第33話悪左府(藤原頼長)がごとき変態ぶり

「いててて。ここはどこだ。」

と意識が戻った以仁王もちひとおうは横たわったままあたりを見回した。

見覚えのない屋敷の内部に王は運ばれてきていた。

 すると屏風びょうぶの陰からぬっと恋敵こいがたき九条兼実くじょうかねざね

が姿を現したので王は悲鳴を上げ、まだ痛みが残る

体で必死に起き上がった。

「ようこそ高倉宮様!女装姿で女の元に忍んでこられるとは

 なかなか風流ですな。わたくし、前にちらりと

 あなたの姿をお見掛けして以来、

 ずっとあなたをお慕い申し上げておりました。」

とにやにやしながら兼実は言った。

「な、なにを申すか。そなたは男ではないか。」

と父の後白河法皇と違って男色だんしょくにさほど興味がない王は

同性からの愛の告白に怖気おぞけをふるった。

「あなたのようにお美しい方なら男であろうが

 女であろうが関係ないのです。

 わたしはあなたの愛した女房にょうぼうと肌を合わせることで

 間接的にあなたに触れる喜びを味わっていましたが

 こうしてじかに触れあえる日がくるとは嬉しい限りです。」

などと聞くにえないほど

いやらしいことを言いながら、

不気味な笑みを浮かべた兼実が

熱いまなざしを送ってきたので、

王の全身に鳥肌が立った。

兼実は舌なめずりしながら変質者そのものといった

顔つきで、王の方ににじり寄って

くると、王の髪をなで、顔を近づけてきた。

「やめろ!こっちに来るな!

 さっきから気色悪いせりふを

 並べ立てやがって許さんぞ!

 まろの体に気安くふれるでない!」

と間の抜けた叫び声をあげ、王は

ついたてや屏風を倒し、部屋中を逃げ回った。

しかしついに壁際に追い詰められ、息も絶え絶えになった

王はあまりの情けなさに泣きながら袖で顔を覆った。

「こんなことになるなら、平家の手にかかって死んだ

 方がましだった。」

と心の中で嘆きながら。弱気になって

悲嘆にくれる王の仕草に妖艶な色香がただよい、

兼実の情欲をそそった。

「あなたは妹宮(式子)よりずっと美しい。

 わたくしのものになってください。

 言うことを聞かないと、平家に引き渡しますよ。」

と脅しをかけながら、兼実は王に抱き着いて

おおいかぶさってきた。

「いやだあ!気持ち悪い!誰か助けてくれえ!」

という哀れな王の悲鳴がこだました。

 王の着物ははだけて上半身は裸同然になり、

髪はみだれて目をそむけたくなるほど悲惨な状態だ。

 そこに戸板を破って、優美な姿の若い男がなだれこんできた。

それは王の詩歌管弦しいかかんげんの遊びの仲間であった菅冠者すげのかじゃであった。

「宮様、ご無事ですか!」

と以仁王をはるかに上回る美丈夫は言った。

菅冠者すげのかじゃ!達者だったのか!まろはそなたが

 てっきり死んだ者とあきらめていたのだ。」

と言いながら王は菅冠者の方に逃げようとしたが

兼実に足をかけられて転んだ。

「なんだお前は。影武者で高倉宮の身代わりに

 死んだとかいうやつか。

 お前の方がそこの弱虫よりずっと美しいな。

 こんなひ弱な男(以仁王)は平家に引き渡してやるまでだ。

 おい、そこのお前、今からわしの相手になれ。」

と兼実は菅冠者につかみかかろうとしたが、

「やなこった!このど変態野郎!」

と菅冠者に足蹴にされて兼実は仰向あおむけに倒れた。

そのすきによりめく足取りで王は逃げ出して

菅冠者の後ろに隠れた。

「まるで悪左府あくさふが乗り移ったかのようなふるまいですな。

 とても正気とは思えない。けがらわしい。」

と菅冠者が眉間みけんにしわを寄せて兼実をにらみつけると、

「はははは。よくわかったな。

 わしは悪左府こと、藤原頼長ふじわらのよりなが保元ほうげんの乱で非業ひごうの死を

 遂げて以来、誰かの体を乗っ取って男色にふけってやろうと

 いつもすきをうかがっていたのだ。

 おれは美しい男に目がないが、死んで

 肉体を失ってから20年以上の間、

 激しい情欲にさいなまれ続けて

 いつも飢えに苦しんでいたのだからな。

 いつかまたあの強烈な快楽を

 味わう日がくることを

 待ち望んでいたのだ。そんなとき、

 ちょうどおれの甥にあたるこの兼実が

 この高倉宮(以仁王)のお高くとまった妹(式子)に

 ふられて激しく恨んでいたので

 乗り移ってあの女を夜中に襲ってやろうとしたのだ。」

とまくしたてたので菅冠者も以仁王も

あまりの怒りにぶるぶる震え、何も言えないほどだった。

藤原頼長は生前、男色を好み、

相手の男がいやがるのもかまわず強引におかしたという。

保元の乱のときは崇徳上皇すとくじょうこう側について敗北し、

首を矢で射ぬかれて戦死したのである。なお、

九条兼実はこの悪名高い頼長の異母兄、忠通ただみちの六男である。

「ふざけるな!死んでもおまえみたいな汚らわしい怨霊

 の思い通りにはさせぬ!」

と菅冠者が剣を抜いて頼長に体を乗っ取られた兼実に突きつけた。

 そのとき、いきなり定家さだいえが飛び込んできて、

「この人、ほんとうに九条殿なの!?

 いつも会っているときと全然違う!

 目は吊り上がって顔色は赤黒くなってまるで鬼のようだ!

 誰だかわからないほど顔つきも声も変わってしまって。」

夜叉やしゃのような形相ぎょうそうで目を血走らせて

いる男の姿を見て叫んだ。

定家は九条兼実から見せたいものがあるから

至急屋敷に来いという知らせを受けて

急ぎ駆けつけていたのであった。

それがなんだったのかはいうまでもないが…。

 それから定家は菅冠者の方に向き直って、

「悪左府の怨霊おんりょうがしたことは許せないし

 厳しく罰するべきですが、

 この怨霊にとりつかれている

 九条殿はおれと父上(藤原俊成)が

 つかえている大切な主人なので

 どうか傷つけないでください。」

と菅冠者に向かって哀願あいがんした。

 しかし当の兼実は今、悪左府そのものになっているので

「おっ、おまえはいつぞやおれの邪魔をしようとした

 小僧だな。懲らしめてやる!」

と定家に敵意を向けてきた。

「なんだと!おれを襲おうってのか!」

とぎょっとした定家が叫ぶと、

「おまえのようなぶ男に興味はない!」

と怒鳴りながら悪左府は定家を蹴っ飛ばして

その体を遠くに吹っ飛ばしてしまった。

「テイカ!」

と以仁王は悲鳴を上げた。

「おまえら全員ぶっ殺してやる!」

と吠えながら、悪左府は突進してきて

菅冠者と取っ組み合いになった。

 さすがは悪霊で、とうとう華奢きゃしゃ

菅冠者を引きずり倒して馬乗りになると

何回も頭を殴りつけた。

「大変だ!このままでは冠者が殺されてしまう!」

と王はおろおろするばかりだったが、

「宮様、何でもいいので小枝で一曲奏かなでてください。」

と小声で菅冠者が言ったので王は面食らった。

「今はのんきに笛など吹いている場合ではないと思うが。」

と思いながらも、王は言う通りに

ふところから愛用の笛である小枝を取り出して吹き始めた。

すると突然、

「グワーッ!」

と絶叫して兼実が口からどす黒い煙を吐き出した。

そしてばたりと気絶してしまった。

 そこにタイミングよく妖狐が現れ、

ふところからとても小さな壺を取り出した。

さっきの怪しい煙が壺の中に吸い込まれていき、

妖狐は素早くふたをしてまたそれをしまいこんだ。

「もしかして死んだのかな?」

と思って倒れた男の顔を菅冠者と以仁王がこわごわのぞきこむと、

さっきまで荒れくるっていた時と

似ても似つかない神経質そうな顔つきのまったくの別人

に変わっていたので驚きの叫びをあげた。

 次の瞬間、菅冠者は妖狐の方を向いて、

「母上、来るのが遅いですよ。」

と言ったので、以仁王は面食らった。

「おぬし、狐であったのか。どうりで

 なんでもできる上に、輝くような

 美しい姿をしているわけだ。」

と友人の人間離れした美貌を見ながら

以仁王はしみじみとした様子で言った。

「はいそうなんです。今まで黙っててごめんなさい。」

と菅冠者は言った。

「それにしても30過ぎの男の母親には見えないな。

 そなたの方が若く見えるほどだ。

 妹かなにかみたいだな。」

と王は妖狐の姿をじろじろ見ながらつぶやいた。

「あら、宮様、お世辞がお上手なのですね。

 それにしても宮様が夜中にふらふら出歩いて

 おとりになってくれたおかげで

 今夜やっとにっくき怨霊を捕まえることができました。」

と妖狐がにやにやしながらからかったので、

「なんだと!まろはおとりに使われたのか!許さん!」

と以仁王は憤慨して真っ赤になった。

菅冠者は横で笑いをこらえていた。

 ところがそのとき、異変を察知した九条家の家来が

バタバタと駆けつけてくる足音が響いてきた。

「大変です。宮様、お逃げください。」

というと、妖狐が

「さあ、こっちへいらっしゃい。」

と言いながら、以仁王の手を取って塀の崩れたところから

敷地の外に連れ出した。

「おまえの息子は一緒に来ないのか?」

と心配そうに王が友の身を案じると、

「九条兼実や家来たちに今夜の出来事を

 完全に忘れさせるか、それが無理なら夢だと思い込ませる

 術を使うため残っているのです。」

と妖狐は説明して納得させた。

 ちょうどそのころ、怨霊に蹴とばされた定家は

木の枝に服の襟が引っかかってぶら下がったまま

身動きが取れなくなって困っていた。

怨霊のすさまじいエネルギーによる強烈キックを

まともに浴びて、右京の方までふっとばされてきたのだ。

「あーあ、早く誰か助けに来てくれないかなあ。

 月が手に届きそうだ。」

と定家は高い木のてっぺんで嘆いていたのだった。


 


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