因縁の世界にて

1-1

 澄み渡った空が見える窓から心地良い風が吹き込んでくる、月曜の朝。私立藍浦高等学校二年二組の教室で生徒たちがまばらに集まって談笑しているなか、達規はひとり机に頬をくっつけてだらけていた。

 HRの五分前に急ぐこともなく登校してきた親友が、そんな達規の姿を見て眉をひそめる。


「なにしてんの、珍しい。いつもなら予習してるのに」

「んー? あ、雅臣まさおみおはよう」

「おはよ」


 井筒いづつ雅臣まさおみとは高校に入学してからの付き合いだが、気が合うため今では中学時代の友人達より仲がいい。変に気を遣ってくることがない彼の性格は一緒にいてとても楽だ。唯一困ったことといえば、


「……今日も眩しいな臣ちゃん」

「なんだよ気持ち悪い。あとその呼び方やめろ」


 生まれつき色素の薄い髪と瞳、これまた生まれつきの癖毛によるウェーブが外人のような印象を与えている。心底嫌そうな表情も様になってしまう、いわゆる美少年に分類される雅臣は今日もクラスの女子たちの視線を集めていた。あまりにも彼がモテるものだから隣にいる達規としてはなんとなく悲しい気持ちになってしまう。せめてもの抵抗に髪を染めてみたものの顔が変わるわけでもなく、ただチャラいだけになってしまった。


「で、なに悩んでるんだ」


 雅臣は達規の前に位置する自らの席に横向きに座ると、達規の机に肘を乗せた。


「べつに悩んでいるわけじゃなくてさー……」


 昨日の少女の姿が、頭から離れなかった。同じくらいの歳であろう彼女の堂々とした動き、それに合わせて舞うグレーアッシュの長髪。ひったくり犯を相手にしていたときの力強い瞳と対照的に、周囲の歓声に見せた困ったような笑みはとても柔らかいものだった。


「名前だけでも聞けばよかったなーって」

「は?」

「昨日さ、」


 首を傾げた雅臣に説明をしようとしたが、ちょうどチャイムが鳴り担任が教室に入ってきたため、達規は口を閉じた。まだ喋っている生徒は多いが、重要でもない話で無駄に注意を受けたいとは思わない。そういう考えが真面目だと言われるのだろうが、自分からしてみれば面倒を回避したいだけのことだった。


「田中は今日も遅刻か」

「はいはい、いますっ! 間に合った!」


 教室を見回した担任が大きく息をつくのと同時に、廊下から盛大な足音を響かせてスポーツ刈りの男子生徒が駆け込んでくる。雅臣は担任などお構いなしに達規の話の続きを聞こうとしたのかこちらに身体を向けたままだったが、田中の大声で気が逸れたのか小さく息を吐きながら前を向いて座り直した。


「間に合ってねーよ」


 呆れたような雅臣の言葉で、教室内に笑い声が響く。


「えー、セーフだと思ったんだけど」


 頭を掻いてへらっと笑う田中をぼんやりと見ていた達規は、その後ろ――正確には廊下で揺れたグレーアッシュに目を見開いた。


「あ!」


 思わず立ち上がってしまい、クラスメイト達の視線が田中から達規へと移る。ガタイのいい田中に隠れて一瞬しか見えなかったが、急いでいた訳でもなくゆっくり歩いていたため見間違いではない。

 今廊下を横切って行ったのは、間違いなく昨日の子だった。


「なんだ高坂、忘れ物でもしたか」

「あ、いえ……」


 担任の言葉にはっとして、慌てて着席する。田中も席に着いたのを確認した担任が話を始めたが、達規の耳にはまったく入ってこない。雅臣が肩越しにちらとこちらの様子を伺ったのが視界に映ったが、視線を合わせることもできなかった。


 同じ学校だったのか。しかもこの階の廊下を歩いていたということは、同じ学年だ。知らなかった。

 帰りに見かけたら声をかけてみようと決めて、それから一日中、達規はどう声をかけようかとばかり考えていた。



 □



 HRが始まるチャイムがとうに鳴りおわったことなど少しも気にすることなく、教室のドアを開ける。その瞬間集まったクラス中の視線に、結芽は内心ため息をついた。別に気にしなくていいのに。それが堂々とした遅刻に対してならまだしも、気遣うような視線だから尚更うっとうしい。


「香椎、もう大丈夫なのか」

「ええ、まあ。遅刻してすみません」


 気を遣ってもらえることはありがたいと思うべきなのだが、あまり目立ちたくない自分としてはありがた迷惑だ。しかしここで悪い態度をとるほど馬鹿ではないので、声をかけてきた担任に小さく笑みを返した。


 三月の終わりに両親を亡くしてから、最初の登校。この微妙な空気も数日経てばなくなるだろう。遅刻を注意されなかったことを考えると、少しの間は適当な授業態度でも見逃してくれるかもしれない――そう前向きに捉えることにして、あらかじめ教えられていた自分の席に座った。

 担任の話を適当に聞き流しながらスマホを取り出してみると、トークアプリの通知が二件届いていた。


『ちゃんと学校行けましたか?』


 可愛らしいスタンプと共に送られてきたメッセージに、自然と頬が緩む。簡潔ながら人柄がよく表れた、温かいメッセージだ。大丈夫だよと返して、もう一つのトークルームを開く。


『遅刻してねえだろうな』


 せっかく和んでいたのに、と今度は口をとがらせた。こちらにはお見通しだったらしい。ばれたところで別になんともないので、素直に間に合わなかったと返してスマホをポケットにしまう。

 そのまま窓の外へと視線を移せば、春の陽気を余すことなく包み込んだ青空。気が緩んでしまいそうな天気に結芽は目を細める。自分にはあまりにも似合わないと、そう思った。



 □



「今日は用事がある」


 放課後、一緒に帰らないかと雅臣に声をかけた達規であったが、あっさりと断られてしまった。


「いつもの家の手伝い?」

「ああ。悪い」


 詳しくは知らないが雅臣の両親は忙しい人らしく、その手伝いがあるとかで放課後急いで帰ってしまうことがよくあった。


「気にすんなよ。また明日な」


 壁時計をちらと見てから教室を出て行く雅臣に手を振って、リュックを背負う。さて、どうしようか。

 今日は部活が休みだと言っていた田中に声をかけようかと一度は考えたものの、やめた。以前はよく遊んでいたのだが、彼は一年のとき文化祭で無理やり女装をさせられてから何かが目覚めてしまったらしく、一緒に遊ぶと高確率でレディースファッションについて語られてしまうのだ。


 たしか演劇部の発表時、脇役であるお嬢様役のなかに急病人が出てしまったとうろたえていた演劇部大道具係の田中を見て、雅臣が「お前が出ればいいんじゃねーの」と無理やり衣装を着せて台詞の確認をさせて舞台へと放り出したのだった。フリルがついたお嬢様役の衣装を身にまとったガタイのいい男子の登場に客席はおおいに盛り上がり、本人はなぜか調子に乗ってしまった。

 元凶である雅臣は反省するどころか、彼に「お嬢様」というあだ名をつける始末だ。本人が受け入れているのだからいいのだろうが。


 諦めて一人で帰ろうかと考えながら窓の外へと視線を移す。部活動のない生徒がぞろぞろと校門から出て行く様子がうかがえ、達規はその見慣れた景色の中にグレーアッシュを見つけた。


 気がつけば、机にぶつかるのも構わずに駆けだしていた。

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