第21話 皇帝の乱心

 エディンが遠い船上で物騒な決意をしている頃、リルトリアは思い悩んでいた。

 エマリモ平野には、続々と兵が集まってきている。

 

 先遣隊を指揮していた第三皇子に続いて、第六、第八、第一二皇子が合流し、規模としては四万を超える軍団――重装歩兵二万五千、軽装兵五千、騎兵七千、重装騎兵三千――となろうとしていた。

 

 更に、まもなく長兄と次兄も兵を率いてやって来る予定だ。

 

 これで、生存している全ての皇子がここに揃う次第となる。皇宮ならまだしも、戦いの最前線に帝位継承者を集めるなど、凶器の沙汰としかいいようがない。

 

 ――皇帝はいったい、何を考えているのか? 

 

 さすがに、誰もが穿った考えを否定しきれなくなっていた。

 第一三皇子のリルトリアもそうだ。

 最初は皇宮を精鋭で固めていたところから、父は息子たちを恐れているのではないかと疑っていたのだが……どうも、様子が違う。

 

 本当に謀反を恐れているのなら、結集させずに分散させるべきであろう。

 それが、次から次へと送り込まれて来る。


 皆、皇帝の勅命でだ。

 

 単に、多大な犠牲を払ってでも早急にクロノスを落とせという無言の威令なのか、それとも息子たちを……過った答えを、リルトリアは振り払う。

 

 現状、皇帝が動かせる兵は多くとも二万程度。いくら精鋭とはいえ、正面から六万(援軍を含める)に近い軍を相手にはできない。

 

 特に、障害物のない平原では兵力がものをいう。

 

 エマリモ平野は風が強く、雨にも恵まれないことから、ほとんどが草原と砂に覆われていた。しかも、ここに至るまでには平野に付きものの広大な川が立ち塞がっている。

 

 まず、奇襲は成功しない。

 となれば、寡兵で大軍を破るのは不可能に近い。

 

 ……そこに、創世神の成聖者がいない限り。

 

 リルトリアが一人で煩悶としていると、珍しいことに三兄から帷幕いばくへと誘われた。

 使者の案内に従うと、三兄を始めとした兄たちが待っていた。


「よく来てくれた、リルトリア」

 

 軽く会釈して、空いている場所――三兄の斜交いに、腰を落とす。


「皆に集まって貰ったのは、兄たちからやんごとなき報せを受けたからだ」

 

 ――帝都にて、皇帝乱心の気配あり。

 

 なんでも、集めた兵たちの脱走が目立つとのこと。これが新米ならまだしも、残っているのは先の戦いを生き残った隆盛たちだ。


「詳しくはわからない。皇宮にいた私や兄の間者たちは皆、連絡が取れなくなってしまった」

 

 他の者はどうだと尋ねられるも、誰もが口を噤んだ。まるで、不穏な事態を予見しているかのような、重たい沈黙が場を支配する。


「そうか……やはり、父上は狂われたか」

 

 耐え切れなくなったのか、三兄は明言してしまった。誰もが予想していながらも、決して口には出さず、思い浮かんでも即座に振り払ったであろう答えを――

 そして、誰も咎めなかった。 

 

 ――決定だ。

 

 もう、推論や憶測の域では済まされない。皇帝に異を唱えることを、誰もが黙認したようなものだ。


「――率直に訊きたい。誰に付く?」

 

 またしても、沈黙の帳が下りる。

 今度は困惑よりも、緊張の色が強い。

 

 誰もが、頭の中で天秤にかけていた。

 

 現実的に玉座を欲していたのは上三人の兄だけで、他の皇子たちは今の身分にしがみ付くことしか念頭にない。

 

 つまり、誰の翼下に入るかは文字通り生死を分ける問題であった。

 

 三兄は能力的に上二人に劣るものの、三人の中では一番話が通じる。

 だがそれは、良くも悪くも凡庸というだけで器が大きい訳ではない。むしろ、度量的には狭隘で、地位や身分に拘泥する奢侈しゃしに流れ安い性格であった。

 

 そんな彼が、リルトリアをこの場に招いたのは打算しかない。

 

 味方になるのなら、兄二人と対決する為の武器として――戦神の成聖者及び、世界を救った英雄の看板は実に惜しい。

 

 敵に回る、もしくはどちらにも付かないというのなら、簒奪者の汚名を被ってくれる供儀として――やはり、実の父親を殺す外聞は悪い。

 

 皇帝の座は欲しいが、弑逆者の汚名は誰かに被って貰いたい――と、三兄だけでなく、他の兄たちも思っていることだろう。

 

 三人にとっては、皇帝を討ったあとのほうが大事なのだ。

 

 理想としては、犬兎の争いをさせ、両者が疲弊したところに駆けつける。父とリルトリア、兄二人。それまでは、兵を消費させるのは得策ではない。

 

 でもそれは都合の良い考え。

 

 三兄が描く企図は凡庸であるがゆえに、第三者にも思いつく。

 正しく宣言通り――率直なのだ。


「わたくしは、自分の正義に従うまでです。もし、真に父上が狂気に取りつかれたというのなら、剣を持ってでも正すことでしょう」

 

 三兄の欲しがっている答えを添えて、リルトリアは立ち去る。


「まさか、こんな風に決着がつくとは……」

 

 今となっては、クロノスに侵攻する意味はなくなってしまった。それとも、父の狂気が形となるまでは続けるべきであろうか。

 

 安堵している自分が嫌になってくる。

 

 並々ならぬ覚悟で選んだ道なのに、もう進まなくてもいいなんて……それで、どんな顔をしてクローネスに申し開きをすればいいのやら。


「……今更か」

 

 とにかく、父に付け入る隙を与えないに越したことはない。やはり、形だけでも侵攻は続けるべきだと、リルトリアは決心する。

 

 もし、待ち望んでいた〝その時〟が来た場合は見逃せばいい。

 

 万が一、〝その時〟に皇帝が攻め入ってきたら、護る、べきであろう。仲間として、友として――

 

 レイドからすればふざけるなという気分だろうが、その時は殴られればいい。

 だって、自分は間違いなく大馬鹿者なのだから。

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