士と図書館の魔女 【走れ!エランダーズ(Run Erranders run!)〜Adobe adolescence〜】」(日竜生千様)

バーレイ・アレクシア


 バールこと、バーレイ・アレクシアの朝はそれなりに早い。


 ブキィイイイ、という断末魔の様な豚の鳴き声で、ぱちっとバールは目を覚ました。そのまま、んーと伸びをして、ベッドから勢いよく跳ね起きる。

 庭では、鶏と豚が仲良く一緒に大合唱をしていた。この声を聞くと、朝だなーと一日の始まりを感じるのだ。


「んー、朝の空気がきもちいいな」


 窓を開け放って体を伸ばしながら見下ろせば、祖母達が庭で花の手入れをしているのが見えた。目にも優しく、美しい花壇は見る者の心を和ませる。

 その近くでは、「むむっ」と唸る祖父の一人の声が聞こえてきた。

 恐らく、軒下で盤上の遊戯に勤しんでいるのだろう。日課の寒風摩擦はとっくに終えたらしい。優雅に駒遊びを楽しんでいるとは、本当に元気なことだ。良いことである。


「……今日はくもりかな」


 季節と違う風向きに、しけた空気を読んで推測した。

 だが。



「晴れるに決まっとろー」



 真下から、否定の声がのびやかに飛んできた。

 見下ろしても、声の主は見えない。どうやら軒下で駒遊びをしたまま祖父達が聞いていた様だ。


「風が戻って、雲が消えるからのう」

「気温は上がらんがな」


 ふぉふぉと、『三人』の祖父の笑い声が飛んでくる。

 祖父達の空読みは外れない。流石は海運交易の要衝で、大家族の大商家として君臨しているだけはある。


「晴れるんだ……」


 残念な気持ちで呟きながら、バールは重く雲が垂れ込めた海の上の空を眺める。

 いつの間にか階下では、活気づいて賑やかさを増していた。恐らく、『三つ』の家の家長が起き出したのだろう。そろそろ彼らが仕事場に向かう時間だ。

 この一つ屋根の下にいる大勢の子供達も次々と目覚め、思い思いに過ごす頃合いである。自分もそろそろ下に行かなければと、もう一度だけ窓の外に視線を向けた。


 窓の向こうでは、祖父が言った通り風向きが鮮やかに変わっていた。


 湿った空気を払い、雲間から差し込んだ日が、風にさらわれる砂漠色のバールの髪を明るく照らす。

 くすむ水色の目を細め、「今度は当てる」と誓いを立てながら、バールは輝き出す港町に背を向けた。急いで身支度を整える。


「ああ、起きたかい。おはよう、バール! 配膳に三人寄越して、全員席に着かせてちょうだい」


 階下に降り、顔を洗って厨房に向かえば、厨房を仕切る最年長の伯母が声をかけてくる。近くにいた年子の従兄と挨拶を交わしてから、ひょこっと言われるまま厨房に顔を出した。


「おはよう、伯母さん。祖父ちゃんたちのお茶だけ、先に食卓に運んでおこうか?」

「そうね。……アミー! 父さんたちのお茶は?」

「今沸かしてるとこ!」


 伯母がキッチンの奥にいるバールの母に呼びかけると、元気な声が返ってきた。

 つまり、お茶はまだ無理らしい。肩を竦めて、伯母が笑う。


「あんたの母親は、すっとろいわね。とりあえず水でいいわ。持って行ってくれる?」

「いいよ。この水差しもらってくね」


 水差しを手にしたところで、ふわりと香ばしい匂いがバールの鼻先をくすぐった。つられて、ぐうっとお腹がさみしそうに鳴き、ごくりと唾を飲み込む。


「いい匂い。今日は揚げ物?」

「そうだよ。子供たちが取り合って不平等にならないよう、見張ってやって」

「うん、分かった」


 食事時の頼みに頷いて、バールは厨房から水差しを手に出て行く。部屋を横切りながら、掃き出し窓の近くにいる従兄弟達に声をかけた。


「ジィト、ノロイ、クラウド」

「あ、おはよー」

「おはよう!」


 声をかければ、それぞれが挨拶を返してきた。のんびり朝を楽しんでいる彼らに、バールは笑いかける。


「おはよう。三人とも、工房にいるおじさんたちに声かけて、厨房に行ってくれる? もう朝食できるって」

「あいよー」


 一人が呑気に返事をし、部屋の外に出て行く。

 それを確認してから、傍らの長椅子で髪を編んでいる、三つ年上の別の従姉に声をかけた。


「アシュリィ、店まで行ってイーグル伯父さんたちを呼んできて」

「えー。何であたしが!」


 綺麗に編み込んだ髪から手を離し、従姉のアシュリィが目を吊り上げる。

 だが、そんな威嚇は何のその。バールは淡々と事実を告げた。


「俺が行ったら、代わりにユールさんとこの四兄弟集めることになるけど」

「――行くわよ」


 走り回る子供達を追いかけるより、大人を呼びに行く方が労働力が少ない。

 素早く判断したのか、長椅子から飛び降り、肩を怒らせながらも大人しく彼女は外へと出かけて行った。背中で跳ねる三つ編みを見つめながら、バールは庭の腰掛で日向ぼっこをしている祖母達に朝食だと告げる。

 そして、食卓に水差しを置き、更に奥へと足を向けた。

 いつも通り、祖父達は庭が見える軒下で盤上の遊戯に興じていた。


「祖父ちゃん、朝ごは……」

「まった」


 思い切り強く遮られた。

 とはいえ、遮ったのはバールの言葉ではない。祖父の一人であるセイオン老が、盤上の相手である別の祖父であるサンダー老に向かって懇願したのである。


「待ったはなしじゃて」


 得意気に言い放つサンダー老に、セイオン老が右手を立てる。


「いやぁそこを。朝飯の後で仕切り直そうや、な?」

「んだ、んだ」


 適当な相槌を打つのは、三人目の祖父のリゲル老だ。自分の手番でないと、いつも相槌が適当になるのが彼の癖である。


「うんにゃ。ここは潔くわしの勝ちでいいな?」

「んだ、んだ」

「まだ勝負ついとらんが、勝ちなわけあるか」

「んだ。引き分け、引き分け」

「「引き分けではぬぁいっ」」


 適当に相槌を打っていたリゲル老に、二人が同時に叫ぶ。

 バールは盤面を眺め、やれやれと肩を竦めた。そのまま、すっと手を伸ばす。


「セイオンさんが次ここに打つと、サンダーさんの駒はどうあがいても五手で詰んじゃいます、よ」


 コン、コココココンッ、と鮮やかな音を立ててバールがコマを動かすと、盤面は一気に様変わりした。見事に形勢が逆転したのである。

 それを見届けた三人は、互いに顔を見合わせ。


「腕を上げたのう。わしらのおかげじゃのう」

「そうですね。やり直しは朝食の後でお願いします」

「ふぉふぉふぉ」

「仕方ないのう」

「んだ、んだ」


 三人の祖父が気持ち良さそうに笑いながら、席を立ってバールの後に続く。

 そうして移動した頃には、配膳は半ばまで終わっていた。厨房を出入りする者達以外はあらかた席に着いている様だが、空いた四つの席に気付き、バールはまた食卓を出て駆ける。

 一人、二人、三人までは発見したが、四人目が見当たらない。


「ライア。君のすぐ上のお兄さんはどこ行った?」

「あたし、ひとりっ子だもん」


 謎の主張をされて、バールは口を開けてしまう。


「えーと。ちょっとだけ。ちょっとだけでいいから、知ってたら教えて?」

「んー。……『つ』っておいしい?」

「は? ――『つ』?」


 謎の主張の後に、更に謎の疑問を提示され、バールの頭が文字通り疑問符で埋まる。

 何を言っているのかと問い質したかったが、ライアはもう話は終わったと言わんばかりに手に持っている人形と会話を始めてしまった。


 つ、を食べるということだろうか。そもそも、『つ』とは何だろうか。

 つ、食う。つくう。つ、食え。


 ――『つ』くえ?


 机だ。

 閃いて食卓の掛け布をめくれば、小さな腕が見えた。呆れながら、がしっと掴む。


「くっ、やめろ! 光を浴びるとおれはっ、おれはあああっ!」

「そういうことは後で存分にやっていいから。今は朝ごはんだよ」


 無理矢理引っ張り出して席に押し込むと、今度は隣で双子が喧嘩を初めてしまった。


「ジーモス、てめ、このっ、このっ、このっ、このっ」

「やめろよティモスぅぅぅううう」

「ああもう、ケンカするなら、おれが二人の間に座るから」


 力ずくで二人を引き離し、すとんと割って席に入る。

 これで全員が席に着いた。食卓の配膳も、ほぼ同時に整う。

 自分達の故郷に根付く土着民の血を継ぐリゲル老が号令をかけ、朝の祈りが始まった。

 それを聞きながら、バールはゆっくりと息を吐く。


 ――今日も、何とか間に合った。


 一仕事をやり終えた気分になりながら、ようやく食事が始まった。

 これが、大家族の中で暮らすバールの、一日の始まりである。






 大陸の南に位置する、海運交易の要衝バルトリア半島。

 そこに住まう、十三歳のバーレイ・アレクシアには兄弟はいない。

 だが、バールは両親の他に、六人の祖父母と六人の伯父、五人の伯母に十六人のいとこ達がいて、共に暮らしていた。


 同居する大家族は、三つの姓に大別される。


 半島に広がる神域の森を奉拝し、その土着民の血を受け継いでいるチャズナ家。

 最も古く半島に入植し、土着の民と手を結んだエバーオール家。

 海路を通じて入植したアレクシア家。


 最初は大商家同士、互いに争い、凌ぎを削っていた。謂わばライバルの関係であった。

 しかし近年、その関係は崩れ去る。それぞれの当主の子供達が、婚姻関係を結んでいったのだ。


 その一つの例が、バールの両親だ。

 バールは、エバーオール家サンダー老の末娘と、アレクシア家セイオン老の息子の間に生まれた子供である。


 一組が出来上がった後は、早かった。次々と子供同士で婚姻が結ばれていったのである。

 そのために起きた利害の一致も重なり、土地に対する愛着は同じだと知った三つの家は、一つ屋根の下に同居することを選んだ。

 そのおかげで商売の規模は以前に増してぐっと広がり、今や向かうところ敵なしにまで発展した。

 バールは小間使いや下働きをしながら、商売のイロハを覚えているところだ。年上の従兄達は、既に大人に交じって将来を見据えて話をしており、家を支えていく気持ちを持っている。


 自分も、その内その輪に加わるのだろう。そう、バールは考えていた。


 だが。



「ふんぎゃああああっ!」

「――」



 赤ん坊の泣き声が響き渡り、バールは我に返る。

 伯母が、先月生まれたばかりの我が子の元へと駆けていくと同時に、先程いがみ合っていた双子の兄弟がバールを挟んでまた言い合いを始めた。


「じゃあおれは、聖騎士だ!」


 胸を反らし、双子の兄のティモスが言い放つ。


「じゃあ、じゃあおれは国王! 何でかっていうと、王さまは聖騎士に命令できるから」


 負けじと弟のジーモスが言い返す。

 何の話だ、と半眼になっていると、ジーモスの手には食べかけの鶏の脚が見えた。どうやら、二人共食べるのに飽きて、仲良く言い合いを始めたらしい。


「聖騎士やめた! やっぱおれ、よう兵にする」


 ――なるほど。お金で雇われる傭兵なら主を選べるし、王様の命令は無視出来るね。


 感心してバールが頷いていると、すぐさまジーモスは次の手に出る。


「じゃあ、おれは、……じゃあ! すごく強い盗賊になる」

「ふん。強い盗賊より、よう兵の方が強いぜ。こーんな大きい剣で切るから。竜だって斬る!!」

「うぅ」


 劣勢になり、ジーモスは唐揚げを手に握り締めたまま、目をぎらぎらと潤ませた。

 泣きそうになっている彼を見つめ、助け船を出そうかとバールが口を出そうとしたその時。


「強い魔法使いなら、竜もよう兵も勝てないよ」

「―――――」


 魔法、という単語にバールは思わず耳を傾けてしまった。

 しかし、彼らが気付くはずもない。ジーモスの起死回生に、ぐっと一瞬詰まったティモスが負けじと知恵を働かせる。


「こっちには、魔法をはね返す鎧があるぞっ!」

「じゃあ、魔法で地面に落とし穴つくるっ!」

「おち、落ちる前に、空飛ぶ呪文唱えるもん!」


 将来なりたい職業は何処へいったのか。

 いつの間にかもつれ込んだ魔法合戦を聞きながら、バールは思わず口を開いていた。


「あのさぁ」


 思った以上にはっきりした声が、食卓に響き渡った。

 食事をあらかた終え、くつろぎながら双子の勝負を聞いていた家族の視線が、一斉にバールに集中する。


「バール。みんなの前なんだから、丁寧に喋ってちょうだい」


 離れた席でお茶を注いでいた母が、注意をしてくる。

 それもそうだとバールは立ち上がり、姿勢を正した。

 今から話す内容は、自分にとっては真剣な夢だ。思わず出てしまった言葉だが、良い機会。それ相応の態度で向き合わなければならない。


「あのね」


 口が渇く。心臓の音がやけにうるさかったが、それよりも決意の強さが勝った。



「おれ、冒険者になろうと思うんだ」

「――」



 しん、と食卓が静まり返る。初めて打ち明ける告白に、バールは全員の様子を窺った。

 いつからか。どうしてそう思ったのか。

 それを伝える前に、彼らが真剣に耳を傾けてくれるか確かめたかった。

 どれだけ時間が流れただろうか。

 痛いほどの静寂が耳に突く中、真っ先に反応したのは男性陣だった。


「いいんじゃないか? 世界を旅するんだろう?」


 アレクシア家の伯父が賛同してくれる。


「……、ほ、本当?」


 まさか賛同されるとは思わなかった。喜びで声が上擦る。

 その声に押されたのか、バールの言葉の先や様子を探っていた家族達が次々と声を上げていった。


「ああ、ほんとほんと」

「おれも! 大陸の反対側とか行ってみたい!」

「見識は多いに越したことはないよ。ぼくらも助かる」


 ――ん? 助かる?


 一瞬湧き上がった喜びが、その一言で冷えていく。

 何だか、違う方向へ流れが向かっている。疑問が零れる前に、女性達が駄目押しした。


「冒険者になるなら、体力が必要よね。武器を使うことになるだろうし」

「あら、言葉を覚える方が先じゃない? どんな相手と交渉することになるか分からないんだから」


 武器はともかく、交渉。

 バールが夢見る冒険者とはかけ離れた内容だ。かなり堅実的な旅の話が、彼らの間で紡がれる。


「まあ、でも夢があるっていいことだわ」


 遠くで母が、ざっくり話をまとめた。もうバールの話は終了らしい。

 だが、その横で祖父が目をしょぼつかせながら話しかけてきた。


「冒険っつうのは楽しいのか、バール」

「あ、ええ。……いや、どうかな。みんなが話してるよりもっと、危険と隣り合わせだと思うけど」

「お前、ちゃんと鍛錬してるのか?」


 しどろもどろになりながら説明すると、サンダー老から鋭い指摘が飛んできた。



 ――いや、あんまり。むしろ、何も。



 もっともな指摘を受け、バールは思わず目を逸らす。

 それが、決定打になったのだろう。努力をしていないと見切りを付けられ、商人の目から価値を判断された。

 故に、バールの夢は、結局夢で片付けられた。


「やだもう、『竜の巣穴に卵をとりに行く』みたいなこと言わないでよー」


 笑い上戸の伯母の言葉に、食卓は賑やかな笑いに包まれる。


「面白いわね、バールは」

「勇者になりたいなら、私たち応援するわよ」


 勇者に憧れるのは子供の特権。

 そんな目で見つめてくる家族は、全員バールに優しかった。

 それは、つまり本気に取られなかった裏返しでもある。


「わしも、昔は恐い目に遭ったな……」


 遠い日の記憶を思い起こす様に、サンダー老が虚空を見つめる。彼が語る若かりし冒険譚は、軽く一大叙事詩の迫力があって、バールも好きだった。


 ――冒険者に、なりたい。


 祖父が語るこの冒険譚の様に。

 もはやバールの話に興味を失くした家族を見渡し、ゆっくり席に着く。そして、小さな従弟達の残飯を処理しながら、祖父が体験した不思議な話に耳を傾けた。






 それから、二年の月日が経ったある朝。

 大家族の家の玄関には、置手紙が残されていた。



『親愛なる家族へ


 冒険者になることにしました。


 探さないでください。

 後のことは頼みます。


 みんな元気で。

            バーレイ・アレクシア』



 二年前の彼らに挑戦状を叩き付け。

 十五歳になったバーレイ・アレクシアは、王都を目指す。


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