プロローグ

 君は空に浮かぶ大地を見たことがあるかい? 空想の産物じゃなくて、切り立った崖が崩落する光景でもなくてだ。


 それはバベッジ級と呼ばれる、途方もない大きさの蒸気機関によって、巨大なプロペラを回し飛行する、鋼鉄の上に造成した大地。

 昔、戦争で砂漠と化した地上を見捨てた人々が、巨大な〈飛翔石〉で空に浮かび上がらせ、石炭が生み出す蒸気を動力にしている。塔のように突き立った無数の煙突からは、いつも黒い煙と白い蒸気を吐き出し、空を行くその名は〈スカイスチーム〉という。


 ボクの生まれ故郷だ。


 母さんが亡くなってからはずっと、カザード地区の荷揚げ場で、蒸気運搬機が地上から運んでくる、石炭の回収で生計を立てている。父さんの顔は知らない。

 スカイスチームの動力に欠かせない石炭を掘ることは、下層民のほとんどの男たちの仕事だ。その石炭を管理し町を運営するのが〈炭鉱府〉に代表される上層民たち。


 地上で新しい鉱脈が見つかると、鉱夫たちは駆り出され、採り尽くすまで帰って来られなかった。


 回収とは言え、子供の細腕で重い石炭なんか運べないって? ボクが蒸気鎧を装着すれば話は別だ。搭載された小型の蒸気機関が生み出す歯車の力は、大人の三倍近い強力な駆動を発揮する。

 蒸気鎧をまとって動くことなら、ボクは並みの大人に負けない自信があるよ。


 そのおかげで、大変なことになってしまうんだけど。


 そうだね、どこから語ろうかな。

 ことの始まりは、ある日ボクと幼馴染のエリックが、ボクらの住まいがあるカザード地区で、行方不明の家族を探す綺麗な女の子に出会ったことからだ。上層民出身のサンドラは、科学者である父親が失踪したことに、炭鉱府の有力者フラハティが関わっていると言ったんだ。


 サンドラの力になろうとするボクたちの前に、妨害するようにフラハティの追っ手が現れた。自分たちの庭のような地区で連中に遅れを取ることはない。ボクたちは何度もサンドラを救ったけれど、これで彼女の言っていることが事実だということもはっきりした。

 サンドラを守るために、ボクは蒸気鎧を身にまとった。


 でも、うまくいっていたのは、あの日までだった。

 ボクたちの旅が始まる、あの日。

 あれから字を覚えて、日記をつけている。ボクたちの旅がどんな意味を持つのか今もまだ、わからない。本当にたくさんの人たちがいて、ボクたちに力を貸してくれた。その人たちが確かにいたこと、出会ったことをボクは忘れたくない。


 だから、今は話そう。


 その日、いつもは煤煙すすけむりで霞んでいるスカイスチームの空には、めずらしく青い空が広がっていた。



  ▼   ▼   ▼



 工場でストライキでもあったのかな? なんて考えてる暇はなかった。

 頭上に青空が広がっていようと、ボクの視界は白く覆われていたんだ。


 全身を包む強化蒸気鎧きょうかじょうきよろいは運動量が多いほど、関節から吐き出す蒸気もせわしないし、もう使われていない外周区の運搬場に向かう路地は、傷みが激しく、地面や壁から吹き出す蒸気が行く手を塞ぐ。


「急げ、急げ、急げ!!……っ、石炭はたんと食わせただろうっ!」


 ボクは愛用の蒸気鎧を叱咤して、駆ける。駆けて、駆けて、駆ける。荷物運搬用の〈ワット型〉だから走るとすごく揺れるけど。でも、それ所じゃないんだ! 早くしないと間に合わない!


 フラハティが、スカイスチームの有力者の一人であるフラハティが彼女を狙い、ついに動き出したんだ。


 焦るボクの視界に、目的の場所が見えてきた。追い詰められている二人を取り囲む何体もの蒸気鎧、あれは――戦闘用の〈キュニョー型〉だ。ワット型を元に装甲を厚くしスピードを落としたキュニョー型は、その分、瞬間の馬力と頑丈さを増した。殴り合いになったら戦闘型に勝てる者はいない。真っ向から立ち向かえば、負けるのは目に見えている。

 けれど、それでもボクは行かなきゃいけない! フラハティの部下たちが取り囲んでいる二人を助けるために!


 エリックは震えながら彼女に前に立っている。臆病なはずの彼は、サンドラを守ろうと必死になっている。ボクだって彼女を守るためなら……そう思う自負と、そんな事を考える自分が酷い奴に思えて、少しだけ胸が痛んだ。


 サンドラが駆け寄るボクに気付いて一瞬笑顔になった。エリックも笑ったように見えた。そうだ、自分にがっかりしている時間なんてない! 二人を助けなきゃ。

 ズンズンと響く足音にスピードを乗せて、ボクは一気に連中に駆け寄った。ようやく気づいた奴ら、だが遅い。


「どけええええええっっ!!」


 力いっぱい叫んで、後ろを向いていた蒸気鎧に飛びかかった。けたたましい金属音を響かせて、ぶつかり合う鉄の塊。勢いをそのままに、拳を叩きつけた。右、左と交互に殴りつける。何度か繰り返した所で、急に蒸気鎧の腕が動かなくなった。動かそうとしても、軋んだ悲鳴を上げるばかり。


 ナニ!?


 まるでか細く泣くように軋みを上げる鉄の両腕、そして響く何かが裂ける不快な音。蒸気が激しく両腕の関節から吹き上がった。左右の腕を背後からつかまれているのだと気付いた時には遅かった。腕が、蒸気機関で動く歯車と人工筋肉を鉄で包んだ腕が、凄まじい力で背後に引っ張られる。このままじゃ、鎧ごとボクの腕も折られる!


「は、な、せっ!!……はなせえぇええ!!」



 ――あの時、折れたのは誰の腕だった?


 ――抵抗した母さんの腕。ボクは何もできなかった。


 ――雨が。



 骨が折られる恐怖に、ボクの過去が重なる。記憶の奥底にしまっていたはずの恐怖に体がこわばる。


 いやだ、いやだ、いやだっ!! !!


 恐れをねじ伏せ、二人を助けようとする自分と、あの日の悪夢を思い出して叫び出したい自分がごっちゃになる。追い立てるようにギシギシと腕がひねり上げられ、可動領域の限界を超えた関節から、真っ黒な煙が血液のよう吹き出した。

 その瞬間、ゾッとする感触がして、頭が真っ白になるような強烈な痛みが直撃する。


 ボクの左腕がイヤな音を立てて折られた。


 叫んだまま、ボクは動けなくなった。体を襲った衝撃で、動くことも、他のことを考える余裕もない。おとなしくなったと判断した連中は、うずくまるボクの背面にあるハッチをこじ開けようとしている。


 ――やめて、こわい、こわい、こわいよ。


 歯を食いしばってボクは顔を持ち上げた。遮光窓の外、涙でぼやける視界に二人がいる。その様子はひどく不安そうで怯えていて、僕まで心細くなる。


 大丈夫、……大丈夫、……いま、助けるから。


 心から助けたいと思うのに、そう願い、祈る、ボクの決意は揺るがないのに。

 

 神様は残酷だ。こじ開けたハッチから結わいた髪をつかんで奴らはボクを引っ張り出そうとする。抵抗したけれど、男たちの手でボクの身体は引きずり出された。地面に投げ出されるボクを見て、男の一人がニヤけた口を開く。


「しつけのなってねぇが、世間がどんなところか、礼儀から教え込んでやるよ……」

「い、やめろ!! 汚い手で……っごあ!」


 抵抗したボクは容赦なく顔を殴られた。痛みと衝撃で意識が遠のく。「ライネっ!」「ライネさんっ!」、どこかでエリックとサンドラがボクの名を呼ぶ、悲鳴のような声がぼんやり聞こえた。それから、ベルトを外しているような金具の音も。


 やめろ……いやだ……いやだ、二人が見ている前でそんなことされるなんて、耐えられない……。


 涙が後から後からあふれてくる。


「ぃやだ……かあさん……」


 呻くように泣くボクをあざ笑う男が押さえつけ、残りの男たちがエリックとサンドラに近づいていく足音がする。


 もう、ダメみたいだ。今までどうにかサンドラを守って来れたけど、いい加減しびれを切らしたフラハティは、ついに戦闘型の蒸気鎧を投入して問答無用でボクたちを潰しに来たんだ。サンドラは連れて行かれてしまう、そして、ボクとエリックは……。


 目の前の荒くれ男が汚い手でボクの顎をつかんで無理やり上を向かせる。


 涙がこぼれ落ちた。


 そこへ。鎖を引くような重く軽快な音を連れて、風を裂いて飛んできた白い手が、男の下顎をわしっとしなやかにつかんだ。

 手首から下のない、鎖に繋がれた美しい手。陶器のように白くすべらかで、造り物めいた可憐な指先に、ボクは見覚えがある。

 それは、旅人だと名乗る男が一生懸命直していた人形の手だ。

 つい最近、スカイスチームに流れ着いて、あっという間にカザード地区のみんなに溶け込んだ、変わり者だけど、どこか憎めない人の良いレイジー。棺桶に入れた女の人と変わらない等身大の人形を、すごく丁寧に、修理していたからよく覚えてる。たしか『彼女はこっちに来た時の恩人なんだ』と言っていた。

 その人形の手がなんだってこんなところに……。


 顔をつかまれてキョトンとする下半身丸見えの男は、次の瞬間、ボクの視界から消失した。……絶叫だけ残して。


「マリオン大佐、やり過ぎだよ。あれ。死んだよ? スカイスチームから落っこって」

「旦那様。あんな物をゴミ捨て場に投棄しても迷惑です。クズには死あるのみ」


 聞こえてきたのは、のんびりした声と、抑揚に乏しい女性の声。どっちも状況が分かってないみたいに緊張感のない会話をしている。


「いやー、相変わらず殺伐としているねぇ、なによりだ。『だんな様』と言われた時ゃ失敗したかと、マジで焦ったからね」

「旦那様。胸部の装甲に厚みがましていやがりますが、どういう事ですか」

「ほら、そこは。ね。男のロマン! メイド服に豊満な胸というのはなんと言うのかな、うん、欠かせないね、私の夢だ。――余人は知らず、この玲人レイジの夢!」


 よく殴られないな、と思いながら、ボクは左腕を固定してなんとか身を起こした。

 レイジーは紳士ぶってか手にステッキを握り、仕立て屋のキャサリンさんがあつらえたスーツを着て、その上に長い外套をなびかせている。滅多に見かけない黒髪にすっと通った鼻筋はイケメンだけど、さっきの台詞、最後の部分だけは、キリリと凛々しく言うあたりいつも通りのレイジーだ。


「なんなんだ、てめぇらっ、こっちは馬鹿なガキのしつけで忙しいんだ! 関係ない奴ぁすっ込んでろっ!」

「私たちは、馬鹿な大人のしつけに忙しいから気にしないで。あ、マリオン大佐、ドリル使うかな、アタッチメントは持ってきたよ」

「少年少女の前で、血の海を作れと? 旦那様は悪魔ですか」


 もう一人というか、マリオン大佐と呼ばれたお人形の方は、濃紺のブラウスに白いエプロンドレスを着けたメイド服に、編み込んだ銀髪と青みを帯びた冷たい印象の目をした、近寄りがたいくらい、隙のない美人だ。

 彼らの登場でエリックとサンドラの二人に向かっていた連中がこぞって引き返して来る。


「レッ、レイジー……逃げて! 相手はフラハティの手勢だ。関わったらひどい目に遭うよ、もう、ここにはいられなく……」


 炭鉱府の最高幹部であるフラハティとのモメ事に、首を突っ込んでくる大人はスカイスチームにはいない。もし逆らって仕事を失えば、生活の場も、自分の居場所もなくなるからだ。それなのに、レイジーとマリオン大佐はボクたちに手を貸してしまった。


「ライネ。君はまだ子供だ。こういう時は大人を頼りたまえ。……もっとも、ダメな大人はどこにでもいるもんだけどさ。ああ、それにほら」


 レイジーはその後に、とんでもないことを言った。


「私は魔術師だから」


 秘密を打ち明けるように口元に浮かべた笑みは、心のこもった温かさで、いつものへらへらとした顔とは違っていた。その隣で、マリオン大佐が、優雅に力強く頷くのが見えた。


「たかがガキのために、馬鹿な奴がいるもんだなアッ!」


 二人に向かって男たちが一斉に銃を抜き放った。銃声に混じって聞こえてきたのは、何かが飛んでくる硬い物を弾くような乾いた音。リズミカルに響く音の源は、銃弾を浴びながら突き進むマリオン大佐だ。肘で高速旋回する両腕が、円盤状の盾となり彼女を守っている。まったくの無傷……!


「どっ、どうなってやがるっ……!!」


 圧倒され、慌てふためく男たち。その一人が、突然吹き飛んだ! いつ、どう動いたのか、気づけばマリオン大佐がさっきまで男がいた大地を踏みしめ、拳を突き出した状態で止まっていた。多分、殴り飛ばされたんだろう。速すぎてよくわからないけど、瞬く間に二人目がなぎ倒されていく。男たちが手も足も出なかった。強すぎる……。


「おお、男の方を殺れ!」


 まあ、そうなるよね。でも、マズいぞ。 マリオン大佐一人を先行させて、レイジーはその場に留まったままだ!! 首をねじって急いで振り向くと、黒塗りのステッキを大きく振るうレイジーが見えた。

 そして、こんな言葉が聞こえたんだ。


「 大いなる東の王、風の霊よ、汝が諸力をここに遣わさん! 」


 張りのある凜とした声で告げると、一陣の風が巻き起こった。普段のレイジーからは想像もつかない姿。でも、その風は唐突にほどけた。何も起こらない。と思った直後、鈍い金属音が幾つも響いて、戦闘型の蒸気鎧たちが皆、はじけ跳ぶように倒れたんだ。見えない風の拳に殴られたのか、分厚い鉄の腹は穿たれたようにへこみ、切れた配管が内部と外部に高温の蒸気を撒き散らした。

 二人に銃を向けていた男たちは、またも呆然としてしまった。そんな隙に、マリオン大佐なら全員を殴り倒してしまうことは、ボクにはもう分かりきっていた。



「さすがは旦那様。見事な腕前です」

「そりゃあね。なんでも私は……この世界で唯一の魔術師らしいからね」


 そう言うとレイジーはそばまでやって来て、ボクの身体をひょいと抱え上げた。


「大丈夫かい、ライネ? ……それに、エリック、サンドラも。ともかく、ここは一旦逃げよう」


 走って来たサンドラとエリックが口々にボクを心配する。左腕を折られたショックで、ボクの顔は青ざめていたけど、心配させたくないし、大丈夫だと答える。

 男の人に触られるのは苦手なんだけれど、レイジーに抱えられるのはあまり気にならなかった。

 

「急ぎましょう。スカイスチームの有力者に喧嘩を売ったのです、奴らも時間を与えてはくれないでしょう」


 マリオン大佐がボクらにそう告げた。レイジーも頷きエリックとサンドラについて来るよう指示を出して、ボクを抱えながら走り出す。そう、これがボクたちの冒険の始まり。


 この日、ボクたちは生まれ育ったスカイスチームから旅立った。

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