第10話 戦神の侵攻

 今までの例に漏れず、帝国の先遣隊は国境に面したエマリモ平野に陣を敷いていた。

 

 ――その数、一万。

 

 だというのに、実働隊は僅か一八名と数えるほどしかいなかった。それだけで、あの城門を破壊しろなど、無謀としか言い様がない。

 それでも決行されるのは、リルトリアが編成し、率いるからに他ならなかった。


「本当に、これだけで行くのですか?」

 

 不安に押し負けたのか、兵の一人がリルトリアに申し立てる。


「えぇ。不用意に数を増やしても、犠牲が増えるだけです」

 

 これが初めての侵略ではない。無駄に数を投資した結果がどうなるかは、歴史が提示していた。

 

 過去は、リルトリアに色々なことを教えてくれた。

 

 それにより、帝国が得意とする密集陣形ファランクスや騎兵隊も封印した。

 あの高所から放たれる投擲兵器は避ける以外に防ぐ術がなく、馬は森を恐れているのか、近づくと混乱してしまう。


「不安そうな顔をしなくても、大丈夫です」

 

 弱腰の兵に対して、リルトリアは存外に優しく声をかけた。

 本来なら叱咤すべき場面でそのような言葉が出たのは、負い目があるからであろう。

 

 この隊に編成された兵たちは、実に幅広かった。

 屈強な肉体から、やや頼り無さを覚える者。新米と呼べる若者から、ベテランの域に達した中年。国も人種も関係ない。

 

 判断基準は、どれだけ神に愛されているか――聖別を扱えるかどうかだけであった。

 彼等を、今から無意味な危険に晒すのだ。


「わたくしを信じ、わたくしの言葉に従ってください」

 

 リルトリアは一面の緑を見上げる。

 突如と湧く、自然の枠からはみ出した巨大な建造物を瞳に焼き付ける。

 そこへと至る一本道は、正しく地獄への道行き。

 長きに渡り、数百、数千、数万の帝国兵の血を吸ってきた――


「それでは、そろそろ行きましょうか」

 

 そう言って、少年の体には不釣り合いな重厚な兜を被る。

 誰もが、似た装いだった。全身を分厚い鉄に覆い、武器は持たず、手には半身を隠す盾。

 その重々しさは、とても満足に動けるようには見えない。

 

 ――そう、誰もが思うから帝国は強かった。


「勝利をたたえて、わが舌歌え

 苦難をいとわず 進み行かれた

 とうといわが主の みからだ支え

 救いをもたらす そのうるわしさ

 ――勝利をたたえてパンジェ・リングァ

 

 戦神の聖別対象は武具で、使用者にかかる負荷――重さを感じさせなくした。

 軽装歩兵と同等の機動性を持った重装歩兵。それがどれほど恐ろしいかは、説明するまでもないだろう。


「それでは、わたくしに続いてください」

 

 リルトリアは駆け出した。彼の背後に二人、その後ろには三人が続いている。それらから、数歩離れて同じ隊形――二組が並んで追随していた。

 

 まだ門は遠く、こちらからは見えない。

 

 対して、俯瞰しているクロノスは敵影を捉えているはず。

 まもなく、投擲兵器が牙を剥く。


「ほめたたえよ、力強き主を

 わが心よ、今しも目さめて

 たてごと かきならしつつ

 み名をほめまつれ――」

 

 早くも、リルトリアは聖奠せいてんを行使した。


「――ほめたたえよ、力強き主をローブ・デン・ヘレン

 

 戦神の聖奠は大きく分けて二つ――命令権インペリウム支配権アウトクラトールである。

 そして、聖寵は〝戦場の声〟を聴く。


『敵攻撃――怯まず進め!』

 

 それは漠然とした危険を教えてくれるので、リルトリアは攻撃に対してずば抜けた回避力を有していた。

 

 そんな彼の言葉が、兵たちの頭に直接響き渡る。

 

 瞬間、鉄影が左翼を走る兵の頭上を過ぎった。

 正体はバリスタの矢――投擲兵器の中では、群を抜いて命中精度が高い。

 それを見て、リルトリアは自分の身の安全を確信する。


『右翼減速――左翼の後方へ』

 

 後ろからの轟音をかき消すように、リルトリアの命令が兵の頭を埋め尽くす。右翼が命令に従うと、予定進行上に巨大な矢が突き刺さった。


『――隊列に戻れ!』

 

 密集すればするほど的に成り下がるので、すぐさま体勢を整えさせる。

 リルトリアの作戦は単純だった。

 

 ――敵攻撃を避けながら進む。

 

 もう少し近づけば雨のように弓矢が襲ってくるだろうが、そちらは怯まずに押し進む気でいた。

 バリスタ以外はわざわざ避ける必要ない。


「ほめたたえよ、救いのみ神よ

 そのみ手には 常に備えあり

 なやめる われを導く

 恵みかぎりなし――」

 

 死を刻む矢が、幾度となく両翼を襲う。

 リルトリアは命令権インぺリウムだけでなく、支配権アウトクラトールも行使して兵たちを必死で逃がす。

 

 この少数編成は、リルトリアの力不足が招いたものであった。動かすのは、この規模が限界だったのだ。

 

 詰まるところ、戦神の聖奠は兵を自分の手足のように動かすことである。

 しかし、どれだけ手足が増えようとも頭は一つしかない。

 

 避けながら進むという単純な行動でも、たったの一八名。安全性を無視すればもう少し水増し可能だが、リルトリアは良しとしなかった。

 

 これが世界の命運を決める戦い――民を救う神聖なものならばともかく、こんな下らない争いで兵を死なせるのが許せなかったからだ。

 

 ――そう、下らない。

 

 なのに、リルトリアには止められなかった。

 兵を死なせたくないというのは、彼なりの反抗である。


『――盾を掲げろ! 怯むな! 突き進め!』

 

 太陽を遮るほどの影。これを前にしては無茶な命令――自覚があったリルトリアは、聖奠で強制的に兵の肉体を動かす。

 衝撃が体中を駆け巡るも、立ち止まらない。

 さすがに歩みは鈍くなるも、足は止められない。矢が驟雨しゅううさながら襲いかかる中を、リルトリアは強引に押し歩く。

 

 ――怯むものか!

 

 鉄の雨など、避けるに値しない。そんなものに足を取られていては、鉄の雷鳴に打ち抜かれる。

 

 ――自分は決して狙われはしないのだから!

 

 視界が影に覆われた今、信じるべきは戦場の声――リルトリアは愚直過ぎるほど聖寵に耳を傾け、確実に歩を進めていた。

 クロノスは城壁の高さゆえに、接近すればバリスタを扱えない。城門まで辿り着ければ、とりあえずの難は逃れられる。

 

 とはいえ、それで門を破壊できるわけではない。

 手元に武器はなく、あったとしても鉄の門扉を相手にするには力不足。人の手で振るう武器で壊そうと思ったら、果てしない労力と時間が必要となる。

 

 それぐらい、リルトリアにもわかっている。

 わかっていながら、彼は攻めていた。秘策でもあるのか、足取りに迷いは感じられない。


 付き従う兵たちも同じだ。

 既に聖奠による支配権は解かれていた。身を持って体験したおかげか、もう矢に怖気づく者は見当たらない。

 

 ――果たして、勇敢な行進は唐突に終わった。

 

 容赦なく、呆気なく打ち砕かれた。

 誰もが逃げろという〝声〟を聴いていたのに――リルトリアたちは、不可視の〝投擲〟に吹き飛ばされた。

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