第43話別れの夜

「長らくお待たせして申し訳ありません。

 平家の怨霊に妨害されて足止めを・・・。」

藤原定家ふじわらのさだいえが最後まで言い終わらないうちに

式子内親王は彼を抱きしめた。


 そのころ、以仁王は家来の菅冠者すげかじゃと向かい合って

酒を飲んでいた。美男の菅冠者の正体は狐である。

定家の姉、竜寿御前りゅうじゅごぜんと相思相愛になったかと

思いきや、手紙で別れを告げられて菅冠者は落ち込んでいた。

竜寿御前は今まで自覚していなかった

式子内親王への想いに気づいてしまったのだ。


「同じ女にフラれた者同士、飲み明かそうではないか。」

と言いながら、ニヤニヤしている主君の顔を

菅冠者はまじまじと見つめた。


「この人、いつになったら自分が

 とっくに死んでいると気づくんだろう。

 柄にもなく、平家と戦う源氏方の武士に混じったりするから

 わが母上によってせっかく救われた命を落としたんだ。

 愚かなことよ。」

と狐の従者は内心あきれていた。


 式子内親王の異母妹、宣陽門院せんようもんいんは安徳天皇とおくり名された

幼帝が悲惨な最期を遂げたということを当然知っていたが、

本当はどこかで生きているのではないかと思っていた。

実際、以仁王が敗死した時ほどではないが、

幼帝の生存説が流れていた。

 前に一緒に遊んだときに幼帝が

忘れて行った愛用のまりを宣陽門院はまだもっていた。

 平家滅亡から数年たったある日、まりをついている妹を見て、


「あれ!そのまりはあのかわいそうな子がもっていた・・・。」

と式子は驚いた。


「ねえお姉さま、最後に会ったとき、

 あの人にまりを返そうとしたら

 いらないって突っ返されたの。

 わたしのこと、嫌いになったのかな?」

と宣陽門院は少し悲しそうに親子ほども年の離れた姉に尋ねた。


「それはたぶん、あなたにもっていて

 もらいたかったからじゃないのかな。

 戦続きじゃ遊ぶ暇ももうなかったでしょうから。」

と式子内親王はわずか6歳で入水した甥のかわいらしい顔を

思い浮かべながらため息をついた。

かわいらしい初恋はこうして終わりを告げたのである。

 宣陽門院は10歳ごろ、安徳天皇の異母弟である

後鳥羽院のきさきになることが検討されたが、

実現せず、院号宣下された。

彼女は父、後白河院から莫大な領地を相続して大きな権力を

もつようになった。政略結婚をするよりも

充実した人生だったに違いない。



「ねえ、姫様。ぼくはあなたの詠む歌には

 一生かかってもとうとう追いつけませんでしたよ。

 ぼくだけじゃなく、誰もあなたに

 代わる歌詠みはいない。ところで

 院様の死後に狐つき事件であなたが陥れられ、

 都を追放されそうになったとき、

 ぼくは追いかけていくつもりでした。

 ぼくが若いころ、宮中で暴力事件を起こして

 除籍されたときに処分が解けるように

 こっそり助けていただいた恩返しを

 いまだにできていないのが心残りです。」

と40歳になった定家は死の床にいる

式子内親王に語りかけた。

もう意識は混濁していて、言葉は届かない

とわかっていたが、定家は彼女に対する

激しい愛情を伝えようとなおも

話しかけようとした。

 そのとき、聞き覚えのある、

笛の音色が響いてきて、定家は戦慄をおぼえた。


「お願い!姫様をまだ連れて行かないで!」

とすがりつく定家を見ようともせず、

式子内親王は急に起き上がると、以仁王の亡霊と

手を取り合って去っていってしまった。

 一人残された定家は泣き崩れた。


「何だ、またあの夢か。」

と定家は真夜中に目を覚ますとつぶやいた。


「あの方を絶対忘れない。でも恋仲だったことを書いた

 ページは今すぐ全部燃やしてしまおう。

 おれももう、長くはない。」

と日記を読み返しながら、老いた定家は

狐が運んできた火鉢に手をかざした。



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インチキ平安恋物語 御簾の向こうの愛するひと ミミゴン @akikohachijou

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