後編*そして、輝き始める

 罪を犯したあの日から、私の人生は急速に色を持ち、輝きを帯び始めた。


 何をしていても退屈でつまらなかったあの牢獄のような日々、灰色で代わり映えのない判で押したような生活が、全てひっくり返ってしまった。


 平日は、起きて朝ご飯を作り、一通り身支度を整えたら働きに出かける。


 帰ってきたら一家であたたかいご飯を囲んで、お風呂にはいった後、お気に入りの本を読みながら心地よい疲労感に包まれて眠る。


 休みの日には、友達や家族と、いろんな場所に出かける。

 美味しいものを食べて、他愛もない話をして、ささやかなことで笑う。


 今までと、なにひとつやっていることは変わっていない。


 でも、あの罪を犯した日から、このささやかな日常の一つ一つが泣きたくなるほどに愛おしくなった。


 日々が過ぎ去っていくのを、はじめて、あっという間だと感じた。

 

 それから、今まで見えていなかったものが、次々と目に留まるようになった。

 

 青と薄桃色の入り混じったような、幻想的な朝焼けの空。露に濡れた草花の良い香りに、今日もまた一日が始まるのだとわくわくした。


 人々に日差しを投げかける太陽。活気あふれる街の中を、背筋を伸ばして歩いていく。パン屋から漂う、お腹のすく匂い。商店街の人々から飛び交う歓声に、心が玉のように弾んだ。


 それから、ある日は冴えわたる夜空の下を、リュカと歩いた。


 宝箱をひっくりかえしたように光る星々を眺めていたら、自然と胸が震えてきて涙が頬を伝った。


「シオン姉……?どうして、泣いているの?」


 瞳を丸くしたリュカがぎょっとして私を見つめた時、慌てて涙を手でぬぐった。


「……ううん。ただ、なんて綺麗なんだろうって思っただけ」


 今まで、全然、気づかなかった。

 世界は、こんなにも色づいていて美しかったのだと。


「毎日見てるじゃん。シオン姉、急にどうしたの」


 何も知らないリュカが呑気に微笑んだ時、胸が軋むように痛んだ。

 それでも、この秘密を曝け出すことはできなかった。

 

 

 夜空の下をリュカと歩いたあの日から、もう随分と、時が経過した。


 ある夜、寝苦しさのあまりに、目が醒めてしまった。


 あたたかい布団にくるまってすやすやと眠っていたはずなのに、身体が急激に冷えてきて、がくがくと震えた。

 

 辛うじて体を起こし、壁にかかった分厚いカレンダーに視線を向ける。


 気がつけば、明日は、あの液体の支給日だった。 


 どうやら、私が罪を犯した日から、もう一年が経過してしまったらしい。


 なるほど。

 この激的な寒気は、その前兆なのだろう。


 私は、もうじき、死ぬらしい。

 

 不思議と、全く怖くはなかった。

 むしろ、やっと死を迎えられることに、酷く安堵していた。


 遥か昔。


 この国は、脅威的な感染症に見舞われ、途方もない数の命を失った。

 生き残った数少ない人々は、大切な人の命を失い、絶望に染まりきっていた。


 そんなある時、国の森の奥深くを彷徨っていたある一人の生者が、ひときわ強い光を放つ不思議な樹々に出くわした。

 

 驚いた男は、走り回って、数少ない生き残りの国民たちを呼び集めた。


 皆、七色に光り輝く樹々の偉大な存在感にひれ伏し、見入った。


 それから、彼らは吸い寄せられるようにして、その樹々から滴ってきた虹色の液体を飲んだ。すると、見る見るうちに身体の真ん中から生命力が溢れ出してきた。


 生きる活力を取り戻した人々は、意気揚々と働き始めた。それから定期的にこの雫を摂取し、皆の力を合わせて、再び幸福な国を築き上げようと決めた。


 人々が懸命に働いた甲斐あって、国は再び、穏やかで満ち足りた。

 

 しかし、百年が経ってなお、雫を摂取していたうちの誰一人として、死んでいなかった。死なないどころか、老いることすらなかった。人々ははじめてあの雫を口にした百年前と同じように、瑞々しく若い姿をとどめ続けていた。


 かくして、人々はこの不思議な樹々から採れる雫の効能に気づいた。


 それは、不老不死の妙薬だったのだ。


 人々は、この樹々から採れる雫を飲み続けている限り、永遠に老衰しないし、死ぬこともない。永久に若々しい姿を保ち続け、生き続ける。


 確信に至った彼らは、虹の雫を崇め奉り、その恩恵を国民全員で享受し、永い時を生きようと決めた。


 この世にも不思議な樹々は、永久とこしえの樹と名付けられ、国の神木と認定された。そして、この神木から採取される虹の雫は、満遍なく国民の下に支給されるようになった。成人した国民は、皆これを摂取することが義務付けられた。ある時を境に、人口の飽和を避けるため、子を為すことは禁止された。


 死を忌み嫌って激しく憎んでいた人々は、これで、もう永遠に誰の命も失わなくて済むのだと咽び喜んだ。


 この国に生まれてきた私は、一国民として、あの雫を摂取しながら数えるのも厭わしくなる程に永い生を送ってきた。


 でも、ある時から、強い疑念が胸に渦巻くようになっていった。


 私はきっと、永遠を生きるということを、持て余してしまったのだ。


 だから、一年前に、虹の雫の摂取を断ち切った。

 罪だと分かっていながら、私にはもう永久を生きることはできそうになかった。


 確かに言えることは、幾千年と生きてきた日々の中で、迫り来る死を意識して生きたこの一年間が、他のどんな時よりも輝いていたということだ。


 明日、私の死体を発見した人々は騒ぎ立てて、泣き狂うのだろう。そして、

何故彼女は雫を摂取しなかったのだろうかと根も葉もない噂を立てる。

 

 私の名前は、国中を阿鼻叫喚に引きずり込んだ、この国史上最大の大罪人として、国中に知れ渡るのだ。


 でも、私はこの選択を、決して後悔していない。


 だって、この一年間、私は、これまでの人生ではじめて生きていた。


 私は、生きるために、死ぬのだから。

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私は罪に生かされる 久里 @mikanmomo1123

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