第11話 狩猟神の采配

 帝国が攻めてきたことはネリオカネルから聞かされていたものの、具体的なことは何一つ教えて貰えなかった。


「――神の子羊アニュス・デイ

  

 だから、クローネスは動物たちから聴くことにした。

 彼女の澄んだ歌声に惹かれるように、鳥たちがやってくる。翼を持つモノたちに、クローネスは無邪気に微笑んでお願いする。

 鳥たちが羽ばたくと同時に、扉が叩かれた。


「――ネリオカネルです」

 

 四十近いくせして早いなぁ、とうんざりした気持ちが口に出ないよう、クローネスは応じる。


「入りなさい」

「失礼致します」

 

 入るなり恭しく一礼すると、ネリオカネルは早足で部屋の中央まで踏み入った。それ以上は距離を詰めず、もの問いたげに口を引き結んでいる。

 

 許しを待っているのだろう。

 

 そんなの待つ必要もないのにと、クローネスは内心で溜め息を吐く。

 立場上はクローネスが王だが、実質的にクロノスの国政を執り仕切っているのは、宰相でもあるネリオカネルだった。


「どうかしましたか?」

「ご自重なさるよう、お願い申したはずですが?」

「なんのことかしら?」

 

 クローネスはとぼける。ただの時間稼ぎ。子供みたいな言い訳が通じるとは、微塵も思ってはいない。


「この件に関しましては、手出し無用とお願い申したはずです」

「まだ、手は出していません」

「戯言を……。通じると思っておいでですか?」

「まさか」

 

 クローネスは、図々しいほどの笑みを浮かべる。見ていると腹が立つのか、ネリオカネルは目線を逸らした。


「……それでは、納得のいく理由をお聞かせ願いますか?」

 

 無礼にも、ネリオカネルは顔も上げずに口にした。


「貴方が、相手を見くびっているからです」

 

 それを咎めるでなく、クローネスは開け放たれた窓へと向かう。相手に背を向けるという、負けない無礼でもって応対する。


「そして、貴方は何があっても私に助けを求めようとはしない。貴方にとって、私は守るべき王であり、英雄などではないから」

「それは……」

「えぇ、貴方は正しい。一人の人間に頼りきっていては、国は破滅へと向います」

 

 それも神の奇跡となれば、その進行は劇的に早くなる。

 国を問わず、英雄と呼ばれた者たちの最期は無残なものだ。


「では、相手を見くびらなければご自重していただけますか?」

 

 挑むようにネリオカネルは投げかけるも、クローネスは嘆息した。


「それは無理です。相手が成聖者である以上、貴方の知識や経験は逆効果になります。貴方の能力は、これでも信頼しているのですよ?」

 

 振り返り、からかうように鳴らすもネリオカネルは仏頂面を崩さなかった。

 

 ――と、鳥たちが帰ってきた。

 状況を把握したクローネスは尋ねる。


「貴方に、リルトの狙いがわかりますか?」

 

 ネリオカネルは答えを詰まらせていた。

 リルトリアの行動は通常の思考では愚かとしか言い様がないが、相手を見くびらないと言った手前、そのような回答はできないのだろう。


「このままだとリルトの進軍は止められません。だからといって、窮地にもなりえません」

 

 敵の進行を許したとしても、侵攻までには至らない。

 弓矢が通じなくとも、手はいくらでもある。重量のある物を投擲したり、迎え撃ったり。

 敵はたったの一八人なのだ。いっそ、放っておいても構わない。


「このままリルトたちが門まで辿り着いたとして、どうすると思いますか?」

 

 からかうような口ぶりは、何も彼女の性格が悪いわけではなく、見極めたいからだ。

 

 彼女はかつて、この叔父に殺されかけた。

 生まれて間もない頃、記憶にもない出来事だが、確かに命を狙われた。

 

 理由は単純にして明快――邪魔だったから。彼が玉座に就くには、王の直系であるクローネスの存在は邪魔でしかない。

 

 にもかかわらず、クローネス自身はそのような気配を一切感じたことがなかった。

 初めて城に戻ってきた時も、王位を継承する段取りになっても、ネリオカネルは忠臣のごとく傍に控えていた。

 

 立場上殺せなくなったと言えばそれまでだが、普通はもっと邪険に思ったりするのではないか?

 そういった考えから、クローネスは叔父に対して些か面倒な性格を見せていた。


「工作……いやしかし……」

 

 ネリオカネルは自分ですぐさま否定するも、

「えぇ、その通りです」

 クローネスは正解を出した。


「バカなっ! どうやって?」

「それはもちろん、武器を手にして」

「なっ、にを……!」

「帝国は確かに戦神を信奉しています。ですが、それだけではありません」

 

 帝国の前身は、戦神と鍛冶神の末裔である。

 それが長い歴史の中で両者の間に軋轢が生じ、鍛冶神の名は表舞台からは消えていった。

 

 されど、その信仰が途絶えることはなかった。

 歴史の裏側に追いやられようとも、偉大なる先人を尊ぶ気持ちは失われなかったのだ。

 

 優れた兵と優れた装備。この二つがあったからこそ帝国は領土を広げ、多くの国や民を取り入れていった。


「あの隊の中に、鍛冶神や慈愛神に愛された者がいれば、門を破壊することは充分に可能です」

 

 慈愛神の聖別対象は愛――聖寵や聖別の効果を増幅する。

 さすれば、鍛冶神の聖別で盾や鎧を一つに纏め上げることなど造作もない。

 攻城兵器のような巨大な斧も、戦神の力があれば容易く振るえるだけでなく、全員の力を完璧に合わせることさえできる。

 あとは鍛冶神の聖寵で〝鉄の声〟――門の脆い場所――を聴けばいい。


「それはあり得ない。帝国は――」

「――あの隊を率いているのはリルトです」

 

 クローネスはねじ込んだ。


「下らない差別など、するはずがありません」

 

 彼なら、身分だけで兵を区別する真似はしない。戦神が、他の人神より上位な存在だとは間違っても思わない。


「ですから、私が出なければならないのです」

 

 クローネスが敵国の裏事情に詳しいのは、かつての旅のおかげである。となれば、リルトリアにも同じことが云える。


「こちらはリルトを殺すどころか、身柄を拘束することもできないのですから」

 

 かの国は様々な価値観を内包すると同時に、不満分子まで内側に飼っている。

 だからこそ、一致団結することなど早々になく――

 

 現に、今回の侵攻は皇帝陛下の勅命でありながらも規模が小さい。

 

 聞くところによると、邪神との争いの爪痕が残っているからと、固辞した派閥が存在しているらしい。

 

 だが、そのような状況もリルトリア次第で覆る。

 

 状況はどうあれ、彼は英雄なのだ。

 更には戦神の聖成者であり、薄倖の皇子――彼の身に何かあれば、多くの人間が怒りを禁じえないだろう。

 それほどまでに、リルトリアは民から人気なのだ。


「私たちは、あまりに外交を疎かにしてきました」

 

 クロノスは他国との関係が極めて希薄であった。交易こそ持っているものの、個人の行商人のみで、国を通しての繋がりはない。

 

 その為、他国の英雄を殺してしまえば最後、徹底的に悪役にされてしまう。

 先の争いで痛い目にあったように、世界に対して申し開きしようにも術がないのだ。


「その責任を、兵に負わせるわけにはいきません」

 

 迎え撃てば、必ず損害が出る。戦に関しては帝国に分がある以上、追い払うにも直接戦うわけにはいかない。

 かといって、投射兵器では微細な手加減ができるはずもなく――リルトリアに致命傷を与えないようにと気遣った結果が現状だ。


「それ以前に、リルト以外に指揮をとらせたら森が傷つきます」

 

 歴史を顧みる限り、帝国は兵の犠牲を厭わなかった。森へと踏み入れ、傷つけ、血で汚す。戦場が森へと移れば、動物たちも巻き込んでしまう。

 双方共に被害を受ける展開を避けられているのは、ひとえにリルトリアのおかげだ。

 

 誰であれ、敬意には応えるべきだとクローネスは思っている。それが仲間となれば、責務とさえ思う。

 

 ――誰も傷つけたくない。

 

 自分から攻めておきながら抜かすなんて、ふざけるなとしか言いようがないが、今回に限っては同意だった。

 

 リルトリアは変わっていない。相変わらず痛みの伴う問題解決よりも、誰も傷つかない現状維持を選ぶ。

 その選択が招く結末が最悪であっても、明確に誰かを傷つけられない。

 

 ――弱いな。

 

 クローネスは思わずにいられない。もし、野生であれば即座に命を落とす弱さ。

 

 ――弱いよ、リルト。

 

 だから、守ってあげないといけない。

 皮肉にも、今それができるのは自分しかいない、とクローネスは屁理屈をこね回した。

 感情的な我侭にならないように、それっぽい理由を見繕ってみせた。


「……承知致しました」

 

 どうやら、その甲斐はあったようだ。

 黙って聞いていたネリオカネルが、表情とは真逆の言葉を口にした。


「兵にはこちらから言っておきます。ですからしばし――!?」

 

 クローネスは聞いちゃいなかった。

 許可を貰うや否や、はしたなく窓枠へと足をかけ――飛んでいった。

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