第26話「再び目覚める、そこは平成」

 平成太郎タイラセイタロウが目覚めた時、そこは白い天井が広がっていた。

 首を巡らせれば、それだけで全身の筋肉が痛みを訴えてくる。包帯塗ほうたいまみれの真っ白な自分は、白いシーツと布団の上、白い壁の病室に横たわっていた。


「ここは……そうか、また研究所に戻されたのか。……いや? 違うな」


 一瞬、混濁こんだくする記憶が昔へと巻き戻る。

 過酷な実験の日々が続き、幾度いくどとなく成太郎は死に直面して、その都度つど生き残ってきた。同じように造られた人造人間の兄弟達は、一人、また一人と消えて……気付けば、はじまりの零号ゼロごうと呼ばれた自分だけになっていた。

 そんな過去を思い出したのは、いつも通り枕元まくらもとに一人の女性がいたから。

 そう、赤い髪を長く伸ばした、とても優しい人……いつも成太郎が目覚めると、彼女は泣いていた。


「また、泣いて、いる、のか……レッド」


 涙で顔をぐちゃぐちゃにして、その少女は泣いていた。

 そう、少女だ……レッドではない。

 レッドはもう、いなくなってしまった。自分を未来へと送り出し、一人で時間と同じ流れに身を任せたのだ。今もこの地球のどこかで、彼女は生きているのだろうか? 少なくとも、今こうして泣いてくれているのは、もっと若い女の子だった。

 そう、咲駆サキガケエルだ。

 彼女はボロボロと大粒の涙を流して、肩を震わせ泣いている。

 思わず成太郎は身を起こして、激痛に耐えながら手を伸べた。

 そっとほおしずくぬぐうと、瞬きしながらエルは目を見開く。


「指揮官、さん?」

「俺は大丈夫だ、エル。……泣いてくれて、いたのか?」

「指揮官さんっ! 目が覚めたんですね!」

「ちょ、待てエル! 抱き付くな、痛いっ! よすんだ!」


 エルは手にした小さな機械を放り出し、押し倒す勢いで成太郎に抱きついてきた。彼女の意外に重い身体を抱き留めれば、柔らかくて温かい。ふわりと甘やかな香りが広がって、真っ赤な髪はサラサラと光沢を波立たせていた。

 あわてて成太郎は、放り投げられた機械を片手でキャッチする。


「これは、すまほ? そう、すまあとほん、だな。……エル、まさか」

「だって、指揮官さん全然目を覚まさなくて! みんなで交代で付き添ってて、でも……ひまだなーって思って。指揮官さんが起きてくれたら、またお話できるのになーって思って」

「エル……」

「なんかわたし、しょんぼりしてきちゃって。元気出そうと思って、超銃棄兵ちょうじゅうきへいガンダスターをダイジェストで見始めたら、最終回が凄くよくて……う、うう、うええええっ!」

「わ、わかった! わかったから! 頼む、離れてくれ!」


 騒ぎを聞きつけたのか、ドアが開いてお馴染みの面々が雪崩込んできた。

 朱谷灯アケヤトモリ緋山霧沙ヒヤマキリサ、そしてクレナイすおみだ。

 皆、赤くなった目に涙を揺らしている。

 そして、泣きじゃくるエルに感化されたのか、三人共我先にと迫ってきた。あっという間に成太郎は、年頃の乙女達にもみくちゃにされてしまった。


「ええい、はしたない! はしたないぞ! そんなことでは大和撫子やまとなでしこには――」

「バカッ! 成太郎のバカ! ボクと同じ人造人間でも、成太郎は昭和生まれのポンコツなんだからね! ……死んじゃったらどうするのさ、もぉ」

「……すまん、霧沙」


 いつも飄々ひょうひょうとしてつかみどころがない、マイペースを貫いてきた霧沙の涙。初めて見せる意外な顔に、成太郎も驚いた。

 そして、その横ではもじもじと灯も上目遣うわめづかいに身を寄せてくる。


「成太郎さ、そゆのなしだよ……私達のこと、死なないように、怪我しないようにって言うのに……自分はこんな無茶して」

「あ、ああ。すまなかった。お前達に怪我はないな? 嫁入よめいり前の身体だ、なにかあってはイカン」

「ムラクモが四機とも壊れちゃったけど、私達は無事……頑丈なんだね、私達の機体は」

「ちゃんと安全面を考慮して、現代の最新技術で造られてるからな」


 少し迷ったが、包帯に包まれた手で、霧沙と灯の髪をでる。

 柔らかな感触が不思議と、全身の痛みを払拭してゆく気がした。

 だが、そんな時もずっとエルは、腰にガッシと抱きついてワンワン泣いている。そして、二の腕にしがみついていたすおみが、グッと顔を近付けてきた。

 眼鏡めがねの奥では、まなじりに涙が光っている。


「成太郎さん……本当にいけない人ですわ! ……ええと、その……そう! 00式マルマルシキ"ハバキリ"は今は、紅重工くれないじゅうこうの所有する備品ですの! 成太郎さん自身も、研究価値がある上に代わりのきかない存在で」

「そ、そうだったな。すまん」

「それが、こんな無茶をして。ハバキリも真空管の交換程度で済んだからいいものの」

「すまない。……そうか、大きな損傷はないか」

「……謝ってばかりですわ。もぉ、許せませんの! 許して、あげませんわ」


 流石さすがの成太郎もタジタジである。

 女の子に密着されたことも初めてだし、本気で泣かれるというのは久しぶりだ。

 いつも目覚めると、泣いていたレッドは無理に笑ってくれた。その笑顔だけが、成太郎にとって生の実感だったのだ。

 だが、今は違う。

 仲間達の涙は、とめどなくあふれて止まらない。

 そして、一人だけ全く関係ないことで泣いている少女がいた。

 彼女は言い訳がましくつぶやきながらも、ぐりぐりとエルがほおを擦り付けてくる。


「指揮官さん、ホントに神アニメですぅ! 最後、最後はガンダスターが、ううう~っ!」

「わ、訳がわからん! 離れてくれ、エル! その、みんなもだ!」


 そうこうしていると、開きっぱなしのドアから一人の女声が現れた。

 自衛官の礼服を着た彼女は、襟元えりもとを緩めながら笑う。

 成太郎達を纏め上げる、防衛省特務B分室ぼうえいしょうとくむビーぶんしつ……通称ブルームB-ROOMの責任者、卜部灘姫うらべなだひめだ。


「わお、ハーレムしてるじゃなーい? にはは、あたしも混ざってあげよっか?」

「い、いらん! 灘姫、助けてくれ」

「やーよ、リア充め……爆発しろ、れって感じー?」

「そ、それはどういう……? りあじゅう、とは? わ、わからん……敵性言語てきせいげんごなのかどうかすらわからん!」


 ニヤニヤと笑う灘姫も、普段は見せない安堵の表情を見せていた。

 そして、彼女の視線が少女達を成太郎から引き剥がした。皆、弾かれたように飛び退いてベッドから降りる。

 ようやく解放された成太郎は、やれやれとあぐらで座り直した。

 そんな彼に、灘姫はいつもの調子で語りかけてくる。


「で、調子どう? 怪我は、まあ……常人なら再起不能レベルだけど」

「ん、まあ……正直に言えば、そうだな――」


 正直、全身が千切ちぎれるように痛い。

 それを訴えようとしたら、自然と欠伸あくびが出た。


「まず、凄く眠い。まだ夢を見ているようだ」

「おいこらー! あんたねえ、成太郎……一週間、眠りっぱなしだったんだけど?」

「ほう?」

「ほう、じゃねーっつーの。もうここ、日本だし! ヨハン少佐が緊急手術を手配してくれなかったらあんた、ネルトリンゲンに立派なはかが立ってるわよ! 街の英雄ここに眠る、ってね!」

「……ふむ、悪くはない」

わりぃーっつーのっ!」


 容赦なく灘姫は、バシバシ手にした茶封筒ちゃふうとうで叩いてきた。

 中には分厚い書類が入っているのか、結構重くて痛い。

 だが、ようやく成太郎の周囲に笑顔が帰ってきた。皆、半ばマジギレしてる灘姫の形相ぎょうそう、女の子がしてはいけないその表情に笑っている。

 和やかな空気に改めて、成太郎は生還を実感した。

 今を生きている。

 今もまだ、生きている。

 ここはレッドの夢見て目指した未来ではない。

 だが、彼女は必ず……そう、きっと必ず未来で待っていてくれる。

 その未来へとまだ、成太郎は自分の足で進めるのだ。

 頼れる仲間達と共に、このいびつで危うい平和を守りながら。


「っと、そうだった。ジャーン! はい、ちゅーもーく! みんながお待ちかねのぉ、お給料デース!」


 灘姫は、先程の茶封筒から小さな封筒を五つ取り出す。それを全員に配り、最後に成太郎にも渡してきた。

 命をして戦う、その血と汗の代価だ。

 金が欲しくて戦う訳ではないし、金だけが全てではない。

 だが、俗世を生きるにあたって困るものではない、それが金というものだ。

 中身を開いた少女達は、満面の笑みに小躍こおどりしてじゃれ合い始めた。


「やばいです、これやばいですよ! ……ガンダスターの超合金が、何百個も買えるです……うーっ、やったーっ!」

「うわ、すご……緋山の家にお金を入れても、まだまだ余裕で余る。ギター買えちゃう? アンプも一緒に買えちゃう!?」

「はは、二人共無駄遣いしないようにね。ん、すおみは?」

「わたくし、生まれて初めて自分でお金を稼ぎましたわ……なんて素敵なんでしょう」


 どうやら、彼女達の努力に少しはむくいてやれる額らしい。

 うすっぺらな封筒を開いた成太郎は、おや? と首を傾げた。

 紙が一枚入ってるだけで、よくみればそれは給与明細である。


「……手渡しではないのか」

「一応、あんたの口座を作っといたから、そっちにね。どう? 成太郎。嬉しいでしょ」

「なにを言う、灘姫。銀行なぞいつ潰れるか……預金を下ろせない、こと、も……ほあああああっ!」


 突如、奇声が込み上げた。

 ベッドの上に立ち上がってしまった成太郎は、下着に包帯姿で震える。言葉にならない、仰天の額が給与明細には書き込まれていた。


「ごっ、ごご、ごひゃくまんえん……だと……!? 五百万円! まて灘姫っ、こんな大金は貰えん!」

「えっ……あ、そっか。あのね、成太郎。今の日本円の価値は」

「俺は、そう、レッドと再び会うために戦っている。こんな大それた額は、分不相応ぶんふそうおうだ。なんてことだ……灘姫、こんな大金をどうやって」


 成太郎は話でしか知らないが、レッドはかつて言っていた。

 10円あれば、銀座でそこそこ豪遊できると。映画を見て、洋食屋で食事をして、ぶらぶら買い物しながらカフェで珈琲を飲む。そんな優雅な暮らしは、成太郎にとって夢の物語だった。

 ちなみに成太郎が実験動物だった時代、毎月の給料は50円だった。

 勿論もちろん、自室の引き出しに貯まるだけで、研究所では使うことができないのだが。


「ご、ごひゃくまん……くっ、土地ごと家が買えるぞ! 田園調布でんえんちょうふに!」

「買えんわ、アホッ! せいぜい、ちょっといい車が買える程度よ。……ホントはね、みんなにももっと出したいんだけど。ま、気にせずもらって。お金をもらうことは、仕事に責任を持つことよん?」


 キャイキャイと華やぐ少女達を尻目に、成太郎はその場に崩れ落ちる。

 思えば、この時代に覚醒してからずっと、必要なものは灘姫が揃えてくれていた。現金とは無縁な中で、来るべき決戦の準備で忙しかったのだ。

 改めて成太郎は、ここが自分の知る昭和ではないことを思い知った。軍靴ぐんかの足音も聴こえず、配色濃厚な重苦しい空気もない。若き乙女達の声がはずんで響く、平和な時代……平和を成し得た、平成という時代なのだと。

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