2-4

 □



 藍浦市の片隅にある廃工場。

 そこをアジトとしている密入国の麻薬組織の殲滅せんめつが今回の仕事だった。

 それなりに武装した犯罪集団が相手の、それなりの規模の仕事は久しぶりだ。しかし普段から死と隣り合わせの生活を送っている派閥の人間にとって、ただ武装しただけの素人を相手にすることは実に簡単だ。結芽は遠くからスナイパーライフルで狙おうとしていた相手を、視認することなく殺気だけを辿って爆破で気絶させた。


「――ああ、わかった。一応監視は続けておいてくれ」


 背後では、利津が誰かと通話をしていた。彼の背後からナイフで襲いかかろうとしている男がいたが、ナイフが届く前にバチンと音がしたと同時に硬直し、そのまま倒れた。通話を終わらせた利津が、そこで初めて男を一瞥いちべつする。


「無謀すぎんだろ、度胸だけは褒めてやるけどな」


 ぼそりと呟いて、持っていたスマホをジーンズのポケットに突っ込んだ。


「誰から?」

「虎狛」


 利津の口から出た名前に、結芽は一瞬動きを止める。虎狛の家系は代々、派閥争いの前線の情報を集めることを仕事としている。


「何かあった?」


 動きを止めた一瞬を狙って迫って来る弾丸をナイフではじいてそのままナイフを投げ、撃ってきた相手の利き手に命中させる。すぐに新しいナイフを取り出して視線を周りの犯罪集団へ向けながら、いつでも派閥への指示をだせるように利津の返答に耳を傾ける。


「達規が馬野に襲われたそうだ」

「!」

「おい」


 思わず視線まで利津へと向けてしまう。そのタイミングで結芽を狙ってサブマシンガンを撃ってきたやつがいたらしく、利津が素早く結芽の腕を引っ張って射線から遠ざけてくれた。サブマシンガンを撃った男は利津が視線を向けただけで瞬時に感電し、倒れた。加減しやすそうて羨ましい能力だといつも思う。


「集中しろ」

「ごめんなさい」


 静かにたしなめられてしまい、素直に謝る。どんな理由があっても仕事をおろそかにしてはいけない。わかっているのに動揺してしまった。

 利津が小さく息を吐く。


「……氷雨が近くにいたから、すぐに駆け付けた。心配ない」

「そう……よかった」


 氷雨がいれば、間違いなく大丈夫だ。以前見た馬野の能力で彼に勝てるとは思わない。

 結芽は安堵して今度こそ目の前の仕事に集中した。


「いい加減飽きてきたわね、一気に片付けちゃおう」


 離れた場所で戦っている十岐にも聞こえるように声を張る。十岐が頷いたのを確認して、結芽は息を整えた。


「殺さなくていいからな、後で俺が纏めて始末する」

「……うん。さあ、終わらせちゃおう」



 □



「……思ったより早く来てしまいましたか」


 氷雨の介入に、馬野が距離を取りながら呟く。


「最初に防がれたのが痛かったですね」

「私も少しは指導したんで当然ですよぉ。できなかったら、死んでいようが説教してるとこでした」

「目をかけられている彼だからこそ、今のうちに殺したかったんですよ」

「ふふ、残念でしたー」


 氷雨は全く警戒をしていない様子で、片目を閉じてみせる。

 そんな彼の右腕が、突如肩の位置で切り落とされた。続いて左腕が。

 達規は声にならない叫び声をあげ、駆け寄ろうとする。が、


「落ち着きなさい達規くん」


 はっとして氷雨をよく見れば、彼は五体満足のまま立っていた。そこで馬野の能力を思い出して歯噛みする。また達規は幻影にだまされていたのだ。


「ふむ、惑わされませんか」

「君の能力は聞いていましたから。そんな子供騙しで私を殺せると思われちゃ困りますよぉ」

「これが私の全てだと思わないでほしいものです」


 馬野がシルクハットを目深にかぶり、笑う。しかし、彼はすぐに息をのんだ。


「全てだろうがそうでなかろうが、関係ありませんよ」


 いつの間にか、馬野の目の前まで氷雨が距離を詰めていた。

 馬野はすぐにサーベルを振り上げる。それを難なく避けた氷雨がナイフで反撃し、馬野はそれをサーベルで受け止めた。そのまま間断なく氷雨が攻撃をしかけ、馬野は防ぐのに必死になっているようだった。断続的に金属音が響く。

 ひときわ大きな金属音が鳴り、二人がすれ違う。氷雨の手には、馬野のサーベルが握られていた。


「いいものを持ってるじゃないですかー、お借りしますよ」


 振り返りざまに振るわれたサーベルが馬野の上半身と下半身を切り離した。人が殺される瞬間を見るのは二度めだが、慣れるものではない。今回も達規は無意識に目を背けてしまった。その視線の先で、自分の手が震えている。

 氷雨は、目を閉じていた。幻影対策なのだろうが、目を閉じてあれだけの戦いを見せた彼を恐ろしく感じてしまったのだ。


「予想以上に手ごたえがありませんでしたねぇ……あれ、達規くん大丈夫ですかー?」


 呼びかけられて、のろのろと顔をあげる。氷雨は返り血のかかった顔を袖で拭っていた。


「うーん、さすがに血しぶきまでは避けられませんでしたねぇ。狭範囲の人払いをしながら帰りますか」

「殺してよかったんですか」

「先日の二人組をけしかけたのは彼でしょうからね。面倒は始末するべきです」

「遺体の、処理は……」

「どうやら近くに虎狛くんがいるようなので、彼に任せましょう。あ、結芽くんたちの仕事も終わったようです。香椎家に行きますか」


 スマホをいじりながら歩き出した氷雨から数歩遅れて、達規も足を動かした。一度だけ振り返り、動かなくなった馬野の遺体を見る。


「氷雨さんって、本当に能力ないんですか」


 この目で実際に見ても信じられなかった。圧倒的な強さだ。


「ええ、ありません。といっても馬野はたいして強くなかったので、彼は幹部候補くらいの位置づけだったでしょうね。保科の幹部の実力は、恐らくこんなものではありません」


 達規にとっては馬野ですら脅威であったため氷雨の戦いを見て今後も大丈夫なのではと思っていたが、やはりそうはいかないらしい。


「でなければ、先代当主――結芽くんのご両親が殺されるはずがありませんから」

「……っ」


 氷雨の口から憎々しげに語られた事実に、達規は息をのむ。なんとなく察してはいたが、実際に聞くと衝撃的だった。

 結芽の両親は、保科派の人間に殺された。彼女は、どんな思いで両親の意思を継いで和解を目指しているのだろう。氷雨たちは、どんな思いで支えているのだろう。

 そこまで考えて、達規ははっとする。数歩先を歩く氷雨の表情は伺い知れないが、先ほどの口調。彼にしては、感情をむき出しにしていた気がする。


「氷雨さんが守りたかったものって……」


 呟くように訊ねる。氷雨は何も言わなかったが、代わりに肩ごしに少しだけ振り返り、小さく笑った。

 こんなにも悲しげな笑顔を浮かべる人を見たのは初めてだった。


 達規は何も知らなかった。人間同士が争うことの本当の悲しさも。派閥の人間が抱える悲しみも、強さも。結芽の覚悟も。

 何もわかっていなかったのだ。

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