第25話「戦鬼咆哮」

 平成太郎タイラセイタロウは、なつかしくも忌々いまいましいコクピットの中にいた。

 このシートに座って、全身を固定されるのは何年ぶりだろうか? 成太郎が被検体零号ひけんたいゼロごうだった戦中からずっと、自分の影でありかせ、そして相棒だった機体。

 卜部灘姫ウラベナダヒメが持ってきた瞬間、迷わず彼は飛び乗った。

 出血で朦朧もうろうとする意識は今、正面の狭い視界をにらんでいる。

 周囲には古めかしい円形の計器が並び、細い針が揺れていた。


「……また乗ったか、お前に……そうだな。あの達にだけ危険を背負わせるべきではない。もっとはやく……最初からこうしていればよかったのかもしれん」


 空へと跳躍した愛機は、あっという間に燃え上がった灰色の防護シートを脱ぎ捨てた。今までマントのように棚引たなびいていた布が取り払われ、白無垢しろむくの四肢が姿を現す。

 それは、現代の技術で量産された最新型、01式マルイチシキ"ムラクモ"とはあまりに違う。

 シャープでソリッドなシルエットは、防御力より機動性を重視したために装甲が最小限しか装備されていない。そして、護国ごこくおにたれと頭部には長い一本角……夜風に揺れる怒髪天どはつてんは、余剰出力を逃がす放熱テープである。


「よし、やるぞ……俺の魔力を、吸い喰らえ! ハバキリッ!」


 ――00式マルマルシキ"ハバキリ"

 旧帝国陸軍が建造した、試作実験兵器プロトタイプ……世界初の砲騎兵ブルームトルーパーである。

 当時はまだ、ほうきのような触媒を介した接続が考慮されていなかった。なにもかも手探り、とりあえず魔力のある人間を造って、それを機械的に繋げるだけだった。こうしている今も、無数のケーブルやコードが成太郎に接続されている。肌へと吸着するソケットを通じて、全身から魔力が吸い上げられているのだ。

 ハバキリ、それは諸刃もろはつるぎ……搭乗者の魔力と共に、命を燃やして駆動する白き修羅神。

 すぐに成太郎は、落下を始めた愛機へと戦闘を念じた。

 ムラクモと違って、全てが思考操作という訳にはいかない。

 両手で握った左右一対の操縦桿に思念を注ぎつつ、目まぐるしくペダルを踏み込む。


『嘘……あれは、ハバキリ! そうね、紅重工くれないじゅうこうがムラクモを造ったんですもの……現存していると考えるべきだったわ。では、踊りましょう。旧大戦の亡霊同士、仲良く血のワルツを!』


 法悦ほうえつにも似たスカーレット・ブラッドベリの声が響く。

 それを真下に見下ろしながら、自由落下で成太郎はハバキリを陸上戦艦りくじょうせんかんラーテに叩きつける。巨大な砲塔の上に舞い降りれば、膝関節から下のダンパーが衝撃を吸収して機体を屈ませた。

 そのまま立ち上がるハバキリが、背負った長い銃身を手にする。

 三八式歩兵銃さんぱちしきほへいじゅうをそのままスケールアップした、ボルトアクション方式の小銃ライフルである。

 すぐに成太郎は、左右から圧してくる壁面のパネル、その右側に手を伸ばした。

 ハバキリには、当時の最新鋭技術だった真空管式電算頭脳しんくうかんしきでんさんずのうが搭載されている。ハバキリは自我も意識もないが、成太郎をコアとする巨大な人体でもあるのだ。


「初弾装填、動作手順の1から28を省略! 自動装填開始! 4、8、4!」


 無数に並ぶスイッチの、その番号順にオンオフを切り替える。至極単純なコンソールで、指で弾けばパチンパチンと上下するスイッチに光が灯る。

 こうして記号化された電気信号を送ってやることで、ハバキリは設定された動作を自動で行えるのだ。

 揺れるラーテの上で、ヒュンと三八式歩兵銃をひるがえすや……弾薬を装填してハバキリは身構えた。その照準の先から、立ち尽くすスカーレットが見上げてくる。


「王手、みだ! スカーレット。お前を拘束し、ラーテを完全に破壊する」

『チェックメイト、とか言うんじゃないのかしら。締まらない台詞セリフね』

生憎あいにくとそれは敵性言語だ。俺の育った研究所では、昼休みにチェスをしていた男が憲兵に連れて行かれたことがある」

『あはっ、狂ってるわ。いい時代じゃないかしら』

「狂ったお前にはお似合いの地獄だった。だから、そうでないこの時代を俺は守る」


 仲間達やネルトリンゲンの市民が、言葉を失いながら見守っている。

 ドイツ陸軍の歩兵達がサーチライトを灯せば、夜空を覆う霧にハバキリの姿が浮かび上がった。真っ白なそのボディには今、頭部のツインアイがあおい光を揺らしている。

 この状態でもう、成太郎は限界だった。

 もともと、ハバキリには搭乗者の生命を守る機構が搭載されていない。

 当時の帝国陸海軍は、安易に搭乗者の生命保護をないがしろにした。

 このハバキリも、コクピット周辺の防弾処理は不完全で、その上に搭乗者の魔力を際限なく貪り尽くす。リミッターが存在しないため、搭乗者は降りぬ限り死ぬまで魔力を引きずり出されるのだ。


「……いかん、意識が。チィ! いいからどけ、スカーレット! このデカブツを破壊する!」

『その怪我で乗ればどうなるか、わからぬ貴方でもないでしょうに。零号、実におろかな選択だわ』

「俺は戦場の賢者よりも、平和な時代の愚者でありたい。愚直に平和を求めて戦う中で、この生命を惜しいとは思わないっ!」


 嘘だった。

 大嘘だ、本当は死にたくない。

 またレッドに会いたい……彼女との再会を夢見て、彼は戦後という時代を離れて眠りについたのだ。起こされた時代は平和だったが、それは日本が戦争をしていないというだけの状態だった。

 そう、あの時レッドは確かに言ったのだ。


 ――


 誰よりも平和を望みながら、悪魔の研究に加担した女性は確かに言った。

 未来で待ってる、と。

 だから成太郎は、彼女の言葉に従った。ときのゆりかごに身を沈めて眠り、レッドが迎えに来てくれるのを待っていたのだ。

 だが、現実には今、まだ成太郎は戦いの中にいる。

 戦うために造られ、戦う前に敗北を味わった、あの終戦の日からなにも変わっていない。この世界にはまだ、戦争という名の災厄が散りばめられている。


「ここは、レッドの待っててくれる未来じゃない……ならば、その未来へと俺は進む。自分の足で歩いて進み、向かう先にある戦争は全て叩き潰すっ!」

『あら、そう……あの女のこと、忘れられないのね。不憫ふびんだわ……すでにあの女は、ふふふ』

「なにっ、レッドを知っているのか! 言えっ、彼女はどこだ! 今はどうしている!」

『およしなさいな、零号。みっともないわよ……貴方は捨てられた実験動物だもの、哀れにもほどがあるわ。かわいそう……ふふ、あはははっ! 笑いが止まらないの!』


 不意にラーテが急加速でバックした。

 咄嗟とっさに成太郎はハバキリを安定させる。両足でフットペダルを加減して踏み、操縦桿で姿勢を制御。同時に、左右のパネルに点滅するランプの光を目で追う。

 ハバキリの電算頭脳が成太郎の操縦を補佐し、次の入力をうながしてきた。

 両手に三八式歩兵銃を構えたまま、ハバキリはラーテの巨体から飛び降りる。着地と同時に銃口を向ければ、ラーテに異変が起こっていた。


天羽々斬アメノハバキリ……確か、日本神話で須佐之男スサノオ八岐大蛇ヤマタノオロチを退治するために使った神剣の名ね。でも、知ってるかしら? 退治した八岐大蛇から出てきたのが、天叢雲アメノムラクモ……そして、この戦いで天羽々斬は欠けてしまうの! 壊れてしまうのよ!』


 正しく大蛇オロチの如く、ラーテの主砲が左右ともに持ち上がる。まるで、スカーレットの声に呼応するかのようだ。

 そして、二門の主砲その間から……さらにもう一門、同じ大砲が生えてきた。

 D計画ディーけいかくの兵器は、時に自己進化、自己成長をすることがある。

 もともとラーテの砲塔は、シャルンホルスト級巡洋戦艦のものを使用している。搭載する際、三連装の中心の一門を軽量化のために取り払ったのだ。その失われた砲を取り戻し、大洋を統べる眷属けんぞくの力が蘇った。

 三門全てが、成太郎のハバキリを睨んで俯角ふかくかたむく。

 だが、遠のく意識に気合を入れて、裂帛れっぱくの決意を成太郎は奮い立たせた。


「D計画第二号、陸上戦艦ラーテ……これより撃滅し、完全に破壊する!」


 ハバキリのしなやかな足が地を蹴った。

 近代の兵器として安全面を考慮した、少女達のムラクモとは違う。被弾など前提にしていないし、行き交う弾丸や砲弾はこれを完全に回避することが求められた。

 大戦中の兵器とは、それ自体が狂気なのである。

 そして、成太郎もその狂気より生まれ出た兵器の部品……砲騎兵ブルームトルーパーという兵器の、使い捨てを前提とした動力源なのだった。

 ハバキリが高速で砲弾を避ける。

 ネルトリンゲンから引き剥がすように動いて、旋回する砲塔のさらに先へと走る。


「こいつをただの三八式歩兵銃と思うなよ……木製部分は高野山の神木より削り出し、銃身は学徒動員の女学生達が造り上げた魂の逸品いっぴんだ。その身で、味わえっ!」


 身を投げ出すようにして、炸裂する大地の上をハバキリが転がる。そのまま回避しつつ、ズシャリと片膝を突いての射撃ポジション……成太郎は、狭い前方の画面に照準のレティクルが浮かぶと同時に銃爪を引いた。

 発射された弾丸、否……砲弾は魔力を帯びて敵のD障壁ディナイアルシェードを食い破る。

 貫通して抜けた弾丸を振り返って、よろけるスカーレットの顔色が一変した。


『チィ! もしやその銃、対D計画用の……ふふ、そう。そうなの……』

「どいてろと言ったぞ、スカーレット! 銃剣じゅうけん、抜刀ッ!」


 立ち上がるハバキリが、腰の背後に手を伸ばす。

 鋭い刃が鞘走さやばしり、晴れ始めたきりを貫く月光に冴え冴えと輝く。

 手にした銃剣をクルクルと回しながら、ハバキリは三八式歩兵銃の先端へとそれをマウントした。


着剣ちゃっけん……突っ、撃っ! おおおっ! 終わり、だっ!」


 成太郎は、総身を切り裂き千切ちぎるような痛みに耐える。フルパワーを発揮するハバキリは、容赦も遠慮もなく成太郎の魔力を絞り出した。まるで魂が握り潰されるような感覚……だが、無線を通じて聴こえる仲間達の声が、成太郎の意識を繋ぎ止めた。


『成太郎、一意専心いちいせんしん! まっすぐ敵だけを見て……チェスト、だよっ!』

『シャンとしなって! 昭和の日本男児でしょ! 気合と根性、見せてよっ!』

『ハバキリの活動限界時間が近付いてますわ。これ以上魔力を吸われたら……一撃で決めてくださいな!』

『指揮官さんっ、もう少し! あと少しです! ガッツとファイトですっ!』


 朱谷灯アケヤトモリが、緋山霧沙ヒヤマキリサが、クレナイすおみが……そして、咲駆サキガケエルが、叫んでいた。

 雄叫びに身を震わす成太郎は、確かに少女達の声で現実と繋がっていた。そして、フル加速で地上の流星と化したハバキリは、余剰出力がオーバーロードして光輪を背負う。放熱テープが赤熱化してたなびき、白き修羅は光をまとった羅刹らせつとなった。

 成太郎は目の前のラーテへと、銃剣を付けた三八式歩兵銃を捩じ込んだ。

 驚くべき切れ味で、銃剣が重装甲へするりと飲み込まれる。

 即座に次弾を装填して、成太郎は零距離で最後の一撃を解き放つのだった。

 同時に、薄れゆく意識が世界を歪めて揺らし、成太郎を冷たい暗黒へと引きずり込んだ。

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