「ボクっ娘ライネ、蒸気鎧を纏って魔術師と共に巨悪と戦う」(キロール様)

プロローグ


 ――さて、どこから語ろうか。



 たくさんあり過ぎるから、迷っちゃうな。

 たった数年前の出来事とはいえ、一生分の出来事を体験した様な気分なんだ。それこそ、大事に仕舞っていた宝箱を、そっと開ける様な、ね。

 まあ、良いことばかりではなかったけど、それでもボクにとっては大切な――本当に大切な始まりだったんだ。

 そう、あの日。



 ボクらが過ごしていた空に浮かぶ大地、スカイスチームから逃亡した日。



 あの日もこんな風に、スモッグの無い晴れ渡る青空が広がっていたんだ――。






「急げ、急げ……っ!」


 愛用の強化蒸気鎧に身を包み、ひたすらボクは駆けた。

 時折上がる、鎧の四肢から噴き出る白煙が視界を邪魔をしながらも、ボクは必死に大地を駆け、先を急ぐ。


「もっと早くっ! 石炭は、たんっと食わせただろうっ!」


 思う様に動かない鎧に心ばかりが焦る。

 そうだ。早くしないと間に合わない。

 国の幹部のフラハティが、ボクの大事な友人を狙って動き出した。手遅れになる前に彼女を迎えに行かなければ、あっという間に連れ去られてしまう。

 そうなってしまったら――。


「……させないっ!」


 最悪の想像を強く振り払い、ボクは駆けた。駆けて、駆けて、駆け抜いて。

 そして。



 煙の切れ間から遠く、探し人の姿が二人見えた。



 戦闘用の強化蒸気鎧に何体も囲まれ、二人はじりじりと後退していっている。まさに絶体絶命だ。

 だがその中で、幼馴染が震えながらも彼女の前に出て、毅然と立ち塞がっていた。まるで童話に出てくる姫と従者の様に、普段は臆病で男らしくないエリックが、必死に彼女を――サンドラを守っている。

 そんな姿に、ちくりとボクの胸が痛む。



 ――ボクだって、彼女をあんな風に守れるのにっ!



 だが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

 芽生えかけた醜い嫉妬を握り潰し、力の限り地を蹴った。


「サンドラ! エリック!」


 声の限りに叫べば、二人が嬉しそうに笑った。その笑顔を受け、勇気付けられたボクは心が逸るままに、どしどしと足を加速させる。

 敵がようやくこちらに気付いたが、もう遅い!


「どけええええっっっ!」


 右の拳に全てを注ぎ、ボクは完全に油断しきっていた敵の一体に殴りかかった。

 がきいっ! と激しい金属音が空に響き渡る。そのまま、左、右、と続けざまに拳を叩き込む。息つく暇の無い殴り込みに、敵がたまらず一歩、二歩と後退していった。

 ――いけるっ!

 衝撃に押されて後ずさっていく敵に勢い付き、ボクは渾身の力をこめて右の拳を振り下ろそうとした。

 直後。



「――えっ?」



 何故か、ぴくりとも腕が動かなくなった。

 目の前の敵は、不気味なほど微動だにしていない。

 それなのに、どうして。


「う、動け! どうしたんだ!」


 じたばたともがけば、ぷしゅーっと蒸気が熾烈しれつに両腕の関節から噴き上がる。

 慌てて振り向けば、そこでようやく背後から別の敵に腕を掴まれているのだと知った。凄まじい膂力りょりょくで後ろに引っ張られ、腕がぎしぎしと軋みながら悲鳴を上げていく。


「離せ! ……はなせってば!」


 このままでは、鉄の腕ごとボクの腕も折られる。

 折られたら。折られてしまったら。

 

〝かあ、さん……っ〟


 不意に、目の前が雨で霞む。

 あの日、何も出来なかった自分。動けずに、ただ呆然と見ているだけだった。

 ああ、嫌だ。じわりと、押し込めていた恐怖が心の底から滲み出る。

 嫌だいやだいやダ――嫌だっ!



 ――このままじゃ、母さんみたいにっ!



「――っ、や、だ……っ!」



 二人を助けようと思いながらも、あの日を思い出して恐怖する自分が綯い交ぜになる。

 追い立てる様に、鎧の腕がぎちぎちと悲鳴を上げ、――ばちいっと猛烈な断末魔を上げた。同時に、左腕に物凄い衝撃が走る。


「あ、ぐっ……!」


 血液が噴き出す様に、勢い良く黒い煙が左腕から噴き上がった。前に見た鎧の足が折れた時と同じ症状に、おぼろげに何が起こったか理解する。


 ――折れた。


「……っ!」


 理解した途端、更に激痛が増して動けなくなった。

 同時に、がたん、と背後から嫌な物音がして、体が否応なく震え始める。

 今や、友人二人を囲んでいた敵が、一斉にボクを囲んで見下ろしていた。がたがたと、ハッチをこじ開けようとする音が、服を脱がされる様な恐怖を与えてきて一層震えが止まらなくなる。


 ――恐い……っ。


 でも、二人を助けないと。

 歯を食い縛って窓から外を見れば、サンドラの綺麗な金色の髪が不安げに揺れていた。エリックも彼女を庇いながら、その影が不安で色濃く落ちている。 

 いつの間にかぼやけた視界の中、二人の視線を感じ、懸命に無事な右腕を動かそうともがく。もがいて、振り切ろうと躍起になった。


 大丈夫、助ける。今、助けるから――っ!


 だが。



 ばきいっと、ハッチがこじ開けられる音が無情に鳴り響く。そのまま、ボクは髪を乱暴に引っ張られた。



「この、メスガキが! 良い気になりやがって、ああッ!?」



 粗野な罵倒と共に、あっという間に外に引っ張り出された。荒々しく地面に叩き付けられ、一瞬息が出来なくなる。

 げほっと咳き込む自分を見下ろした一人が、にやりと口の端を吊り上げた。その仕草に暗い卑しさを感じ取り、背筋に嫌な予感が伝う。


「しつけのなってねえメスガキが。……世間様の『礼儀』ってのを叩き込んでやるよ」


 言うが早いが、男が馬乗りになってくる。ひっと、喉から悲鳴がほとばしるのを見て、男のいやらしい笑みが深まった。


「良い声は出せるじゃねえか。なあ?」

「や、やめ、ろ! 汚い手で……!」

「黙れ!」

「あぐっ!」


 抵抗しようと暴れれば、男がボクの頬を殴り付けてきた。「ライネ!」「ライネさん!」と、エリックとサンドラの悲鳴が届いて、泣きたくなる。

 彼女達を助けにきたのに、ボクが心配されている。何て情けない。

 そんな絶望に追い打ちをかける様に、ボクの上でがちゃがちゃとベルトを外す音が上がった。剥き出しになっていく男の肌に、かちかちとみっともなく歯が鳴り響く。


 ――嫌だ、いやだ……っ。


 よりによって、この二人の前でっ。

 嫌だ。――いやだ。



「やだよ、母さん……」



 呻いたボクを嘲笑う様に、男が穢い手でボクの顎を掴み、無理矢理固定する。近くで吹き付けられる吐息に、ぞわっと肌が粟立った。

 他の男達もいやらしく笑って、二人の方へと向かっていった。身を強張らせながらも、二人は必死に後ずさりながら心配そうにボクを見てくる。その二人の優しさが苦しすぎて、涙が零れ落ちた。


 ――もう、無理なのか。


 絶望の中、ボクの服に手がかけられる。

 この数ヶ月、一生懸命フラハティ達に抵抗してきた。『彼』の知恵も借りて逃げ回ってきたけれど、本腰を入れた彼らには、結局ボク達じゃ叶わない。

 このままじゃ、サンドラは連れて行かれる。

 そして、ボクと、エリックは――。


「……っ、やだ、誰か……」

「うるせえな。誰も来ねえよ!」


 助けを求めるボクをせせら笑い、服が裂かれる音がする。へへ、と耳元に卑しい声がこびり付いて、ボクは堪らずぎゅっと目を瞑った。

 途端。



 ――じゃらっと、涼しげで硬質な音と共に、体の上が軽くなった。



 へ、と思わず目を開ければ、男は宙に浮いていた。下半身を剥き出しにしたまま、きょとんと間の抜けた顔を最後に残し。



 しゅっと、視界から消え去った。



「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……っ!?」



 遅れて小さく消えていく絶叫を背に、じゃらりと、また金属音が鬱陶しげに鳴り響く。一緒に、銀色の絹糸が優雅に風に流れて舞い上がった。

 いつの間にか目の前に立っていたのは、一人の美しい銀髪の女性だった。濃紺のブラウスに白いエプロンドレスを身に着け、凛と気高き雰囲気を纏う彼女は、冷めた瞳で男の消えた方を見つめている。

 鎖を巻き付けた先の真っ白い綺麗な手を見て、あの音は彼女のものだったのかと気付いた。

 だが、この手に服は――。

 まさか、と、予感と共に更に目をよく凝らし――瞠目どうもくした。


「……、あ」


 彼女のことを、ボクは知っている。

 そう、『彼』が大切にこつこつと修理していた人形だ。

 義理なんてなかったのに、この国に来てからずっと、知恵を貸してくれていた彼の大切な――。



「あーあ、死んだよ、あれ。マリオン大佐、やり過ぎじゃないかい」

「――」



 不意に響いた、男性の穏やかな声。

 その声を耳にし、ボクの心が大きく震えた。


「綺麗に落っこちたね。うん、やっぱり死んだよ、あれ」

「あんなもの、空から落とすのが礼儀というものです、旦那様。っていうか、クズは死ね」

「あはは。いやぁ、相変わらず殺伐としてるね。旦那様って呼ばれた時は、失敗したかとマジで焦ったんだよ」


 冷酷に切り捨てるメイドさんの隣に、飄々ひょうひょうともう一人男性が並ぶ。彼こそ、ずっと、フラハティから逃げるための知恵を授けてくれた恩人だ。

 その存在に気付き、ボクの目からは涙が溢れて止まらなかった。どうして、とここにいるはずのない彼に、情けなくも声がすがってしまう。


「れ、レイジー……」

「やあ、ライネ。間に合って良かった良かった」


 助け起こしてくれながら、彼――レイジーが、着ていた外套を肩からかけてくれる。

 隣にいるマリオン大佐と呼ばれたメイドさんが頷くのを目にし、彼の思いが実を結んだのだと知った。


「な、何だテメェらは! こっちは馬鹿なガキのしつけに忙しいんだよ!」

「ああ、私たちはこれから、馬鹿な大人のしつけに忙しくなるから気にしないで」

「はあっ!?」

「あ、マリオン大佐、ドリル使う? アタッチメント色々持ってきたよ」

「少年少女の前で、阿鼻叫喚の地獄絵図を? 旦那様は鬼畜ですね」

「あはは、やっぱりまずいかな」


 右手のステッキを可愛らしく掲げるレイジーに、メイドさんが冷たく溜息を吐く。溜息まで美人で、ボクは一瞬見惚れてしまった。

 そんなコントを繰り広げている合間に、エリックとサンドラに向かっていった連中が引き返してきた。彼らの恐ろしい形相に、ボクの体からざっと血の気が引いていく。

 このスカイスチームでフラハティに逆らえば、文字通り居場所が奪われる。このままでは、レイジーと彼女まで巻き込まれてしまい、生きていけなくなってしまう。

 そんなのは、駄目だ。縋りたい気持ちを押し殺し、震えながら必死にボクは顔を上げた。


「れ、レイジー……逃げなよ。フラハティの部下だよ? 巻き込まれたら……」

「ライネ、君は勇敢だけどまだ子供だ。こういう時は大人を頼りたまえよ。それに、私は魔術師だしね」


 この期に及んでも、レイジーはにっこりと穏やかな笑みを浮かべてくる。隣の彼女も「その通りです」と同意し、荒々しい足音へと冷たく視線を向けた。


「もっとも、駄目な大人はどこにでもいますが」

「――まったくだなぁ! いいこと言うじゃねえか、姉ちゃんよおっ!」


 二人に銃を抜き放ち、一斉に男達が乱射した。思わず、ボクは息を呑む。

 だが。



 ――その弾は、全て彼女によって弾き飛ばされた。



 ぱらぱらと、メイドさんの足元に雨の様に弾が落ちていく。

 それを一瞥いちべつして興味を失くしたのか、浴びる銃声を物ともせず、彼女は両腕で円を描きながら無感動に迫っていった。

 リズミカルに響く硬い音が、まるで死へのカウントダウンの様に聞こえ、男達が面白い様にこぞって慌てふためく。


「ど、どうなってやがる! ……っ!」


 かち、かちっと弾が切れたトリガーの音を皮切りに。



 唐突に、一人が前触れもなく吹っ飛んだ。



 どごおっと、別の男に体当たりしながら沈んでいくのには見向きもせず、メイドさんは大地を踏みしめ、近くの男を蹴り上げた。そのまま、男を踏み台にして飛び上がり、更に別の男を踏み付ける様にかかとを落とす。

 その際、ふわっと舞い上がるメイド服が円の様に華麗に広がり、まるで舞を踊っている様な錯覚に陥った。またもボクは見惚れて、口が勝手にぽかんと開く。


「つ、つよ……っ」


 綺麗な舞の中、次々と倒れていく男達を見届け、ボクは知らず呟いた。

 拳や蹴りはほとんど見えない。ただ宙に舞い上がる彼女の姿だけが、綺麗に晴れ渡る空を鮮やかに彩る。


「……お、男の方をれ!」


 誰かがわめき、ばらばらと連中がレイジーの方へと向かっていく。乱れながらも銃を構える姿に、ボクは思わず叫んでしまった。


「レイジー!」


 痛みをこらえて見上げれば、彼は笑いながらボクに目配せし、黒塗りのステッキを振るった。

 そして。



「大いなる東の王、風の霊よ、汝が諸力をここに遣わさん!」



 凛とした高らかな声と共に、風が強く巻き起こる。ぶわっと地上を一直線に駆け抜け、ボクだけでなく男達も身構えた。

 だが。


「……?」


 起こったのは、それだけだった。風の残り香が、さらりと力なく地に落ちる。

 一瞬の静寂。

 よく分からないけど、失敗したんだろうか。不安になって、彼を見つめる。


「へ、……へへ、何だこけおどしかよっ!」


 安心したのか、男達が再び銃をレイジーに突き付け、トリガーを指にかけた。

 その時。



 がしゃがしゃっと、一斉に強化蒸気鎧達が崩れ落ちた。



 そのまま鈍い音と共に分断され、地面に散らばる鎧の成れの果てに、男達が呆然と振り向いてしまう。

 それが、命取りだった。



「――流石は旦那様。見事な腕前で」



 完全に隙だらけになった男達を、メイドさんが全て殴り倒した。どさどさっと、重々しい音と共に、鎧と同じく倒れ伏していく。

 そうして本当の意味で静寂が訪れ、レイジーがふうっと息を吐き出した。


「マリオン大佐も、相変わらずの腕前だね。カッコ良かったよ」

「ところで、旦那様。胸部装甲に厚みがましてやがりますが、どういうことですか」

「え!? あ、ほら、そこは、ね。そう、……男のロマンさ! メイド服と豊満な胸は何というかな、うん、私の夢さ! 余人は知らず、この世界唯一の魔術師、玲人の夢!」

「そうですか。沈みやがりなさいませ、旦那様」


 きりっと凛々しく宣言した直後、思い切り彼女に殴られてレイジーが地に沈む。殴られたのにとても良い顔をしているのが彼らしい。

 こんな時なのに、彼のいつも通りの姿に安心してしまう。――大変なことに、巻き込んでしまったのに。


「終わったよ、ライネ。エリック、サンドラも無事かな?」


 光の速さで復活し、レイジーがボクに歩み寄ってくる。サンドラとエリックも、ばたばたと急いで駆け寄ってきて、涙ぐみながらボクを見つめてきた。


「は、はい。私は大丈夫です」

「でも、ライネが……」

「うん。ともかく、一旦逃げようか」


 言うが早いが、レイジーがボクをひょいっと抱え上げた。

 男の人に触れられるのは苦手なんだけれど、彼に抱えられるのは何故かあまり気にならない。どうしてかな。

 そんな取り留めもないことを考えていると、メイドさんが遠くに視線を向ける。


「急ぎましょう。有力者相手に喧嘩を売ったのです。遊んでいる暇はありません」


 メイドさんの言葉にレイジーも頷き、ボクを抱えながら走り出した。エリックとサンドラも、大人しく彼らに従って走り続ける。フラハティの、手の届かないところへ。

 そう。これが。




 ――ボク達の、旅の始まりだったんだ。


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