第22話 狩猟神の憂鬱

 今はもう、定例行事さながら戦神の侵攻はさばかれていた。

 かれこれ、十日に及ぶ。

 口うるさかったネリオカネルさえ、今ではクローネスの出陣を黙って見守る始末。


「はぁ……」

 

 撤退するリルトリアの姿を見て、つい溜息が零れる。彼の狙いがわかっているだけに、不憫で仕方がないのだ。

 

 ――無駄だと、教えてあげるべきであろうか? 

 

 ふと過るも、クローネスは首を振る。

 やはり、それは嫌だった。

 

 駄目ではなくて嫌という、彼女にしては珍しく感情的な理由。


 でも、こればっかりは割り切れずにいた。

 エディンにならまだしも、他の人にはまだ話したくない。


「……はぁ」

 

 二度目の溜息は悩ましげで、しんみりとあとを引いていた。レイドが近くにいると知らされて以来、気付けば吐息を重ねている自分にやるせなくなる。

 

 シャルル曰く、来ていないのは二人。

 

 エディンは、セスス大陸を離れた何処とも知れない海上にいるはずなので、きっと知らないのだろう。

 テスティアは……怒っているんだろうな。ジェイルのことを思うと、確かに仲間同士で争うのは気が咎めなくはない。

 

 ――でも、仕方ない。私は王女なのだから。

 

 国の為にならない限り、相手が誰であろうとも折れるわけにはいかなかった。

 日に日に厚くなっていく帝国の陣容に、クローネスの懸念は増していく。

 

 この数に押し寄せられれば、さすがに護りきれない――狩猟神の力を無慈悲に使わなければ。

 

 けど、そのような真似をすれば間違いなく、クロノスは亡国の運命を辿る。

 クローネスが身罷みまかったあと――いや、聖奠を扱えなくなった時点でお終いだ。


「はぁ……」

 

 不安の種は他にもある。

 筆頭は破壊神の行方で、クローネスの見解はペルイと違った。

 

 もし壊していれば、見つかっていなければおかしい。破壊神の力は、それほどまでに目立つのだ。

 人の目ならともかく、大地と植物の目に留まらないはずがない。

 

 だとすれば答えは単純で、破壊神は大地と植物の目に届かない場所にいる――クローネスには心当たりがあった。

 

 かつて訪れた、ミセク帝国の皇宮。

 あの周辺は人為的な大地で敷きしめられ、一切の植物も存在しなかった。あの建物の中にいると仮定すれば、聖寵では見つけられない。

 

 杞憂であればいい、とクローネスは思う。希望的観測であると、理解していながらも切に願う。

 

 昨日、ついに皇帝自ら率いる軍が帝都を発った。

 兵の数は、およそ二万。

 詳しい編成は不明であるものの、多数の重騎兵と戦馬車の姿が確認されている。

 

 あり得ないことに、兵も馬も重厚な甲冑を身に着けて行軍しているのだ。

 

 それでいて、恐ろしいほどの進行速度――間違いなく、聖別を使用している。

 戦神の聖別は重さを感じさせなくするだけで、なくなるわけではない。

 すなわち、通常でも扱える重さでなければ、肉体はたちまち壊れてしまう。

 

 侵攻に際して、リルトリアたちが全身ではなく、半身を隠す程度の盾を装備していたのはその為だ。

 

 身の丈に合わない武具を扱っていては、戦士としての寿命を確実に縮める。

 

 裏を返せば、それだけで戦神の名に相応しい働きを発揮できるということだが、そう長く続くものではない。

 

 数人規模の商隊でさえ、帝都からエマリモ平野までは十日を要する。

 当然、人数が多ければ多いほど、移動速度はというものは落ちていく。

 

 二万もの軍勢となれば、地盤や補給の問題も無視できない。どうしても整備した道を選ばざるを得なくなるので……倍は見ていいだろう。

 

 およそ二十日。

 そうなると、あれほどの重りを付けた馬が持つはずがない。

 

 それなのに、何故? ――そこから演繹えんえきしていくと、クローネスは皇帝に破壊神の影を重ねずにいれられなかった。

 

 敵との遭遇、奇襲があり得ない状況で甲冑を着こむ理由として考えられるのは、何処か別の場所を急襲する予定がある……いや、今更帝国が攻め入る必要性があるところなど、近辺に見当たらない。

 

 ならば、目的は兵や馬の姿を隠すこと? 

 農民などの非戦闘民を甲冑で覆い、兵力を水増し……いや、訓練を受けていない者に、付いていける行軍速度ではない。

 

 それに問題は兵ではなく、馬のほうだ。

 どうしても、足枷にしかならない甲冑を身に着けて、長距離、非戦闘地域を走る意味を見いだせない。

 

 皇帝が自ら軍を率いている時点で、道理などないのかもしれない。

 それでも、こじつけるとすれば――


「既に、馬も人も別のナニカに変えられている……」

 

 言葉にして、耳に届けてみても突拍子がなくて、

「まさか、ね」

 クローネスは独り言ちる。


 破壊神の聖別は魔物化と呼ばれているものの、本質は対象の魂や肉体を〝壊し〟、別の存在に変えることである。

 

 もし、兵と馬が既に半壊――半魔物化されているとすれば、色々と辻褄が合う。

 

 破壊神の聖別は基本的に本来の種よりも強く凶暴にするも、比例して姿形が醜くなるので甲冑で隠さざるを得なかった。

 

 物であれば、人神でも前もって聖別しておけるのはエディンが証明している。

 帝国ならば、聖別済みの武具などいくらでも用意できるはず。

 異常な行軍速度も、人と馬でなければなにもおかしくはない。


「まさか……ね」

 

 焦燥感が募る。

 考えれば考えるほど、悪い予感が芽吹いていく。

 

 戦神の祝福を受けた武具をもって、破壊神の加護を受けた騎馬兵が突撃する。数の上ではリルトリアたちが有利だが、果たして勝てるだろうか? 

 

 鳥を使うクロノスの情報伝達は速い。

 陣容からして、帝国側はまだ皇帝の異常な行軍速度に気付いていない。

 

 ――教えるべきか? クローネスは頭を悩ませる。

 

 推論とも呼べない上に、証拠も一切ない。

 シャルルの力を借りればなんとかなるかもしれないが、本当に破壊神がいたら――駄目だ。あの子を、破壊神に会わせてはならない。

 

 使命感だけで突撃されたら、今度こそ殺されてしまう。

 

 創造神と破壊神の力は互いに打ち消し合うので、人としての力が勝敗を喫する。

 破壊神のほうも神の力に依存したタイプとはいえ、男と女、大人と子供では勝負になるはずもなく、前回、シャルルは素手で殺されかけた。


「……はぁぁ」

 

 更に抱えた不安は、正にそのシャルルたちのことだった。

 ペルイの説得の仕方が悪かったのか、彼女たちはまだクロノスに滞在している。クローネスとリルトリアの決着がつくまでは、ここを動かないと訴えている。

 

 〝森の民〟の件もあるのでクローネスとしては遠慮願いたかったのだが、色々と条件を付けるのが精いっぱいで、最終的には折れる羽目になった。

 

 我侭しか言わない相手を言い包めるには、彼女も幼すぎた。

 言葉も経験も思慮も足りない。まだ、エディンのようにはいかないのだと、クローネスは一人で落ち込む。

 

 状況が状況だけに、未熟な王女は年相応の弱さを噛みしめていた。

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