あの丘で、もう一度


 ユエルの旅立たちから二端(一端 十節)と三節が経った。

 ようやくユエルは帰って来たのだ。


 ユエルはこんなにもかかるとは思いはしなかったが、特に不安になることはなかった。それだけミリエを信頼していた。だけど今は、とにかくミリエに早く会いたかった。サイトラムの仲間達に妹を連れてもう一度来ると告げて、妹の元へと走っていく。

 太陽は高く輝き、空は珍しく青く澄んでいた。ユエルはまさしく、再開にふさわしい天気だと思った。

 都市は、旅に立ったころとはほとんど変わっていなかった。いつものようにバチバチと燃える音がひろがり、煙が上がる。

 ユエルは工場までの道のりの最後の角をまがった。その先には……。



 何も無い。

 何も、無い。



 工場が一つ、あるはずだった。妹が今の時間、働いているはずだった。

でも、そこには何も無い。

 ただどうすることも出来ず、ユエルは呆然と立ち尽くす。

 近くにいた男が声を掛けた。


「あんた、どうしたんだい?」


「工場があるはずだった」


 ユエルがかすれそうな声で答える。すると、男はこう問いかけてきた。


「ここにあった工場について知りたいのか」


「はい」


 ユエルは、首を支えていたものがなくなったように、ガクンと頷いてそう答えた。

 騎士はゆっくりと話し始めた。

「そうさなぁ。始まりは二端ほど前のことだったかな。そこにあった。工場で二人の兄妹が働いていたんだ。だがな、兄が夢を叶えるためといって飛行船の整備士として、飛行船に乗せてもらい旅に出たんだと。兄が十四歳で、妹が十二歳だったらしい。さすがに、十二歳で一人で生活することになったら、つらいことなんだろうよ。なんだって、妹は兄と一緒にいることが大好きだったんだから。非情な兄だよな。

 最初は兄との約束果たすとかで、色々なことを頑張っていたって話だ。

 でも、それからその妹は体調を崩していった。さすがに孤独の日々は答えたんだろう。ある日のことだ、仕事中に妹は、その工場の心臓部で足を滑らしてしまってな。それで妹は死んでしまった。

 それから心臓部の整備士がいなくなったことで、工場を動かすこともできなくなって、工場も潰れてしまった。それでこのありさまだ。

 兄のやつは、一人の妹を殺したようなもんだし、工場で働く大勢の人々の職まで奪ってしまったわけだ。そんなやつ、人として終わってるよな。それでその女の子の墓は、兄との大切な場所にあるとかいう話だ。ほんとかどうかは知らないがな。まあ、知ってるとしたら、これぐらいかなあ」


「そう、でしたか」


「ああ、じゃあな」


 一人になったユエルは歩き出した。ミリエが眠るという兄弟の大切な場所へと。


 ほとんど力が入っていないおぼつかない足でその場所へと歩ていく。心では何を信じていいのかとぐるぐると感情が混ざり合って、大きな都市と化していた。

 そして、ユエルはたどり着く。二人の生まれた家の近くの丘に。ミリエを何度も連れてきて、丘の風にあったた林に。ミリエと二人の大切な思いを埋め込んで、もう一度掘り返そうと笑いあった林の二人だけの場所に。

 そこにはあった。たった一人寂しそうにいる。

 

 それを見た時、ミリエはそこにいるとわかったし、もう二度、あの笑顔を見せてくれるわけではないと。そう、ユエルは理解した。

 きっと二人の場所とか言いながらこの場所のことを知っていた工場の人達がここに墓を作ってくれたのだとわかった。その時、ユエルは大きな粒の涙を流し、泣きじゃくり、全てを後悔した。

 あの時、ユエルは夢とらわれて、周りのことをよく考えていなかったのだ。

 

「約束だって、なんの意味もない。何が、何をしてでも写真を買って見せてやる、だ。どんなに汗流して、血だって流したって、どんなことを誰に言われようが、ただ喜ぶ顔見たいからって、この写真を買ったからって、ミリエを、ミリエを失ったら、何もない。それに気づけなかった」


 そうやってユエルは泣き叫び、大事に握っていた写真を握りつぶした。くしゃくしゃにして、びりびりに破いた。

 それからミリエの墓の横でずっと寄り添うみたいに座って、泣いて、思い出話をしてみたり、ミリエとやってみたかったことを、叶いもしないことを、ユエルは静かに、風が流れる林の中にこぼしていった。



 日が沈みこむころには空は茜一色に染まったいた。

 ただ美しく、すがすがしくて、あまりにも切ない赤。




 茜色の光に照らされ、大きな影を作って、一人の女性が彼の元に来ていた。

 彼女の名はライエ、ユエルの妻である。ライエはユエルが旅を共にした飛行船の乗組員の一人だった。ユエルと同い年。彼女はとにかくユエルと仲が良かった。ユエルが働く時間を除けば、ほとんど同じ時間を過ごした。まさしく同じ時間を。

 二人は旅の合間にどんどん仲良くなって、蒸気船乗組員として、ユエルもライエも成人になった時、結婚をした。


 ライエは、ユエルが妹に合うという予定でいることは聞いていたし、もう二端は会えていないのだから、かえりが遅くなることはわかっていた。少し夫の帰りが遅くなるのを我慢しなければならないことも、ライエは仕事があって、連れて行ってもらえなかったことも、しょうがないと自分に言い聞かせていた。

 だが、夫が日が傾き始めても帰ってこないとなると、心配にもなるし、気になることも生まれるのだ。

 そんなわけでライエは夫を探し始めるのだった。とはいえ、一人の女がこの蒸気都市思ってこの蒸気都市を探し回った。ユエルがいる蒸気都市から少々離れた丘の上の林まで来ることができたのは、まさしく奇跡と言えよう。これもまた、愛のなせるもの、なのかもしれない。

 ライエはユエルの姿を見つけると、背中をやさしくさすりながら、また明日来ようと言って、ゆっくり飛行船へ帰って行った。

 それからずっと、飛行船の一室には涙が流れていた。


 あれからどれだけの時間が過ぎただろうか。夜が明けていた。いつのまにか、その一室からは後悔の念が漏れていた。

 それからは、ユエルは飛行船から出ることもなく、ミリエの墓に再び行くこともなかった。ユエルはずっと泣き続け、暴れまわることもあった。

 ライエはそんな夫のそばにずっと寄り添うようにしていた。一人にはさせられないと。しかし、ライエも仕事があった。どうしようもないことだった。ベッドに倒れこんで泣き続ける夫の姿を見ながらライエは部屋を後にした。

 ライエが部屋を出たから、珍しく部屋は静かになっていた。カリカリと何かを書いている音が聞こえ、ガタっと椅子から立つ音が聞こえた。だが、その後は何も聞こえることはなかった。

 ライエが部屋に戻った時、彼は、彼はそう。彼女には何となく分かっていた。でも、それでも信じていた。自分一人を置いていかないと。

 机の上に置手紙があった。それを読んだ後、彼の思いを知った。でも、でも彼女には分からなかった。

 でも、彼女も。彼、ユエルと運命を共にすると誓ったから。


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