闇の女王

「か……あ様……?」


 シェキーナから空恐ろしい程の「憎悪」と言う気勢が吹き出し、アヴォー老は目を見開き絶句し、エルナーシャもそう言葉を絞り出すだけで精一杯となった。


 レヴィアとアエッタは既に先日、その片鱗を目の当たりにしていた。

 もっとも、今シェキーナから感じられるそれは、その時の数倍にも感じられる程凄まじいものなのだが。

 それでも、僅かでも経験があった彼女達は、吹き出す汗を抑える事が出来ないまでも絶句すると言う事は無かった。

 

 しかし、シェキーナから溢れ出る凶悪な雰囲気を始めて感じたエルナーシャとアヴォー老は、言葉を発せられない程に気圧され委縮してしまっていたのだった。

 アヴォー老は滝の様に汗を搔き、正しく開いた口が塞がらなかったし。

 エルナーシャに至っては、今まで接していたシェキーナとは似ても似つかぬ恐ろしい気配に、思考の整理が追いついていない様子であった。

 

 ―――今のシェキーナは正しく……アヴォー老が言った通り、「ダーク・エルフ」だったのだ……。


「私には目的が……為さねばならない事がある。今の私が魔界の全権を握れば、その目的に利用するかもしれない……私利私欲のために動くかもしれませんぞ?」


 対するシェキーナは、エルナーシャを始めとしたその場にいる者達の眼など気にした様子もなく、至って普段通りの物言いで不敵な笑みを浮かべてそう話を続けた。

 それには、今度はアヴォー老の方が閉口させられたのだった。

 

「そ……それでも……今の魔界には他に選択肢などありませぬじゃ。何卒……何卒良きご返事を……」


 それでもアヴォー老は、再びシェキーナにそう懇願した。

 

 確かに今のシェキーナを見れば、彼女に全権を与えるのは危険かもしれない。

 だが、今の魔界に他の選択肢が無いのも確かだった。


 主だった理由は先程アヴォー老が話した通りだが、その実彼は重要な事を話してはいなかったのだ。

 

 今現在、魔界は数多の部族がそれぞれの地域を治めている。

 魔王とは、それら部族の長達を束ねる……いわば“盟主”と言っても良い存在であった。

 部族には様々な特徴があり、平和的な部族もあれば魔界の覇権に興味を持たない部族も、そして……好戦的な部族も存在する。


 戦闘を好む部族は、それだけに戦闘力も総じて高い。


 実際の処、南大陸最大の部族であっても、アヴォー老にはそんな「戦闘部族」を抑えるだけの兵力が無かったのだ。

 今はまだ表立って問題など起きていないが、このまま魔族だけの「合議制」をいていれば、いずれはそんな強硬派が反発するのは目に見えて明らかだった。


 アヴォー老は殊更に権力を欲していた訳では無い。

 ただ、身の危険を感じていたのは否めなかった。


「か……母様かあさま……。私からも……お願いいたします」


 そんなアヴォー老に助け舟を出したのはエルナーシャであった。

 勿論、エルナーシャがアヴォー老の心中を察した訳では無い。

 ただこの場合、彼にとっては渡りに船だったのは言うまでもなかった。


 エルナーシャにも懇願され、シェキーナはゆっくりと彼女の方を向いた。

 今は先程発した憎悪も鳴りを潜め、普段と取り立てて違いがある様には見えない。

 事実、シェキーナのエルナーシャを見つめる瞳は、いつもの柔らかく優しいものだった。


「アヴォー老様のおっしゃる通りです……。私には……今は力がありません……足りません。本当は今すぐにでも魔王の名を受け継ぎ、その姿を父様とうさまやメルル母様にお見せしたいのですが……それも叶いません。ですからせめて……私が一人前になるまで私と……この魔界をお守りください」


 言葉を選びながらゆっくりと。

 エルナーシャはシェキーナの眼を見つめ、飾りの無い言葉を彼女へとぶつけたのだった。

 

 エルナーシャの真摯な言葉を受けてしまっては、シェキーナにこれ以上児戯に等しい真似など出来ない。

 もっとも、シェキーナは最初から断ると言う事を考えてはいなかったのだが。


 シェキーナの言った台詞に偽りはなく、彼女には「目的」が存在する。

 エルナーシャの後見を務めながら水面下で行動を起こし、彼女が成人したならば本来の目的を達成する為に大きく動き出すつもりであったのだ。

 そんな彼女が「王位」に就けば、その立場を最大限利用して蠢動しゅんどうする事は自然な成り行きと言っても良い。

 アヴォー老には彼の考え……思惑があるだろうが、シェキーナにも彼女の考えがあるのだから。


「……分かったわ……エルナ。アヴォー老……私で本当に良いのならば、『魔王』の地位に就いても良い」


 シェキーナはエルナーシャに、そしてアヴォー老にそう返答した。

 2人は殆ど同時に、パァ―っと明るい笑顔を浮かべたのだが。


「ただし」


 しかしその笑顔も、シェキーナが継いで発した言葉に固まってしまったのだった。


「私には、誰かの言いなりとなって動く様な事は出来ない。誰かの顔色を窺い、気遣い、小さく纏まった動きをする事など出来ないだろう。自然……親政による強権政治となるであろうが……宜しいか?」


 シェキーナの口にした事は、事実上の独裁政治宣言だ。

 歴代の魔王にもその様な傾向があったであろうが、シェキーナの言うそれは正しく「シェキーナの為の政治」をすると言う意味に他ならない。

 これには、対面しているアヴォー老も目に見えてたじろいだ。


「……一切の異論、反論を禁ずる。私の言う事は絶対であり、必ず達せられなければならない。もしもその禁を破る者が出たならば、私は厳罰を以て臨むだろう。それは覚悟して貰わなければならない」


「……分かりましたじゃ……」


 さしものアヴォー老も動揺を収拾する事が出来ていないが、それでもシェキーナの言を承認した。

 元より、魔王の座を懇願に来たのは彼の方なのである。

 シェキーナの言葉に思う所があったとしても、その事を指摘したり否定する様な事は出来なかったのだった。


「……その上で、先に明言しておく。私の支配下にある魔界は……人界と事を構える。いずれは人界と戦争状態になると言う事を心得ておいてくれ」


 そして、更に続けたシェキーナの宣言に、その場の誰もが絶句したのだった。


 シェキーナは、魔族を率いて人界と戦争を起こすと言うのだ。

 勿論そんな事を言うまでもなく、いにしえより魔界と人界は交戦状態と言って良い関係だった。

 ただ今回驚くべき事なのは、元は人界側の戦士だったシェキーナが人界との戦争を明言した事にある。


 もっともシェキーナは、魔王の座に就かなくとも人界への牽制は行うつもりだったのだが。


 この場で明かす様な事はしていないが、それはエルスが負っていた役目に相違なかった。

 シェキーナはエルスが成そうとしていた「仮初の平和」の為に、自ら悪役になろうとしているのだ。

 本当は個人で行うつもりであったのだが、魔界を代表する立場になると言うのであれば是非も無い事であった。


「わ……分かりましたじゃ……。各部族の長にはその様に通達しておきますじゃ」


 そんなシェキーナの心情など露ほども知らないアヴォー老は、動揺を露わにしたままそう返答した。

 そして傍らでその話を聞いていたエルナーシャ達も、新たに決意の籠った瞳で頷いて応えたのだった。

 

「そ……それでシェキーナ様……。魔王就任となるシェキーナ様の『銘』は如何いたしましょう?」


 アヴォー老が気を取り直して……とまではいかなくとも、話をいったん切り替える様にそう切り出した。

 別段「魔王シェキーナ」でも問題は無い。

 それでも本人が望むのならば、「銘」を付けて公称とする事が出来るのだ。


「……『銘』……か……。そんなものは何でも……いや……そうだな」


 質問を受けたシェキーナは、当初は然して興味が無さそうであったが、何かを思いついたのかニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「……『闇の女王』……私の事をこれからは『闇の女王』と呼ぶように」


 そしてシェキーナは、そうアヴォー老に告げたのだった。


「闇の……女王……様。分かりましたじゃ! そう公表いたしますじゃ!」


 口籠る様に復唱したアヴォー老は、最後にはやや興奮した様にシェキーナへそう告げると、足早にエルナーシャの寝室を後にしたのだった。




 言うまでもなくそれは。


 以前に戯れでエルス達に告げた名称であった。

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