第12話 英雄の条件

「ごめんね、待たせて」

 

 返事をするのは巨大な猛禽。背中に人を乗せているとは思えない速度で上昇していく。


「んー、あとでうるさそうだな……」

 

 窓から身を投げ出して激しく手を振っているネリオカネルを見て、溜め息を零す。

 流れで街を見下ろすと、多くの民に注目されていた。


「おまえが目立つからぁ」

 

 ――ごめん、と猛禽が鳴く。

 獰猛な姿に似合わない悲しげな響きに、クローネスはよしよしと頭を撫でる。


「まぁ、いいや。もっと、もっと! 高くっ、飛んで!」

 

 久々の自由を、クローネスは楽しんでいた。少し冷たい風が肌に痛みを与えるも、笑っている。


「ごめん、ちょっと止まって」

 

 なびく髪と身に纏った長布が邪魔だった。

 猛禽が上昇を止めるなり、クローネスは長布を解いて唇に挟む。慣れた仕草で髪を纏め、咥えていた長布を手に取ると、素早く結び上げた。

うん、よしっ。それじゃまたお願い」

 

 体感的に満足すると、クローネスは城壁を指さした。

 兵たちが矢を放っているのが見える。バリスタの動きから、かなりの接近を許しているのがわかる。

 兵たちよりも高い位置に陣取り、クローネスは俯瞰する。

 不安定な鳥の背中で立ち上がり、狙うべき的を見極める。


「十字架の血に 救いあれば

 来たれとの声を われはきけり

 主よ、われは いまぞゆく

 十字架の血にて 清めたまえ――」

 

 クローネスが声を乗せると、追走するように翼を持つものたちが鳴き始めた。呼んでもいないのに、空に鳥たちが集まってくる。

 

 異様な光景でありながらも、リルトリアは気付いていない。

 きっと、彼の耳は〝戦場の声〟に傾けられているのだろう。

 

 けど、これは防げない。

 

 わかっていたから、クローネスはあえて外す。

 原初神と創世神を除いた神々は全て人神――元、人間である。神と同様に語り継がれる存在になろうとも、その事実だけは覆せない。

 そして悲しくも、神と人の力の差は絶望的なほど大きい。


「――十字架の血にウェルカム・ヴォイス

 

 半月をなぞるよう右手を動かし、クローネスは〝弓〟を手に取った。手には何も持っていなくとも、彼女は〝弓〟を構え〝矢〟を放った。

 

 ――刹那、大地が抉れる。

 

 リルトリアたちが向かう道が爆ぜ、戦神一行は隊列を乱した。

 いや、致命的な隙を見せた。

 もし、この瞬間に矢が放たれていたのなら、確実に何人かは命を落としていたに違いない。

 

 そうならなかったのは、クロノスの兵たちも見上げ、呆然としていたからだ。

 空に近い彼等は、クローネスの姿を瞼に焼き付けていた。

 神々しいまでの風景に、心を奪われていた。


『――退きなさい』

 

 クローネスは神のように人を見下ろし、玲瓏れいろうたる声を響かせる。

 風に言葉。

 彼女の〝弓〟は、ありとあらゆるモノを〝矢〟として放つ。

 ただし、その〝弓〟は人の目には映らない。

 

 理由は単純明快――次元が違うからだ。

 

 視えないから、人々は狩猟神の聖奠を〝弓矢〟ではなく〝不可視の投擲〟と認識していた。

 

 一度の警告で、戦神一行は撤退を決めた。

 

 その姿は、クローネスから見れば蟻でしかなかった。簡単に踏みつぶせる。遅くて、脆い。何百、何千、何万と群れを成していたとしても……殺せる。

 

 過った考えを振り払うように頭を振って、クローネスは胸元に手を入れた。鎖に繋がれた鉄の指輪を取り出し、心を落ち着かせる。

 

 今の自分には、はめられない指輪。

 

 どうやって調べたのか、左の人差し指にぴったりのサイズ。

 ペンダントとして――それも隠すように付ける――しかできない大切な〝クローネス〟の宝物で、〝王女〟には必要のない玩具。


「……レイド」

 

 狩猟神の〝弓〟は、目標さえ定めれば何処へなりとも届くものの、担い手の視力には限界がある。

 不意に、クローネスは泣きたくなった。

 

 ――なんの為に、王女になったんだろ?

 

 好きな人には会えなくて、大切な仲間とは争わないといけない。

 それなら、ただのクローネスでよかった。

 両親も家族も知らない、哀れな子供のままでよかった。

 下から、自分を呼ぶ声がする。褒め称える響き……歓声だ。私は、これに応えないといけない――王女だから。

 

 苛立ちに任せたまま、クローネスは風を投擲した。

 

 狙いは、遥か彼方。平野に陣を敷いている帝国軍。景色を変えるほどの大軍に向けて、一石を投じる。

 

 やろうと思えば、クローネスは一人で戦えた。

 安全圏から一方的に攻撃できるのだから、負けるはずがない。

 

 けれども、そのような真似をすれば人の世からは追い出されてしまう。

 

 個人の力が国を上回れば、国は機能しなくなる。一人の感情で国が滅ぶ危険性があると知ったら、民はとても平気ではいられない。

 

 ――だから、人々は私たちを英雄と呼ぶ。

 

 そうじゃないと、怖いから。

 この人は正しい、良い人だ、間違ったことなどするはずがない――だって、英雄だから。

 そう思わなければ、とても安心できないのだ。

 

 けど、それは仕方のないこと。

 

 もし、いつ暴走するかわからない英雄がいれば、それは恐怖の対象でしかない。

 殺されたくなくて、滅ぼされたくなくて……国は英雄を褒め称える。

 そして、殺されたくないから……英雄は正しくある。

 レイドたちの名前が、微塵も世に出ないのが良い証拠だ。

 

 ――正しくなかった人間が、英雄であってはならない。

 ――正しくあろうとしない人間も、英雄であってはならない。

 

 不条理にもそれを決めるは神はおらず、全ては移り変わる人の世が裁く。

 証するように、英雄の多くは死後誕生した。逆に、生存した英雄が英雄のまま死んだケースはあまりに少なかった。

 主の哀しみを読み取ってか、鳥たちが騒ぎ出す。

 

 ――豊穣神が帰ってきたと。

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