親政、始まる

 ―――闇の女王シェキーナは、斯くて誕生した……。


 シェキーナがアヴォー老の要請を受けて数日後……。

 この日、新魔王城「隠れの宮」の「王の間」では、ささやかながら戴冠式が行われたのだった。

 盛大に行われなかったのは、偏に人界の注意を引かない為であったのは言うまでもない。

 今、新たな魔王の誕生を四界に知れ渡るほど広く公表してしまっては、敵対勢力の誘引を引き起こし、争いの火種となりかねないのだ。

 

 シェキーナは先日、人界との戦争を公言した。

 しかしそれは、何時でも即座にと言う訳では無い。

 シェキーナとて馬鹿では無い。

 今の魔界の状態では、まともに戦争を行えるとは思っていない。

 事を成すには、正しく人事を尽くして天命を待つ必要があるのだ。


  ―――もっとも、シェキーナは「神」等と言うものを信じている訳では無いのだが。


 それでも、可能な限り準備を整えてこそ、目的を達する事が出来ると言うものであった。


「これより我等は、闇の女王を主と掲げ、その導きと共に歩んで行くだろう!」


 シェキーナの頭に冠を捧げたアヴォー老は、声高に魔王の間へと集まった衆人達へと宣言し、それを切っ掛けに怒号が湧き上がった。

 それは、シェキーナを……新たな魔王の誕生を称える声であった。


 もっともその大半は、アヴォー老を筆頭とする「穏健派」「エルナーシャ支持派」の部族長とその臣下であったのだが。

 多くの……特に「武闘派」を多く有する“北大陸”の部族は、この戴冠式に使者を送るに留まっていた。

 問題も少なくなく、戴冠した経緯は兎も角として、シェキーナはこの日この時……「闇の女王」となり魔界を率いる事となったのだった。




 

 そしてこの日から、早速シェキーナの手による魔族の統治が実施された。

 

 特にシェキーナが注力したのは、一時の弱体化から立ち直りつつあるとはいえ、まだまだ強化が必要な魔王軍への指揮指導であった。

 親衛隊候補生達も、新たに正式な親衛隊士として同隊へ配属となり、ジェルマ=ガーラントを若き隊長として、その下には双子の魔族シルカ、メルカのレンブルム姉妹を副隊長格として据え置き、組織として強固な体制を確立させていった。


 もっともそれと同時に、シェキーナ自らが訓練の指導を執り行い、彼等は今までにない地獄を見る事となっているのだが。


 同様に正規軍の訓練にもテコ入れを行い、特に魔導戦士部隊の練度向上は目を見張る物となったのだった。

 これらの指導に於いて大きく役立ったのは、メルルの残した指導要綱であった。


 勿論、政務も疎かにしてはいない。


 僅かな時間を見つけては、シェキーナは齎される報告書に目を通し、適宜指示を与えて行く。

 また殆どの者が寝静まる夜も遅くまで執務に専念し、決して内政を滞らせるような事は無かった。

 先の「独裁政権」宣言は、それを聞いた者に恐怖と不安を与えたのだが、実際は実に精力的に内政業務を取り組んでいたのだった。


 それは、周囲の者が不安になる程に……であった。


 ―――闇の女王戴冠より……2ヶ月後。


「闇の女王様……少しはお休み下され。これではご体調を崩してしまわれますじゃ」


 信じられない様な激務を連日熟すシェキーナに、さしものアヴォー老もそう注進したのだった。

 実はこの言は、エルナーシャに懇願されてのものだ。

 アヴォー老も気には掛けていたが、それでも意見しようとまでは考えていなかった。

 別段、老に含むところがあった訳では無い。

 シェキーナとて成人……下手をすれば、この魔界の誰よりも長く生きているのだ。

 そんな「大人の女性」に、体調云々についてわざわざ忠告する必要性を感じていなかっただけなのだ。

 

 それでも、そうは感じない者も居る。


 特に、肉親に近い情を抱くエルナーシャやレヴィア、アエッタなどは、何時寝ているかもしれない程働くシェキーナの姿を見て、ただただ心配だけを募らせていた。





「シェキーナ母様、少しはお休みくださいっ!」


「……確かに……シェキーナ様は少し……執務に根を詰め過ぎているのではないかと……」


「少し休んだ方が……逆に効率は良くなります……」


 エルナーシャ、レヴィア、アエッタは揃ってそうシェキーナへと言葉を掛ける。

 意見をする……と言う程の強い口調では無い。

 意見が出来る様な人生の経験も、そんな権限も3人には無いのだ。

 だから、親しき者として……エルナーシャに至っては娘として、そう注意を促すより他に無かったのだが。


「ふふふ……。エルナ、レヴィア、アエッタ……心配は無用よ。それとも、私に手を抜けと……さぼれと言うの?」


 幾度目かともなるこの話も、シェキーナの煙を巻く返答にいつも通り閉口させられるだけであった。

 そして途方に暮れたエルナーシャ達は、アヴォー老に頼ったと言う顛末だったのだ。





「ふふふ……。老まであの娘達と同じことを言う。魔界の統治者である私が動かないでどうすると言うのだ?」


 アヴォー老の言に、シェキーナは笑ってそう返答したのだが。


「闇の女王様の働きぶり、このアヴォー=ディナト、感服いたしておりまするじゃ。ですが、現状はそこまで御身を酷使する程の差し迫った状況ではございませんですじゃ。それよりもまずは、魔界の事……魔族の事をより知っていただく事も肝要であると御注進致しますじゃ」


 アヴォー老には、シェキーナがやんわりとだろうと拒絶する事が分かっていたのだろう。

 然して間を置く事も無く、そう切り替えしたのだった。


 確かにシェキーナは、魔界に滞在した期間こそそれなりであっても、魔界の事……魔族の事……その生活や風俗などを知り得た訳では無い。

 あくまでも客分扱いとして、魔王城に滞在していただけだった。

 

「……ふむ。確かに私は、魔界の事には疎い……。だがそれは、老を始めとした首脳陣が補ってくだされば良いのではないか?」


 そしてシェキーナも、アヴォー老の言葉を頭ごなしに否定したりはしなかった。

 ただしそれはそのまま、彼の言葉に従うと言うのではないのだが。


「私とて、いつまでも政務に携わっていられるとは限りませんじゃ。そして何よりも、闇の女王様が実際に知り、感じ取る事も様々な判断材料となるのではないでしょうか?」


 高齢であり、政務の中枢であるアヴォー老にそう言われれば、さしものシェキーナもそれ以上反論できなかった。

 魔族は長寿……とは言え、寿命は確実にあるのだ。

 遥かに長い寿命を持つエルフ族ならば、アヴォー老の年齢からでも後数百年は生き長らえる事が出来る。

 だが魔族である彼は、それこそその寿命は残り100年あるかないかなのだ。

 

「……それで? 私にどうしろと言うのだ? あなた方の言に従って、一切の政務を放棄して何もしない様にすれば良いのか?」


 だからと言って、政務を休んだシェキーナには何をして良いのか案が浮かばなかったのだった。

 

「……いえ、闇の女王様にはがありますじゃ。それは兎も角として……」


 アヴォー老には代案があるのだろう、それを含んだ物言いをするも、敢えて話題を変える様な言い回しをした。

 怪訝な顔となるシェキーナは、何かを言いかけるもアヴォー老の次に発する言葉を待った。


「……ですじゃ……。あれはあのまま、継続的に続ければ宜しいのですかの?」


 そう切り出されて、シェキーナの眼に鋭い光が灯る。


「……ああ、当分は続けてくれ。人界には、何としても魔界へと注意を向けて貰わなければならないが、簡単に軍備を整えられても面白くないからな」


 ニヤリとあくどい笑みを浮かべたシェキーナがアヴォー老へとそう返答し、それを受けた老は背筋にゾクリと冷たいものを感じた。


「……分かりましたじゃ……。それでは、定期的に妖魔どもを人界へと送り込んでおきますじゃ」


 アヴォー老は恭しく頭を下げて了承の意を示した。

 それをシェキーナは、鷹揚に頷いて応えたのだった。


 妖魔とは、人では無く妖精や精霊、幻獣でもない、魔界に住む下等生物の存在を指す。

 一定のコミュニティーを築いてはいるものの知能は低く、その住居としている場所は岩山に出来た洞窟などが主であり、人族や魔族、その他の知性を持つ種族とは殆ど交わりが無い。

 人の集落を襲う事もあり、度々問題となっては討伐されている存在であった。

 ただし野生の獣の様に「強い者」には従順であり、簡単な命令ならば従う事も出来る。


 シェキーナは妖魔の中でも特に下等である“ゴブリン”や“コボルド”と言った種族を、定期的に小数団、人界へと送り込んでいたのだ。


 それで人界の被害が甚大になる等と言う事は無い。

 しかしそれにより、人界に混乱を引き起こす事が出来るのだ。

 あくまでも時間稼ぎ程度にしかならないものの、それにより人族の目は襲い来る妖魔たちへと向かい、多少なりとも被害を出してくれると言う作戦であった。


「……それでアヴォー老。先程あなたが言いかけた、私にして欲しい事と言うのは?」


 シェキーナは改めて、アヴォー老にそう質問した。

 

「はい。それは闇の女王様。あなた様には、王龍へと謁見に向かっていただきたいのですじゃ」


 その問いに老は、やんわりと笑顔を浮かべて答えたのだった。

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