第37話 外伝5 犬君は乳母になりたい!!


空は晴れ渡っていた。なんだかこの前から続いていた長雨が嘘みたいに、晴れていて、それを見上げながら、私はなんだか心の一部が壊れたみたいに、気力という物が湧いてこなくて、すすり泣く皆様をぼんやりと見ていた。


姫様が見つからないまま一週間も過ぎてしまっていて、そして必死の捜索なかかろうじて、姫様の身に着けていた袿が数枚、泥の中から発見されて……姫様はもう死んでしまっただろうって、皆思っているのだ。


私はそんなの信じたくない。姫様はこれから幸せにならなくちゃいけなかった。


原作クズのGからやっと逃げ切れて、これから初恋の方にそっくりな鬚黒大将と幸せに、幸せに、いちゃつきながら、柔らかくて暖かい時間を過ごしていくのだと思っていた矢先にこれなのだ。


姫様が一体何をしたって言うんだ。一生懸命に、一生懸命に、幸せになろうとしていた方で、善良で、優しくて、とってもとっても、素敵な姫様だったのに。なんで、なんで……。


私は無論、最初は意地でも姫様は死んでいないって思いたかった。


でも、一週間も発見されないで、袿だけが見つかるって、そういう事でしょう。


現代日本のように、救助の活動が発達していても、川の事故で人は簡単に命を落としているのだ。


それ以上に、重たい衣装を身にまとって、袖の長い動きを邪魔しかしない物を着込んで、命が助かると思えない。


必死に、必死に、必死に、カワズさんとかを拝み倒して、姫様の手掛かりをつかもうとして、でもカワズさんの子供とか孫とかひ孫とかも、姫様関連の物を見つけられないで、胡蝶の皆さまも知らなくて。


走って探しに行けるなら、どこだって探しに行くのに、どんなに走っても泳いでも、追いつけない場所に姫様がいる、って否応なく感じさせられて、私の心はぽっきり折れた。




「犬君」




柔らかく笑う姫様が大事で。




「犬君!」




可愛くてあどけないふくれっ面をする事もある彼女が、本当に可愛くて。




「犬君っ」




綺麗なものを見て、きらきらした目で、私の名前を呼んで、袖を引くお嬢さんが、一等一番愛らしくて。




その笑顔も、ふくれっ面も、きらきらした瞳も、すました顔も、してやったり、みたいな悪戯っぽい唇の釣り上げ方も、もう、何にも見られない。


遺体もないのに、今日は姫様のお葬式なのだ。


こんな事になった鬚黒大将は憔悴しているけれども、喪主だから、それはもう立派な衣装に身を包んで、意地でも折れまいと過ごしている。


その代わりに、姫様の女房達はみんな泣いていて、カワズさん情報だと、藤壺の皆様も泣いていらっしゃるという。




「なんだか、樺桜みたいな人だったんだなあ」




カワズさんはそんな事を言った。そう、事実として原作でも姫様は、夕霧というGの息子にそういうとてつもない褒め言葉をもらう美女に成長する人で。


でも、でも。




「桜みたいに、見事に咲いてあっという間に散ってほしい方じゃなかった!! ずっと、ずっと、わらって、わらって、わら……」




ずっと、おそばにいて、その笑顔とか幸せとかを、見ていたい人だったのに、いなくなるなんてそんなの酷いじゃないか、姫様の幸せのために、あの手この手を使って来たのに、どうしてあなたがこんな呆気なく黄泉の国に行くのか。


涙が目ににじみそうだ、でも私は自分の意地と誇りをかけて、泣くものかと唇を噛む。


周りからすれば、泣けばいいじゃないかって思うだろうし、皆ぼろぼろと泣き崩れているのに、一人だけ泣くまいとしているのは、変だろう。


でも、雑用をする女房は一人は必要で。他の皆は、姫様と過ごした時間はそんなにないのに、それでもこんなに悼んで泣いてくれる、姫様が素敵だと知ってくださった方々で。


皆様が別れの前に、泣いている中、誰も何もできないなんて、あってたまるか、と私は意地を張り意地を張り、何度も呼吸を整えて、雑用をしている。


……そして……姫様を弔うお寺の僧都たちが集まってきた。


物凄い家柄である鬚黒大将の正妻の葬儀だから、あらたかな人たちを呼んだんだろうな。


あの世での幸せとか解脱とかそんなのよりも、姫様がここにいてくれる方がずっといいのに、現実はなんて残酷なんだろう。


私はそう思いながら、支度を整えて、また空を見上げた。




「くそったれなほどあおい、か」




私は誰にも聞こえないような声で、空に対して乱暴な言葉を口にした。




「皆様、準備が終わりましたので、お進みになってください」




お使いの童が、私達を呼ぶ。姫様の女房達は皆動き出す。私もまた、動き出した。


このために準備された場所は、本当に心のこもった、お金も相当使っている感じの立派な物で、これが物見遊山で見物する、娯楽の一種として見る読経とかだったら、どんなに良かっただろうって、思うものだった。


姫様はあまり外に出られないお方だったから、物見遊山のあれこれも、計画はあった。鬚黒大将にお願いして、あっちこっちの名所に遊びに行く、という計画は実は着実に進められていたのに。


そこで、その景色がきれいだとか、疲れたから負ぶってとか、そんな笑いたくなる思い出を作る方はもういらっしゃらない。


女房の方たちが数珠を片手にやっぱり泣きぬれている中、読経が始まって……私の五感が、不意に、豪雨の匂いを嗅ぎ取った。


あんなに雲一つなく、馬鹿げているほど晴れ渡っていた青空だったのに、どうして雨の匂いがこんなにするのだろう。


私が読経する僧都から目を離し、庇の所で空を見上げたその時だ。


空が一瞬で、それこそコマ送りのようにすごい勢いで曇り始めて、瞬間でバカにならないほどの、バケツをひっくり返したとかもまだ温いような、そんな勢いで、ゲリラ豪雨よろしく雨が降り始めたのだ。


その突如の常ならぬ豪雨に、皆外を見る。読経の声をかき消し、姫様の冥福のために焚かれているお香がその湿気のすごさで消える。


まるで水の中にいるような息苦しささえ覚える豪雨の中、耳を破壊するような、とてつもない大音量の、稲妻が空から叩きつけられてきたのだ。




どんがらがっしゃああああああああんん!!!!




こんな表現がちゃちな程の轟音が、爆音が、立て続けに空から、姫様の冥福を祈るためにおお経をあげているお堂の近くにぶつかっていく。


それはまるで、姫様が死んだ思う事に対して、なにか普通じゃない物が、怒り狂っているような、異常な落雷だった。


だから、私は外に飛び出した。


周りの誰もが、突如すさまじい雨の中、外に飛び出した私を見て、呆気にとられている。


でも、私は一か八か、かけをしたかった。


外に飛び出した私はあっという間にびしょぬれで、着ている重たい衣装は更に重たくなり、染めもにじみ、色々台無しになる。


でも、私は空に両手を掲げて、大声で、問いかけたのだ。




「姫様は生きていらっしゃるのか!!!」




雷が、私の近くに落ちる。丸焼けになる恐怖は、今の私にはなかった。




「生きていらっしゃるというのならば!!! 雷よ!! 答えたまえ!!」




雷はそれに答えるように、二度落ちた。


私はそれになんだかよくわからない、確信に似た物を覚えて、周りの護衛の侍たちが、戦くようにこちらを見ているのなど無視して、さらに吼えた。




「姫様は、いずこに!!! 方角を示したまえ!!」




私はすさまじい雨の中、雲を睨んだ。どんなものでも見逃さないように、目を見開いて。


そして、私の問いかけに、雷は答えたのだ。


雷が、三本、とある方角……三輪山の方を向いたのだ。


雷と、蛇と、雨は、古代の日本では密接なつながりがある。


雷が、蛇神の中でもそうとな力を持つ、三輪山の神が座する方角を示したのだ。


そして、姫様の死を否定するように、僧都の読経をかき消さんばかりの雨が降っているのもある。


あっちか。


あっちに、姫様が、生きて、いらっしゃる!!!


それがとてつもなくうれしくて、私は大声で、吼えるように笑い出した。


笑いながら、うれしさで、涙が出てきて、笑ってんだか泣いてるんだか、わからない顔になりつつあった。


濡れているから、涙と雨の違いなんて分からないけれど。




「狼童!! 大丈夫か!!」




宮中の警備から、人員が割り振られていたんだろう。巌丸が走り寄ってきた。


他の侍たちは、私の宮中夫人としてはありえない異様さに、近寄れなかったんだと思う。


吼えるように大声で笑う宮中夫人とか、物の怪にしか思えなかったんだろう。


私は、巌丸を振り返り、大声で言った。




「姫様が生きていらっしゃる!! 巌丸!! 姫様はあっちにいると、空がお答えになった!!」




この時、私は、それはそれはありえないくらいに、華やかな顔で笑っていたらしい。後で聞いた時、何だそれと思ったけど、アドレナリンとか出まくりすぎて、そんな顔になっていたかもしれなかった。


そして私は、踵を返し、走りだそうとしたのだ。




「姫様を、お迎えに行かなくちゃ!! 生きていらっしゃると、空が答えたのだから!!」

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