慈母の國


 ■8■


 広場に出た。一見、バーベキュー場のようである。

 陽気な音楽が、リズムを刻む。20人程の男女が、ジャンクフードに食いついてたり、談笑したり、生き生きと楽しげな雰囲気だ。

「意外に肥った人、居ないですね」

「山の生活は大変でね。嬉しい誤算だ」

 いくらか警戒の視線が刺さるが、ハルマに対する一定の信頼があるのか、住人達は概ね好意的な対応をしてくれている。

「あいつは、有名ファストフード店の元従業員。あっちには、コーヒーチェーンのバリスタが居る」

 音楽に合わせて、ログハウスに描かれたグラフィティが踊り、跳ねる。光学塗料━━塗るだけで映像を投射するディスプレイになる━━で描かれたグラフィティ。自由の國のストリートアートも今では、田舎でしかお目にかかれない。

「各炭酸飲料の、秘密のレシピを再現しようと、躍起になっている奴もいる」


 ハルマは、調理中の男に、親しげに注文をする。

 フライドポテトが出来上がる時、ピロリピロリと懐かしい電子音が鳴った。

「芸が細かいだろ」

 ハルマは眉を上げ、ニヤリと笑った。


 木のベンチに二人で腰掛けて、懐かしいトレイを置く。下にはチラシではなく、古新聞だけど雰囲気は充分だ。

 コーラに、ポテト、ハンバーガー。甘味料とバターの香りが漂う。

 夢にまで見たファストフードを前にして、私の胸は高鳴った。

「食べていい?」

「いいよ。ポテトは、少し頂戴」

 どうぞどうぞと促すと、ハルマはつまみながら一言。

「ジャンクの園に来るくらいだ。どんな生き方をしてたんだ?」

「なに、カウンセリングでもするつもり?」

「違うよ、単なる興味。飯を奢ったんだ、ギブアンドテイクでイイだろ」

 私の過去の査定額。自分で鑑定するとしても、ジャンクフードくらいが丁度いい。


 ■9■


 私の事を話す前に、一つの問題を出した。

「私が、じぃじの家に入り浸っていた理由は、なんだと思う?」

「友達が少なかったから、とか」

 即答されるほどに、陰鬱に見えるのか。

 うんざり顔で、私は答える。

「半分、正解」


「もう半分は?」ハルマは聞く。


「もう半分は━━」

 視線を上空に漂わす。霧から洩れる淡い光に、母の面影を重ねた。

「━━友達が少なかったことを、母に悟られたくなかったから」


 ■10■


 母は、昔から穏やかで優しい人だった。人に対して強く出られず、摩擦を回避することに心を砕く人だったが、それが母の良いところでもあった。

『ただいまー』

『アキ、おかえり』

 帰ると、母はいつも家に居た。

 女性の社会進出を推進する現代では珍しい、専業主婦だった。


 仕事場に馴染めずに気を揉んでいた母を、父が思いやり、その状況に至ったという。

 そして、専業主婦という形を許してくれる父の為に、母は申し分ないほど、家庭での役割をこなしていた。

 両親は互いに尊重しあい、仲は理想的すぎるほど良好だった。

 もしかしたらその夫婦間に、私という存在は余剰だったのかもしれない。


『もうすぐ、料理できるからね。配膳あとで手伝って』

『うん』

 専業主婦の仕事とは何か。

 世界で一番クリエイティヴな仕事のこと。

 家事と子育てのこと。


 母の料理はいつも美味しいし、キッチンは常に綺麗だった。

 母は、きめ細やかに家事をこなした。


 では、子育てはどうか。

 もちろん、抜かりない。


 別に、しつけが厳しかった訳じゃない。学歴云々などとプレッシャーを掛けることも、強烈な監視や干渉もなかった。

 何か問題を起こしても、感情や暴力をぶつけたりせず、理解をしようと努めてくれた。

 理想的な母だった。


 ■11■


「ちょっと待て。じゃあ、何が悪いんだ。何が嫌だったんだ?」

 ここまで話すと、ハルマは我慢できずに言葉を挟む。私は表情を柔くしようと試みたが、たぶん、ひきつっているはずだ。


「母の悲しむ顔は、あまりに鋭利だったの」


 私の存在は、母の生き方の大部分を占めている。その自覚があった。罪悪感があった。


 常に慈しみに溢れ、常に私の心配をしてくれている。そんな母を裏切って、悲しむ顔は見たくない。

「母が悲しむ行動は、出来なかった。気づいた時には、そんな思考パターンになってた。手堅く、優等生的な選択をすれば、母は心配しないし、とりあえずは解放されたような気分になる」


 私の母は、この世界、この國の有り様を写し取ったかのような人だ った。


 慈しみ律せよ。巧妙に漂白された言動で、罪悪感と恐れをチクリチクリと刺していく。


『大丈夫?』

『それは、ちょっと大変そうだけど』

『私はこう感じるの』

 すべて、躊躇いがちな母が出来る、最大限の否定。母のこの言葉と共に、ひきつった笑顔が出たら、私は意見を取り下げた。


 母は迂遠な言葉づかいで、何かを伝えてきている。そう気づいたのは、いつからだろうか。

 母が丁寧に覆い隠している意図。いつからか私は、それを読み解く為に沢山の集中力を割いていた。


 いつの間にか母のため息ひとつに、私はぴくりと体を震わすようになった。意図を読もうと集中し、臨戦態勢を取っていた。呼吸ひとつでコントロールされていた。


 母にとって家庭は全て。家庭は、母の呼吸に支配された、ひとつの國だった。


 ■12■


『いつでも、うちに来るといいよ』

『ありがと、じぃじ』

 つまりは結局、じぃじの縁側は、母の國の支配が及ばない領域だったのだ。

 じぃじが居なくなるというのは、私の小さな小さな居場所が喪われるということだった。


 そして、母に似たこの國も、とても息苦しい。人という動物は、子供を育み過ぎている。

「だから、来たかったの━━」

 ジャンクの園に、私はじぃじの縁側の安らぎを重ねていた。

「━━慈母の支配が及ばないところに」


 私は語り終えると、ふぅと一息つく。

 今日会ったばかりの人に話すことなのだろうか。しかし、赤の他人ほど、心の奥底のものを打ち明けてしまう。


 ハルマは、俯いた私の顔を覗き込んでいた。

 ねぇ、ハルマ。私はどんな表情をしている?

「とっておきを見せてやるよ」

 ハルマは立ち上がり、私の手を引いた。


 ■13■


 豚の鳴き声が聞こえる。豚舎に向かっているという。

「それ、猟銃?」

 ハルマが抱えるモノについて、恐る恐る聞きながら、私は眉をひそめる。

「ここは特に、熊が出る。餌があるからな」

 ハルマが顎をしゃくった先に、豚舎が見えた。

 豚舎の扉が軋んだ音を響かせた開く。

「消費社会にどっぷり浸かった俺らの、最初の課題。牧畜、屠畜に解体、食肉加工」

 ハルマに促されて入ると、丸々と太った豚たちが、空虚な瞳で見つめてくる。食べられることを運命づけられているからか、諦念に裏打ちされた全てを見透かすような瞳に、鳥肌が立った。

「スーパーのブロック肉の状態しか知らなくてさ、困ったよ」

 元々、ここで自給自足していた人々から学んでいったという。

 さてと、とハルマが準備運動を始めたのが、やけに気になった。


 ■14■


 それから、いくらか無為なお喋りが続いたが、ハルマの緊張感は充分に伝わった。


「ねぇ、他も案内してよ」

 得たいのしれない違和感だけに、移動したかった。

「いや、たぶん、そんな暇は無いよ」

「な、なんで?」

 私は狼狽を隠しきれなかった。ハルマは悲しい顔をしていた。


「だってもう逃げなきゃ。もう隠す必要は無いだろ。マトリのアキさん?」

 私はどきりとする。と同時に、髪に隠れていた無線に上司の声が飛んでくる。

『おい、大麻畑を見つけたぞ』

 大麻コミュニティの一斉検挙だと、いつバレたのだろうか。私が、マトリ━━厚生労働省の麻薬取締官━━だと、いつ気づいたのだろうか。

 今となってはどうでもいい。


「動かないで」

 一瞬で豚舎に敵意が充満し、ハルマの猟銃と私の拳銃ベレッタの、射線が向かい合う。

「誤解しないでくれ。僕らは大麻に興味はない。けれど、どうしても家畜の餌の為に、資本が必要だったからね」

「関係ない」

 私は毅然とした態度で、言い放つ。

 今回、私のおとり捜査と平行して、他の取締官が畑の捜索をしていた。

 昔じぃじから聞いたコミューンが、大麻の生産地になっていると捜査線に浮上してきた時は、かなり驚いた。けれども、結果的に昔から憧れたジャンクフードを食べれたのはラッキーだった。


 ハルマはゆったりと出口へ引き下がる。

「資本主義の園を作るには、やっぱり資本が欠かせなかったんだ」

 私はハルマの言葉に、耳を貸さない。

「逃げられないよ。諦めなさい」

「それはどうかな?」

 ハルマがニヤリとしたその途端、視界を閃光が覆った。

 理解するのに時間が掛かった。豚舎一杯の、豚の肌が、ストロボのようにチカチカと瞬いている。

 ━━光学塗料か。

 過去、家畜にペイントして大批判を食らったストリートアーティストが居たのを、頭の片隅で思い出した。


 扉を開け放つような音がした。ハルマが消えている。

 追わなければ。出口へと、体は即座に動き出す。

 外へ出ると、一段と霧が立ち込めていた。

 逃げたと思われる方向へと駆け出すが、次第に霧の淡い光に方向感覚が狂い、ここが何処か分からなくなる。


 見失ったか。リーダー格であろう男を逃したという事実に、うんざりする。

 諦念に頭をもたげた、その瞬間━━。


 ━━背中に冷たい金属を、突き付けられる感覚がした。

「僕の勝ちだ」

 ちらりと後ろを見ると、トレッキングウェアが迷彩に変わっている。光学塗料は、元々アメリカ軍の開発したスニーキングアイテムだった。


「脂も塩味もカフェインも、自堕落な生活も、無為なお喋りも、全部譲れないんだわ」


 そして、最初の場面に至る。


 ■15■


「じゃあ、どうするの? 世界は、他人を慈しめ、自分を律せよ、と更に煩くなってくるよ」


「耳を塞いで、何度でもジャンクの園を造るまでだ」


 ハルマは即答する。埒があかない、話題を変える。

「私を撃ったら、音ですぐ場所がバレる。もう逃げられない」

 もちろん、撃たなければ、私が捕まえる。

 最後にして痛恨のミスだ。ハルマは、私の背後を取るが為に、逃げ場を失った。詰んでいるはずた。


「撃たないよ、アキさん」

 ハルマの声は酷く優しい響きだった。


「なぜ豚舎に呼んだと思う? ここからだったら、一緒に姿を消せるからだ」

「何を言ってるの?」

「たぶん、君はこっち側の人間だよ。さっきの母の話は本当だろ? 役職はマトリだが、中身は居場所を失った、寂しい人だ」

 私は沈黙で答えを返す。

「優秀な君なら大歓迎だ、一緒に来ないか」

 敵に対して、ハルマのあまりに飄々とした物言いに、言葉が詰まる。


 背中を向けていて良かった。狼狽えて、泳いだ目を見られたくなかった。子供の頃に、じぃじに聞いて夢見ていた、小さな楽園のチケットが差し出されている。


 逡巡の後に、言葉を強引に絞り出した。

「無理。裏切れない」

 突き付けられた銃口から、ハルマの動揺が伝わった気がした。

「残念だ。まだ、母の支配は解けてないってことか」

 背中に当たる銃の感触が消える。

「いつか、再会しよう」

 振り返ると、ハルマが霧の中にすぅっと姿を溶け込ましていくのが見えた。


 私はその場にへたり込んだ。追い掛ける気持ちが、完全に消え失せていた。

 いつか私も、ジャンクの園に。

 その可能性を断ち切れなかった。そして、犯罪者の一人が逃げた事実だけ残った。


 後悔は冷たい霧となり、私にまとわりつく。


 霧に拡散された淡い光に希望を重ねるのは、あまりに自分勝手で自惚れが過ぎるだろうか。


 ■End■

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ジャンクの園、慈母の國。 緯糸ひつじ @wool-5kw

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ