5話 元副官による手に負えない暴走2
「い、痛い!や、冷たい……痛冷たいです!魔王さま!」
「お望み通りにしたのにその言い草?」
全身ずぶ濡れで紺色の瞳をうるませ、雨の日に捨てられた子犬のような表情を俺に向けてくるアゲラタム。
対抗して、俺は呆れの表情を向けた。
「これはやり過ぎです!最初のと同じレベルでお願いします!」
「え?なに?もう一回やるの?いいの?そっかー、どうやって遊ぼうかなあ?」
本人がもう一回を希望しており、折角なので少し魔法の実験台になってもらうか。
俺は顎に手を当ててアゲラタムをどう調理しようか考えていると、楽しそうにしていたのが思わず顔に表情が出てしまったようだ。
アゲラタムが我に返り土下座した。
「申し訳ありません、はしゃぎすぎました……魔王さま……」
「調子に乗るのはまだ良いよ。だけど、その呼び名だけはなんとかしてよ。恥ずかしいんだよね」
しかし、奴は諦め悪く首を激しく降って抵抗した。
「しかし、魔王さまは魔王さまであって魔王さま以外のなんでもないと申しますか」
反省したのは何に対してだ!
「だ・か・ら!」
いやむしろ、俺が魔王だと思うなら、俺の言う事を聞いてくれ。頼むから。
そういう気持ちも含めて視線を投げると、奴は親指を立ててとても清々しい笑顔で微笑んだ。
うん、全く分かっていない。
そして多少なりともまだ浮かれている。
全く反省していないな、これ。
「そっか!!!」
仕方がないので俺はにこりと微笑みを作り、立てられた指を思いっきり通常折り曲がるのとは反対側に曲げてやった。
「うぎゃーーー!!!」
顔面を蒼白にして指を抑えながらとてつもない悲鳴をあげており、可哀想ではあるのだが、果たしてこれで少しは落ち着くのだろうか。
魔人は人間より丈夫なのが特徴だ。
その上、アゲラタムは比較的打たれ強い方なので、間違いなくすぐに持ち直すだろう。
「じ、実力行使とはさすがです、魔王さま……!」
痛みもそれなりに落ち着いてきたのだろうか。
何分か悶絶していたアゲラタムが、涙目になりながらもめげずに俺を魔王と呼び続ける。
なおこの間、俺はアゲラタムの様子を伺いながら熱風の魔法を使っていた。奴の全身はそこそこ乾きつつあるが、多少なりとも暑がっていたのは見なかったことにしよう。
「だから、そう呼ぶのやめてよ」
「何をおっしゃいますか!私は忘れておりませんよ。あれはそう、一年ほど前のこと……。まだ三歳だった魔王さまが、突然『私は魔王だ!』とおっしゃっ……」
「わーー!!!わーーーー!!!!」
厳密に言うと「魔王だ!」じゃなくて「魔王の生まれ変わりだ!」と言ったのだが、細かな話は置いておこう。訂正しても状況が変わるわけでもない。それよりも、一年前の黒歴史の話を今ここでするんじゃない!
そう、あれは一年前。少しずつ転生前のことを思い出しかけていた俺は、確信を持ったある日、周囲に『俺は魔王の生まれ変わりだ』と言い始めたのだ。
実際のところは間違いではないのだが、それを信じるものは殆ど居ない。
俺がまだ幼いと言うこともあって、その発言は魔人の子どもの多くが必ず通る、魔王ごっこの延長のようなものだと思われていたようだ。
その話は酷く噂になっていたようなので、恐らく街の殆どの住民が知っていると思われる黒歴史だ。だが、忘れていたりまだ知らない住民もいるかもしれないのだ。だから俺はその話を蒸し返されたくはない。
俺は必死に過去の黒歴史の暴露を何とか叫びで妨害しつつ、人通りの少ない場所まで奴を連れ出した。
俺に友だちが少ないのは、一年前の発言が原因だ。
普人の子どもたちには馬鹿にされ、街に数少ない魔人には恐れ多い事を口走った愚か者だと見なされている。
……皮肉なことに、今では俺のあだ名が「魔王ごっこ」と言う大変痛ましい事態になっている。
俺が魔王と名乗り出たことで、母さんは俺のことを非常に叱った。
子どもがままごとで憧れていた魔王を演じるのは良いが、魔王だと名乗ることを許さなかったのだ。
今思い出すと、あれは早まった行動だと思ったし、恥ずかしいことをしたな、と思っている。当時の俺は、誰かに俺の正体を共有したかったのだ。
「はーー。まったく、一年前の話はしないでって、言ってるじゃない」
「ですが」
「確かに俺が、その、魔王だったって言ったことは確かだけど、でも今は魔王じゃないんだ」
反面、一年前に母さんと対照的な反応をした人物が目の前にいる。
「ちゃんと名前で呼んで。今の俺はクラッド。ただの魔人と普人の子どもなんだから」
この大変浮かれやすい少年が何故俺を魔王と呼ぶのかと言うと、俺が魔王の生まれ変わりだと理解しているのだ。
俺の行動は無駄ではなかった。当時はとても嬉しかったが、奴は俺のことを魔王魔王と連呼するため、今は少し後悔している。
「だからお前は、わざわざ俺にあわせて同じ子どもの姿に変化しているんだろう?」
奴は本来ならば今朝母さんたちと共に戦闘に参加している立場だ。
元は大人の姿で、俺がクラッドとして生を受けてからもアゲラタムの本来の姿は何度か目にしている。
その正体は……。
「魔王の副官、アゲラス」
「しっ、しー」
俺がアゲラタムの真の名を口にすると、奴は口に指を当てて用心深く周囲を見回した。
俺と違って転生しているのではなく、奴は子どもの姿に変化している。
大人の姿のアゲラスとは血縁関係にある、と言うことにしているようだが、当然二人同時に現れることはない。
誰もそのことに疑問を持たないものなのか。
奴はただ自分の子どもの頃の姿を、そのまま再現しているのではなく、多少変化を付けているようだった。
アゲラスの幼少期は、他人を寄せ付けない空気を放っていた。勤勉で寡黙。そう言った方が適切だろう。
成長した後は副官として頼りにしていたのだが、子どもの姿の奴からはそんな様子は見る影もない。今のように大変頭の悪そうな態度ばかり取る。
度々思うのだが、この態度はわざとなのだろうか。周囲に正体を悟られないためやっているのだろうか。それとも、何かが吹っ切れたのだろうか……。
「アマリリスたちに聞かれるとやっかいですので」
そして、人のことは散々好き勝手に呼びながら、アゲラタムは本来の名前を呼ばれることを嫌がっている。
特に元同僚たち、それも俺の母さんのアマリリスには知られたくないようだ。
「その言葉、そのままアゲラタムに返すよ?ともかく、俺のことはクラッドと呼ぶこと!良いね?でないと俺も、お前をアゲラスと呼ぶよ」
俺は一旦そこで言葉を止めて、アゲラタムの肩を強く叩いた。
「……母さんの前で」
「は、はい!それだけは!」
出来るだけ低い声で口にした言葉に、奴は震えるのだった。
……何故だ。俺より母さんの方が怖いのか?
「それでは、いずれ魔王になられるクラッドさま」
「ねえ、それで呼ぶの?長くない?恥ずかしさが前より格段にあがってるよ?あと、俺が魔王になるとは限らないよ?」
魔人をまとめあげ、導き、率いる者こそが魔王なのだ。
普人の血が混じっている俺が、魔人に魔王と認められるとは考え辛い。
「いいえ!私とクラッドさまが出会ったからには、クラッドさまを魔王さまとなるよう導くのが私の使命!そう、これはもう運命にこざいます!運命が!私に!クラッドさまを!立派な魔王さまに育成せよと!囁くのです!運命が!!!」
「わー!!うるさい!!恥ずかしいことを大声で言わないで!ここ人が少ないけど声が響く!」
キンキンと響く声を発するアゲラタムの口をあわててふさいだ。
「でもさ、俺が生まれ変わるまでの時間短かったでしょ?それなりに前の常識も通用するし、今の俺には生んでくれた両親もいる。アゲラタムに教えてもらうことなんて……」
「私は魔王さまに必要ないと!」
口をふさいでいた手がはがされた。
「いやそこまで言ってないよ」
「そんなことを仰らないでください!」
「聞いてる?」
「魔王さまは今世は人間と魔人の混血!きっと生き辛いかと思われるでしょう。その中で生き抜くにはどうしたら良いか、私めにすべて!そう、すべて!お任せください!」
何故か分からないが、生き辛さの原因の一つが暴走している。
「とにかく。この会話、人に聞かれると何事だと思われるから、もう少し小声で話そうね!」
俺は両手で奴の頬を挟み込んだ後、指で頬をつまみ、最大限のところまで思いっきり引っ張った。
「ふ、ふぁい」
アゲラタムと居るとツッコミで気力を消耗する。
この精神攻撃に似た何かは、奴の言う育成の一環なのだろうか。そんなそぶりは全くないのでまさかとは思うが、俺の精神力を試しているのだろうか……?
俺は疲労を感じて深い溜め息を吐くのだった。
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