すべては闇のなか

2-1

 最初は訓練のために銃を持つことすら怖くて、手が震えていた。


 今は、護身用に持ち歩くことにさえ慣れてしまった。



 たとえ警察に見つかったとしても、香椎派だと証明する名刺があれば罪に問われることはない。派閥の詳細については警察の上層部しか知らないらしいが、それでも「派閥の構成員は所持を許可されている」という知識は新人の警官でも教えられているのだそうだ。


 だからといって警察関係者でも政府関係者でもない人は知らないのだから、見つからないように気をつかわなければならないことに変わりはないのだが。






「……お前、最近顔つき変わった?」

「え?」


 昼休み。達規は自分の席で弁当を頬張りながら首を傾げた。


「そう?」

「気のせいには見えない。何があったのかは知らねーけど」


 前の席で、雅臣がいつものように足を組みながら横向きに座り、怪訝そうな視線を向けてくる。


 さっきからときおりパンを口へと運ぶ手を止めてはこちらの顔をじろじろ見るものだから、何事かと思えば。


「別に、何もないけど」

「ふーん」


 つまらなそうな顔でまたパンをかじる雅臣に心の中で謝りながら、達規も箸を動かした。さすがに「裏社会入りしました」なんて言うことはできない。


 そんなことを考えた直後、先日の光景が脳裏のうりをよぎった。あっけなく殺されてしまった保科派の二人組。目をそらす時間もなく、利津は慣れ切った様子で彼らの頭部を打ち抜いた――途端に白米が喉を通らなくなり、咳き込んだ。


「おいおい大丈夫か」


 お茶でなんとか流し込みながら、達規は首肯しゅこうする。そんな自分のことをよほど不審に思ったのだろう。雅臣は、けれど深く訊こうとはせずに


「言えることがあれば聞くからな」


 それだけ言って、パンの最後のひとかけらを口に放りこんだ。


「……うん、ありがとう」


 味を感じにくくなってしまった弁当をむりやり食べ続けながら、達規は呟くようにお礼を言う。


 銃の所持に慣れたところで、ああいう光景に慣れなければ意味がない。


 食事ができるだけで上出来だと、結芽は言っていた。しかし、彼女の背中を追うのなら、まだ成長しなければならない。


 そういえば、今日の特訓にはまた氷雨が来るのだと聞いた。あの人は良くも悪くも容赦をしないから、きっと大変だろう。肩を怪我してしまった結芽にこれ以上負担をかけないためにも、体力をつけて特訓に励まなければ。達規は気合を入れなおすように弁当をたいらげた。






 学校が終わると、一度自宅に帰って着替えてから香椎家へと向かう。いつもなら呼び鈴を押すと出迎えてくれるのは結芽なのだが、今日はさすがに十岐が玄関を開けるのだろう。そう思っていたのだが、呼び鈴を押して出てきたのはいつも通り結芽だった。元気そうなその姿に、達規はいっときぽかんとしてしまう。


「香椎さん、怪我は大丈夫なの?」

「十岐に治してもらったの、今日までは一応休んでたけどね」


 思えば、派閥の人は不思議な力を持っていることが多いようだった。理解を超えることばかりだ。驚きに口をぱくぱくさせていると、結芽が吹き出した。


「ふふ、そういえば達規には力の説明がまだだったわね」

「馬野って人が使ってたやつ?」

「そ。とりあえずあがって、まだ氷雨さん来てないから少し話そっか」


 頷いて、結芽のあとに続くようにリビングへと向かった。促されてソファに座ると、十岐がいつものようにお茶を運んでくれた。


「馬野が使ってた力……あの人の場合は幻影ね、存在を認識してしまえば現実のようになるみたいだったけど。目を覚ませば違うとわかるけれど、見ている間は確かに存在する、悪夢みたいなものかしら」


 お茶を一口飲みながら、達規は相槌をうつ。たしかに、リアルに感じる悪夢のようなものだった。結芽が殺気で吹き飛ばしたあとは、まるで白昼夢にでも出会ったような感覚に近かった。


「ああいう力はね、人間の潜在能力を引き出したものなの。つまり、個人差はあれど特訓次第で大半の人は何かしらの力を使えるようになったりするわね」

「香椎さんは……そっか、あの爆発したやつか」

「そう。あれはあらかじめ爆弾をしかけていたわけじゃなくて、私の能力によるものよ」

「怪我を治したのは、十岐さんの力ってことだね。……治癒とか?」


 わりと自信を持って言ったつもりだったが、結芽は首を横に振った。キッチンの片づけを終えてリビングへと戻ってきた十岐が、結芽の言葉を継いだ。


「私は、水なんですよ」

「水?」

「ええ。命の源である水の力で傷の再生を促す……なんて言ったら聞こえは良いのですが。実際はそんなかっこいい力ではなくて、体内の水分を操って再生を早めているだけです。時間をかけて何度かやらなければならないほど、小さな力なんですよ」


 数日で直るのだから十分すごいと思うのだが、たしかに治癒専門の能力があるとしたらそれには劣るのだろう。


「十岐のメインは治癒じゃないもんね」

「ええ。水は攻撃にも使えますから。達規くんなら言わなくてもなんとなく想像できそうですね」


 そう言われて、嫌でも想像してしまった。苦笑いを浮かべる達規を見て、十岐がくすくすと笑う。もしかして、この人も敵にまわしたらとてつもなく恐ろしいのではないだろうか。


「十岐の力は応用がきいて羨ましいなあ」


 その横で、結芽が唇をとがらせてソファの背もたれにぽすんと背中を預けた。


「私なんて攻撃しかできない」

「でも、結芽さんの爆破はとても強い能力だと思いますよ」

「んーまあ確かに加減によっては使いようはあるけどさぁ、目くらましとか」

「ねえ、そういう能力って俺も使えるようになったりするかな」


 先ほどから気になっていた。潜在能力を引き出したもので、特訓次第では使える可能性があると聞いたときから。


 少し羨ましいと思ったのだ。幼稚な理由だが、単純にヒーローっぽい。


 緊張しながら訊いてみると、「んー……」結芽は少し考えるように首を傾げて、


「たぶん、達規は一回能力を使ってるのよね」

「え?」


 思い返してみても、それらしき記憶は全くない。


「最初。巻き込んじゃった日ね。ほら、達規は笠井に殺されそうになったでしょ。あのとき、既に至近距離だった二人の間で……私、軽く爆破を使ったの」

「えっ」

「殺されちゃうなら、怪我のほうがマシかなって。……えへ」


 的確な判断だとは思う。思うけれど、衝撃的すぎる。ごまかすように可愛らしく舌を出して笑ってみせる結芽とは反対に、達規はひきつった笑みを浮かべた。


「……あれ、じゃあなんで俺生きてるの?」


 気絶してベッドで寝かされてる間に十岐に治してもらった可能性を考えたが、彼女の治癒には時間がかかることが先ほどの話でわかっている。念のため十岐のほうを見てみたが、首を横に振ったのでやはり違うらしい。


「倒れ方からしても爆破を受けたことは間違いないはずなんだけど、無傷だったのよ。きっと無意識に発動したんだろうけど……どんな能力かは見てない。シンプルに考えれば盾みたいなやつなんでしょうけど」


 達規は自分のてのひらを意味なく見つめてみる。まさか本当にそういう力が自分にもあるとは思わなかった。


「ま、火事場の馬鹿力でしか使えないんじゃ意味ないし、コントロールできるように特訓しないとね」

「うん、頑張るよ。……そういえば、利津さんと氷雨さんはなんの力があるんだ?」


 確か、氷雨が一番の実力者だったはずだ。それならきっと、すごい能力を持っているに違いない。

 結芽が、困ったように頬を掻く。


「えっとね、利津は電気系統。氷雨さんは……」

「私は能力がないんですよ」


 驚いて振り返る。いつの間にかリビングのドアの前に立っていた氷雨は、にっこりと笑いながら続けた。


「これでも頑張ったんですけどねー、能力だけは発現しませんでした。元々個人差があるものですから珍しくはないのですが」

「それで最強って、すごい……」


 ぽつりと呟いた達規の声は氷雨にしっかりと届いていた。彼はおどけたような口調のままで、いっそウインクという歳(年齢不詳だが、どうやら利津よりずっと上らしい)不相応なことまでしてみせながら、恐ろしく物騒ぶっそうなことを言ってのけた。


「能力による攻撃を受ける前に、気絶させるなり殺すなりすればいいんですよ」

「……」


 このあとの特訓に、すこしだけ不安を覚えてしまった。

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