第38話 外伝6 犬君は乳母になりたい!!
空が言ったのだ、私の大事な姫様が、あっちにいると。
それをただの偶然だとバカにできないのは、私が、この世界のいろんな普通じゃない物に、触れてきた結果でしょう。
実際に私自身、人間以外の生き物の声を理解できるのだし、末摘花姫みたいな、ちょっとすごい力を持っている人を目の当たりにしたわけですし。
そしてこの世界のすごい人の筆頭として挙げられるのは、生霊になる事が出来たであろう、六条御息所様であるのは間違いないでしょう。
この世界では、彼女は心安らかな人生になったわけだけれども、彼女の有する何かしらの力の強さは間違いないのです。
魂の強さが計り知れなかったからこそ、思い悩み過ぎて、生霊何て言う尋常じゃない物を、作り出してしまったんでしょうしね。
そんなあれこれがあるからこそ、私はすぐさま、局に入り、櫃の中にしまい込んでいた、というか封印していた狩衣を取り出した。
そしてばさばさと広げて、ざっと皺を確認してから、雨に濡れて重たくなった衣装を皆脱ぎ捨てました。
それから手早く狩衣を身にまといます。
こうして出来上がった、狼童の姿は、自分で言うのもなんですが、なかなかしっかり男の子に見えますね。
……髪の毛をどうしましょう。これだけ長いと、動くのに不便です。
普通の女性だったら、髪の毛をまとめて束ねて、どうにかするんですが……
いっそさっぱり切り落としてしまいましょうか。
そんな事を考えながら、短刀を引っ張り出した時です。
「犬君! 早まってはだめよ!」
局に女房の皆さまが飛び込んできたのです。相当急いだんでしょう……息が切れておりますし、化粧が汗で剥げて悲惨です……
「皆様……」
「犬君が、何かしらの神様から託宣を受けたのは、皆見ましたよ! 姫様を探しに行くのでしょう? 何も力になれませんが、髪の毛を切るのはだめでしょう! 姫様が見つかった後、あなた、女房勤めできませんよ!! それにそのためにあなたが髪を切り落としたとなったら、姫様がお嘆きになりますよ」
「……あ、はい」
そうだ、この世界の美女の基準の一つは長くたっぷりとした髪の毛です。
私の髪の毛は美人の枠に入らない毛の質ですが、それでもそれがばっさり落とされたら、姫様も気に病むかもしれませんね……
姫様が生きている事が分かったというハイテンションのために、ちょっと暴走しすぎたかもしれませんね、反省しなければ。
「……わかりました、髪を切るのはやめておきます。……ですが私は向かわなければ! 姫様が生きておられると、雨と雷をつかさどる神が告げたのですから!」
笑顔で言うと、女房の皆さまは、顔を見合せてから、こう言った。
「鬚黒大将様に、何もお知らせせずに行ってしまうの?」
「善は急げと言いますでしょう? 姫様がどこかで心細くて泣いていらっしゃるかもしれないと思うと、どうしたって私は、急がなければならないのです!」
胸を張って言い切ると、彼女たちはこう言った。
「犬君、私達は毎日、御仏にあなたと姫様が無事に戻って来る事をお祈りしています。だから、だから……姫様を連れて、あなたも無事に戻ってきてちょうだいね」
「はい!」
私は笑顔で頷いで、そのまま屋敷を飛び出した。
向かう先はわかっている。どこに行けばいいのかもわかっている。
だから、私が迷う事なんてこれっぱかりもないのです!
「犬君!!」
私が屋敷を離れて、都から遠ざかっていく中、後ろから声がかけられました。
それから、馬蹄の音が響きます。
そして声をかけてきた男の声も、聞き知ったものでした。
「……巌丸」
「犬君、一人で旅に出るなんて、そんなに向こう見ずの命知らずだったとは思わなかったぞ、都の中だって十分に危険があるというのに、都の外に出たら危険の度合いは跳ね上がるんだ」
「急ぎたいんです。姫様が、泣いていらっしゃるかもしれないのに」
「……そうなのか、ならば俺も一緒に行く」
「仕事の方はどうするのです。何日も理由もなしに休んだら、あなたの評判は落ちるでしょう」
「世間の評判よりも、大事にしたい女性を守り切れない事の方が、俺にとっては不名誉だ」
「……私は、一人でだってちゃんと、都に戻ってきますよ」
「犬君がすごい女性だというのはわかっている。だが旅慣れているのは俺の方だ。俺は野宿の仕方も食料の確保の仕方も、色々慣れている。祖父や父から叩き込まれた生き残る方法を、これはと思う女性のために使わないでどうするんだ」
……これだけいい男が、どうして私のような、美女の片隅にも置けない冴えない女に、執着するのかは、全く理解できませんが……
旅は道連れ世は情けとよく言うので、ここで断ってもただただ時間の無駄になるだけだ、と私は判断しました。
そのため。
「わかりました。……私がこれから向かうのは、三輪山の方角です。ついて来たければ勝手にどうぞ。私も勝手にしますので」
私はそう言って歩き出した。
ですが。
「犬君は馬に乗れるだろうか?」
言いつつ、巌丸が私を馬の上に乗せました。何て早業! とびっくりしていると、彼は男臭く笑いました。これで名前が未成年のそれだという事が、心底不思議な笑い方ですね……
「乗れるなら、乗れるうちは乗っておいた方がいいだろう、体力を無駄に消耗させるのは、山を目指すなら得策と言わないからな」
「……わかりました」
私は頷き、巌丸は自分は馬から下りて、手綱をひき始めました。
「あなたは乗らないんですか」
「馬の負担になるだろう。これから世話になる馬なんだからな」
そんなものなんですか。よく分からないな、と思っていると、馬が鼻を鳴らして笑いました。笑うのが分かったという事は……つまり、私は、馬の言葉も理解できるという事ですか!?
馬と喋った事がないので、驚きの事実でした。馬は言います。
「やれやれ、うちの若君は本当に、かわいいもんだな。好きな女を疲れさせたくないが、馬も疲れさせたくないから自分も歩くなんて」
「……えー」
これに反応を返したいのですが、巌丸には獣と会話できる事実を、伝えていないので、言えない訳でした。
そのまま私たちは、三輪山の方を目指し、進み始めたのです。
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