檻の中⓸

 涼風と三浦がその部屋を訪れたのは、逮捕状請求からわずか二十分ほど経過した頃だった。

 再び、三浦がドアをノックすると、須藤涼風は部屋の中へ一歩を踏み出す。

 すると、ベッドの端に座り込んでいた田川奈美が目を丸くした。

「刑事さん? 結構早かったですね」

 病室の中には、付き添っていた田川留美の姿はなく、三浦は首を傾げる。

「ところで、留美さんは?」

「……トイレですよ。そろそろ帰ってくると思います」

 奈美の答えに三浦は納得の表情を見せた。その間に、涼風はベッドの近くにあった机の上に預かっていた姉妹のスマホを置いた。

「あなたのお姉さんにもあとでお礼を申し上げますが、捜査協力ありがとうございました」

 涼風と三浦が奈美に対して頭を下げると、奈美はベッドから立ち上がり、机の上に置かれた自分のスマホに手を伸ばした。

「あれから二時間くらいしか経ってないのに、もう返しにくるなんて……警察って優秀ですね。まあ、私のスマホは修理業者でレンタルした代替え品だから、何も出なかったんでしょ?」


「いいえ。あなたの指紋が検出されました」

 涼風の答えを聞き、奈美は首を縦に動かす。

「そういえば、そうですね。あのスマホに私の指紋が付いてないとおかしいです。だって、あれは私が持っていたスマホなのだから」

「そう。あなたのスマホに付着した指紋とあなたが監禁されていた廃工場の二階の事務所のドアノブに付着した指紋が一致しました」

「ドアノブ?」

 噛み合わない話に奈美が首を捻る。すると、涼風はスーツのポケットから四つ折りの紙を取り出し、奈美の前で広げてみせた。


「田川奈美。あなたに殺人の容疑で逮捕状が出ています」

「ちょっと、待って。殺人容疑って何?」

 奈美が慌てた表情で、両手を左右に振る。

 そんな少女を三浦は真剣な表情で見つめた。

「ある人物が金で雇った作業員が証言しました。あなたと一緒に廃工場で檻を作ったって。その最中、あなたは作業場から抜け出し、避難階段の手すりを切断し、壊したんです。あとは、被害者を事務室に呼び出せば、殺害は可能です」

「飛躍しすぎていませんか? 第一、なんで竹中さんは二階の事務室に……」

「……今、あなたは二つ失言をしました。三浦巡査部長、分かりますか?」

 涼風が三浦に向けて、指を二本立ててみせた。それを見て、三浦は首を縦に動かす。


「はい。一つは、事務室の場所です。なぜ、あなたは事務室が二階にあると分かったのでしょう?」

 三浦の言葉に続けて、涼風が頷く。

「正解です。では、もう一つは? あなたも気が付いているのでしょう? 最初に会った時から」

「被害者のことです。ここを最初に訪れた時、竹中さんが殺されたことを伏せていたはずなのに、あなたは、あんなことになって悲しくないのかとお姉さんに尋ねました。あの疑問は、塾の恩師が殺されて、悲しくないのかと聞いているようでした」


「大体、私に殺せるわけないでしょう? だって、私は檻の中で両手足を縛られて、監禁されていたんだから。そんな状態で檻から抜け出して、竹中さんを突き落としたとでも言いたいわけ?」

 焦りで汗を落としながら、奈美はジッと目の前にいる二人の刑事の顔を睨みつけた。

「最初に言ったはずです。あなたは作業場から抜け出し、避難階段の手すりを切断したと。それだけの準備をあらかじめしておけば、たとえ檻の中にいたとしても、被害者を殺せます」

 三浦の答えに続けて、涼風は両手を一回叩いた。

「そういえば、あなたが監禁されていた廃工場の隣で、別の工場の解体工事があったようですね? 結構、揺れが酷かったでしょう?」

「あの廃工場の避難階段は人が一人通るのが精いっぱいの狭さでした。そこに解体工事の揺れを加えれば、被害者は体勢を崩し、転落させることも容易なんですよ!」


「因みに、被害者が頻繁に連絡を取り合っていた誘拐事件の黒幕、ツバサのスマホの契約者はあなたでした。トバシの携帯を未成年でも購入できるとは、驚きです。そう。あなたは、狂言誘拐を企て、被害者を事務室に誘導し、殺害したんです」


 ふたりの刑事の追求を奈美は鼻で笑う。

「さっきから黙って聞いてたら、何? あらかじめ時間になったら、事務室に行くようにって指示したって言いたいの? なんで、そんなところに行かないといけないの?」

「もちろん、要求を伝えるためです」

 男の刑事の答えに奈美は呆れ顔になる。

「はぁ? 要求はお姉ちゃんが正午丁度に生配信動画を投稿することでしょ?」


「正午、田川留美の自宅に電話して、身代金、一億円を要求する。これがあなたが被害者に伝えていた要求です。被害者のパソコンに残されていた犯罪計画書に、こんな文言が登場した時は、思わず首を傾げました。留美さんの話だと、要求は、大分中央公園のゴミ箱の中にある紙袋の中にあった紙に書いてあったそうです。そこにあなたが用意した本当の要求が書いてあるとは知らないで、被害者はフェイクの要求を伝えようとしていたんです。ところが、連絡に使おうと思ったスマホは突然、電池切れになった。そこで、犯罪計画書に書かれていた対処法を思い出し、スマホを充電するために、二階の事務室へ向かったんです。それが罠だとは知らずに」


女の刑事に真実が暴かれ、奈美は顔を強張らせる。

丁度その時、病室のドアが開き、血相を変えた留美が病室の中へ飛び込んできた。


「何かの間違いです! 奈美が人を殺すなんて……」

「もういいよ。刑事さんの言う通り、私が殺しました。ああ、まさか、こんなに早く犯人に辿り着くなんて……」

 奈美が目を伏せると、留美は妹との距離を詰め、彼女の両肩を掴んだ。

「なんで、こんなことをしたの?」

「お姉ちゃんの塾の恩師が私のストーカーだった。そんなこと、相談できるわけないでしょ? だから、私は邪魔なストーカー男を殺すしかなかった。事故に見せかけてね」


「最後に、なぜ留美さんに、緊急生配信動画を投稿しろと要求じたのですか?」

 三浦からの問いかけに、奈美は頬を緩める。


「もちろん、お姉ちゃんのため。あの男が死ねば、お姉ちゃんも容疑者になるかもしれないでしょ? だから、鉄壁のアリバイを用意する必用があったの。あの男が死んだ時、大分中央公園で緊急生配信動画を撮影していたっていうね。証言者は全世界の数万人の視聴者たち。偶然、公園にいた人たちの証言も合わせれば、お姉ちゃんは鉄壁のアリバイを手に入れることができる。そして、私は、檻の中で監禁されていたというアリバイを手に入れるはずだったのに、あっさりと逮捕されちゃった」


「言いたいことは、それだけですか?」

 そう尋ねながら、須藤涼風は手錠を取り出す。そのあとで、奈美は頷き、両手を女刑事に差し出した。

「田川留美。殺人の疑いで逮捕します」





 事件解決から数時間程が経過した頃、須藤涼風は、再びサイバー犯罪対策課を訪れた。定時で帰宅する捜査員たちが多く、人気のない薄暗い部屋の中で、パソコンの光が漏れる。


 そんな空間に足を踏み入れた涼風は、足早に風丘の席へ進んだ。

 そうして、彼の席の前に立ち止まると、今もパソコンと向き合っている仲間に声をかける。

「風丘くん」と呼ばれ、彼は席から立ち上がり、背後を振り返り、訪問者と顔を合わせた。


「涼風さん、送検準備や裏付け捜査で忙しいと思ったのに、こんなところで油を売るんですね?」

「犯人が未成年だったので、捜査情報を少年課に報告したから、暇なんですよ。送検も少年課にお任せです」

「はぁ、そうですか。てっきり、裏付け捜査に協力しろと言い出すのかと思いました」

 風丘がホッとした表情を浮かべると、涼風は彼の前に一歩を踏み出した。

「別件です。恵子の行きつけのラーメン店が、今月末に閉店するそうです。今晩、一緒に行きませんか?」


「珍しいですね。この私を誘うなんて。まあ、久しぶりにその名前を聞けて、嬉しいです。五年前の未解決事件以来、あなたの口からその名前を聞いたことがありませんでしたから」

「もうすぐ、あの思い出が詰まったあの店が潰れるんです。暇なら付き合ってください。一緒に恵子の話をしましょう」

「……まあ、そういうことなら、断る理由はなさそうです」

 頬を赤くした風丘末広はパソコンをシャットダウンし、須藤涼風と共にサイバー犯罪対策課の一室から立ち去った。






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大分県警の女 山本正純 @nazuna39

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