第40話 外伝8 犬君は乳母になりたい!!!

道中色々ありましたが、なんとか三輪山のふもとまで到着しました。


いや、結構な日数使いましたよ。途中の道が崩れていたり、山賊の襲撃にあったり、とても一言では言い表せないような面倒事がやってきたりしました。


まるで私達を、三輪山にたどり着かせないためのように、時間がかかりましたが、私は何としてでも姫様を見つけ出して連れ戻し、最愛の夫である鬚黒大将の元に連れて行くと決めていたので、くじけそうな心は欠片もありませんでした。




「……ねえ、犬君ちゃん、やっぱり山自体がこちらを受け付けようとしていないわ」




山を見つめて、いざ姫様を探すべく、気合いを入れ直した私に、お馬さんが小さな声で言ってきました。


人間の感覚では伝わらない事を、お馬さん達は感じ取る事が出来るのです。




「受け入れられていなくても」




私は山から目を離さずに、こう言い切りました。




「私は姫様を見つけて、あの方のいるべきお家に連れて行くのです」




「……三輪山の神に喧嘩を売ってでも?」




「私に神罰が下り、丸焼きにされたとしても」




私は、断言しました。眼の裏に思い浮かぶのは、初恋の人にそっくりな鬚黒様と、寄り添って幸せそうに、頬を染めていらした姫様です。


あの顔のために、あの表情のために、私は命を懸けるのです。




「……狼童、俺は少しふもとの人達の話を聞いて来ようと思うんだが」




「私は……このあたりを通りかかった人が、何か知らないか聞いてみます」




「わかった。これを、持っていて欲しい」




「櫛……あのですねえ、こんな所で求婚はあまりにも情緒がありませんよ」




二手に分かれて、姫様の手掛かりを探そうと提案してきた巌丸が、懐から取り出した小さな箱に入っていたのは、櫛でした。


箱自体も、とても細工のこった、最上級の職人の腕前が感じられるもので、それの中に入っているのは、これまたお姫様階級が使う様な豪華な、私なんぞにはもったいない櫛だったのです。


そして櫛を贈る事は、一種求婚と言われた事も有ります。妻問の品という時代もあったと思われます……。


あれ、これは江戸時代の文化でしたっけ……なんか私の中で混ざっている気もします。




「櫛は古く、霊力のこもった強い力を持つ物だとされてきた。……こう言うのはなんだが、古の時代に、素戔嗚尊は櫛稲田姫を櫛に変えて、髪に差し込み、恐ろしい蛇神であるヤマタノオロチと戦って勝ったのだ。……三輪山の神は邪悪な神ではないけれども、それ位の気持ちで守りになるものを渡したいという、俺の思いを汲んでくれ」




「……」




私はしばし黙った後、櫛を受け取りました。それを懐にしまい込むのではなく、古の戦いの時のように髪の毛に差し込みました。こんな豪華な品物、犬君には似合わないのですけれどもね。


そしてそんな事をした私を見て、巌丸は笑いました。受け入れてくれる事がうれしいのだと、その顔が語っています。


……私はこの男を信用はしています。でも、色恋の世界はいまだ私にとって、足を踏み出せない世界なのです。だって私は前世では、彼等と同じものが下半身にぶら下がっていたのですからね。


当時の私は同じ性別を愛している傾向はなかったので、仕方ないと思ってください。




「では、また日が暮れる前に、ここで落ち合おう」




巌丸が言います。彼が私の単独行動を認めるのは、彼の方にも隠しておきたいあれこれがあるからでしょう。


ときおり鼻をかすめる、別行動の後の血の匂いから、多少ですが私は暴力の気配を嗅ぎ取っているのです。




「……さて」




私は彼の姿が完全に見えなくなったところで、様子をうかがっていたのだろう細いひものような蛇を、捕まえました。


そして、蛇に向ってにっこり笑ってこう話しかけました。




「ねえ、あなた。三輪山の神の所に、最近とっても可愛らしい乙女が連れて来られませんでした?」












私は実は、三輪山の山中で視線を感じ続けていたのです。だから、その視線をたどり、匂いを嗅ぐと、その視線の持ち主が全て蛇という事も気付いておりました。


三輪山の神が、蛇の姿も持っているというのは有名な話です。


そのお付きの者たちが、蛇である可能性は低くはないだろうと勝手に思っていました。


そして、その推測はあたりだったのです。




「……あんたは何か知っているのか?」




蛇は引きつった声で私に言う物ですから、私は勝ちを確信しました。




「私はその人を、笑顔にするためにここに来たんですよ」




「……あんたは、三輪山の神に連れて来られてから、どんな贈り物を送られても、歌を詠みかけられても、泣き続けるあの美しい人を、笑わせられると言いたいのか」




「はい! その方は、きっと私を見ただけで花が咲くように笑うでしょう!!」




きっと姫様は、私を見て、安堵して笑ってくれます。だからこんな大きな口が叩けるのです。


にっこり笑って、何の迷いもなしに断言した私を見て、蛇が言いました。




「ついてこい。私達にも、三輪山の神は、あの麗しい人の慰めになるものを探してくるように言っているんだ」




「これはありがたいですね」




私がこれはいい事を聞いたと笑顔のまま言うと、蛇は自分についてくるように言ったので、私は蛇を地面におろして、その蛇の後を追いかけました。


いったいどれくらい山の中を進んでいったでしょうか。帰り道はちょっとわからなくなりそうですが、きっと大丈夫です。山越えはできます。それに、道が分からなくなったらどこかの鳥に道を聞けば、教えてくれたりします。


主に、面倒な人間をさっさと追い出したいという事で。


蛇の案内のままに、私は進み、そして到着したのは美しい建物でした。


どうやってこの建物が出来たのか、考えられないほど美しい建物で、そこには顔を布で覆った女官たちが、働いている様子でした。




「ここだ」




「わあ!?」




蛇がそう言ったと思ったので、そちらを見ると、蛇だと思っていた相手は、狩衣をまとった人間の姿になっていました。でも、彼も顔を布で覆っております。


そう言う仕様なのでしょうね。


……いよいよです。


私はしっかりと、自分の目的を心の中で再確認して、その建物の中に、蛇だった男性の後を追いかけて、入って行ったのでした。










「うう、家に帰して……旦那様……!!」




そんな声がかすかに耳に入ってきたと思うと、私はたまらなくなって走り出したくなりました。


他でもない、姫様が泣いている声だったのです。あんなに泣かせて……!!




「姫君、あなたがこれから暮らすのは、この偉大な神の住まうところなのですよ」




「我が君に見初められるなんて、何て幸運なのでしょう、と皆言っているのですよ」




「あなたは大変選ばれた素晴らしい人なのです」




「帰りたい……皆……旦那様……犬君……」




しくしくと、泣いている声を聞いている女官達は、手を焼いているという風です。




「困りましたね……」




「どれだけ素晴らしい事か、わからない人だったなんて……」




「泣いてばかりで、我が君も苛立っているほどなのに」




「笑ったお顔が、花が咲き乱れるように美しいのだとおおせのこと。何としてでも笑っていただかなければ、私達にも責が」




「まったく、話の通じない姫君だったとは……」




女官達の声を聞き、当たり前だろうばかやろう、と私は言いたくなりました。


三輪山の神がとてつもなく力の強い、すごい神でも、姫様はそんな相手の妻になるつもりで生きてきたわけではありません。


女性として幸せに暮らしたいと思い、やっとそれに近付いて、微笑ましいほどゆっくりと、旦那様と歩き出した方なのです。


神に添う、巫女でもなんでもないのです。


だから、姫様が泣くのは当たり前なんです。ましてここには、彼女を慰めてくれる、親しい人間も心を慰めてくれる相手も、いない様子ですから。


私は、走って走って、姫様のもとに駆け付けたい気持ちをぎりぎり抑え込んでいたわけですが、女官達の声を聞き、もう我慢がならなくなりました。


だから、ここまで道案内をしてくれた蛇の男に、こう言って、走り出しました。




「案内ありがとうございます!! ちょっと先に行きます!!」




「あ、おい!! って、足が速いなあんた!?」




私は走り出しました。走って走って、無作法に色々なものを蹴飛ばしてひっくり返して、色々な女官達をぎょっとさせながらも、ぎょっとして反応が遅れているのをいい事に、姫様がいるであろう御簾を、力いっぱい開いたのです。




「姫様!! 犬君です!!」




「……え?」




御簾の中では、姫様が布団を頭からかぶって泣いていらっしゃいました。


いったいどれだけ泣いていたのでしょう。眼は真っ赤で、目元は腫れ上がって、涙が止まらなかったのでしょうか、塩気で頬が乾燥している様子で、声をあげて泣き続けていたからでしょうか、声はがらがらとかすれていました。でも、間違いなく私の姫様です。




「姫様!! ああ、お怪我がなくて、本当に、本当に、犬君は安心しました……!! ひどい事はされていませんか、こんなに来るのが遅れて申し訳ありません、ああ、姫様!!」




「犬君? なんでそんな男の人の姿で……でも、犬君、……犬君!!」




私が男装している事で、わけがわからなかったのでしょう。姫様はぽかんと私を見上げた後に、私がずっとそばにいる犬君だとわかったのでしょう、安堵した様子で、私に抱きつきました。




「怖かったの、ずっとずっと怖かったの、誰も話を聞いてくれないの、ねえ犬君、迎えに来てくれたんでしょう、帰りましょう、ねえ、ねえ!」




「はい! 姫様のためにこの犬君、はせ参じたのです!! あなたの笑顔のために、犬君は地を這い山を駆けるのです! さあ帰りましょう!! あなたが笑顔になるには、ここにいてはいけないのですからね!!」




抱きついてきた姫様を、私は重たい衣装を半分くらい剥して抱え上げました。いや、衣装があったら私、抱えられませんので。


そして、呆気にとられている女官達が、息を吹き返す前に、私は飛ぶような勢いで、広い広いこの建物の中を、最短距離で貫くように走り出したのでした。

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