第19話 どうも犬君です! 想定外の人に興味を持たれています!!


綺麗な綺麗な、唐渡の玻璃の中で、白く濁ったお酒が揺れています。


そう、平安時代のお酒は濁っていたのです。驚きです。


綺麗な透明感のある、そんなお酒は見た事がありません。犬君が知らないだけで、何処かではあるのでしょうか……


そんな物を緩やかに、玻璃の杯から傾けているそのお方は、にこりと笑いかけてくれました。




「またまた、犬君は暗躍をしているようですね」




「暗躍と言うほどの物はしていません。ちょっと藤壺様とお話をしただけですよ」




「そんな形で?」




彼が私の着ている物を指さして、面白そうに言いました。




「少なくとも、裳着を済ませた女性がそんな風に、狩り衣を着て飛び回っているという時点で、暗躍じゃなくて何なんですか?」




「情報と言う物は鮮度が命と言うでしょう、蛍帥宮様」




「それは政敵がいる男の話ではありませんか?」




「いいえ? 女性も情報が新しくなければ、本当の厄介な事を見つけられませんし……この格好で知る事はなかなか、面白いのですよ」




彼と向かい合う私は、お酒を飲みません。何故って匂いだけで酔っ払いそうになるからです。犬君はとてつもない下戸でした。


お母様に育てられていた時代に、嗅覚が発達したのでしょう。


色々嗅ぎ分けられます。


そして今、蛍帥宮様が、とても犬君に気を使ってくれているのもわかるのです。




「もっと香を焚き占めるのが、都のやり方なのに。そんな薄い香りで侮られたりしませんか?」




「かすかに、緩やかに。ほんの僅か、感じる程度。それが雅というものですよ。覚えておきなさい、犬君」




「今まで誰も教えて下さらなかったもので」




「当たり前かもしれませんよ。香木などはとても貴重な物ですからね。一かけらで千金を得ることもかなう物です。それを贅沢に使ってこそ、雅と思う人間はあまりにも多い」




それは本物の雅を探すものとして、認められませんと蛍帥宮さまは微笑みました。




「それで、今回はどこに出かけようとしているのです? 私まで巻き込んで」




「少し、葵上さまの身の回りにおかしなことが起きていないか、調べたくてですよ」




「義姉上の? 兄は以前の要に浮いた話が、ないでしょう」




「聞けば、葵上さまが六条御息所さまの所に、援助を始めたと言うではありませんか。誇り高いと聞く女性が、そのような事をされて……心を苦しまないとは思えないので」




「心を苦しめると言えば。犬君。そういえば弘徽殿の方が、お前をたいそう褒めていたと言いますよ」




「弘徽殿のお方が?」




私の声は怪訝な物になりました。弘徽殿の方とはつまり、日嗣の皇子のお母上じゃありませんか。


作中一番の悪役とされた、実はとても常識的なお方が、なぜ?


少なくとも、犬君は破天荒な事をしまくっていると思うのです。


とても褒められるとは思えないのですが、褒めているとは真なのでしょうか。




「光の君……兄上を拒否し、やり込め、左大臣の威勢を弱めたという事で喜んでいらっしゃったそうですよ」




「ああ……」




ここで原作の事を思い出します。弘徽殿の女御は、簡単に言えば最強悪女なのです。入内が決まっていた姪に屑こと光源氏が手を出したことが、露見した際。


待ってやつはそんな事したのか、と思うかもしれませんが、やらかしたんです……そう言う批判は脇に置いて、事実だけを言えば、責任をとって婿入りさせようとした右大臣以上に怒り狂い、厳罰を求め、その厳罰や責任追及から、屑は泡を吹いて逃げ出し、須磨まで流れたのですよ。まじです。


さらに、息子である朱雀帝が気弱な状態でいるときでも、自分をしっかり持っていて、揺るがず、大変強かったんですこのお方。


数多の人が、屑を流刑にした事で天罰が下っているんだと思うなか、そんなわけがない! と思っていた芯の強い女性です。


さらに、さかのぼれば桐壺帝にも、身分に釣り合う寵愛をするように、度々意見していた女性だともいいます。


はい。


すごく常識的で良識的で、さらに自分の家の事を守ろうと頑張って立ち振る舞う、健気な女性だったのです。


ただし作品は、屑びいきの女官が書いたという設定なので、とことん彼女を悪く言っていますがね!


犬君は好きですよ? もっとやっちまえって思う瞬間があった事も。


さて、そんなお方にとって、屑はとっても憎たらしい相手なのです。


身分にそぐわない寵愛で生まれた男児。


帝が日嗣の皇子以上にかわいがりかわいがり、舐めるようにかわいがる男児。


何でもかんでも、褒めちぎられる男児。


やらかしても許してもらえる男児。


日嗣の皇子よりも素晴らしいと、世間的には思われている男児。


はい、ひっじょうに不愉快な存在に間違いありません!


さらに日嗣の皇子が幼い頃は、何度も何度も、その順位が変わるのではないかとストレスをため込んでいた女性です。


多少屑へのあたりが強いのは仕方がない事なんです。お前が苦しめてんだよってやつです。


幸いなことに、今寵愛を受けている藤壺様は、その御父上が先代の帝。(桐壺帝の父親ではありません。兄や従兄や伯父だったのでは? と言われています)という、寵愛しまくっても何も問題にならない身の上の方なので、弘徽殿の方の怒りの原因になりません。


さらに、桐壺帝との間の子供は女児。皇位継承権とやらがない、内親王です。


弘徽殿の方の脅威にならないので、取っ手も安心して子育てしている藤壺様です。


……話を戻すと、とっても敵に回したくない常識人と言うのが、この弘徽殿のお方なのです。




「兄上が婿入りして、ますます桐壺帝は左大臣の家を重要視していましたからね。その鼻っ柱を叩きのめした犬君が、面白くないわけがないのですが」




蛍帥宮様楽しそうですね。何故でしょう。




「なぜそのように楽し気なのですか、師匠」




「私の可愛い弟子が、あの方に気に入られている以上、弟子の可愛い姫君も安泰という事だからですよ。あなたはそこしか気にしないでしょう」




「まあ、この犬君、姫様を放置して幸せにはなれませんので……」




事実だから強い反論ができないでいましたら、蛍帥宮様がお酒をお代わりしていました。




「近いうちに、お前を朱雀兄上の何かに引き抜きたい、と言い出すでしょうね」




「いや、無理です無理です」




「犬君が気に入られている方が、姫君も安泰だと言っても?」




「姫様を守れない距離にいるという事を、犬君は認められません」




「そう言うと思った。さて……牛車を出してくれ、犬君。義姉上の所の様子をうかがいに行こう」




蛍帥宮さまはそう言って立ち上がり、犬君は帥宮様の牛車を出すべく、牛飼い童たちに指示を出しました。


この男装は、目立たないためにあるのです。男装をすれば、犬君だとだれ一人思わないからです。


ちょっと顔を出してふらふらしていても、怪しまれないからでもあります。


顔を出した女性と言うのは、貴族関係者としては不気味とされてしまいますので。

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