第32話生きながら死んだ身

 妖狐から借りたかくみのをきた以仁王もちひとおう

愛妻である三位局さんみのつぼねのところに忍んでいくことにした。

「まろが生きていると知ったら絶対喜ぶだろうな。

 うふふ。3人目ができちゃうかも。」

などと能天気な王はにやついていた。

 三位局は八条院の筆頭女房なので

八条院の御所に居住していた。

夜中に三位局の住む部屋に足音を忍ばせて入った王は

彼女が九条兼実くじょうかねざねと枕を

並べているのを見て衝撃を受けた。

「もう違う相手ができていたのか!」

と王は打ちのめされた。

 しかも三位局は幸せそうな明るい笑い声を立て、

男の肩に頭をもたせかけていた。

「まろといたころより楽しそうではないか。」

と2人の仲睦なかむつまじい様子を目の当たりにして以仁王は涙ぐんだ。

 姿が見えないのをいいことに王は

兼実の頭をげんこつでポカリと殴りつけた。

「いたた。急に頭が痛くなった。」

と兼実がうめくと、三位局は

「大丈夫ですか?あなたに何かあったら、

 わたし生きていけません。」

「あの宮よりも俺のことを好いてくれるか?」

「はい。見た目が女々めめしくて

 好みではありませんでしたが

 わたしの主人である女院にょいんさま(八条院)の言いつけで

 仕方なく妻になっていたのです。」

などと2人は以仁王の悪口を言って笑い声をあげた。

 それ以上聞くにえず、

以仁王は部屋を飛び出して三条高倉の御所に逃げ帰った。 

「わずか半年で人の気持ちはこうも変わってしまうのか。

 いや、まろは初めからあの女に愛されてなかった。

 ああ、もう出家したい。どうせまろは

 生きながら死んだ身だ。平家の手にかかって

 死んだことになっている、

 この世のどこにもいない存在だ。

兄上に頼んでどこか田舎の寺の住職になろう。

 そして一生都に戻らず余生をひっそりと送ろう。」

などとめそめそ泣きながら以仁王は弱気になっていた。

 しかし突然竜寿の可憐な姿が王の頭の中に浮かんだ。

「いやいや、あのかわいい小娘を手に入れるまでは

 出家などできぬ。」

と目に不気味な光をたたえながら、

王は竜寿の住んでいる部屋に忍んでいった。

竜寿は個室を与えられ、一人で寝起きしていた。

 夜が更けていたのですでに寝ていた竜寿は

人の気配に気づいてあわてて跳ね起きた。

「まろは妻に捨てられたんだ。慰めてくれよお。」

と言いながら王は竜寿に抱き着こうとしたが、

するりと腕の中をすり抜けて、竜寿は逃げ出した。

真っ暗な部屋の中をばたばた走って王は竜寿を追い回した。

「いやだって言ってるでしょ!あなた怖い!」

と竜寿は泣きそうになりながら叫んだが、

「まろの女になれ!」

と王はほざいて、とうとう竜寿は壁際まで追い詰められてしまった。

 そこに突然、定家さだいえが現れ、

両手を広げて2人の間に割って入った。

「おやめください!僕の大切な人を傷つけるなんて、

 いくら宮様でも許しませんよ!」

と定家は王の顔をキッとにらみつけながら叫んだ。

「ふん!さっさとどけ!大切な人だなんて恋人みたいなこと言うな。

 どうせお前らはまろが謀反人だと思って嫌っているのだろう。」

と王は定家にくってかかった。

「そうではありません。おびえている姉の気持ちを無視して

 追い回すのはやめていただきたいのです。」

と定家。

「お兄様、これ以上竜寿を苦しめないでください!」

という式子内親王しょくしないしんのうの悲痛な叫び声が聞こえて一同、

ぎょっとしてその場に棒立ちになった。

「なんだ、まだ起きてたのか。してただけだよ。」

となんとも愚かな言い訳で王はごまかそうとしたが、

「わたしのかわいい妹をいじめる人は家から出て行って!」

と烈火のごとく怒った式子に怒鳴られ、

「わかったよ。どうせまろはいらない人間だよ。

 父上には見殺しにされ、妻には捨てられ、

 おまえにまで嫌われるとはな。」

とぶつぶつ言いながら王は御所を飛び出していった。

「気が付かなくてごめんなさいね。

 兄があんな人だとは思わなかったわ。」

と式子は竜寿にわびた。そして定家の方に向き直り、

「テイカ、あなたって姉思いのやさしい人なのね。

 あなたの奥さんになる人は幸せね。」

と式子が言ったので、

「ぼくが愛しているのはあなた一人です。

 他の誰とも結婚したくありません。」

ときっぱり言ってのけたので式子は赤面した。

「わたしはあなたのお姉さんより5歳も年上なのよ。」

「それがどうしたっていうんです。ぼくは

 あなたでなければだめなんです。」

と定家は式子の手をにぎりながら熱く語った。

 2人が寄り添って話し込んでいる間、

竜寿は気を利かせて寝たふりをしていた。

「まったく。あんなに怖い思いしたんだから

 もっとやさしくしてほしいものだわ。

 ま、そのおかげで弟の株が上がったわけか。

 なんか自分だけすごく損した気分だわ。

 男性恐怖症になったらどうしてくれるのかしら。」

と竜寿は目を閉じたまま考えていた。

 一方、御所を飛び出した王は隠れ蓑を着て

再び八条院の御所に向かった。

まだ兼実が部屋にいるので、いなくなるまで

王は庭に隠れて待つことにした。

ところが隠れ蓑で王の姿は見えなくなっていたが

満月の夜なので影がくっきりと地面に伸びていた。

 ようやく兼実が部屋から出てきたが、

王の立っている場所に影があるのを見咎とがめて、

「なんだあの怪しい影は。もののけかもしれぬ。

 おぬし、見てこい。」

と家来に命じて見に行かせた。

 家来は以仁王に背後から体当たりして地面に組み伏せた。

その拍子に隠れ蓑が外れて姿があらわになってしまった。

「しまった。正体がばれたら平家に引き渡されるかもしれぬ。

 まろは黙っていれば女にしかみえないらしいから

 何とかごまかして すきを見て逃げ出そう。」

と女装姿の王は袖で顔を隠して震えていた。

 そこに九条兼実がやってきて、

「おや、ごくろう。捕まえたか。どうせ魔性のものだろうが、

 なかなかいい女じゃな。」

と好色な笑いを浮かべて王の顔をのぞきこもうとした。

 そのとき、むらむらと怒りがわいた王は

「おのれ!よくもまろの妻を寝取ったな!」

と叫んでつかみかかろうとしたが、

家来にみぞおちのあたりを殴られ

目の前が真っ暗になって気絶した。

 



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