第23話 どうも犬君です。もったいない奴です、この男。

私は今現在、とってもピンチです。


巌丸は私を担いだままどこかに向かっていますし、忌々しいことにこの男、本気で私と愛を語らうつもりなのです。


犬君はそんなことするよゆうはありません! というか板東ですかね、この青年の出身地は! そんな所まで行ってしまったら、姫様のことを見守れないじゃありませんか! どうにかしてこの危機を乗り切り、姫様のところに朝までに戻らねば……


しかしどうあがいてもどう暴れても、この男の大きくて骨ばった手は私を話してくれません、どうすっかな、という言葉が頭をよぎります。


ですがね、おろされた瞬間は確実に、この男の隙になるはず!


どうにか目潰しでもくらわせれたら、逃げ出せるやも知れません。


姫様、犬君はちゃんとあなたのところに戻りますからね!




「そんなに警戒しないでくれないか」




「警戒以外に何をしろと? 悪いですけど、結婚する気のない女に愛を語らおうなんてちゃんちゃらおかしいですよ」




「そうか? 都の流儀はよくわからないものが多いな! 唄を交わして色々するのがまず、珍しい」




「故郷は違うんですか?」




「かなり違うな。それくらいの歳になったら、それくらいの歳の女性のところを訪ねて回るんだ。それで、振って振られてをくりかえして、適当に落ち着く」




「なんですかそれは! そ、そんな流儀で女性が怒らないんですか!?」




「突っぱねるのも受け入れるのも、女性次第だからな。布が織れる女性はとてもありがたい存在だ」




「つまり決定権はあくまでも女性にあるとおっしゃいますかね?」




「そうだ。女性は何人も男を通わせるし、男は何人もの女性のところに行く。だいたいそれで相性が決まっていって、落ち着くもの同士で落ち着く。はらんだらそれで結構決まるな!」




いいつつ家の一室に入る巌丸。割と丁寧に寝床におろされて、この男が悪人ではなさげだな、と思います。


しかしだからといって、逃げ出すために躊躇しては……




「すごい目をしているな、犬君は」




逃げ出すため、巌丸の向こうの扉に向かうべく手足に力を込めると、彼が私の前にひざを付きました。そしてこのせりふです。




「は……?」




「強い目だ。狼の目をしている。こういう目の相手はほれぼれするほど生き方が恰好いい」




「口説き文句を間違えてますよ!」




私はこの男の言い方に悪い気はしません。母さんが抜群に格好良かったのは間違いありませんし、その母さんに似ていると言われるのも気分がいいです。


ですがそれとこれとは話が違います、私はこの都から離れません!


犬君は息を吸い込み、一応荒っぽいことをする前に言っておこうと思います。




「私はあなたと一緒に、あなたの郷里まで行くことは出来ません! お仕えする方が、帰りを待っているんですから!」




朝になっても犬君が戻らなかったら、どれだけ姫様に心細い思いをさせてしまうことか! 今姫様の旦那選びは大詰めに入っているんです。姫様の心をきちんとくみ取る為、姫様の幸せのため、犬君はどっかいくことは出来ません。


犬君の断言に、巌丸が目を丸くします。


そして何を思ったか、堅く握りしめた私の手のうえに、手を重ねました。




「いい女だ」




「は?」




「俺はお前に嫌われたくないな。愛を語り合えば、俺の言葉もちゃんと届いてくれると思ったんだが。狼僮にその隙間がないらしい」




にっと笑う巌丸。彼はこの段階でも、女性に無体な真似をするのをやめる程度には紳士らしいです。くずとは大違いですね!


まじめに感心していると、彼が続けました。




「今日は二つだけ覚えていて欲しい。俺は狼僮をあきらめない。でも狼僮がいやなことはしたくない」




「……あなた変わってますね」




「板東ではそんなものだ。最終的に女性の方にすべてを決める権利があるから、あまり女性に嫌がられることはしないものなんだ」




とくに、これはと思った女性には、と朗らかに笑う巌丸です。


……この人が、身分の高い男だったら姫様に対して大変な優良物件だったのに! 板東の若武者では、帝の大事な姫君の婿殿にはちょっと釣り合いがとれません。くそ、何という残念なものでしょう。


なぜなら姫様は、この男が求めている布を織る技術はないんです。貴族の姫君らしい教養はいっぱいあるんです、教育受けましたから。


でも実践的な、布を織る、料理を作る、洗濯をする、と言ったものはないんです……私はあるんですけど。


何でっていったら、尼君のところでは色々なものを教え込まれたのです。姫様が一人になったとき、私がいれば立ち行くように。


尼君も乳母のお姉さまも、ピシピシと犬君を鍛えました。


遣らねば明日のご飯がないとなれば、人間必死に覚えるものです。


はい。


それはさておき、犬君はじっと相手を見つめて告げます。それ位はして構わないでしょう。


ただ、目を合わせ続けるほど、彼の笑顔がうれしそうになるのが解せませんね。


こんな風ににらまれて、気分がいいわけじゃないでしょう。




「私は邸に帰ります。帰してください。待っている人がいるんです」




「じゃあそこまで送ればいいな、そうすれば狼童の説得に何度も、訪れる事ができる」




やめてください、犬君の場所は内裏。そう、内裏の奥たる藤壺邸……坂東の若武者がそう簡単に行ける場所じゃないんです。


私は少し目をそらして、一言告げます。


ただの事実を。




「あなたが入れる場所ではありませんので」




「そんな高貴な身分の女性の元で働いているのに、男装して夜屋根の上を飛び歩くのか! 裏表が激しいな、だが」




伏せた目に合わせるように、巌丸がこちらの顔をのぞき込んできます。




「どっちも知っていて、狼童をかばってくれる相手はいるのか? 逃げ道になってくれる相手はいるのか?」




「いなくとも、どちらもこの狼童には必要な動きなので、お気遣いなく」




伸ばされた手をぴしゃりと払い、私は立ち上がりました。




「それでは、二度と会う事がありませんように。……もしもまた会ったら、もう少しきちんと話を聞いてあげてもいいですよ」




意外と紳士で真摯な巌丸、話位は聞いてあげます。その手を選ぶ事はありませんね!


だって姫様の幸せを見届ける事、それすなわち美少女の笑顔を守る事につながるんですから!


ちなみにあまたの美女の心を守る事でもあります。はい。


しかし、巌丸は笑いました。楽しい事を聞かされたような顔です。面白い賭けを聞かされたばくち打ちのような顔でもあります。


勝負強い男の顔でした。




「言ったな、絶対にまた会ってみせる」




立ち上がって出入り口の方に向かっても、巌丸は邪魔をしません。それどころか、わきをついて歩きます。




「こういうとあれだな、男女逆の逢瀬のようだ」




「なんですそれ」




「俺が待つ側なんだ。それで、狼童が来る側。来る相手の正体を知らずに、訪れを待つなんてまさにそれだろう?」




「笑える冗談ですね、あなたは待つ側になる位に、我慢強くていますかね」




巌丸はにいっと明るい顔で笑いました。




「ないな! 待つどころか探し回るだろう!」




それでも、この男はいいやつだったようで、門の前まで出ていく私を見送ってくれました。


途中で足止めをすることもなく。驚いたことにです。




「また会うぞ、絶対見つけ出してやる」




門で最後に、私の肩をつかんでまっすぐに目を合わせた後、巌丸は私から手を離し、私は急いで走り出しました。




「ひ、姫様の起きる時間に着替えが終わりません!!!」

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